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「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか

昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。

奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メール arashigeru@yahoo.co.jp

狐に化かされる 京都の現職神主さんのブログ

2020年08月28日 | メディア
狐に化かされた 色々な事例を採り上げています。
今回ご紹介するのは京都三条に鎮座する武信稲荷神社の神主さんのブログ記事です。

私が御奉仕しているのは武信稲荷神社。稲荷神社です。
稲荷神社というと多くの人が真っ先にキツネを思い浮かべることと思います。で、稲荷の神様とはキツネのことだとはほんとによくある誤解です。
キツネは稲荷の神様のことではなく、稲荷の神様のお使いをする動物で、神使(しんし)といいます。

この神使以外でもキツネという動物はなんだか不思議な力をもった動物だと思われてきたようです。たとえば、
狐憑きは、狐の霊が人にとりついて、とり憑かれた人は精神異常をきたす。
日本で最も有名な陰陽師、安倍 晴明(あべの せいめい)は以前大ブームになった陰陽師のスーパースターですが、晴明は人とキツネとの間に生まれたことですさまじい能力をもった。
「キツネの嫁入り」、「狐火」など本当にたくさんありますが、「キツネに化かされる」というものもよくいわれます。
キツネはいろんなものに化けることができる、姿を変えることができる。さきほどの安倍晴明の母のように、美しい女性の姿に化けるというかたちでよく物語りにも登場します。

それからキツネに化かされるというものの典型に、山道を一人で歩いていた。分かれ道もなにもない真っすぐな一本道。道を間違えるはずがないのに、何度も何度も同じところをくるくると回ってしまい、いつまでたっても山から出られない。ようやく山をでたら真夜中になってしまっていた。というのがよくいわれます。

この、キツネに化かされる人がうちでも大勢おられます。
ちなみにキツネに化かされる人が大勢いるのですが、うちの神社は京都のど真ん中、街中にある神社ですので山道ではありません。神社の周辺はアスファルトで完全に舗装された道、道路標識が立ち並び、すぐそばは片道3車線、道幅50メートル以上の大通りに囲まれています。
にもかかわらず、キツネに化かされる人が続発するのです!!

神社の住所はわかっている、神社の大きな木は見えている、地元に人に聞けば「あぁ、すぐそこですよぉ」と言われる。にもかかわらず神社に辿り着けない。
車で来る人はカーナビの案内するとおりに進んでいる、地図の上では神社に到着しているはずなのに、行き着いたところは行き止まり。何度設定しなおしても同じところをくるくると・・・

何度も何度も同じところをくるくるまわって、へとへとになって辿り着いた方は、
神社は見えているのにたどり着けない、これはキツネに化かされているんだろうか?先ほど道を聞いたとき教えてくれた人も実はキツネなんじゃないだろうか?カーナビの地図とおりに進んでたどり着けないのは異世界に迷い込んだんじゃないだろうか?と心配になったとおっしゃる方も・・・

なんて、まぁ実際のところはうちの神社は街中で大通りに囲まれていますが、そこから3分歩けば細い道が碁盤の目に縦横に重る地域です。古い町並みがそのまま残っていますので、道幅は狭く車ではなかなか走れない、また一方通行の規制が非常にややこしいのです。
だからまるで迷路のようで、神社の場所は見えているのにたどり着けないという方もでてくるのです。

さらに当神社は村の鎮守様みたいな感じで、地元の人たちが毎日お参りされるようなタイプの神社です。神社にこられるのは地元の人が多いので、当然ながら迷われることはあまりなかったのですが、最近は遠方からおこしになる方も増えてきています。
なので土地勘のない方は一方通行や、細い道がややこしくて、キツネに化かされたように、同じところをくるくる回りたどり着けないという現象が多発しているようです。

一度申し訳ないけれど笑ってしまったことがありました。昨年は大河ドラマの影響もあり当社にツアーでこられる団体さんも大勢ありました。バスの添乗員さんが旗をもってお客さんを案内するあれです。
バスを降りて神社まで徒歩で約3分の距離。なのに、旗をもって案内するべき添乗員さんも一緒になって同じところをくるくると・・・・
辿り着いたときにバスガイドの女性は泣きそうな顔していました。

まぁそんなわけで、うちの神社へおこしになる際はキツネに化かされたり、異世界に迷い込まないようにお気をつけあそばせ。


関東上空に光の筋 火球か

2020年08月23日 | 地球・宇宙・太古
21日夜に東京や神奈川など関東地方の上空で、流れ星の中でも特に明るい「火球」のような光の筋が観測された。会員制交流サイト(SNS)では同日午後10時半ごろに目撃情報や動画が投稿され話題となった。

 神奈川県の平塚市博物館の学芸員、藤井大地さん(34)が市内の自宅に設置したカメラで撮影した映像によると、白っぽく輝く光の球が南方の上空を西から東に流れて消えた。その様子から火球ではないかとみており「(上空で)燃え尽きたか、海に落ちた可能性がある」と分析している。

 関東地方では7月2日午前2時半ごろにも同様に「火球」とみられる光の目撃が相次ぎ、SNSで「爆発音が聞こえた」「急に空が明るくなってはじけた感じ」との書き込みもあった。



甲府市はユニークですね

2020年08月18日 | メディア
”狐に化かされた”で山梨県甲府市のサイトを採り上げたのですが、初めてサイトを詳しく見てみたら先にあげた事例だけでなく結構面白い・・・・・実にユニークだと感じました。
それは「おはなし小槌」というコーナーがあることだと思っていますが、このコーナーを甲府市は次のように解説しています。

「おはなし小槌」は、甲府市文化協会創立十周年記念誌として発刊された第一集から平成7年度発行の第四集までの『昔話・伝説・世間話』をホームページに再掲載したものです。
この「ふるさと甲府の昔話・伝説・世間話」は、甲府市社会教育センターが高齢者文化伝承事業の一環として、昭和60年度から募集した口承文芸を中心に編集されています。
口承文芸というのは、民俗学のひとつの分野で、簡単に訳すると口頭で伝承されてきた文学芸術(文化芸術)となります。この口承文芸には、(1)昔話・伝説・世間話、(2)民謡・わらべ歌、(3)俚諺などの領域があります。
この「昔話・伝説・世間話」は、原典を作為的に変えている再話や、教育的内容を持つ児童向けの創作童話とは区別しています。「昔話・伝説・世間話」は、大人から大人へ、古老から少年へ、親から子へ、といったように人から人へと伝承を積み重ねることによって熟成された言語芸術の「はなし」だと考えられます。
当然、人間によって継承される事象なので、生活基盤や社会状況の変化によって少しずつ変貌していきます。こうした生活環境の変化を考慮しながら、「はなし」を的確に把握していくことが必要となります。
今回の「おはなし小槌」は、伝承者の方々から採集した「はなし」と、文献資料を基にした「はなし」で構成しています。


そのコーナーから「目玉の化け物」という話を紹介します。
(東光寺町 小池正蔵さんの話)

その昔、国玉の大橋に化け物が出るという噂が村中に知れ渡った。村の若者達も寄るとその話になった。若者のなかの一人が、
「大橋に化け物が出るなんて信じられん。本当か嘘か俺が調べてくれる」
といって大橋に行った。

若者は、大橋で追分を唄うと化け物がでると聞いていたので、追分を唄いながら橋を渡りだした。
橋の半ばまで来ると、子どもを抱いたおばさんが立っていた。
「もし、そこの人、はたきが落ちて困っています。済みませんが結び直してくれませんか」と若者に話しかけた。
若者は女に近寄ってひざまづき、はたきを結びなおそうと着物の裾を捲った。

すると女のすねには、目が一杯ついていて、目だらけのすねが若者をにらんでいた。
若者はびっくらし、大声で、「でた、ばけものがでた」と叫んで一目散に逃げだした。

なんとか、三の宮まで辿り着くと境内を掃除している人がいた。若者は、安堵感から掃除をしていた人の前まで来るとへたり込んでしまった。
掃除をしていたおじさんに、「どうなさった」と聞かれ、若者は橋で出会った目だらけの化け物の話をした。

すると、そのおじさんは自分の着物を捲りあげ、
「こんなものだったかえ」と目だらけのすねを見せた。
若者は驚き、家に逃げ帰ったまま、寝込んでしまった。三日たって若者は、死んでしまったということだ。(注)はたき=脚絆のこと

狐に化かされた・・・甲府市の2

2020年08月15日 | 不思議
前回に続き”狐に化かされた”の甲府市の実例です。
この話が掲載されているのは甲府市のオフィシャルサイトです。つまり秋田市に置き換えてみれば市長が挨拶し、議会の報告があり、市からの広報が通知される「市の公的なネットのサイト」です。
ですから秋田市の同様のページには、こうした”くだけた”というか、市の運営とあまり関係のない話題は見かけないのではないでしょうか?
では第二話です。
(高畑一丁目 赤坂政義さんの話)
昔は高い建物もなく空気も澄んでいたから、まわりの山は近くに見えたものだ。夜もいくらか月があり空が明るい時は、山の尾根がはっきりとして墨絵のように美しく見えた。

ところが、空が一面に曇って今にも降りそうな時には山の形も何も見えない。近くの十燭か二十燭の電灯がポツンポツンと見えるだけだった。
そんな晩に限って、西の山の中腹に一連の灯がうす青い光を放って、横に動いてゆくように見える。その灯は、提灯の光のごとくポヤッとした灯で、まるで十人二十人が提灯を下げて歩いて行くように見える。
土地の人は、
「今夜は狐の嫁入りがあるぞ」
「今夜は提灯が多いから、きっと大きな嫁入りだぞ」
なぞと取さたしている。

昭和のはじめ頃、近所の青年団の度胸のいい若者がいた。仲間が四五人寄って狐の嫁入りの話がでていたとき、その若者は
「よし、俺が見届けてくらあ」
と皆の止めるのもきかず、小走りで飛びだしていった。
見送った仲間達は、心配そうに帰りを待った。
しかし、その日はかえらず、次の日の正午になってもかえらない。心配した青年団長は、二、三人の役員と一緒に若者を探しに向かった。

駅を過ぎて線路を渡りそろそろ坂にかかろうとしたとき、向こうの坂の方からグッタリした様子で降りてくる若者にであった。
顔や手足にひっかき傷を作り、着物もそこここがやぷれていた。
迎えに行った者達は、思わず駆けよって
「おい、どうしたんだ」
と声をかけると初めてこちらに気が付いて、ホットした表情でポツリポツリと話だした。

昨日、坂にかかる頃は、ちょうど日も暮れて暗くなる頃であった。
どこかに灯の気はないかと、坂を上の方へ上の方へと登って行った。
すると、前方にボウッと灯が見えてきた。それを目掛けて若者は、近くまで行って見極めようと細い坂を駆け上がった。狭い石ころ道で雑草もたくさん茂っていた。
ところが、いくら進んでも光に近付くことができない。夢中で駆け上がると光はまた離れていく。
光から目をはなさないように一生懸命追い掛けて溝に落ちたり、つる草に足を取られたり、くたくたに疲れた若者は、やがて草の上で眠ってしまった。いつ間たったか目が覚めたときは、太陽が真上に昇っていた。

あたりを見まわすと、そこは稲荷神社の裏だった。

狐に化かされた・・・甲府市

2020年08月13日 | 不思議
前回の会報で黒沢さんが紹介した”狐に化かされた”話題の全国の事例を少しずつアップしているのですが、今回はなんと甲府市のれっきとした市のサイトに事例が載っているのです。
ですから全くのデタラメとは思えません。

(高畑一丁目 赤坂政義さんの話)
私の母方の伯父に勇さんという威勢のいい人がいた。体もがっしりしていて度胸もよく、明治の大水害のときに、消防団員として殉職したくらいだから責任感も強かった。

その伯父さんが家に帰る途中、荒川橋あたりにさしかかると、日が暮れ周囲は暗くなっていた。
すると、川の向こう側で賑やかなお祭りがあるらしく、たくさんの提灯が見えた。
伯父さんは、子ども達に何かみやげでも買っていってやろうと、その祭りの方へ歩いて行った。

ところが、いくら歩いてもお祭りのそぱに近付けない。ピイヒャラ ピイヒャラ ドドンコ ドドンコと笛や太鼓の音が聞こえ、お祭りはますます佳境にはいっている様子だ。
こんな馬鹿なことがあるものかと、またどんどん歩いて行くとガツンと頭に何かがあたり、そこへひっくり返ってしまった。

はっと我にかえってまわりを見渡すとそこは河原の中で、頭を打ったのは橋桁とわかった。
見渡せば祭りの気配などどこにもなく、遠くに鉄橋が黒々と見えるだけだった。
「あのときはピックリしたぞい、夜中の十二時頃来て、ぴしょぬれの着物を全部取り替えさせられたからなあ」
と後で母は、その時の様子を面白く話してくれた。

日本伝承大鑑6 與次郎稲荷神社

2020年08月04日 | 伝承大鑑
與次郎稲荷神社【よじろういなりじんじゃ】
関ヶ原の戦いにおいて旗色不鮮明であった、常陸の大名・佐竹義宣は慶長7年(1602年)に秋田に転封となった。その時に築かれたのが久保田城である。

築城が始まってから、義宣の許を訪れたのは大きな白狐であった。今度の城造りによって自分達の住処がなくなってしまう。新しい住処を与えてくれるならば殿のお役に立とう、と言う。ならばと義宣は、城内の茶園のそばに住処を与えた。

それからこの狐は「茶園守の与次郎」と呼ばれ、佐竹家の飛脚となって秋田と江戸を6日間で往復して、重宝された。しかしその働きは長く続かず、山形の六田村(現・東根市)で狐と見破られた上、罠を仕掛けられ殺されてしまった(現在でも東根市には與次郎稲荷神社があり、その死についていくつかの話が残されている)。この死を哀れんだ義宣は城内に祠を建て與次郎狐を祀ったのである。

現在、秋田市では2012年に「与次郎駅伝」が始まったり、ナカイチに与次郎像が出来たのはご承知のとおりです。