575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

放浪の俳人

2020年09月26日 | Weblog


種田山頭火<たねださんとうか> 1882年、山口県
防府市の生まれ。地元の名門私立校「周陽学舎」
を首席で卒業。早稲田大学の文学部に入学します。
しかし、神経衰弱で体調を崩し退学となり帰郷を
余儀なくされます。

山頭火は、自由律俳句「層雲」の主宰者、荻原井
泉水<おぎはらせいせんすい>より俳句を学び門下
生となります。自由律俳句の尾崎放哉<おざきほう
さい>とは同人。山頭火も放哉も酒に溺れ、師の
泉水や支持者の援助により、糊口を凌いでいたよ
うです。

尾崎放哉は帝大法学部を卒業して朝日生命に入社。
大阪支店長を務めるエリートでした。しかし、キ
ャリアを捨て俳句三昧の生活を始めます。当然の
ことながら生活は困窮。晩年は小豆島の廃寺で暮
らしています。帝大出の自由律俳句の著名人であ
りながら無一文。酒によるトラブルも多く島民に
とって困った存在だったようです。

話を山頭火に戻します。山頭火は俳誌「層雲」の
選者となり自由律俳句の発展に貢献します。この
頃、海外文学の翻訳者としても活躍。ロシアの作
家、ツルゲーヌフの翻訳をしています。作中のセ
ルゲイと山頭火の父である竹次郎の放埓な生き方
が似ていると山頭火は書き残しています。

山頭火は、42歳の時に得度。そのため、雲水の姿
で西日本から東北地方まで歩き、旅先から「層雲」
へ投句。山頭火の放浪の俳人という印象は、こうし
たことから生まれたのでしょう。

やがて、山頭火も放哉と同じ極貧の晩年を迎えま
す。「無駄に無駄を重ねたような一生だった。そ
れに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたよ
うな一生だった」と山頭火は記しています。山頭
火の魂。いまでも放浪を続けている気がします。

「松虫よ 鈴虫よ闇の 深さかな」<山頭火>

種田山頭火。自由律俳句の先駆者。享年58歳。


写真と文<殿>
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