あられの日記

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ここが源氏物語の藤壷

2009年12月19日 07時41分40秒 | お城&御所
源氏物語の名前を知っている日本人は多いが、源氏物語を読破している日本人は少数派です。
私も読破してません。
なぜって、長いんですよ。
でも藤壷は幸い源氏物語の最初の方に出て来るので名前くらいは知ってます~。
私は多数派!
なので、WIKIで検索かけました。
さっぱりでした。
取りあえず、だいたい60巻くらいある長編なのは確か。
さて、トップ画像です。
これがその!「藤壷」なんですよ。
正式には「飛香舎」
古制に則って建てられたもので、平安京の内裏の様子をよく伝えている。桧皮葺の寝殿造りの建物である。
女御入内の儀式が執り行われた建物であるが、元来は女御が日常過ごしていた所であった。中庭に植えられていた藤にちなんで藤壷と呼ばれていた。

源氏物語の主人公は誰でも知ってる光源氏。桐壺帝と桐壺更衣の子で第二皇子。臣籍降下して源氏姓を賜る。
藤壷は桐壺帝の先帝の内親王。桐壺の更衣に瓜二つであり、そのため更衣の死後後宮に上げられる。源氏と密通して冷泉帝を生む。
というようなお話が源氏物語の序盤の出来事です。
で、その舞台が上の画像の藤壷です。
私、お話を読んだ時にとても疑問だったんだよ~。
藤壷は「中宮」な訳。源氏と密通して生まれた子どもは後に冷泉帝に即位してるのね。
それって可能なの??
日本は男系相続な訳で、女性の身分でなく父方の身分が重要なのね。
なのに、仮にも天皇が不義の子ってあり得るのか?
でも、御所の見取り図を見ると結構可能だったのかな?と思いました。
光源氏は桐壺帝の第二皇子だから、身分からして御所をぐるりと囲む塀の外までは軽くフリーパスだよね。となると、関門は昨日紹介した朔平門のみ。これさえ通れたら、藤壷はもう目の前なんですよ。
まあ当時の警備については調べてないので、想像ですが。
こんなん考えつつ藤壷見学してる私は中世日本文学にロマンは感じてないってことですね。
さて、次の画像は飛香舎から続く若宮・姫宮御殿の庭にあった井戸です。

●若宮・姫宮御殿
皇子・皇女の御殿で、明治天皇が一時期お住まいになられた。
と、あれ?
下の画像は若宮御殿と思ってたけど、よ~く見たらこれ皇后宮御殿ですね。

天皇陛下ご在位20年記念の一環でしょうか?束帯姿と十二単姿の人形が2体ありました。



数日に渡って紹介してきた京都御所特別公開は本日で終了。
紹介文は主に入口で配っていたパンフレットから。
ところで、肝心の御所の紹介を忘れてたような…。
今更なのですが、京都御所は14世紀以来500年以上の永きにわたり連綿として皇居であったところです。
現在の建物はおおむね安政2年(1855)の再建ですが、平安時代を始めとする様式が展開し、伝統的な内裏の世界を見ることが出来ます。
明治天皇が1869年に東京に遷るまでここが皇居でした。


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2 コメント

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わたしも… (ぶめ)
2009-12-19 10:46:07
「あさきゆめみし」しか読んでません
でも冷泉帝はあくまでも桐壺帝の子として帝位に就くんだよ。
自身、源氏が父であることを知るのは帝位に就き母藤壺が死んでから。もちろん公表されません。
密通したのも宿下がりしてる時で、御所じゃなかったんじゃないかな。
そしてその数年後、源氏の正妻の女三の宮が籐の中将の息子の柏木と密通し薫の君を生む。妻の不義の子を抱きながら、父桐壺もまた自分の不義に気づいていたのではないか、と思い至る。
つまり「輪廻」がこの物語のテーマであるわけです。

…ところで8時半に京都着、11時に京都発って…君、どんな計画なんや
まさか、在来線使用?
返信する
やっぱり (あられ)
2009-12-20 06:46:54
やっぱりみんな「?」って思ったんですかね?

輪廻というより、因果応報って感じ。

時間の謎は12月20日の記事にて。
この翌日、親戚の慶事に参加のため帰省していたのだ。
返信する

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