acc-j茨城 山岳会日記

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茨城の山探訪

1999年12月25日 18時26分08秒 | 茨城の山

1999/12/下旬 茨城の山探訪

大岩壁が行く手に立ちはだかる。

そこを行くと怪我は必至だ。なにせそこは採石場なのだから。 爆薬やらユンボやら、何やら不穏な空気が漂っている。 
危うく私の視線も無意識に怪しくなってしまうところだった。

その脇をちょっと進むと加波山(かばさん)への登山道の始まりだ。

日の出時の北側斜面は暗く、空気は凛とし、ただただ、そこに佇んでいる。

静粛を揺るがし、一歩一歩登って行くと、 それを機に空気は今日の活動を始めた。


稜線に出た。 
本日はじめて目にした 朝日は、山も空も麓の村も、もちろん私をも黄金色に染めてゆく。

加波山神社はすでに初詣の準備は万端であった。 私にとっては「詣納め」になる。境内に浄財投入の音が響いた。

渇いた冷たい風のなか、まだ生まれたての陽光は体半分に温もり を残して光と影を生む。その様を肌で感じながら最後の登りをゆく。


加波山は筑波連山第二の 高峰(709m)であり、裏筑波縦走路の中ほどに位置する。

西暦1884年、圧制政府の打倒を謀る急進派がここに立てこもり要人の 暗殺を企てた。自由民権運動のひとつ、加波山事件の蜂起である。

しかし現在、「自由」は勝ち取るものではなく、 与えられて然るべきものなってしまった。

「自由」を与えられ、飽き足らずに「不満」を撒き散らし生き長らえる我々。

「真の自由」など、到底私には語る事ができないなあ。


燕山(ツバクロヤマ)701m。 
本日の目的は加波山と対峙するこちらの山なのだ。

何といっても名前がいいではないか。北アルプスの燕岳を連想させてくれる低山。 
こちらのツバクロは丸くて緩やかな山頂を持っている。 
近くに電話会社の鉄塔が玉に傷だが、それは低山のご愛敬といえよう。

そんな時、きつねと遭遇。なんだか得した気分になった。 
身近な山こそ意外な発見が多く待っているものだ。

その先には筑波連山縦走路が続く。しかし、お次の有名山が待っているのでここで引き返す。


ところ変わって今度は富士山。
麓から ヤブを突っ切って稜線に出た。わずかばかりの踏み後がある。 鬱蒼とした杉林をル-ト探ししながら歩く。

これもまんざらつまらなくはない。 
いや、むしろ少年探検隊になったようで面白い。

思わず童心に返ってしまう。


山頂の祠山頂はすぐだった。ヤブと格闘するも、 あっけなく山頂らしき場所に出た。祠もあるし、ここより高い所もない様だ。

全国各地に富士山は点在する。しかしココの富士山は一味違う。 
なんて言ったって日本一なのだ。さて、それはいったい?・・・

日本一の富士山は3776m。ここの富士山は128m。そう、「低さ」において、である。 
その頂を私は登り詰めた。涙は頬で凍らなかった。(笑)

下山は冒険心で反対側に足を出してみた。

ゴルフボ-ルを見つけた。 
拾おうとすると、どこからか渇いた金属音と人の声がした。「ナイスショット!」

程なく行くとゴルフ場の全容がはっきりしてきた。 
どうやら迷い込んでしまったらしい。

場違いな格好に気後れしながらゴルフ場の傍らを歩く私。
たまりかねて 道なきヤブに突っ込んだ。ゴルファ-が見たら 「そこはOBですよ」なんて言いたくなったことであろう。

ゴルファ-のたのしげな声に追われ、ヤブのなかを無言で彷徨う山屋が 独り。
お次の山を目指し歩く速さも自然と早まる。

再び車から降り立つ。 
山屋としてはイケてる格好のはずである。しかし、しかし、降り立ったそこは 住宅街。
子供たちの好奇の眼差しが痛い。

なぜ私はこんな所に来てしまったのか? 一瞬、忘れてしまいそうになった。

そう、ここは屈辱に耐え、目的を果たさなければならない。 
そしてその目的はこの住宅街の片隅にあるはずである。


高天原の三等三角点高天原<タカマガハラ>(41m)はじつに住宅街のド真ん中に 存在した。
鎮座する三等三角点がその証拠となってくれている。 
これが山?ホンマカイナ。 
確かに山とは言い難い。しかしまあ、いいではないか。 
なんでも楽しむ心構えが今の私には必要なのだ。

北アルプスの雲上の楽園、高天が原とはずいぶんな違いがあるものだ。

しかも隣地に林立するマンションの方が遥かに高い。 
近隣住民もそこに三角点や名前があるなど知られていない事だろう。


松ボックリとその母親たち旧千年期の山行はこうして幕を閉じた。 
しかし、ここだってゆっくり歩いてみれば静かな公園であり、 憩いの広場なのだ。松ボックリが遊び相手を探してその辺に転がっている。

あくまでゆっくりと・・・。

それでは私も山の事を考えてみようか? 
構えずに、急がずに、背伸びせず。

あくまでゆっくりと・・・。

今の世の中、ゆっくりの方がいい事だってまだまだたくさんあるはずだ。 
それが私の新千年に遺したい物の一つである

sak