ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

感傷的プチ鉄旅

2016-09-19 17:29:30 | お出かけ

世は3連休だったが、天候は今一つ恵まれず、観光地もさほど潤わなかったのではないかな、と思う。
私が家の外に出たのは、土曜日だけだった。
同年輩の同業者との交流会があって、長岡市まで出かけてきた。
在来線で新潟まで行き、上越新幹線で長岡まで行くのが手っ取り早いのだ。
が、調べてみると、家を20分早く出て、ローカル線を乗り継いでいく方法もある。
そうやっても、着くのが新幹線を使うよりも20分早い。
それがわかって、ローカル線の各駅停車の旅を楽しむことにした。
田んぼの中を走るローカル線は、単線である。
この時の車両は、わずか1両編成のワンマン・カー。

止まる駅は、今やほとんどは無人駅である。

こんな小屋みたいな建物が駅舎である。
5年前に勤めていた時、当時の勤務先まで、最寄りの(?)この駅舎から5kmを走って通勤したこともあった。
新潟平野の中を走るこの路線、田んぼは稲刈りを終えたもの、これからのもの、今その最中のもの、といろいろであった。

銘柄にもよるが、新潟のおいしい新米が出始めた。
新米コシヒカリもそろそろ出回る頃だ。

この路線の終点は、新津駅。

乗ってきたのは、羽越本線。

この駅は、蒸気機関車SLばんえつ物語号の発着駅である。
40年近く前、まだ学生の頃、上越新幹線はまだ走ってなかった。
帰省する時、最終1つ前の「特急とき号」に乗ってきて、この新津駅で乗り換えて当時の家のあったところまで約1時間、列車に揺られて帰っていたことを思い出した。
盆の頃などは、穂が出始めた稲の田に、電車の影を見ながら、夜行列車の風情を楽しんだものである。

40年か…と、ちょっとした感傷に浸りながら、ここまで30分間ほどのプチ鉄旅。
そこから先の信越本線で約1時間揺られて長岡駅へ。
そこで開催された、15年前に創設した同業者の交流研修会も、同年代なのでそろそろ定年を迎えるからという理由で、最終回であり、解散となった。
創設してから15年もあっという間だったなと、これまた少々感傷的になりながら、復路の鉄旅をして家に帰ったのであった。
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