575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

モンゴルは詩の国     遅足

2012年07月22日 | Weblog
名古屋大学の博物館で「モンゴルの詩人たち」というお話がありました。
モンゴルで文字が生れたのは13世紀。
今も口承文学の伝統は強く、韻文が生活のなかに生きているそうです。

たとえば、これは詩ではありませんが、

 泣いて泣いて人になる
 啼いて啼いて家畜になる

韻を踏んだ面白い表現ですね。

詩の朗読も盛んで、毎年、全国一の詩人を決める大会が開かれ、
優勝した詩人には「ボロルツォム」(水晶の杯)が与えられるとのこと。

街中では、詩で相手をやり込める「詩のボクシング」も見られるそうです。

詩の優劣に大きく関わるのが韻文としての完成度。
韻文としての完成度が高ければ高いほど、言葉に魂が宿り
詩のパワーが大きくなると考えられています。

俳句でも、意味よりも、575のリズムが大切とも言われますが、
俳句を韻文として考えれば、その完成度が高いほど、
句に言霊が宿るのかも知れません。何回も口ずさむことの大切さを思い出しました。

モンゴルの詩人のなかには俳句に関心を持つ人もいます。
1944年生れのルハグバスレンさんの次の詩は、俳句のような三行詩です。

「青い夕べ」

 夕のたそがれが
 ゼルの上におりて    
 牛と一緒に 光を反芻する

  ゼルとは、家畜の子をつなぐために地面に張られた縄のこと。

「父」
 
 チョドルをすてた 俺   
 無言で 父がみつめる
 その眼差しが 俺を鞭打つ  

   チョドルは、馬が動かないように足をしばる枷です。
   遊牧の仕事を継がずに都会へ出て行く若者が増えた頃の詩でしょうか。


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