acc-j茨城 山岳会日記

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山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

南アルプス・農鳥岳

2020年02月14日 11時46分37秒 | 山行速報(雪山・アイス)

2020/2/3-5 南アルプス・農鳥岳


なんて穏やかな気分なんだろう。
山を下りて、温泉入って、美味しいものを食べて。
そして、さらに明日も休日なんて。
いろいろあるかもしれないけど、日常は概ね平穏だ。

初日は2100mで幕。
樹林帯の中なので、至って静か。

想定の2350mまでは至らなかったのは、ラッセルに苦難を強いられたからだ。
大門沢小屋まではまだいい。
そこから先はひざ上~腰深まで。
もちろんトレ-スはない。
タイムリミットは16:00。
小屋から300m高度を上げるのに4時間かかったことになる。

稜線まで約700mの高度差。
あとどれだけ掛かることか。

それでも農鳥岳から北岳までの計画に望みを繋いで、二日目。
全装を背負ってまずは2800mの稜線を目指す。

当然のごとくここから先もラッセル。
表層が薄くて堅いモナカ雪。
外はサクッと、中はエアリアル。
スナック菓子ならさぞかし絶妙な食感だろう。
時に胸ラッセルにつかまり、途中何度諦めかけたことか。

稜線に近づくにしたがって、斜面はアイスバ-ン。
脹脛には相当な負担であったが、前歯に乗って登行。
ラッセルよりはいいが、スリップしたら即アウトだ。

稜線には雪煙がつむじ風となって舞う。
輪舞に興ずる雪精がそこにいる。
もう少しで届く。
それだけを励みに苦しい登行。

稜線。
広河内岳が近い。
締雪を選んで登ってきたため夏道を大きく南に外していたようだった。
そしてノンビリと休憩もままならない強風。
途中、大門沢下降点の鐘塔を見ながら、ボチボチと歩いて農鳥岳を目指すが意外と遠い。

農鳥岳からは、北岳と間ノ岳が望める。
今日は北岳小屋までの計画だったが、今からでは農鳥小屋までたどり着くのが精いっぱいだろう。

高気圧に覆われた状況で、この風。
明日の昼には前線の通過とともに今季最強クラスの寒気が入り込むと昨夜ラジオで報じていた。
間違いなく、寒気とともに風が強まる。

暴風、寒気、3000m。

この組み合わせに一考。
時間と装備は何とかなりそうだと思ったが、風と寒気は計画ばかりか、人をも狂わす。

過去の経験と見聞が脳裏に蘇る。

もう、いいのではないか。
全装背負ってここまで来た自分を敬ってもいい。
そう思った。

もしかしたら、私は日常の平穏な魅力に負けたのかもしれない。
今もって、その先の選択をしたのならどうなっただろうかと考える。
一番恐れたのは守るべきものの未来。

往路を戻って、大門沢下降点の鐘を鳴らす。
鎮魂の鐘は彼らに届いただろうか。

大門沢への下降はこれが登山道かと思うほどに急だ。
道しるべの標柱が一本見いだせただけであとは雪の下らしく判然としない。
尾根や疎林を繋ぎ、胸まで埋まることもしばしば。
幸い雪崩の予兆もないので沢筋を行くがそれでも腰まで埋まる。
下りだからいいものの、これを登るのは相当な覚悟だ。
これまた夏道度外視で強引に下る。

登りにつけたトレ-スに合流し、何とか目途が立つ。
あとは踏み後を忠実に戻るが、途中闇につかまりヘッデンを灯した。

大門沢小屋には先客が一名。
遅い到着とアテにならないトレ-スを刻んでしまったことを詫びる。
明日、2時4時で農鳥岳を目指すとのこと。
山に向かう姿勢に襟を正される気分であった。

夜は手早く食事のみ済ませ、20時過ぎには就寝。

「今、稜線にいたならどんな気分だったろう」

その先を選択した自分に、何処か憧れる自分。
疲労は他所に、なかなか寝付くことができなかった。

小屋の中が赤く染まる。
富士の脇から朝日が昇る。

ゴウゴウという風が小屋を揺らす。
時に舞う雪は、稜線から飛ばされてきたものか。
ここから望めぬ稜線方向は灰色の雲。

なんて穏やかな気分なんだろう。
これから山を下りたら、温泉入って、美味しいものを食べて。
そして、さらに明日も休日なんて。

そう強がってみる。

そして、これでよかったんだと自分に言い聞かせる。
今日の自分と未来の自分に言い聞かせる。

sak


奥多摩・日の出山~大岳山

2020年02月12日 11時38分09秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2020/1/24 奥多摩・日の出山~大岳山

 

今日は、歩きたい気分。
そういうときもある。

前夜、奥多摩の地図で周回できそうな登路を探した。
僕らの住む町から望める山々。
日の出山から御岳山、そして大岳山へと繋ぐ。
スタ-トは養沢神社。
しばらくは舗装路を行くが、途中林道が崩落している場所もあるので要注意。

山を歩く。
体が目覚めていく。
感性も然り。
そして発見がある。

来てよかったと思う。


養沢鍾乳洞跡を通り過ぎ、程よい登り。いくつかの登山道に合流し、指導標に促され日の出山を目指す。

山頂はガスに巻かれていた。
僕らの住む町を一望する目論見は霧散したが、山並みを流れる雲間に切れ切れになった街が見える。

山に登る。
空が見える。
雲が見える。
遠く、僕らの住む街が見える。

御岳山は山頂に武蔵御嶽神社の座する、山岳信仰の地。
宿坊連なる表参道につづく石段。
そこここに、隠れた物語が配され、楽しい。

御岳山からは奥ノ院、鍋割山へ。
靄に煙る林間が美しい。

大岳山は本来眺めの良い頂なのだが、この日は360度の真っ白け。
何も見えない頂。
独り。
雲の中にいる実感。

少しだけ雪の匂いがした。

sak


精進湖パノラマ台~三方分山

2020年02月10日 11時23分42秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2020/1/22 精進湖パノラマ台~三方分山

 

前週、kei2さんが精進湖から三方分山~パノラマ台を歩いたという。

何か引っかかるものがあったのは、少年時代に端を発する。
40年近くも昔の夏。家族旅行での出来事だ。

精進湖畔の宿に身を寄せ、湖畔越しに仰ぎ見る富士の雄大さに魅せられたものだった。
記憶を辿り始めると、宿での何気ない出来事を思い出す。

湖畔からの眺望が500円紙幣に印刷されたものに似ていると興奮したこと。
(正しくは、雁ケ腹摺山山頂からの景色だそうだ。)
姉と二人、湖面に水切り石を何度も投げたこと。
父から禁じられていたビデオゲ-ム(アーケ-ドゲ-ムともいうようだ)をこの夜限りに許されたこと。
今は亡き母との数少ない旅の一つであったこと。

そういえば宿の名は何だったかな?
などと思い出を手繰り、行きついたのが「パノラマ台」への登路での出来事だった。

その登路は宿の脇から始まっていた。
15分くらいで登れるのだろうと高をくくって姉と二人で登り始めた。
つづら折りの急登、はるか眼下に精進湖の湖面。

最初は、ずいぶん高くまで登ったことに高揚した。
そしてもう少しでたどり着くのではないかという期待。

裏腹に、このまま進んだら帰れなくなってしまうのではないかという不安。
登るにつれ、それが大きくなっていったのは言うまでもない。

「もう帰ろう。」

どちらともなく、そう切り出した。
そして、無言のまま下り始めた山道。

下り終え、父から「どこ行ってたんだ」と叱られた反面、心から安堵した。

40年の時を遡り、今思う。
あの先には、どんな景色が待っていたのだろう?

そんな山旅も一興。

結局、目指したパノラマ台から富士を眺めることはかなわなかった。
どうにか、富士を望めないだろうかと三方分山までの上り下り。

結局、ちっとも景色には恵まれない山旅だった。
しかし小さな胸の痞えが癒えた山旅でもあった。

時は過去を美しくする。
精進湖畔からの富士は変わらぬ美しさであった。


sak