駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

歴史は螺旋、いつも曲がり角

2017年03月02日 | 小考

       

 文献の残る人類の歴史は数千年。大昔と思われる奈良時代など高々千数百年前のことで、一代三十年とすれば四十いくつかの代を遡ればたどり着ける。私の記憶が残る六十年の二十二倍程度の時間だ、長いと言えば長いが、気の遠くなる昔とは思えない。草田男は明治は遠くなりにけりと詠んだが、実は昨日のこと、明治生まれの父の語った言葉は耳に鮮やかに残っている。

 そうして自分の六十年を尺度に考えると、歴史は繰り返すというが重なるというわけではなく螺旋階段のように上り下りしてきたように見える。いつの時代も今は転換点だと言われたらしいが、二十一世紀もやがて二十年、トランプが現れ安倍政権が長引き、世界の政治は自分優先で右旋回している。科学技術は休むことなく進歩しAIが生活に入り込み、女性の平均寿命は九十歳に届こうとしている。どうしても今こそ大きな転換点と言いたくなる。

 それでも結局、殆どの人は数年先と数十キロ先を見渡して動いてゆく。新幹線ができ飛行機が飛び、テレビラジオで地球の裏側のことが瞬時にわかるようになっても、生活圏にさほどの広がりはなく、人は明日の歩みを身の回りを眺めて決めているように思える。全く重なるわけではないが、ついこの間の螺旋を回っているようで、繰り返さないといっても繰り返されてゆく。

 毎日のように息が切れる、めまいがするという患者さんが訪れる、当然ですよ螺旋階段を上っているのだからと申し上げたくなる。

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