AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

狂熱のライヴ

2019年12月28日 | コンサート
どうもすいやせん。

実はCoccoのライブ、観に行けちゃいました。

いや、SNS上でオリックス劇場のチケット定価で譲りますツイートを発見し、競争率高そうやったけどダメもとでメッセ送ったらすんなり取引が成立しちゃいましてねぇ・・・・

んで、届けられたチケットの席が、なんと1階の14列目!!
一般発売日にコンビニで発券できてたらこんな良席はまずゲットできんかったやろう・・・
自分昔からCocco運だけはええんですよ。

まぁなんとかして今回のライブは行くつもりだったので、あらかじめこの日は有休とってありました。


思えばCoccoのライブは、2015年のカミコベチャリティー無料フェスでの、Coccoが今まで全然弾いたことのないたどたどしいピアノ伴奏で2曲だけやって帰ってしまいオーディエンスを唖然とさせたあのプレミアムなライブを除くと、(つまりワンマンとしては)実に12年ぶり。


今回は前回の上原ひろみの時みたいに道に迷わず余裕をもってオリックス劇場に辿り着くことができた。

四ツ橋筋を歩いていると、便乗店もチラホラ。
上島珈琲さん商売上手。



余裕をもったつもりだったが、グッズ先行はすでに長蛇の列。



客層はやはり圧倒的に女性が多い。しかも20~30代くらいとけっこう若いめ。
いや、世代的には私くらいがジャストやと思うんやけど、関係ないみたいね。
やはりCoccoの歌は一昔前のアーティストとしては終わらない、どの世代の心にも響く普遍的な魅力を持っており、今でも常に新世代のファンを更新し続けてるってのが窺える。


まぁだからグッズはCoccoがプロデュースしていることもあって、男が買うようなものはほとんどない。
Coccoカレンダーも買わなかった。



席についても当然周りは女性ばかりで、少し肩身が狭かった。
隣の席についた女性客は開演前から鼻をクスンクスンすすって、もうすでに泣いている様子。
どんだけーーっ!と思ったが、開演前でそんなに感情的になれるって羨ましいなとも思った(風邪をひいていただけかもしれんが)。
私にはもうそんなトキメキはないので。


19時を少しまわって暗転。
メンバーがゾロゾロでてきてCoccoも送られた花束をかかえて登場し、ワーーっと拍手が起こる。
で、ビックリしたのが、誰も立ち上がろうとしないので「ええ!?」となった。
え?マジでずっと座って観るの?ヘドバンしないの?フィスバンもしないの?モッシュもしないの?
一昔前だったらこれはちょっと考えられない。
まぁ私もひとりで立ちあがってヘドバンするほど心臓強くないので座って鑑賞したけど・・・確かに楽でいいんだけどね。
最前列の客だけはだいたい立ってた。うん、それが普通ですよ。


波音のSEが流れる中、フォ~~~~というシンセ音が厳かに響き、緊張が走る。
椎野氏がタン、タカタン、とドラムを刻んだ瞬間、「そうきたか」と意表を突かれる(「くちづけ」ね)。
もうのっけからCoccoの激しい身振りと喘ぐような歌声がホール内に響き渡る。
そして「花爛」と続く。Coccoのライブならではの拡張したアレンジ歌唱がやはり圧巻だ。

トートバッグの絵柄より



で、出し惜しみなく90年代の名曲「強く儚い者たち」が披露される。
ノスタルジーとかじゃなくって、いつ聴いても心に響くこの歌とメロディの普遍性はやっぱり秀逸。
私はこの曲を、衰えを知らぬCoccoの生歌で聴けることの幸せを心おきなく噛みしめるのだった。


まぁ“Star Shank”ツアーだから、当然こっからの曲が中心のセトリなわけなんですが。
ドゥーミーなバンドアレンジで演奏された圧巻の「極悪マーチ」からのエマージェンシーなライトニング演出の「2.24」、そして「Come To Me」と。
会場には6~8才くらいの幼子も観に来ていたみたいで、Coccoのこの妖艶でダークネスな演出はチト刺激が強すぎたのではないかと。
Coccoも子どもの声援を受けたときに、「子供をこんなライブに連れてきちゃダメだろ」と冗談をかましていたが、子供がいるのを気にしてか、「Come To Me」の最後のドギツめの絶叫は控えてた気がする。

で、『ザンサイアン』からまさか淫乱悶絶ナンバー「暗黙情事」をやるとは思わなかった。
ここでも子供に気を使ってか、「ギャアアアア~~~~」という絶叫はなかったが、後半Coccoがグワングワンとヘッドバンギンしだし(もう封印したのかと思ってたが)、それが徐々に激しさを増していってしまいにはポニーテールがほどけて髪が乱れまくった瞬間、「このCoccoを待っていた!」と昇天しそうになった。
こういう怒涛の流れの時はだいたい殺人ソング「カウントダウン」がくるのが定番であったが、なんと今回はセトリから外れた。


ネギ氏(b)と長田氏(g)両者そろってのライブがまた観れる日がこようとは・・・・



それにしても、Coccoファンの地蔵でノリの悪さは以前より存じあげてはいたが、Coccoが振付まで用意してた『プランC』からのゆるゆるでノリノリなナンバー「スティンガーZ」の時も、みんな全然のってこない。
Coccoのファンて内気で、そういうのに慣れてないとか恥ずかしいってのはわかるけど、ちょっとヒドいなと思った。
別に悪口を言うつもりないんだけど、たまにチケット持て余してる人が「空席ができてCoccoを悲しませたくないので」とか言うてるのを見かけるが(そんなもん演者は全く気にしてないと思うが)、その前にそのノリの悪さをなんとかしたら?と思うのだが。

そんな中でも、最高に弾けたポップナンバー「願い叶えば」では、会場がにわかにノリノリな雰囲気になって、Coccoのハンドワイパーにあわせてみんなワイパーしだした時はなんだか和やかな気分になった。
私自信、そういうノリは嫌いなタチで滅多にやらない主義なんだが(ヘドバンモッシュ専門なので)、この時ばかりはやらずにはおれなかった。
そしてこの曲のポップ感も手伝ってなんだか最高に幸せな気分になってしまった。今回のハイライトといってもいいくらい。


久々の生歌での「Raining」はほんとに心に沁みるものがあって聴けてよかったが、今回全盛期だった活動中止前の楽曲の中で演奏されたのは「強く儚い者たち」、「樹海の糸」合わせてたった3曲。
以前の私ならかなり不満の残るライブであったと思うが、愚かにもここ数年におよぶCoccoの貴重なワンマンライブを3度も見逃してきたもんだから、まぁアルバムだけは購入していたので、そっから聴きたい曲がいっぱいあったし何がきても感激していたように思う。
前作の『アダンバレエ』の楽曲なんて全然聴いてなかったんだけど、ライブ一週間前になって聴き込んだらめっさ好きになってきて、なんならこっからいっぱいやってほしいとすら思ったほどだ。

まぁこっからはかろうじて「有終の美」だけ演奏された。



そして、Cocco主演の舞台『ジルゼの事情』の劇中歌「ドロリーナ・ジルゼ」が演奏された時は歓喜した。
私は愚かにもこの舞台も見逃していて、おそらくその舞台でCoccoが実際演じたのであろう天使のようなバレエの舞いを披露してくれた時はもう感無量だった。
こんなライブパフォーマンス出来るアーティストって、おそらくCoccoくらいだと思うよ。




最後のMCでは首里城の話題が出た。
要約すると・・・・

「みんな心配してくれるけど、首里城が全焼したのって今回で三回目なわけさ。人が作ったものはもう一度作り直すことができる。でも、風景とか自然は取り戻せない。政治がからんでるからか、そういうことは報道されない・・・・」

そう言って「フリンジ」が演奏され、その歌詞の意味を改めて痛感させられる。
そして、ラスト「海辺に咲くばらのお話」でフィナーレ。

その英訳Tシャツ。う~ん、やっぱ男が着るものではないな。



近年のライブでは稀にアンコールをしてくれることもあったらしいが、この日はなかった。
うん、その方がCoccoらしい。
本編ですべて出し切ってる全力投球のアーティストは予定調和のアンコールなどしないのだ。


Coccoの近年のライブは、演劇の舞台をふんだ女優Coccoならではの可憐さも盛り込まれたステージとなっているが、それでもやはりCoccoのライブはロックのライブである。
なのに今回ステージが始まってもほとんどの者が立ち上がらないのにはなんだか寂しいものを感じたし、それどころか最後の曲が終わってからのスタンディングオベーションでも、ほとんどの者がなかなか立ち上がろうとしなかったのにはちょっとビックリした。


Coccoのライブに行くと、全身全霊で歌うというのはこういうことなんだってことを改めて痛感させられる。
Coccoっていまだメンヘラ女子向けのJ-POPって思われてる節があるが、決してそれだけのアーティストではない。
残念ながらCoccoのライブを生で体感することのできるロック好きは少ないだろう。

ほとんどタレント化した落ち目ミュージシャンやイロモノアイドルと節操もなく共演してるような見世物ってだけの外タレの集金コンサートなどみても、ロック魂など微塵も感じれるはずもない。

だから、本物のロックのライブを体感できるCoccoファンは本当にラッキーだと思う。


コメント
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