3/22(月)土曜・日曜と降った雨が上がり爽やかな朝を迎えたが、起床は八時前と遅かった。深夜四時半ころまで眠れぬままに来し方を振り返っていた。
NAKAMURAさんを迎えたのは予定通り昨日の9:36分着の安田駅。風雨の余韻が残る時間であった。「豆電球」でコーナー飲んでから戻った。ひと風呂浴びた貰い、早速ビールで乾杯。顔色もよく、胃がんの術後の経過は良さそうで何より。夕餉で改めて飲みなおしとなり暫し歓談。福岡から深夜バスを利用しての来高。お疲れであろうと21時過ぎにお開きにしたのだ。
NAKAMURAさんは起きていて、食堂でテレビを見ていた。よく眠れたとのことで良かった!。
朝食後、従姉の旦那HIROMICHIさんと筍を掘りに行く予定だったのでNAKAMURAさんを誘って竹林に行く。正弘橋を渡ると橋袂の桜が4~5分咲になっていた。思わず笑みが浮ぶ!。
三日前は未だ膨らんだと云え蕾であったのに、雨の二日だったに関わらずここまで咲くとは・・・。川面はNAKAMURAさんを迎えた昨日の午前中の泥濁りから翡翠色にまで戻っている。
竹林に着くとHIROMICHIさんが既に小さな筍を二つ三っ探していた。その後、NAKAMURAさんが二つ見つけることができた。ほどほどの大きさであった。
手本を見せてから掘って貰ったが、途中でバトンタッチになった。掘った筍はいずれも小さいが全部頂いた。早速、今夜の夕餉で食すことにする。
竹林の隣にある従兄のモクズカニの生簀を覗くと未だ数匹が残っていた。勝手に頂いて帰ることにした。葉ワサビが伸びていたのでこれも一株頂き、これも夕餉の酒肴にすることにした。
夕餉は六時過ぎからスタート。昨夜の残り物「猪鍋」「大根煮」などに今日の収穫物で「筍ご飯と土佐煮」「モクズカニの味噌汁」「ワサビ葉粕漬」に「冷奴」となった。
ビールと焼酎を飲りながら二時間ばかりNAKAさんの話を聞いた。奥様を亡くされてからのこと、ビジネスのことなど思いめぐらして尽きないとか。
私が云えることは「答えは自分の中にありますよ」の一言に尽きるのだが・・・。
途中、人形町の酒場からHOYA兄いから現地報告があり、「高松」や「うまし」の皆さんとNAKAさんと交互に会話。人形町パトロール隊もHOYA兄いだけが孤塁を守っている。吾らの復帰は何時になるのか・・・。