玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

67)2大運河と関係者達

2006年09月23日 | ピースボート世界一周

Peace_boat_720

 スエズ運河を開通させたレセップスは、パナマ運河も海面と同一水位の水平航行式のスエズ運河方式で1880年着工したが資金、技術的な問題で9年で放棄せざるを得なかった。両運河の地形的条件は違いすぎたのだ。(いよいよ運河通過だよー)

Peace_boat_726

 引き継いだ米国の手法は、人造湖や閘門(水面に高低差のある場合、水量を調節する堰で、水面を昇降させて水や船を行き来させるための装置)を作り、大西洋より24M海面の高い太平洋へ船舶を階段式に押し上げ、80Kmに及ぶ道のりを岡超え(水超え)させて移動させる方式であった。(向かって左側の水路、特別士様の電気自動車も準備態勢をとる。船から身を乗り出す人々)

Peace_boat_728

 最初のガトゥン閘門は立て続けに3つ堰があって、1回毎にユックリ給排水を繰り返し9mづづエレベーター様に揚がり、海抜26mガトゥン湖に船を押し上げた。各エレベーター様の巨大な堰は幅居32、3m水深12mでパナマックスと呼ばれていたが、我々のBoatも真上から見下ろす限りギリギリの幅に見えた。1回の通行料が2000万円やに聴いた。(両軌道から数台の自動車で船を固定して曳航。前方の水面は一段高く揚っておりあの水面まで曳き揚げるのだ)

Peace_boat_739

 閘門は下の写真の様になっていて、夫々が反対方向に一方通行になっていた。幅のある中央壁の上にあるコントロール室を挟んで、左右に電気自動車用の軌道が敷かれ夫々対岸にも同様の軌道があった。つまり両側の数台の電気自動車は船舶が閘門の中央に位置する様に固定して走る牽引車だ。(ガトゥン閘門をぬけ一部狭くて難工路を極めたというゲイラード水路。2001年に3億円掛けて拡幅工事がなされ船のすれ違いが可能になったという)

Peace_boat_751  専用の電機機関車は日本の東洋電機製造製で、自分達が作った自動車を見たいがために乗船したという方がいた。我々には不確かだったが、ある種の記号を見つけて「あった!」と喜んでらした。土地の方だろうか。船上の我々を日本人と知るやポケットから日本紙幣を出して、愛嬌をふりまいてくれる人 もいた。日本人も2~3人見たが(監督orメンテナンス?)仕事熱心で気ずかないのか声掛けしてヤット話が通じ「どちらまで?気をつけて」と手を振ってくれた。アフリカでも自分達が建てた電柱が残っていたと感激している男性もいた。同じような思いを各地で抱いた殿方ももっと沢山いらしたろう。(太平洋岸に近づき段々に水面を下げている。左右の水路が同じ高さになっており通行、軌道の様子がよく解る。自動車に曳航されたBoatは左で見えないが、右の最後の堰は太平洋の水面と同じ高さになっている。3つの閘門=6つの堰を渡り通すのに朝から夕迄要し、運河を抜け切った時にはライトがつき始めていた)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする