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「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか

昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。

奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メール arashigeru@yahoo.co.jp

デジャビュ現象

2022年03月21日 | 不思議
私は自分のデジャヴ体験を前世できっと体験したのだと決めつけている。
しかし、学者はこれらを次の様に考えているらしい。

心理学ふしぎふしぎ
Q14.デジャビュ現象はなぜ起こるのですか?

はじめて行った場所なのに,以前にも来たことがあるような気がするのはなぜですか?
A.楠見 孝(京都大学大学院教育学研究科助教授。専門は,認知心理学。)

こうしたはじめての経験(ある場所を訪ねる,人に会う)について,以前経験したことのあるような強い懐かしさを伴う印象(既視感)が起こる現象をデジャビュ現象といいます。

デジャビュ現象は,小説によく登場しますが,最近までその認知心理学的研究は盛んではありませんでした。その理由は,デジャビュが,てんかん患者などにおける記憶異常の問題として扱われ,健常者では,疲労やストレスなどによってまれに起こる現象という見方が支配的であったためです。しかし,内外の質問紙研究によると,デジャビュ経験率は,健常者で3分の2くらいあります。私が,大学生202名に調査した結果では,場所のデジャビュは63%,人のデジャビュは35%が経験しており,どちらかの経験がある人は,72%でした。したがってデジャビュは通常の認知メカニズムとして考えられます。

デジャビュの起こる原因の1つは,記憶における類似性認知メカニズムの働きです。たとえば,私たちが,ある経験をする(たとえば場所を訪れる)ときには,類似した過去経験が自動的に想起されます。そのとき,現在の経験と過去経験の類似性が高いほど,既知感が高まります(未知感は逆です)。ここで,デジャビュ現象は,とても強い既知感があっても,(エピソード記憶や関連知識などに基づいて,たとえば「この地方,この場所に来たことはない」と)未経験であることを認識している点がポイントです。これが不思議な出来事として体験される原因です。

デジャビュ内容に関して,103名の大学生に16の場所・場面をあげて,デジャビュ経験の有無を尋ねたところ,並木道,古い町並み,公園,校舎,寺社などは,3割以上の人が,デジャビュ経験を報告していました。これらの光景は,しばしば目にし,しかもその光景は相互に類似しています。図に示すように,人は,これらの光景を繰り返し見ることによって,その光景は重なり合い,細部は失われた形での典型的光景(たとえば,寺であれば,山門から本堂までの石積みの階段)が記憶内に形成されます。そして,新たに目にした光景が記憶内の典型的光景と類似し,複数の手がかりが合致すると既視感が起こると考えられます。典型的な光景ほど,(見たことがないのに見たことがあると感じる)虚再認を起こしやすいことは,さまざまな寺の写真を用いた実験でも見いだされています。ほかにも,デジャビュの説明としては,脳機能障害(前頭葉における軽い発作,神経回路網の伝達の一時的障害),分離知覚(ある知覚経験が2通りの処理で保持される)などがあります。


ふ~~ん、学者の言うことは面白くもなんともない。
やはり私は前世に湯殿山に来たことにしておくぞ・・・・・・

日本伝承大鑑15 湯殿山神社とdéjà-vu

2022年03月05日 | 伝承大鑑
出羽三山の一つである湯殿山山頂にある神社。
古来より修験道の聖地として栄え、祭神は大山祇神・大己貴命・少彦名命。神社には本殿も拝殿もなく、御神体のみがある。ただし「語るなかれ、聞くなかれ」との戒めがあるため、これ以上申し上げることは叶わない。(私は御神体に行ってまいりましたが前記にのっとり詳細は避けさせていただきます、しかし想像もつかない御神体とだけ申し上げておきます)

交通アクセスは、湯殿山有料道路で仙人沢まで行き、そこから専用バスに乗り換えるか、徒歩。この仙人沢に山籠することが即身仏となるための第一歩であり、そのためか多くの塚や祠がある。




さて、ここに初めて行った時déjà-vuを体験したのだが以下の通りです(2017年にもアップしています)
既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。フランス語: "déjà-vu"よりデジャヴュ、フランス語由来の英語 "déjà vu"よりデジャヴまたはデジャブなどとも呼ばれる( Wikipedia)。

初めて行った場所だが、なぜか以前に来たことがあるように感じる。
初めて経験した事象だが、以前に体験した感じが拭えない。
こうした経験はないですか、これがデジャヴだ。

私の例を語ってみよう・・・・・・
私は東京生まれで、50代になって秋田に移住した。秋田は勿論、東北での生活は初めてだ。初めて山形に足を踏み入れたのは、秋田に来てから7年目頃だろうか。
出羽三山巡りを一泊二日で計画、羽黒山~月山を経て最後に湯殿山に行った。
この湯殿山でご神体に向かうのは、まず靴を脱いで裸足になりスタートする。(湯殿山神社の本宮では、参拝の際に裸足になり、祓を受けなければならないとされており、俗世と隔離された神域として認識されている)ご神体の辺りは厳かな雰囲気だ。
ここでお詣りしたあと紙でできた人型を受け取り、これをお納めするのが習わしらしい、儀式どおりにそれをした。これだ・・・・・・
この儀式を以前にやった思いがフツフツと湧いたのだ。

私は湯殿山は勿論、山形に来たのも初めてだ。子供の頃に親に連れられても勿論無い。
しかし、この儀式は初めてでない・・・・・・
この不思議な感覚は未だに忘れられない。