世間では度々トンデモ扱いされているが、「日ユ同祖論」と呼ばれる説がある。
これは「日本人(大和民族)とユダヤ人が共通の祖先を持っている」という主張だ。怪しい根拠が多いのも確かだが、それらを取り除いていくと、最後に多少なりとも考察に値する部分がある。
古代イスラエルには、もともと12の支族が存在し、10支族による北王国(イスラエル王国)と2支族による南王国(ユダ王国)に分かれていた。北王国は紀元前8世紀にアッシリアに滅ぼされ、10支族の行方はわからなくなり、結果「失われた10支族」と呼ばれて世界史におけるミステリーとして語り継がれている。
そして、彼らの一部が古代日本へと辿り着き、日本人に同化したとする説が根強く唱えられており、これこそが「日ユ同祖論」にほかならない。
とりわけ日本にやって来たユダヤ人の最有力候補と目されているのが、数万人単位で渡来してきた古代支族の秦氏(はたうじ)である。
彼らこそが原始キリスト教を信仰していた10支族の末裔だと考える人々も多い。
さらに、この10支族の末裔の一部が、古代の諏訪地方(長野県)にまで到達していたのではないかとする声があるのだ。しかも興味深いのは、日本人よりもむしろ、世界中で10支族の末裔を探すイスラエル人の中に、それを信じる人々がいるということだ。
イスラエルには、失われた10支族を探し求めて世界各地を調査している「アミシャーブ(Amishav)」という機関が現在も存在している。
そのアミシャーブは、諏訪地方にも強い関心を寄せており、その代表であるラビ・エリエフ・アビハイルら一行が訪問し、調査を行っているほどなのだ。
では、アミシャーブが諏訪地方に10氏族の末裔が暮らしていると考える根拠は何か? 現時点では、以下のようなユダヤ文化との共通点が見られるという。
モリヤの山
諏訪大社の上社は、守屋山(もりやさん)の麓に鎮座する。旧約聖書によると、ソロモン王はエルサレムのモリヤ(Moriah)山で、主のために神殿の建築を始めたという。諏訪大社もイスラエル神殿も“モリヤ山”の麓に存在する聖地という点が共通している。
御柱祭とソロモン神殿
昨年5月まで行われていた諏訪大社の「御柱祭」では、御柱(おんばしら)と呼ばれる御神木を山から切り出して諏訪大社境内の四隅に建てる。旧約聖書「列王記」上6章には、ソロモン神殿を造る際、杉やモミの大木を隣国レバノンの森で切り出し、エルサレムまで運んだという記述がある。御柱祭でも、山から切り出す御柱には、かつて杉やモミの大木が使われたということで、木材の種類が一致している。
御頭祭(おんとうさい)
諏訪大社・上社で毎年4月15日(旧暦3月の酉の日)に行われる御頭祭では、過去75頭の鹿が生贄として供えられていた。そして、10支族の末裔といわれるイスラエルのサマリア人は、かつて「過越(すぎこし)の祭り」で75頭の子羊を生贄として捧げていたという。しかも、この祭はユダヤ暦のニーサーン(第1月)15~21日に行われており、西暦にすると3~4月にあたるため時期的に近い。そして今年の「過越の祭り」の期間は、ずばり4月11~18日、御頭祭と重なっている。
十間廊と幕屋
諏訪大社・上社前宮の境内にある「十間廊(じっけんろう)」と呼ばれる建物の概観は、聖書に記述された移動式神殿である「幕屋」とよく似ている。ともに屋根はあるが壁がなく、柱を等間隔に並べた骨格だけの建物だ。十間廊の奥行きは約18m(十間)。幕屋の聖所は、長さが30キュビト(13m)、幅が10キュビト(約4m半)と、大きさも近い。かつて十戒が刻まれた石板を収めた「契約の箱」(聖櫃、アーク)は幕屋に置かれたが、御頭祭で神輿を十間廊の中に置くことにも類似している。
「モリヤ」と「守屋」が一致している程度では「言葉の遊び」で済まされてしまうが、これだけ有力な根拠が揃っているということで、アミシャーブもわざわざ諏訪まで足を運んで調査を行ったのだ。
*以上は「知的好奇心の扉 トカナ」を参考にさせていただいております。
諏訪大社のイサクの祭り