駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医療の進歩は斑で微妙に進む

2019年07月31日 | 町医者診言

            

 

 医学は万病が対象だから、進歩と言っても均一でなく斑なのだが、日進月歩で進んでいる。何とか遅れないように、毎日少しだが勉強している。と言っても難病は守備範囲ではないので、高血圧症、糖尿病、認知症などの慢性の内科疾患が対象である。勿論、難病もとっかかりは診ることがあるので見逃さないように最低限の知識を仕入れている。風邪や腹下し膀胱炎などの軽症急性疾患ではさほどの進歩はなく、むしろ変化と言った方が良いような視点の改革がある。これはこの三十年ほどで日本の医学会が臨床にも力を入れ始めた影響だと思われる。こうした動きはアメリカ留学体験のある医師がアメリカ式の診療を持ち込んできたためと思われる。日本医学の流れを調べたわけではないが間違いない事実だと思う。

 医学の進歩といっても素人にはどう違うのといった微妙なものが多いのだが、僅かだが研究経験のある者にはなるほど凄いと思わせられる知見があり、その一端を聞くのは存外楽しいものだ。そうした実験的研究の他に最近際立つのが統計的な治験による新知見だ。日本の医学研究はほぼ一流なのだが、この臨床治験ではまだ遅れをとっている。日本で優れた臨床治験が少ないのは大げさに言えば日本の風土と企業力が関係している。厚労省には何か工夫をお願いしたい。まだまだお役所には進取の精神が乏しく、医学の進歩の後押しが足りないと思う。

 風土と言えば各国それぞれに歴史と事情がある。今、隣国とあれこれ摩擦が起きている。それは微妙だが根深く、とても考察を端折って結論に飛びつけるような問題ではない。医者が外交官に忠告するのは筋違いかもしれないが、外交の問題は微妙で根深いもので、簡単にこぶしを振り上げるものではないはずで、他国と同様に自国の病理にも目を向けるべきではないかと申し上げたい。ついては頭を冷やす氷枕を処方したい。頭に血が上っているのは我々ではないと言われるかもしれないが?。

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先生は何と言われるだろうか

2019年07月30日 | 町医者診言

       


 人によって先生と呼べる人呼びたい人は様々だろうが、私には一番の先生は小学校の時のT先生だ。中学高校大学社会人になってからと様々な教師や先生との出会いがあった。先生居なければどうなっていただろうと感謝したい先生が何人も居られるが、自分の基本的な骨格構成にはT先生の影響が多きいような気がしている。

 T先生は21世紀を見ることなく亡くなられた。先生が今のネットニュースの紙面を見て何と言われるだろうと時々考える。驚かれるだろうかあるいはある程度こうしたことを予想しておられただろうか。

 退廃混乱は世界でも日本でもしばしば時代の終わりに見られ、混沌とした情勢は初めてのものではない気がするが、今の浅薄下司な非難の溢れる時代はあまりなかったではないかと思う。この辺りについては歴史の碩学に表に出てきてもらい、二十時間のほどの集中講義をしてもらいたい。NHKをどうのこうのという手の内を隠して、NHK嫌いで掬い取る正体不明の党が出てきたようだが、こうした講義はNHKなら圧力を跳ね返してできるように思う。

 銃乱射で滅茶苦茶な国に見えるアメリカが成立し力があるのは少数でも有能優等公正公平な人が認められて活躍する場を与えられているからだろうと思う。日本が曲がりなりにも平和でとりあえず恵まれているのは黙々と地道に真っ当な仕事をしている人が数多くいるからだろうと思う。これは門外漢浅学菲才の私の診断に過ぎないが、果たして浅薄下司な人を貶すばかりで中身がない勢力が世の中を動かすようになったらどうなるだろうと心配になる。自分がもういない将来を憂うのは滑稽かもしれないが、これはあながち杞憂ではないと思う。何が優れているかは簡単には判定できない難しい問題だが、優れた人が居るのは確かでそうした人が上に立つ選択をするのは凡人の務めと感じている。

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西さん若き日の京味を知っている

2019年07月29日 | 旨い物

        


 漸く梅雨が明け夏がやってきた。朝から蒸し暑い。年々蝉の鳴き声が小さくなってゆくように感じていたが、それはどうも自分の聴力低下のせいらしい。十年前くらいまではアブラゼミの合唱の下を通るとぐわーんの大音響に眩暈がするほどだったが、この頃はやかましいなあ程度になった。蝉の元気がなくなったと思っていたのだがどうも自分の聴力が落ちたらしい。早口の女性患者さんの訴えが聞き取りにくく、時々「えっ」と聞きなおしている。

 ネットのニュースに京味の西さんが亡くなったと出ていた。享年八十一歳、十歳も違わない、もう少しと残念に感じた。唯、仕事的には十分なことを果たされ、優れた後継者を何人も残されただろうと思う。京味にはこんなに有名になる前、昭和五十年代に何度か連れて行って貰ったことがある。どこまでわかったか不明だが美味しく頂いた記憶がある。その頃西さんはまだお若く、気さくで気軽に直々に説明しながら、東京のお客の好みや反応を見ておられたようだ。残念ながら有名になってからは、連れて行って下すった上司も亡くなり、訪れる機会はなかった。女房に味わわせる機会を逃したのは残念。

 二十代の頃読んだ伊藤整の言葉にいつかではその時は来ないというのがあった。自分はまだ若かったが妙に心に残り、折に触れ判断の縁にしてきた。そう思っても叶えられない望みの方が多いわけだが、訃報に微かな後悔が心をよぎった。

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生まれ変われるものなら

2019年07月27日 | 町医者診言

                   

 

 台風の影響か青空から大粒の雨が降ってくる。季節外れ?の台風のおかげで梅雨明けが遅れたようだ。

 誰しも生まれ変わりたいと思ったことは一度や二度あるだろう。不運が重なり挫折し、ご破算にして生まれかわりたいと真っ暗闇の中で願ったことのある人は多いと思う。有難く手を貸してくれる人が居ても結局最後は自分の足で何とかして立ち上がらなくてはならない。残念ながら本当に生まれ変わることはできないからだ。尤も、遠い将来可能になるかもしれない、それがどんな世界かはSF小説にお任せしたい。

 国民民主党の玉木代表が生まれ変わったと言っているようだ、玉木さんは好漢で伸びてほしい政治家と思っているが、簡単に生まれ変わったなどと言い出すのでは政治家としてひ弱いと感じてしまう。変節と取られるのが嫌で生まれ変わったと言ったのかもしれないが、フィリップマーロウの言葉を思い出して欲しい。野党はレトリックで安倍陣営に大きく後れを取っていると申し上げる。

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動く視点

2019年07月26日 | 人生

         


 仕事量をうんと減らしたつもりでも時々は勉強会講演会に出かけるし、内科幹事会は唯一の公務として続けているので、まだ週に一二回は帰宅が午後九時を過ぎる。情けないことにこれが身体に堪えるようになった。要するに診察で一杯一杯で診療を終えて帰宅する時には動くエネルギーが残っていないのだ。五歳ほど年上のH氏は自分は悠々自適なのに、仕事を減らそうとする私にまだ若いのにと有難迷惑なはっぱを掛けてくれる。人はいくつになっても自分より若い者は若いと感じるようだ。「でも草臥れたんですよ」と言い訳?させてもらっている。日本人全体の寿命が延び、若く見える人が増えたのは確かだが、三十代の頃はアラカンの女性など失礼ながら女性に入らずお婆さんと感じたものだが、今では「先生、還暦なのよどうしましょ」にまだまだお若い時にお美しいと感じるようになった。これは自分が視点になっているからで、人間の習性のようである。

 見た目は実年齢よりも数歳若いのでそのつもりでいたのだが、どうも歳は争えない。自分は欲が不足しているかなと思ったりする。まあ、五十を過ぎると個体差が徐々に出てくる、七十だとかなり、九十だとものすごく違ってくる。九十と言えばそこまで生きられない人も多い。人さまざまだが自分は知識欲は旺盛だが権力欲や物欲が弱いようで、それが年取った感につながっているかもしれない。しかし**会長などは退くと急に老け込んで、あんなに元気だったのにが辞めて数年平均寿命で亡くなったりしている。権力欲や物欲は反動があるらしい。

 まあ先のことはわからない、それでもある程度の手を打ってゆくのが高齢者の知恵というか務めと思う。まだまだやりたいことはたくさんある。動けるうちに時間を作る算段は周りを見て学んだことで、もっと働けと言われてもマイウエイでギアチェンジをしたい。

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