一度は、富山県の砺波地方のチューリップ畑を見ておくといいらしい。その広大さに驚くらしい。ただ、広い敷地を歩くばかりで、「疲れる!」と「2度はゴメンだ」と敬遠する向きも多い。
福井にも、佐野温泉に行く途中に億単位でコスモスが花ひらく広大な場所がある。いずれも、そのスケール感に圧倒されるのだが、花の美しさは「量」ではない。侘び寂びの日本の美学は一輪の花を愛でる。
美を愛でるには高度に研ぎ澄まされた感性と頭脳を必要とする。だから、美学には政治に匹敵する力がある。量で見せるのは、ただの原始的な感性を刺激している分野で底は浅い。その証拠は、どれほど素晴らしい景色や風景を眺めて感動したと思っても、あっという間に忘れて、記憶の隅に追いやられてしまう。
それに比べて、大変だったことや嫌なことは、何度でも繰り返し思い出すのだから、「美しい景色」などは太刀打ちできない。人の感性も脳も、困ったことに不思議にできている。でも、一度は行って見たいことに変わりはない。
福井にも、佐野温泉に行く途中に億単位でコスモスが花ひらく広大な場所がある。いずれも、そのスケール感に圧倒されるのだが、花の美しさは「量」ではない。侘び寂びの日本の美学は一輪の花を愛でる。
美を愛でるには高度に研ぎ澄まされた感性と頭脳を必要とする。だから、美学には政治に匹敵する力がある。量で見せるのは、ただの原始的な感性を刺激している分野で底は浅い。その証拠は、どれほど素晴らしい景色や風景を眺めて感動したと思っても、あっという間に忘れて、記憶の隅に追いやられてしまう。
それに比べて、大変だったことや嫌なことは、何度でも繰り返し思い出すのだから、「美しい景色」などは太刀打ちできない。人の感性も脳も、困ったことに不思議にできている。でも、一度は行って見たいことに変わりはない。