やっぱり考えてしまう。サキさんのように進行の早い人(こういう若年の方のほうが圧倒的に多いと思います)と、割と穏やかに長く過ごせる人たちとの違いは、いったい何なんだろう?
この前のブログで、以下の2つについて書きました。
1.診断時期の差(自覚症状が出てからの経過時間)
2.職場の理解(介護者の職場も含めて)
そして、今回、その続きを書きたいと思います。
3.パートナーの差(一番身近で接している人たち)
若年の当事者の方たちが、サポーターという言葉ではなく、パートナーという言葉を使われていたのが、とても印象的でした。水平の目線で、同じ立ち位置で、お互いに力を合わせながら、手助けしあいながら、同じ目標に向かって歩んでいく仲間=パートナー ということになる。
サキさんにとっての一番身近なパートナーは私。結婚してからずっと二人で力を合わせてやってきた、まぎれもなくパートナーだった。しかし、サキさんが認知症と診断されてからは、パートナーではなく、ヘルパーになっていた。時にはヘルパーでもなく管理人・監督官のような感じにも・・。サキさんをじっと待ってあげることはなく、すぐに手を出し、サキさんの能力を次々に奪ってしまいました。そして、次から次に指図します。
「待っとって」
「おとなしく座っとって」
「わかったで、動かんといて」
「お父さんがやるでいいで」
「(デイサービスの)車来たで、早よしんと間に合わんで」
などなど。とても同じ目線のパートナーとはいえません。上から目線で、サキさんを追い立てまわします。
これでは、穏やかに過ごせるはずもありません。
やはり、サキさんの進行を速めた一番の理由は、一番身近にいる人(つまり私)の「余裕のなさ」だったと思います。全てにおいて余裕がないからサキさんを追い詰めてしまいました。
もし、時間に余裕があれば
もし、お金に余裕があれば
もし、気持ちに余裕があれば
もし、知識があればパートナーとして、サキさんのそばに寄り添って、もっと穏やかでゆるやかな時間の流れを作ってあげられたと思います。でも実際には、その余裕を持ちながらサキさんのそばに居ることはできませんでした。
普通に会社勤めの身としては、時間に余裕は持てません。始業の時間には会社にいなければいけません。
お金にも余裕はありませんでした。家のローン、子供たちの教育費用。一番お金の必要な時期でした。会社を辞めてサキさんのそばに寄り添うという選択肢は初めからありません。生きていくために働き続けなくてはなりません。
精神的にも余裕はありませんでした。つどいなどで皆さんの話しでは聞いたことがあっても、それがいざ実際に目の前で起きると、もうパニックです。もちろんそれはサキさんにもすぐに伝わってしまいます。悪循環です。
知識もあるようでなかったと思います。必死で認知症の勉強をしたわけでもなく、ただ本を買って、勉強した気分になっているだけ、認知症の妻の面倒をみている、健気な旦那を装っているだけ。うわべだけだったような気もします。
きちんとした知識を持った「専門職」のパートナーが、早い段階(介護保険を利用するもっと前)からサキさんに寄り添ってくれていたら、もっと違った展開になっていたかもしれません。
介護保険の利用=私達だけではどうにも対処できないところまで来てしまった
ということです。ここまで行ってしまっていては、もう遅いのです。
「アルツハイマー型の認知症です」と診断を受けたその瞬間から、サポートが始まっていれば・・、(サキさんだけでなく介護家族に対するサポートも)サキさんも、きっと今でもサキさんらしく輝いていたかもしれません。
認知症と診断されたその日から、適切なサポートを受けられるような、そんな仕組みを早急に作る必要があると思います。
この前のブログで、以下の2つについて書きました。
1.診断時期の差(自覚症状が出てからの経過時間)
2.職場の理解(介護者の職場も含めて)
そして、今回、その続きを書きたいと思います。
3.パートナーの差(一番身近で接している人たち)
若年の当事者の方たちが、サポーターという言葉ではなく、パートナーという言葉を使われていたのが、とても印象的でした。水平の目線で、同じ立ち位置で、お互いに力を合わせながら、手助けしあいながら、同じ目標に向かって歩んでいく仲間=パートナー ということになる。
サキさんにとっての一番身近なパートナーは私。結婚してからずっと二人で力を合わせてやってきた、まぎれもなくパートナーだった。しかし、サキさんが認知症と診断されてからは、パートナーではなく、ヘルパーになっていた。時にはヘルパーでもなく管理人・監督官のような感じにも・・。サキさんをじっと待ってあげることはなく、すぐに手を出し、サキさんの能力を次々に奪ってしまいました。そして、次から次に指図します。
「待っとって」
「おとなしく座っとって」
「わかったで、動かんといて」
「お父さんがやるでいいで」
「(デイサービスの)車来たで、早よしんと間に合わんで」
などなど。とても同じ目線のパートナーとはいえません。上から目線で、サキさんを追い立てまわします。
これでは、穏やかに過ごせるはずもありません。
やはり、サキさんの進行を速めた一番の理由は、一番身近にいる人(つまり私)の「余裕のなさ」だったと思います。全てにおいて余裕がないからサキさんを追い詰めてしまいました。
もし、時間に余裕があれば
もし、お金に余裕があれば
もし、気持ちに余裕があれば
もし、知識があればパートナーとして、サキさんのそばに寄り添って、もっと穏やかでゆるやかな時間の流れを作ってあげられたと思います。でも実際には、その余裕を持ちながらサキさんのそばに居ることはできませんでした。
普通に会社勤めの身としては、時間に余裕は持てません。始業の時間には会社にいなければいけません。
お金にも余裕はありませんでした。家のローン、子供たちの教育費用。一番お金の必要な時期でした。会社を辞めてサキさんのそばに寄り添うという選択肢は初めからありません。生きていくために働き続けなくてはなりません。
精神的にも余裕はありませんでした。つどいなどで皆さんの話しでは聞いたことがあっても、それがいざ実際に目の前で起きると、もうパニックです。もちろんそれはサキさんにもすぐに伝わってしまいます。悪循環です。
知識もあるようでなかったと思います。必死で認知症の勉強をしたわけでもなく、ただ本を買って、勉強した気分になっているだけ、認知症の妻の面倒をみている、健気な旦那を装っているだけ。うわべだけだったような気もします。
きちんとした知識を持った「専門職」のパートナーが、早い段階(介護保険を利用するもっと前)からサキさんに寄り添ってくれていたら、もっと違った展開になっていたかもしれません。
介護保険の利用=私達だけではどうにも対処できないところまで来てしまった
ということです。ここまで行ってしまっていては、もう遅いのです。
「アルツハイマー型の認知症です」と診断を受けたその瞬間から、サポートが始まっていれば・・、(サキさんだけでなく介護家族に対するサポートも)サキさんも、きっと今でもサキさんらしく輝いていたかもしれません。
認知症と診断されたその日から、適切なサポートを受けられるような、そんな仕組みを早急に作る必要があると思います。