サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

自らの意志で

2017年03月30日 21時08分22秒 | 介護日記
昨日の夜10時からNHKで、藤田和子さんのドキュメンタリードラマを見た。

「元看護師さんで若年性アルツハイマーの方のドキュメンタリードラマをやるよ」と、事前に知り合いから聞いていたので楽しみに待っていました。

この前、「アルトひまわり会」の講演会でお話してくださった山田さんにしても、今回の藤田さんにしても、共通して感じるのは、本人の強い意志です。周りから言われてやるのではなく、「認知症になっても普通に暮らしていけることを分かってほしい」という強い思いが、本人を動かしている。すごいことだと思います。

藤田さんは、診断を受けて10年だそうです。サキさんは9年目。しかも数年前に要介護5になってしまったので、あっという間に症状が進んでしまった典型的な例だと思います。今の藤田さんのように自分の意志で出来ていたのは、診断から3年から4年。そして、4年後、介護認定を受け6年後には要介護5になってしまった。2年で1から5に。

やっぱり、サキさんの症状の急激な進行具合を、今一度、じっくり振り返ってみる必要はありそうです。

藤田さんとの違いは何なのか。自分の何がいけなかったのか?

藤田さんの娘さんたちは、とても自然な感じで藤田さんと接してみえる。娘さんたちの支えも大きかったのだろう。うちにも娘がいるが、あんまり関心はなさそうです。今は自分の事(仕事やプライベートの楽しみ)でいっぱいいっぱいみたいです。

そんな娘だけど、サキさんの言うとおりに看護師になりました。「これから女性は手に職をつけなあかんから、資格を取らなあかん。看護師なら一生もんやで。」そうサキさんによく言われていた娘。素直に?看護課を受験した。

そして、卒論のテーマを認知症にしてくれた娘。認知症の人と家族の会の「岐阜のつどい」にも、大学の先生と一緒に参加したこともあるようだ。しっかり母親を通して、認知症に向き合ってくれた娘。私達にはそれで十分です。

娘が中学、高校の時は、子供たちをほったらかして、サキさんと二人でよく旅行に出かけていました。
「なに~、また行くんか」
サキさんが認知症と診断される少し前から介護保険を利用するようになるまでの数年間、いろんなところに出かけました。子供たちには寂しい思いもさせたかもしれません。また、娘は思春期の様々な思いを母親に相談することはできませんでした。サキさんもそれは心残りかもしれません。

昨日のドキュメンタリードラマを見て、そんなことを感じました。

これからもご本人さんの声を機会があればぜひ聞いてみたいと思います。