原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私がイチローならば今後如何に身を振ろう?

2011年08月01日 | 自己実現
 我が国が誇る世界的スーパースター、大リーガーのイチロー選手の活躍に翳りがみえてきている。


 「原左都子エッセイ集」前回の記事において、私は国民栄誉賞について取り上げた。
 実は、国民栄誉賞に輝くに最も相応しいダントツ一位の日本人とは、私は イチロー をおいて他にないと以前より考えている。

 そのイチローが、国民栄誉賞を辞退した歴史があることを知らぬ国民はいないであろう。 その辞退の理由も輝けるスーパースターに相応しかったものだ。
 2001年、イチロー選手はメジャーリーグで日本人選手史上初となる首位打者を獲得する活躍を見せた事により小泉純一郎内閣から授与を打診されたが、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上であるためもし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と固辞した。 そして2004年にも、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した事から内閣が授与を検討したが、イチローは再度固辞した。

 前人未到の記録を打ち立てて尚、“発展途上”の言葉を放てるイチローであるからこそ、その後も次々と未踏の記録を積み上げることが可能であったことを実感させられる思いだ。
 この先将来イチローが現役引退した暁には、その時の政権首相は是非共イチローが打ち立てた現役時代の類稀な活躍の栄誉を評して「国民栄誉賞」を忘れずに贈呈して欲しいものである。


 そんなイチロー選手が冒頭のごとく、メジャーデビューからちょうど10年目となる本年低迷を続けているようだ。
 大リーグ開幕後の4月2日には球団記録となるメジャー通産2248安打を達成したものの、5月以降は不振が続き、メジャーデビューした2001年以降10年連続で選出され続けてきたオールスターにも漏れる結果となった。

 先だってネット上の報道でも見聞したのだが、無安打試合が多く7月26日時点で打率を0、266にまで落としているイチローに対し、本年度歴史的連敗を続けるマリナーズの監督が「ベテラン選手がこういうプレーをしていてはいけない。」と怒ったのだという。
 監督といえどもイチローに意見するのはマリナーズではよほどの事であるそうだ。 何故ならば、球団オーナー筋と太いパイプを持つイチローに苦言を呈することは、自分のクビをかけての行動を意味するらしい。 マリナーズのこの成績では監督生命が長くないことを悟った上で、監督はつい本音がでてしまったとの報道である。
 イチローのマリナーズとの契約は来年2012年までだそうだが、地元メディアでは、「さすがに年齢的な衰えがみえる。イチローなしのチームに変えていかなければならない」などとのイチロー放出論も強くなっているようだ。
 イチローが今年11年連続200安打を達成するには、残り59試合で87安打が必要とのことである。 この最後の砦まで崩れるようだとイチローのチーム内における立場は極めて厳しくなる、との厳しい報道内容だ。


 原左都子の私論に入ろう。

 イチローにとっては初めての挫折とも表現できるこの低迷危機状態に対して、冷静沈着なイチロー本人が対策を練っていない筈もない。
 ただ、スポーツ選手にとっては致命的とも言える“身体的老化現象”という回避不能な敵と如何に闘っていくのかが、今回のイチローの危機に際する一番の課題となろう。
 こういう時にスポーツ選手の脳裏にチラつくのが、おそらく「現役引退時期」であり、また「今後の活躍の場」であるのだろう。

 こんな時にこの話題を持ち出すのも顰蹙かもしれないが、時を前後して元大リーガーの伊良部選手が自殺を図ったとの報道を見聞した。
 そう言えば、私は伊良部選手の存在すら忘れ去っていた。 新聞で伊良部選手死去の報道を見た時には正直なところ、(そういう野球選手もいたなあ)としか認識できなかったのが事実である。 それにしても一時一世風靡した実力派の野球選手が、40代の若さにして自殺の疑いが濃い死に方をしたとは何と痛ましい事であろう。

 このニュースに触れずして、庶民の原左都子にも理解できる事がある。
 それは、一旦世論により“スーパースター”扱いされてしまった人物が、その坂を下り始めるとその人生が急激に暗転するのであろう、とのことだ。
 失礼ながら特に“中途半端”にそして“他力本願”にその栄光を感じさせられた人物にとっては、世間から自分の存在を忘れ去られてしまう事自体がその後の自らの心理面において失望の加速度を増し、自分はこの坂を転げ落ちるしかないと錯覚してしまうのであろう。
 浮世の反応など二の次と捉え、自分自身に自らの過去から現在未来に渡る活躍の程を自己分析可能な能力や時間空間が存在したならば、その後の人生も異なったであろうに……


 私がこの「原左都子エッセイ集」において、幾度となく公開している持論がある。
 それは、原左都子自身は「一生、庶民である事を全うしたい」ということだ。

 世界的スーパースターとて、イチロー選手のごとく翳りが見える時期が必ずや訪れるのが人生というものだ。 もちろんイチロー選手の場合、持ち前の冷静沈着な判断力で、今後体力的な限界を自覚した時にも最善の結論を下すことであろう。
 それよりも何よりも、世界的スーパースターの現役引退を待ち構えている利潤目的の団体組織はさぞかし数多いことであろう。 これに関してもイチローはおそらく冷静沈着に、引き続き自身が主体的に選択した分野で活躍を開始することだろう。


 一生を通して一庶民でありたい原左都子が、イチローの人生を歩むことなど一切あり得ない話である。
 その立場にして私が今イチローであるならば、おそらく本年度の成績が悪くとも契約期限の来年までマリナーズに居座ってプレーを続けるような気がする。 実力主義の米国においてはそれを許容してくれないはずで、私はとっとと首になるのかもしれない。
 首になった後、どうするか??? やっぱり分からないな~~~

 ただ少なくとも私の場合は一生自由の身の庶民であることを貫いているお陰により、一時世間からの疎外感を抱いたからと言って“自殺”との極論の選択肢に走るなどということは絶対にあり得ない話だ。
 そんな私がイチローであったならばとりあえず来年もマリナーズの一員でいたいと思うだろうし、そして10余年間の現役を全うしようとした直前に首を切られ引退の道程を歩んだ暁には、感激しきりであると思うよ。
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