引き続き明治生命館の紹介です。
建物概要
構造:鉄筋鉄骨コンクリート造り。地上8階。地下2階(昭和の始めには既に鉄筋鉄骨造りがあったんですね)
創建年:昭和9年(1934)3月
設計者:岡田信一郎(既に何度も記事にしている岡田信一郎の作品にして最後の作品)*起工まもなく死去。後を岡田の実弟が引き継ぎ完成させた。
建物の設計は、明治末から昭和初期にかけて活躍した建築家で、東京美術学校(現東京芸術大学)教授の岡田信一郎。建物全体の構成や設備の充実度から、昭和におけるオフィスビルの最高峰を示すものといわれています。
戦争中の金属回収・東京大空襲、そして終戦後にはアメリカ極東空軍司令官(FEAF)として使用するためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会(ACJ)の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館は、そのすみずみにまで時代の記憶が封印されています。
平成9年(1997)、昭和の建造物としては初めて国の重要文化財に指定されました。
トップ画像は2階回廊です。
回廊は1階と同様、壁・柱。柱型に大理石を用いている。
1階店頭営業室廻りと一体となった吹き抜け空間を構成しています。
2階控え室
2階食堂
現在は会議室のようです。でも食堂時代の名残も残ってました。
ほらね。ここから料理を出し入れしていたのでしょうか?
天井や梁にはぶどうち蔦の石膏レリーフも。
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建物概要
構造:鉄筋鉄骨コンクリート造り。地上8階。地下2階(昭和の始めには既に鉄筋鉄骨造りがあったんですね)
創建年:昭和9年(1934)3月
設計者:岡田信一郎(既に何度も記事にしている岡田信一郎の作品にして最後の作品)*起工まもなく死去。後を岡田の実弟が引き継ぎ完成させた。
建物の設計は、明治末から昭和初期にかけて活躍した建築家で、東京美術学校(現東京芸術大学)教授の岡田信一郎。建物全体の構成や設備の充実度から、昭和におけるオフィスビルの最高峰を示すものといわれています。
戦争中の金属回収・東京大空襲、そして終戦後にはアメリカ極東空軍司令官(FEAF)として使用するためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会(ACJ)の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館は、そのすみずみにまで時代の記憶が封印されています。
平成9年(1997)、昭和の建造物としては初めて国の重要文化財に指定されました。
トップ画像は2階回廊です。
回廊は1階と同様、壁・柱。柱型に大理石を用いている。
1階店頭営業室廻りと一体となった吹き抜け空間を構成しています。
2階控え室
2階食堂
現在は会議室のようです。でも食堂時代の名残も残ってました。
ほらね。ここから料理を出し入れしていたのでしょうか?
天井や梁にはぶどうち蔦の石膏レリーフも。
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