駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

嵐の前の静けさ

2020年08月31日 | 診療

           

 

 今日で八月が終わる。朝夕ちょっと涼しくなり、秋の気配がある。夜眠りやすくなり朝の通勤の発汗も減り身体は楽になった。

 新型コロナは第二波が収まりつつあるように見えるが、終息には遠くまだまだ新規感染者が出ている。指定感染症の見直しが議論されている。若年無症状感染者の扱いを緩和するのは、医療機関行政の負担を減らす意味で妥当だと思うが、インフルエンザと同じ扱いにするのは行き過ぎで、冬に予想される第三波での重症者が増えてしまうと危惧する。データに基づいた科学的で柔軟な方針をお願いしたい。

 不安なのは一般人だけでなく、我々前線の医療機関もインフルエンザと新型コロナが同時に流行したら一体どうすればよいのだろうかと悩んでいる。取り敢えず専用診察室を用意する予定でいるが、検査や支払いなど動線を交わらないようにするのは難しいし、スタッフも二つに分けるほどの人員に余裕はない。インフルエンザワクチンの予約もあと二週間ほどで始めるが、どうなっている必ずやってくれともう既に殺気立つ人もいて、かかりつけ患者優先をどう理解してもらうか受付も大変になりそうだ。

 今は月末月初で比較的患者さんは少ないのだが、嵐の前の静けさと不気味に感じる。

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変わる世の中

2020年08月30日 | 政治経済

         

 

 今朝は曇っているが、なんだかすっきり感じる。どう転んでも昨日よりは風通しが良くなる気がするからだ。長過ぎるのは良くない、自画自賛、不祥事隠蔽、問答はぐらかしは息苦しい。まあ、そこまで嫌だったとは気付かなかったが、気分は正直だ。

 患者の声に耳を傾けよ診断を告げているとオスラー先生は言われた。国民の声に耳を傾けてほしい。政策と手法で首相を選んでいただきたい。結果は手法と不可分だ。彼奴だけにはなどという仲間内の恨み辛みで動かないでほしい。

 菅さんは誠実愚直に支える人、上に立つ人ではない、本人も向いていないと言っておられる。権力を使いこなすのは難儀なこと、誰にでも出来ることではない。大所帯が人材不足とは思えないが、総理大臣にしてはならないといわれる茂木稲田ではどうでしょうと申し上げたい。茂木氏はタフで有能、稲田氏は女性で一皮むけた。

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突然の終了

2020年08月29日 | 政治経済

             

 

 安倍首相が体調不良で辞任された。突然の終わりに、いったい何だったのかこれからどうなるのかとたたらを踏んでいる。大きなストレスで持病が悪化したようで、ある意味で首相も新型コロナの犠牲者かも知れない。

 しかしこの危機に次は大変だ。誰がやってもどこがやっても、問題山積負債莫大で安倍式に前政権を責めても、国民の不安不安は解消できそうにない。

 とはいっても継ぐには、安倍政権の総括が必要だ。自民長老による、国民を忘れた内輪のうやむや方式では、一番大切な信頼が得られない。二週間の政治空白と言っているが、二か月空白だったではないか、空白と言っても安倍首相は決まるまで責務を果たすと言っておられるではないか。両院議員総会方式では、暫定首相になるだろう。二階から目薬が目ん玉に入るだろうか?。

 コップの中の嵐が信頼を損ねるのは野党も同じ、俺が私がと吠える野良犬は相手にしないことだ。犬が吠えても隊商は進め。

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なんだかおかしい

2020年08月28日 | 世の中

             

 

 完全無欠な人はまあ居ないと思う。多い少ない大きい小さいはあるが誰にも多少の欠点や落ち度はあるものだ。それには個々に広い視野から吟味して大目見たり反省を促したりするのが成熟した社会だと思うのだが、最近は未熟というかほとんど病的だと思うのだが、他人の落ち度や失策をここぞと攻め立てる人たちが一杯出てきた。

 確かに昔からそういう手法はあって、その筋の端くれの人達が専売特許で用いていたのだが、ネットが行き渡る社会になってその筋でもない人達も使い始めた。使われる理由は多少違うようで難癖逆捩じには身過ぎ世過ぎの意味合いもあったようだが、ここぞと叩く人達にはどうも捻じれた快感のようなものがあるらしい。叩けば自分の方が上というか優位に感じられる錯感覚があるらしい。ネット情報が拡散するために目立つところもあるだろうが、そうではなく実際にそういう心根の人が増えてきているような気もしている。それは週刊誌に表れている、中身を読まず新聞広告の表題だけで評価しているので多少は違うかもしれないが表題からの類推は当たらずとも遠からずだろう。

 二十一世紀なぞ見たくもないと言い放った斎藤十一が今を見たら、これはやりすぎたかなと方向転換し、分かりやすい学術書を出すだろうか。

 広い視野を持つのは簡単ではないが、視点を変えるのは僅かな想像力で足りる、相手の身になって考えれば短絡した非難は減るのではないかと思う。

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以外に旨いズッキーニ

2020年08月27日 | 旨い物

             

 

 野菜には野菜の美味しさがあるのだが、美味しさというより独特の歯応えで最近登場回数が増えたのがズッキーニだ。丼ものの中では天丼が好きで、並をよく注文するのだが胡瓜のようで胡瓜でないズッキーニが混じっている。ズッキーニは米国由来で大味なのだが淡白で以外にこれが天丼に合うのだ。

 ズッキーニの他にエッグプラント(ナス)という大きいばかりでもう一つ良い使い道がない米国由来の茄子があるがこれも和風に何か良い使い道があるのではないか。すでに何かに使われていて私が知らないだけかもしれないが、どこかの誰かが工夫してうまい調理法を考えてほしい。

 それと並みの天丼の海老は上や特上に比べて小振りなのだが、密かにこれはお得と思っている。というのは海老は小振りの方が旨いとまでは言わないが大振りと比べて決して引けを取らないのだ。だからいつも並みを注文するわけではないが、お得感がこれまた美味しいのだ。

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