徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「火口のふたり」―男と女の性愛の日々は死とエロスに迫る終末の予感を漂わせて―

2019-09-01 12:30:00 | 映画

 路傍に真っ赤な彼岸花が咲いていた。
 立秋を過ぎて、なお日中はまだまだ残暑が続いている。
 でも、朝夕は秋の風を感じるようになってきた。
 何かときなくさい世情に背を向けて、敢えて取り上げた今回の一作は・・・。

 直木賞作家・白石一文の原作を、このところ活躍めざましい脚本家・荒井晴彦監督映画化した。
 荒井晴彦監督といえば 「大鹿村騒動記」「共喰い」など優れた脚本も多く、この作品では女と男の濃密な時間を秋田を舞台に描いている。

 かつて恋人同士だった二人が再会し、体を重ねる。
 白石一文の同名小説をもとに、荒井監督は主人公の二人を見つめ、凝縮したドラマに作り上げた。
 話して、食事して、互いに相手を求め合う。
 何のことはない、それだけの二人の話である。
 作者の言う「身体(からだ)の言い分」に従って、一緒に過ごす男女の大胆不敵ともいえる性愛描写が連写される。
 いま令和の世紀の混沌に、懐旧と郷愁を誘うこの映画に誰もがたじろぐことになる。
 ほぼ全編を、男女の対話で構成した野心作だ。




10日後に結婚式を控えている直子(瀧内公美)と、秋田に帰省してきた賢治(柄本佑)が久しぶりに再会する。
直子と賢治は、いとこ同士なのだ。

直子はアルバムを取り出し、壁に貼った〈富士山の火口〉のポスターの前で、二人が裸体を重ねている写真を見せて、「今夜だけあの頃に戻ってみない?」と誘いかける。
直子の婚約者が、出張から戻ってくるまでの5日間だけと約束した二人は、時を惜しんで情を交わすのだ。
ただそれだけの中に、二人の過去、現在の状況と心情が垣間見える。
5日間限定に火がついた二人は、より大きな終末の予感とともにさらに燃え上がった。
そして、5日後・・・。

男女のエロスを描いた、1947年生まれの荒井晴彦脚本が傑出している感じがする。
登場人物はほぼ二人だけだし、どろどろした情念は感じられない。
さらりとした、当たり前の日常感覚が全編を支配している。
緊張感と脱力感と・・・、生と性が陰湿でなく軽やかで明るく、青春映画のように若々しい。
ドラマの中の二人は、原作者が言うところの「身体の言い分」に身を委ねており、人として身体が求めるもの、人として最も自然な「生き方」を純粋な生の営みとして描写している。

柄本佑の何気ない視線に不思議な色気があり、瀧内公美の腹の座った女っぷり、脱ぎっぷりの大らかさ、明るさに脱帽だ。
瀧内公美は、ヒロインの直子像を陰影深く見せて切ない。
彼女の多様な側面に、女優の大器が見えた。
「賢ちゃん」と「直子」の感情の襞の隅々まで、失われてゆく時の流れが刻み込まれ、会話もよく練られていて無駄がない。
最後のシーン、富士山大噴火の予感は、死の淵から生の世界へ戻ってくる、まさにこの死の匂いは究極のエロスに迫るものだろう。
一種の会話劇でありながら、赤裸々な性愛描写で生々しく肉体を映し出し、絶望を突き破って命がほとばしるような、若い魂の勢いが感じられると言ったら言い過ぎであろうか。
決してそんなことはない。
荒井監督は、「身も心も」(1997年)、「この国の空」(2015年)に次いで長編は3作目になる。

荒井晴彦監督作品「火口のふたり」は、愛と性の物語として老若男女にもぐっとくるものがある。
二人の主人公がケロッとして、何とも爽快である。軽やかなのがいい。
この映画は、横浜シネマジャック&ベティ(TEL045-243-9800)ほかで9月13日(金)まで上映中。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は中国・フランス合作映画「帰れない二人」を取り上げます。


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