原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

見知らぬ他人を非難して感謝を期待する勘違い高齢男

2017年12月17日 | 人間関係
 と表題に掲げつつ、この私も当「原左都子エッセイ集」にて同様の “勘違い言動” を繰り返しているのであろう事態を、とりあえず反省しきりだ。
 まさに “人の振り見て我が振り直せ” とはこの事だと、今現在、穴があったら入りたい心境でもある。

 ただし、私の場合は単にネット上にてオピニオンの形で “特に世に名が売れている著名人相手に”「非難」をしているだけの話で、決して非難した相手に「私に感謝せよ!」とはただの一度も言っていないよ~~。 


 早速、朝日新聞本日2017.12.16付 “悩みのるつぼ” より、68歳男性による「感謝される注意の仕方は?」と題する相談内容を以下に要約して紹介しよう。

 ルールやマナーが気になる68歳のおじさんです。
 道路の横を走って来る自転車に「自転車は左側ですよ」、スマホの画面を見つめる歩行者に「歩きスマホはやめましょう」、信号無視の人に「赤信号ですよ」、禁煙場所でたばこを吸う人に「ここは禁煙ですよ」……。 街に出ると様々なルール違反が目につき、こんなことを口にして注意している。 
 注意した人達から、「ごめんなさい」「ありがとう、気を付けます」などと返されるのはほんの少し。 「うるさいなあ」「私の勝手でしょ」はまだしも普通の反応で、「俺のルールでは自転車は右側通行なんだよ」「車がきてなきゃ、赤信号で渡っていいんだよ」などと言い返されることもある。
 妻や友人からは、「そのうち殴られたり、刺されたりする。危ないからやめろ」と言われている。 一体どうすればいいのか。
 「ごめんなさい」「ありがとう」と言ってもらえるような注意の仕方があれば教えて欲しい。 それとも妻たちが言うように、注意をするのはやめた方がいいのか。 一番よいのは、私が口を出すまでもなく、皆がルールとマナーを守ってくれることとは思うが。
 (以上、朝日新聞本日の“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 このおじいちゃん(ご本人は“おじさん”と自称されているようだが)、私の視線からは精神面で十分に “おじいちゃん” 域に入られている人物であろう。 
 そして私の想像だが、この人物は現役時代に安穏と小学校教員でもされていたのであろうか???
 元教員だとして、もしも中高現場に勤務していれば、その年代の子供達の反発力や歪み力の凄まじさを既に十分に実感出来ているはずであり、こんな無謀な「勘違い指導」を外部で実行出来るすべもないだろう。

 しかも可笑しいことに、68歳にもなってそれを実行したご自身を肯定的に捉えておられる。 
 自分の「指導」を、された側が「感謝」するべきと!??
 この実態を考察すると、このおじいちゃんが元教育者だったとの我が推測も否定されようか? もしも教育者であられたのならば自身への感謝を求めるより率先して、その世代の若者達の未来への発展を望むべき言動に出るはずだ。

 それでも、“自己肯定評価”との見返りを第一義に捉えているらしき“勘違い”おじいちゃんは、有り難くも周囲の人間環境に恵まれている様子だ。
 奥方や友人たちが、「そのうち殴られたり刺されたりするから危ないからやめよ」とアドバイスしている事実に助けられる。
 私にとって一番腹立たしく、かつせせら笑いたいのは、この相談者が結論として「一番いいのは私が口を出すまでもなく、皆がルールとマナーを守ってくれる事と思う」と、あくまでも自身がさも世を支配している権力者であるがごとく勘違いして豪語している点だ。


 ここで、今回の“悩みのるつぼ” 回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏の回答内容のごく一部を紹介しよう。

 なぜ妻の助言を聞き入れないのか? 妻から「危ないからやめてくれ」と言われて、あなたが妻に感謝したり、自分のこれまでの言動を謝ったりしないのか?  (途中大幅略)
 まず第一は自分のその感覚を反省し、「どうすれば(下手に)プライドの高い私は、妻の助言に感謝して従うことができるのか?」それを問うことだ。
 朝日新聞に相談する必要はない。 あなたの悩みの解決のヒントはすべてその素晴らしい奥方の助言に隠れているはずだ。
 (以上、“悩みのるつぼ” 回答者のご意見のごく一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 何だが、哀れで虚しい68歳男性からの悩み相談だったと結論付けられよう。
 ご自身が日々良かれと実施している行動が「世のため」になると信じて疑っていない、現在自分がおかれている侘しい現状に思いが及ばないその感覚。
 それにプラスの反応がくればとにかく嬉しいが、そうでないなら身勝手に議論を広げ「世のルールやマナーがなっていない」との自己中心的回答を正当化するとの恥ずかしい結末。
 
 高齢者とて他者からの好意的反応にばかり依存するのではなく、もっと自らが主体性を持って生きねばならないとのサインを送ってくれた相談内容と、私も再び受け止めた。

 それよりも何よりも、まさに自らの命を守るためにも、外で見知らぬ他人に深い思慮もなく無責任に要らぬお節介を焼く事態は慎むべく移ろいで久しい現代の時代背景であろう。