acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

北岳

2000年08月15日 05時12分03秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/8月中旬 北岳

広河原は朝から雨だった。 
夏山の涼しさが忘れられず、急遽、北岳を目指したのは昨夜の事だった。

世界的空手家、マス・オ-ヤマは房州・清澄山で山篭もりをする際、 自ら片方の眉を切り落とした。 
山を下りる事を自ら絶つ決意が伝わるエピソ-ドである。 
そして言った。「馬鹿よ!まさに空手馬鹿!」

私は雨と判っていて山に行く事に少し躊躇していた。 
しかし、遥々登山口まで行ってしまえば登らずには居れまい。 
あははは!「馬鹿よ!まさに山馬鹿!」

雨中そんな回想をしながら、広河原の吊橋をギッシギッシと渡る。 
この旅は、山馬鹿「さかぼう」と、息子「こ-ちゃん」の 失敗あり、笑いあり、涙なし?のドタバタ珍道中なのです。


大樺沢への登りはしっとりとした 樹林帯をゆったりと登っていく。


背負うザックの重量も履いている靴の重さも前回の立山より格段に 軽くなっているのが良く分かる。 
しかしここで調子に乗ってはイケナイ。 地味に地味に、息を乱さない様に歩いていく。


こ-ちゃん:「ねえねえ。パパちゃんはなんでそんなにゆっくり歩いていくの」 
さ か ぼ う:「それはねえ、はじめから頑張っちゃうとすぐ疲れちゃうからだよ。」 
こ-ちゃん:「でもでも、みんなパパちゃんを追いぬいていくよ。」 
さ か ぼ う:「まあ、見てなって。そのうちすぐ追いぬいちゃうんだから。」 
こ-ちゃん:「ふぅぅ-ん。(疑念!)」


二股を過ぎた辺りから眼前に 北岳バットレスの威容が現われる。

雨は上がった。しかしガスがかかってその全容はままならない。 ほんの一部であろうがさすがに実物は偉大である。

これを登る方々がいるのだから素直に驚くしかない。 
私にとっては憧れの領域だ。

さ か ぼ う:「さて一休み。バットレスを眺めながらパンでもカジろうか」 
こ-ちゃん:「パパちゃん。さっきの人たちにぜんぜん追いつかないよ。」 
さ か ぼ う:「まあまあ、きっとあの人たちはすごい人たちなんだよ。」 
こ-ちゃん:「パパちゃん、それ、すごく曖昧な言訳って感じがする。」 
さ か ぼ う:「山登りは競争じゃないんだから良いじゃない。」 
こ-ちゃん:「ウン、わかった。でもパパちゃん、かなり息上がってるね。」


八本歯のコルは岩とハイマツの稜線。 
所々に設置してある階段が難所である事を演出してくれる。


一歩一歩足を前に出す度に丸太の階段はコン、コンといい音を響かせる。 
しかし油断は禁物。一歩踏み外せば、転落。怪我は必死だ。

 

こ-ちゃん:「パパちゃん。すごいよ。あんな所を人が歩いてる。」 
さ か ぼ う:「そう、その非日常的な光景はわたしが好きな山の景色のひとつなんだよ。」 
こ-ちゃん:「へえ-。じゃあ、もっと素敵な景色があるの?」 
さ か ぼ う:「そりゃもちろん。まずはその先のピ-クを抜けたら見えてくるはずだよ。」 
こ-ちゃん:「じゃあ、早く行こうよ-。・・・え?もうちょっと休ませてくれって?」


間の岳への稜線間ノ岳への稜線はガスに見え隠れする 歯がゆい状況だった。 
鳳凰三山は厚いガスに姿すら見る事はできなかった。

それでも濃い緑のどっしりとした山々に、はじめて知る 南アルプスの魅力の一端を垣間見させてくれた。


こ-ちゃん:「ウ-ン。残念。雲ばっかりだ。」 
さ か ぼ う:「今度の楽しみに取って置こうよ。」 
こ-ちゃん:「ウン。期待しないで待ってる。」 
さ か ぼ う:「・・・ん?どういう事?」 
こ-ちゃん:「ママが、パパはガス男だって言ってた。」

北岳山頂の夏模様突出した山頂は、雲を突き抜け青空が 広がっていた。 
周りは雲が湧き展望は真っ白だが夏らしい雰囲気が満ち溢れていた。

それにしても日差しが強い。暑いと言うより日差しが突き刺さり「痛い」 とも表現できる程であった。

さ か ぼ う:「さあ、山頂に着いたよ。」 
こ-ちゃん:「わ-い。てっぺんだ。」 
さ か ぼ う:「しかし、日差しが強いな。」 
こ-ちゃん:「周りは曇ってるのに不思議だね。」 
さ か ぼ う:「背中が熱いな。日焼したかな?」 
こ-ちゃん:「だってパパ。Tシャツが後ろ前だもの。」

肩の小屋山頂を後に肩の小屋に着いた。 
ここで標高3000m。北アルプスの槍ヶ岳山荘と同じ高さだ。


山荘前辺りから高山植物が咲き競うお花畑が広がる。 
3000mのバケ-ション、お花畑に好展望、なにより涼しい夏休み。

こんな贅沢、山じゃなくては味わえない。

こ-ちゃん:「なんだか頭が少しイタイよう。ボク、病気になっちゃったの?」 
さ か ぼ う:「おや、大変だ。高山病だね。でも大丈夫。山を下りたらすぐ治るよ。」 
こ-ちゃん:「これが高山病なのかぁ!」 
さ か ぼ う:「こ-ちゃんは高度に弱いのかな?」 
こ-ちゃん:「パパちゃんもこの前、剣沢でグッタリしていたね。ボク、パパに似ちゃったのかなぁ。」


お花畑を振り返る肩の小屋からはそれまでの岩稜急坂から なだらかなお花畑へと姿を変える。

ここはゆったりと周りの花に目を留めながら歩きたい、気持ちの良い道である。 
こんな道ではいつも歩きながらに花の写真を撮るけれど、結果はいつも残念賞。 
まったくもって花の写真は難しい。


さ か ぼ う:「ほら、山上のお花畑だよ。」 
こ-ちゃん:「わあ、お花がいっぱい。きれいだね-。」 
さ か ぼ う:「これはトウヤクリンドウ、こっちはトウヒレンの仲間だね。」 
こ-ちゃん:「家に帰ってからガイドブック片手に解説されても臨場感ないなあ。」


稜線からは、 ハイマツ帯、樹林帯、草スベリへと急坂を一気に下る。

さすがに登りの方々は息も絶え絶えといった感じだ。 
上から見ると数十メ-トル間隔で休憩している登山者が点と成し、登山道が 線を形成していた。

見上げると北岳がガスの合間にほんの一瞬、姿を現した

草スベリが終わると白根御池小屋に着く。キレイな池の湖畔にはカラフルな テントがいくつも花を咲かせている。


こ-ちゃん:「パパちゃん。下りになったらすごい元気だね。」 
さ か ぼ う:「この手の下りはいつもこうして駆け下りるんだ。」 
こ-ちゃん:「フゥ-ン。」 
さ か ぼ う:「日頃鍛えている筋力がモノをいうんだよ。」 
こ-ちゃん:「でもなんでパパの足はカクカクしてるの?」


すっかり朝の雨模様が嘘のように 夏の日差しへと変わった広河原山荘前。 
昨晩、群馬から雁坂トンネルを抜けてやってきた疲れも何のその、 下山後はいつものスカッとさわやか飲料で独り祝杯をあげる。

躊躇はあった。しかし、今は来て良かったと満足していた。 
灼熱の舗装地獄の毎日で、体力的にも精神的にも弱りきっていたある日、 ネットで北岳の報告を見た。どうやら日帰りでも行けるようだ。

今の私にはココしかないと思ったのは仕事も終わりに近づいた午後6時。 
そして帰りがけに地図を買い、ザックに日帰り装備を詰め込み旅路へついた。

さ か ぼ う:「こ-ちゃん、楽しかった?」 
こ-ちゃん:「ウン。山がキレイで楽しかった。」 
さ か ぼ う:「それは良かった。もうチョット大きくなったら写真じゃなくて本当の山に行こうね」 
こ-ちゃん:「そうだね。もうチョットしたらいこうね。」 
さ か ぼ う:「じゃあ、何年後に行こうか?」 
こ-ちゃん:「そうだなぁ。パパちゃんがもうチョット岳人として大きくなったらついて行ってあげるよ。」

山に癒しを求める自分の弱さを知る。 
それもまた原寸大の私の姿。認めざるおえない事実である。 
帰りの南アルプス林道は車の窓を全開にして深山の風を体中に受けながら走った。


sak


裏剣・池の平~欅平(水平歩道)

2000年08月05日 21時00分22秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/8月上旬 裏剣・池の平~欅平(水平歩道)

池の平小屋は実に落ち着ける よい小屋だ。

アルプスにある小屋とは思えないほどの静寂と 管理人さんの人柄に魅力がある。

表剣の喧騒など忘れてこの一晩、管理人さん、同宿の御夫婦とゆったり、楽しい会話と共に 過ごす事が出来た。

さあ、朝の訪れだ。今日は朝から日差しが鋭い。

昨日濡れてしまった靴下と 靴を履くのは憂鬱だけど裏剣の勇姿を望んだら阿曽原温泉目指して出発だ。


仙人池ヒュッテに着いた。 
ここは、裏剣の有名な撮影スポット、仙人池がある。 
生憎ガスがかかり池に映る裏剣を望む事は出来なかった。

池の平小屋で、ル-ト詳細をここで聞くとよいと教わっていたので、 仙人池ヒュッテに阿曽原温泉まで行く事を申し出た。 
ヒュッテのおばさんが丁寧に教えてくれた。 
「気ィつけてな。」
こんな言葉を懸けられるとなんだか道を聞いただけの 間柄のような気がしない。

そう言えばおばさんが開口一番
「裏剣はええやろ。静かで。」
といっていたが 充分すぎるほど納得できる。

道すがらなんとなく考えたが、裏剣の雰囲気は決して「静寂」だけではなく、 小屋の方々の温かい情がそれらを創り出している事に気づいた。

「また来たいな。」思わずひとりつぶやいた。


この道には隠し味がある。 
それは、点在する温泉なのだ。

今日は阿曽原までのゆったりした日程だ。 
途中の仙人温泉にゆっくり浸かっても30分。 
ここで入浴しないテはない。

小屋に入浴代400円と冷たい飲み物代300円を支払ったら子供のように 服を脱ぎ捨て、うひゃうひゃ言いながらあったかい温泉に浸かる。

これは癖になるね。イケナイね。ウシシシ。


阿曽原温泉はイキのよい御姉さんが 声をかけてくれた。
なんだかこっちまで元気になるような 気持ちのよい御姉さんだ。

テンバ代と入浴料を支払いまずは今日のねぐらをさっさとたてる。 
それから濡れた靴下とシャツを天日で干したらサンダルに履き替えて またもや温泉へ、レッツゴゥ。

ここから温泉へは約420歩ほど下った所に 湧き出ていた。


開放的な貸し切り温泉。

遥か下には黒部川。そのせせらぎとヒグラシの声を聞きながら 温泉に浸かったり上がったり。
そしてまたその繰り返し。

登山に来て毎日のように風呂に入っている不思議と幸せ。 
他じゃ味わえない山行がここにはあるといっても過言ではない。


阿曽原谷の登山道は崩落していた。 
したがって、小屋の方に連れられて関電専用道で谷越えをする事となる。


なかなかできない経験だ。ちょっと得した気分になる。 
坑内撮影したかったが、暗すぎてうまく撮る事ができなかった。


随分歩いたように思ったが数十メ-トルほどの谷の向こう岸に着いた。

先ほどお別れした池の平同宿の御夫婦が見える。 
声をかけようかと思ったが、二度お別れするのもなんだか物悲しく、静かに その場を去った。


しばらく歩くと 突如として道が平らになり、歩き易くなる。
ここからが旧日電管理歩道、通称 「水平歩道」の始まりだ。

森の中の平らな道は快適で距離もグングン稼げる。 
たまに急峻な岩切道も出てくるが恐怖というよりは爽快であり 歩くには申し分ない道であった。

狭い登山道に休憩スポットは少ない。 
名無しの滝は丁度よい休憩場所となった。

さあ、いよいよ核心部に迫ってきた。

断崖絶壁、遥か下に望む黒部川を見るにつけ目が眩む。

対岸に聳える奥鐘山の西壁もその高度感に拍車をかけているようだ。 

思わず支点の針金に手が伸びる。その手にも力が入る。 
万が一がここでは許されない。転ぶ事は落ちる事なのだ。

ザックより少しだけ横に長いテントマット。 
この時ばかりは邪魔物扱いしたくなる。

大太鼓からは目指す欅平の屋根が見えた。


真っ暗なトンネルは約150mある。 
ヘッドライトがないとここを進む事は難しい。

坑内には岩から湧き出る水が流れを造りせせらぎとなっている。 
また、この中の冷気はまるで冷蔵庫の中のようにひんやりと涼しい。 
夏の暑い盛りには丁度よく冷えた天然の暑中見舞いだ。

後立山の山並み核心部をひと通り通過するころには 高度感も鈍り、急に気温が上昇してきた。

欅平の列車アナウンスも聞こえてきて、気分はもう下山後のスカッとさわやか 飲料に気もそぞろである。

水平歩道終了点で後立山の山並みに一礼したら欅平まで一気に350mほど下る。 
せっかくの道もこの暑さで苦痛に感じてしまう。

欅平駅欅平は信じられないほどの 喧騒であった。

氾濫する物・者・モノ。 
そこには時間・予算・都合という柵が存在する。

それらの恩恵でもある冷たい飲み物を口にし満足しながらも 5時間前のあの場所へ帰りたいという矛盾した複雑な思いが交錯した。 トロッコ電車の車窓から

トロッコ電車に乗り込んで夏の 風に吹かれながらボ-っと黒部川を眺めるのも快適だ。

これで私の夏の物語も 終わりを迎える。

岩角で傷ついた手のひらをじっと眺めると、
池の平の管理人さん、仙人池の おばさん、阿曽原温泉の御姉さん、同宿した大阪の御夫婦・・・。 
出会った方々の顔が脳裏を過ぎる。 
その向こうに小窓の王の聳え立つ岩峰がチラつく。

「また、来なくちゃイケナイな。」 
そんな気持ちにさせてくれる裏剣。真髄はココにある。 
sak


立山~剣岳・北方稜線

2000年08月05日 20時54分13秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/8月上旬 立山~剣岳・北方稜線

今年の山は残雪が多い。 山小屋に問い合わせると口を揃えてこう言っていた。 
一の越から見た室堂はそれを思い出させる景観が広がっていた。

「まるで絵の具のパレットだなあ。」

室堂の向こうには奥大日岳、またその向こうに富山湾と能登半島。 
立山の神は私を歓迎していると思ってしまうような好天で 私の夏山が始まった。

 


一の越からは 北アルプスの全貌がよく見える。

薬師、黒部五郎、言わずと知れた槍と穂高連峰まで手に取るようである。

ここでは登山者も観光者も一様にその眺めにゴキゲンな笑みを浮かべている が、雄山までの観光者にとってここから望む雄山までの岩稜登路は 不安を隠せない存在のようであり、その笑みには複雑さが感じられた。

少し登った辺りで偶然一の越しへの ヘリ荷揚げを見物できた。 
ここから、気持ちよい汗をひとかきすると 雄山に到着する。

雄山には立派な雄山神社があり、その先には頂上社が石垣の上に奉られている。

到底カメラでは納めきれないスケ-ルの後立山連峰を拝し、 もはや諦観の境地で昼食をほおばりつつ立山の神に感謝をする。


山頂社へは入社料(?)500円が 必要だった。

鈴の付いた御札をいただき社へ向うと安全祈願の真っ最中だった。 
御札の一節にこうあった。

・・・一万尺巌頭の神庭に相対するものは神と私だけである。心眼に見ゆるものは 全て神の光、心耳に聞こゆるものは全て神の声。神は大いなる使命を私に 与えている。・・・

霊峰立山、まさに神の相対する高みにいる事を実感した。


縦走路はここから上り下りの 繰りかえし。
大汝、富士の折立までは岩稜の路をそれ以降は穏やかな 背稜を地味に歩いて行く。


この頃からガスが多くなってきた。 
行く先に見える剣岳も見え隠れするようになってきた。


別山に到着すると それを待っていたかのようにガスが晴れ、眼前に剣岳の山容が現われた。

「剣岳でございます。」 
新田次郎著「点の記」で測量官・柴崎芳太郎が天狗平からはじめて剣岳を 見た時に宇治長次郎が声を上ずらせながら言ったというセリフが私の頭の中に こだました。

 

剣岳・・・素晴らしい。私には表現する言葉が見つからない。 
後頭部を殴られたような気分になる圧倒的な景観だ。 
カメラなど無用な長物、この迫力はナマでなければ表現できまい。 
絶句しながらもただ一心に眺めつづけてしまうそんな山だ。

当分呆けていたように思う。 
しかしまたガスで真っ白闇となって我に返った。 
今宵の宿泊地・剣沢への下降をはじめた。


翌朝剣岳への路をひたすら登り、 降り、また登る。


日が後立山の稜線から頭を出してきた。

陽光はまるで立山-剣の神が降臨してくるかのように一筋の光を 創り出していた。


険しい岩稜帯となってきた頃 人の流れも自然と連なるようになっていた。

後続のある男性の声がした。

「ここまで×分だ。コ-スタイムより○分速い。これが普通だよなあ」

「なんだよ、前に団体さんだよ。ついてねぇなあ。」

先がつまっているにもかかわらず目前の遅いおばさんへの一言。 
「立ち止まらないでくださ-い。後ろがつまってますよ-。」

写真を撮るのに私が邪魔だったのだろう。 
「お兄さん、チョット。」といって手の甲で私を「シッシッ」と手払い。 
(あっちいけって事かなぁ。・・・)


私は怒りに討ちひしがれながら、己の心に 「山の神」が降臨したのだと言い聞かせた。 
俗的な登山者は仮の姿、先ほどの光の道を降りてきた「山の神」が今ここに やって来たのだ。
私を試す為にやってきたに違いない。と。

カニのタテバイに達するまでに語り尽くせないほどの修険に私は耐えた。 
どうだ!山の神よ!

気分も萎え気味でカニのタテバイを行く。 
鎖を使わないで行こうと思ったが嵩むザックで、私には無理であった。 
剣岳山頂山頂は賑やかさに花が咲いていた。

「山の神」とはぜんぜん離れた場所にザックをおろし行動食をつまむ。 
山頂の看板は二ヶ所に別れ置いてあった。順番待ちの列も二列になっていた。

残念ながらこの頃ガスが山頂を覆い展望はなかった。 
しかし私にとってここは通過点なのだ。 
目を凝らし、八つ峰方面を睨めつけるがごとく視線を集中させていた。

次第に山頂も人が少なくなってきた。 
「じゃ、行くか。」 
私は一言のけじめをつけ、歩き出した。 
未だ見ぬ岩稜を見据えて。

八つ峰基部北方稜線ル-トは情報不足が 最大の心配事であり、浮き石地獄は一歩一歩が勝負である。

少ない情報を数枚の紙にまとめて一文ずつ確認し、 慎重すぎるほどにゆっくりと歩を進めた。

 

前方のガスが晴れた。 
八つ峰がワイド画面で現われた。 
八つ峰、チンネ、ジャンダルム。 迫力だなあ・・・。あっ!クライマ-だ。あんな所をすごいなあ。

山の神に堪え忍んだ御褒美か、不思議とこの辺りでガスに 見舞われる事はなかった。

三ノ窓に着いた。 
ここは、非公式ながらテントサイトとして利用できる場所である。

ここまで、残置ハ-ケンをいくつか見たが、 ペンキマ-クや鎖はまったくなかった。 
クライマ-の踏み後が縦横無尽にあり、どちらが縦走路なのか何度となく 行ったり来たりを繰り返した。 
そして、雷雨。 
私はいつしか道をはずしていた。

小窓の王・南西壁の稜線上から絶壁下の踏み後を眺めながら 自分を振り返った。 
概念図を何度見ても手順は踏んできたように思えた。 
しかし、結果は違っていた。 
大岩峰群の中に私はぽつんとひとり立っていた。

池の平小屋渾身の下降であった。 
雷雨の中、決して神に頼ろうとは思わなかった。 
岩壁と草付と道なきヤブとそして急な雪渓を降り立ち小窓雪渓まで来て ようやく生きた心地がした。 
意外と冷静にル-トを吟味した事とアイゼンなど装備が充実していた事が 幸いした。

さくさくと小窓雪渓を歩く。濡れた体に雪渓の冷気が容赦なく私の体温を奪う。

そこで加藤文太郎氏のエピソ-ドを思い出した。 
ポケットに行動食を入れて食べながら歩く。

食べていれば行動不能になる事はない。 
先人の英知を知ることも山では大切な武器となる。

北股から「泣き坂」を一気に登ると池の平小屋に出る。 
ちょうど管理人さんが五右衛門風呂を沸かしていた。 
疲れきった私にやさしく声をかけて頂いたそのお顔は 
「仏さま」に見えた。


sak