徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

日本にとっての「悪夢」の始まり?!―なすすべもなき政府の過ち―

2015-02-03 19:30:00 | 雑感

イスラム過激派組織「イスラム国」のテロリスト・グループによる日本人人質事件は、拘束していた2人の殺害という、最悪の結末を迎えた。
まことに残忍というほかに言いようのないない悲劇に、言葉を失った。
無念である。
2人が拘束されている間、日本は「イスラム国」とはコンタクトも取れず、結局最後まで手も足も出なかった。

振り返れば、2014年10月後藤健二さんが「イスラム国」の「首都」ラッカを出発し、その後消息を絶ってから、家族のもとには身代金要求のメッセージが届き、外務省、官邸もそれを把握していたといわれる。
それから後藤さんの「殺害予告動画」が流れるまで、かなりの時間があったはずである。
その間、政府、官邸は人質の解放に向けてどんな努力をしてきたのだろうか。
一体、何をしたというのか。
手をこまねいていただけだったのか。

事態が発覚して13日目に、最悪の結果を迎え、安倍首相は「非道、卑劣極まりないテロ行為に強い憤りを覚える」と「イスラム国」を非難した。
それまで日本は昼夜を徹して、どれだけ解放に向けた「努力」をしてきたというのだろうか。
13日間というもの、関係各国、部署とメールと電話のやりとり、会議に終始していたのだろうか。
安倍官邸の中のことは分からない。
メディアが伝えるてくのは、決まったパフォーマンスばかりだからだ。

戦地に赴いて悲劇に見舞われた、ジャーナリストの後藤さんの自己責任を言う人もいるが、官邸の配慮のなさを言う人は少ない。
何故だろうか。
「イスラム国」とヨルダンの交渉はすれ違いのようだったし、この場面では日本は蚊帳の外である。
安倍首相は地球外交と称して、世界50カ国を回り、中東行きを決めたとき外務省は難色を示したそうだ。しかし、安倍首相は有無を言わせず強引に押し切った。
こんな時に世界50カ国を回ってどんな成果を上げてきたのか聞いたこともない。

エジプトで、2億ドルの人道支援を表明したことは、「イスラム国」への攻撃ではなかったかもしれないが、結果的に相手を過剰に刺激してしまったきらいがある。
いや、間違いなくそうだ。
何故そのような演説を、イスラエルの国旗の前でしたのか。
しかも、「テロとの戦いに取り組む」と、イスラエルのネタニヤフ首相と並んで、である。
「イスラム国」と戦う国を支援する意思表示をしたのだから、どう見ても、彼らからすれば敵対心を明確にしたと読まれても仕方のないことだ。
これは、一国のリーダーとしてあるまじき安倍首相の、あまりにも軽率で大きな過ちではないか。
非常識にもほどがある。

まさにこうした行為は、「イスラム国」のまんまと思うつぼではなかったか。
中東情勢を熟知しているはずの外務省は、何を考えていたのか。
この演説の直後、人質2人を殺害しようとする映像が公開された。
何という認識の甘さか。

そして、さらにである。
安倍首相は記者団に発表したメッセージで、「テロリストたちを決して許さない」といい、「その罪を償わせる」と付け加えたのだ>
驚愕である。
何ということか。
アメリカ、イギリスに追随するかのような「宣戦布告」とも受け取れる言葉だからだ。
「罪を償わせる」という言葉を、他国のメディアの翻訳(意訳)するとどうなるのか。
現にトルコでは、「日本の首相、復讐を誓う」という見出しとなって、これが挑発的に伝わらぬわけがない。
ここは、一国のリーダーたる者はもっと冷静にならなければいけない。
あちらでは、あろうことか人質ビジネスが盛んなようだ。
驚くなかれ、とりわけ日本人は極上のうま味があるといわれる。

国会の参院予算委員会でも、こんな時でさえも、政権批判ひとつ出来ぬ体たらくの野党にがっかりだ。
安倍首相は、自分のとった行動が、よもや後藤さんの死を早めたのではないかとは思わなかったのだろうか。
一人無謀の擧に出て「その罪を償わせる」と言って、復讐の鬼と化し、これからまた「イスラム国」の標的となるような振る舞いが、何を醸し出すか知れない。
予算委員会で、反省、陳謝の弁のひとこともなく、彼はむしろ敵意をにじませて強弁であった。
いやいや、何とも不思議な光景であった。
大新聞、テレビなどのマスコミは、いつの間にか政府広報になってしまったのか、ほとんど触れていない。
良識ある一部の憲法学者や有識者が、やはり安倍首相の非を取り上げている。
世界から見れば、日本のテロ対策ほど軟弱でちゃちなものはないそうだ。
冗談ではない。
本当に、日本にとっての悪夢が始まるかもしれない。
怖ろしいことだ。


国会政治の怠慢を司法が断罪するとき―1票の格差、違憲!―

2013-03-29 09:00:00 | 雑感

早くも、桜が散り始めている。
新年度を前に、1票の格差をめぐる、判決が出そろった。
法の下の平等に反すると指摘されながら、国会の対応は「違憲」あるいは「違憲状態」のままだ。
しかも、違憲のもとでの選挙で国会議員が選ばれ、違憲の議会が選んだ内閣が、国会の進むべき道を決めてきたのだった。
いまの国会議員は、正当に選ばれた国会の代表者なのだろうか。
国会の代表者とは何だ。
民主主義といい、国民主権といい、法の支配といい、一体何なのだろうか。

国会というところは、何をしているところなのだろう。
与党にしても野党にしても、どうすることが自分たちに有利になるか、どうすれば政局の主導権を握れるのかと、そんなことばかり考えているのではないか。
そんな国会政治に、司法が断を下した。
このことについて、司法はおかしいのではないかと、たてを突いている政治家(政治屋)がいる。
議員である前に、何故議員として選ばれたかを考えてみるがいい。
政治に参加するそのスタートラインから、基本を間違えている。
何ということか。
日本の政治の異様な構図が見えてくる。情けない限りだ。

議員一人当たりの有権者数が、選挙区で異なるため、1票の価値に不平等が生じるのだ。
これまで最大格差4.99倍だった1972年と、4.40倍だった1983年の衆院選を、最高裁は違憲としたが、「事情判決の法理」とやらで選挙自体が無効とする請求には踏み込まなかった。
しかし、今回の広島高裁の判決は、猶予期間を設けない「違憲、選挙無効」の判決だった。
こうした衆院選の格差訴訟の経過を見ると、何と40年間も、こんな大切なことをほったらかしにしてのうのうと選挙をやって来たのだ。
高裁判決、してやったりだ。

国会議員というのは、どこまで鈍感なんだろう。
貪欲な党利党略が絡み、国会での議論は堂々巡りで、やるべきことをできない政治家(政治屋)ばかりが、偉そうに跋扈している。
「センセイ、センセイ」とちやほやされて・・・。
しかしやっていることを見ると、おのれの保身と権力の上に胡坐をかく、怠け者の集団とみられても仕方があるまい。
この際遅きに失したが、選挙のやり直しを求める「選挙無効」の判決こそ、司法の厳然たる正しい判断ではないか。
国会の、あまりにもずさんな怠慢政治に対する、これこそ歴史的な司法判断だ。
最高裁が、こうした異常な状態を「違憲状態」だと判断していたにもかかわらず、国会は何ら手を打たなかった。
司法を甘く見るべきではない。
政治家よ奢るなかれ、である。

そして、憲法違反のこんな国会政治を容認してきた、歴代内閣首相をはじめ、怠慢国会議員たちには何も責任がないのか。
今回の広島高裁の「違憲、無効」の判決が、この後最高裁で確定したら、当然選挙はやり直しだ。
そうなれば、いまの安倍首相を選んだ首班指名も無効になる。
最高裁の判決いかんでは、もちろん訴訟になっている31の選挙のすべてが無効となり、議員は失職し再選挙ということになる。
さらに、これが確定すれば、日本が法治国家である以上、昨年12月以降に成立した予算、法律もすべて無効となり、首班指名も日銀人事もやり直しとなる。

正当性のない国会議員が、勝手に法律を決めて国を動かしてよいはずがない。
いま安倍首相は、しきりに改憲を叫んでいるが、憲法違反の中で選ばばれた国会議員が憲法を変えようなどと、憲法論議をしようというのだから、実に愚かで、ナンセンスだ。
憲法違反の国会が、勝手に法律を決め国を動かす政治を、民主主義といえるのだろうか。
日本の政治は、とてつもなく異様だとしか言いようがない。
国会は、司法の判断を厳粛に受け止め、一日も早く違憲状態から脱し、選挙制度を作り直し、怠慢政治を深く反省し、全く新しく出直すべきである。


いまの学校教育の現場に体罰は必要ない

2013-01-29 09:00:00 | 雑感

寒さ厳しい毎日が、続いている。
こう寒いと、春が待ち遠しい。
といっても、気象庁の予報では今年の春の訪れは少し遅くなりそうだ。

世の中、いろいろと騒がしい。
大阪の桜宮高校バスケットボール部の主将の男子生徒が、体罰を受けた後に自殺した問題は、大変衝撃的な出来事だった。
この男子生徒の父親は、体罰を与えた顧問の男性教諭を、暴行罪で告訴するという事件にまで発展した。
父親の気持ちは、察するにあまりある。

男子生徒の自殺は、見方を変えれば、これは他殺ではないかという人さえもいる。
このような体罰は、まだまだ氷山の一角で、全国いたるところで行われているといわれる。
何故このようなことが、当たり前のように容認されてきたのだろうか。

元プロ野球の桑田真澄投手は、自身、中学まで毎日練習で殴られた経歴を持っているが、そうした「服従」で師弟が結び付く時代はすでに過去ものとなっていたのではなかったか。
子供の自立を促すためには、、体罰はその成立の芽を摘み取りかねないと指摘する、桑田氏の言に賛成だ。
確かに、とくにアマチュアの世界では、「服従」で師弟が結び付く時代は終わった。

男子生徒の無念さを想うと、胸が痛い。
こうした体罰が習慣的に行われてきたにもかかわらず、知っていて知らぬふりを決め込んできた、学校関係者の常識はどこにあるのか。
怠慢のそしりは免れまい。
それは、まかり間違えば犯罪と紙一重であり、暴行であり虐待であリ拷問ともなり、傷害事件あるいはそれ以上にに発展することもある。

教育委員会は、何のためにあるのか。何のために・・・?
そもそも、学校教育法では、学校現場での体罰は禁止されているのではないか。
いまの教師は、体罰を与えなければ、生徒の指導ができないのか。
そうであるなら、その教師は未熟なのであり、おのれの力量のなさををこそ恥じるべきなのだ。
極言すれば、教師失格だ。お引き取り願ったほうがいい。

教育のあるべき姿とは、生徒たちの夢や希望を育み、将来、社会を担って立てる自立した人間として成長するように導くことであるはずだ。
体罰によって、夢や希望を抱いていた生徒が自殺に追い込まれたとしたら、(事実そうであったが)それは他殺といわれても仕方がない。
密室でしごくことは、生徒たちの真の教育とはなりえない。
体罰を受けている生徒を見る生徒も、辛くてやり切れないと言っている。
いまの学校教育の現場に、体罰はあってはならないことだ。


乱戦!衆院選冬の陣―吹き荒れる木枯らしの中を右往左往する政治屋たち―

2012-12-02 23:00:03 | 雑感

師走に入って、木枯らしの吹きすさぶ、毎日寒い日が続く。
いよいよ、今年も残り少なくなってきた。
今月16日は、気忙しい師走の総選挙である。

民主か自公か、それとも第三極か。
乱立する少数野党は、くっついたり離れたり実に慌ただしい。
政界の魑魅魍魎たちは、がさごそと音を立てて、あっちだこっちだと右往左往である。
この離合集散から、何が見えてくるか。

突如として現れた「日本未来の党」が、にわかに注目を浴びている。
「卒原発」を掲げているが、「脱原発」と明快に区別できているものではない。
嘉田由紀子代表は、小沢一郎氏率いる「国民の生活が第一」と合流した。
マスコミはいろいろととやかく言うが、政策面で大筋が一致するのであれば、合流大いに結構なわけで、国民には解りやすい。
「日本維新の会」や「太陽の党」(のちに解凍)やらの、小異を捨てて大同につくというのとは、慌てて公約を訂正するようで意味合いがかなり違う。
それは、勝手な変節というものだ。

民主か自公かの選択肢しかない時代は、終わっているのだ。
これからは、「未来」か「維新」かといっても過言ではない。
選挙民は、何を信じ、どの党を信じればいいのだろうか。
どの党も、勿論異説を掲げる党もあるが、公約ではおおよそ似たようなことばかりが並んでいる。
これでは、公約といっても、解り難い。
都合の悪いことには触れず、肝心のことはあいまいに濁した表現になっている。
どこまでは本音で、どこからが立て前か、論理の真贋を見極めるのさえかなり難しい。
後になって、いくらでもいいわけができるからだ。

実際、どの公約が信用できるかもわかり難い。それが一般の見方だ。
となれば、選挙に際して、候補者の人物像を知らなければ、どうしようもない。
ところが、これがまた厄介だ。
その人間を知るというのは、とても大変なことだ。重要なことだから知りたいのだ。
それを誤るから、とんでもない政治が行われる。
事実、これまでがみなそうであった。
候補者選びを、愚かな私たちが間違っていたのだ。人を見る目がなかったということだ。
だから、政策はチャンポン、候補者はジャンケンポンだなどと、何をほざいている!なんて言うことになる。
民主も自公もどちらも駄目だとなると、結局ぐちゃぐちゃになってゆくというのか。
どっちにしたって、今度の選挙は大変な選挙になる。
その結果いかんで、戦後の日本の民主主義のありようが問われるし、大きな意義を持つことにもなる。

長かった自民党支配で腐敗しきっていた、政官界の癒着、利権の構造を絶つのだと意気込んだ民主政権も、何のことはない、ふたを開けてみれば元の木阿弥、自民に戻ってしまったではないか。
民主政権は、官僚主導を打ち破るなんて、手も足も出なかったのだ。
政権交代とは、いったい何だったのか。
政治の愚かさ、無能に泣く庶民こそ哀れである。
嘘つき、居座り、裏切り、それが、いまの政治の誤れる常道だから、呆れた話だ。
国会に就職しようとする政治屋は多くあれど、いまだ真の政治家がいないということだ。
何故ならば、真の政治家たるものは自分の利害得失を顧みずに、天下国家のためにおのが身を捧げる人を言うからだ。

「日本未来の党」の嘉田由紀子代表が、10年後の「卒原発」を打ち出すと、一方の「維新の会」は、エネルギー政策について、フェイドアウトなどと何だか意味の解らぬ言葉に自説をトーンダウンした。
公約の文言ひとつとってみても、他者の後を追い、追加し、訂正し、突然削除する。約束は破られる。
これも変節ではないか。
選挙も政治の始まりも、確かな哲学と理念があるなら、したたかであっていい。
政治は、大ナタを振るってこそ、改革につながる。
そういう、覇気と勇気と英断を持つ政治家のいないことが、いまの日本の最大の不幸である。
日本はどん底にある。

来たるべき総選挙では、どの党に、誰に、一票を投ずるか、よく考えて投票しないといけない。
どうしても、選ぶべき党もない、候補者もいないとなったら、どうしたらいいか。
選挙を棄権することは、避けるべきだ。
なすすべなく、その場合は、あまり勧められないが、白票でもいいから投ずるべきだ。それでも、まだ棄権するよりはいい。
・・・師走の風が、身に沁みる。
吹き荒れる木枯らしの向こうから、どんな日本の未来が見えてくるか。
ここにきて少しだけ、政治が面白くなってきたか。
しかしこれから、まだまだ、一波乱も二波乱もある。
風雲急を告げる、冬の陣である・・・。


粗製乱造内閣から在庫一掃内閣へ―いよいよ民主政権末期の予兆が?!―

2012-10-05 17:00:00 | 雑感

天高く馬肥ゆる秋、いよいよ秋本番だ。
世の中、何があろうと、ただ時だけは慌ただしく過ぎてゆく。

野田政権発足1年、また目まぐるしく閣僚が変わった。
これまでも、粗製乱造、たとえば少子高齢化対策担当大臣は、民主政権となってから3年半で10人(!)も交代している。
こんなことが、何故、平然とまるで慣例のように行われてきたのか。
このことが、即政権の弱体化(もともと弱体なのだが)でないと、誰が言えるか。

野田第三次改造内閣は、在庫一掃内閣(通称破れかぶれ内閣)だ。
え~っ、「論功行賞内閣」なんていうものではない。そんな言い方はやめてもらいたい。
人気凋落、明日をも知れぬ内閣にあって、議員たる者は、たとえ一日でも大臣の椅子に座って箔をつけたいのだ。
何しろ大臣ともなれば、美味しい特権がぞろぞろあるのだからこたえられない。
そこをねらって、誰もがあの手この手でしのぎを削るのだ。
何とあさましい世界か。

しかも、何ですって・・・?
新閣僚の法の番人たる田中法相に、発足早々政治資金規正法に抵触する疑惑が発覚し、法相に続き樽床総務相にも怪しい献金疑惑が発覚した。
出るわ、出るわ、どんな事情であれ、お粗末きわまりない。
居直りなどせずに、さっさと辞任し、ぼろぼろ内閣は総辞職か、解散すべきだ。
この政党も、一体何をやっているのだ。
誰でもはたけばほこりぐらい出ると、たかをくくっていれば済むという問題ではない。
ゆるみきって、腐りきった体質の政治屋もどきの言い訳など、聞きたくもない。
「論功行賞」が聞いて呆れる!とんだ「論功行賞」だ。

いつも言うように、政治家とは名ばかりで、ほとんどの国会議員が政治家ならぬ、八百屋さんや魚屋さんと同じ政治屋さんなのだ。
とてもとても、天下国家のために、自分の身を賭してまでという、手合いではない。
今や、そんな律儀で清廉潔白な政治家は、どこを見ても見当たらない。
どうしようもない、嘆かわしい世の中だ。
選ばれた国会議員のひとりひとりが、一体何をしたいのか。
今まで何をしてきたか。
振り返れば、一国の総理からして、大言壮語、言うだけは立派だが実行力に全く乏しい。

国民の意見に、謙虚に耳を傾ける議員も少ない。
要職につけばつくほど、その傾向は強いように思える。
何のため、誰のための国会議員かということになる。
虚言妄言が多く、いつも人をだまし、それだけでも悪辣この上ない。
調子のいいことばかり言っている。
弁舌がどんなに爽やかであろうと、上手であろうと、そういう人ほど信用できないものだ。
口先では、何とでも言える。
危うい表現はすべてごまかし、後からどうとでも取り繕えるようにようにしている。

衆議院の解散も、「そのうち近いうちに・・・」だ。
言っている本人は、任期満了までと思っているらしい(?!)から、驚きだ。
日本人なのに、日本語をまともに使える議員が少ない。
詭弁を弄する人間の、何と多いことか。
誰も信用できないし、政治も信用できない。
哀れなのは、国民である。

福島は、復旧、復興の目途もたたない。
原発は、再稼働、再建設へと進み始める。
止める気などさらさらない。
政府の国民無視の方針に、怒り心頭だ。
何を訴えても馬耳東風、泣こうが叫ぼうが一切お構いなしである。

沖縄のオスプレイ配備にしても、あれほど地元が反対している中で強行した。
安全確認も十分でないのに、安全は確認できたといって・・・。
ふざけるなと言いたい。
担当大臣も政府の犬みたいだし、結局はアメリカの言いなりだ。
沖縄の人たちが、本土を恨むのももっともだ。
独立国家なのに、アメリカの属国みたいに日本中に米軍基地があるなんて・・・。

いつでもどこでも、民意は二の次である。
誰のための政治か。いや、政治が機能していないということだ。
政府の強引すぎる政治手法が、目に余る。
これで、日本は民主国家といえるのだろうか。
民主党は、まるで第二自民党ではないか。

衆議院を近いうちに解散すると言っておいて、野田首相にはそんなそぶりも見えない。
みんなペテン師の一族か。
国民は騙されてはいけない。
偉そうな顔をした、口先ばかりの嘘つきたちが、永田町の赤絨毯の上を、我が物顔で跋扈している。
与党も野党も、みんな同じだ。
昔も今も・・・。
何にも変わっちゃいない!
何にも!

いずれは総選挙が行われ、どの党も過半数を獲得できないといった状況は、十分考えられる。
また自民政権に逆戻りするなんていうことを予想して、国会は何やらがさごそと慌ただしい。
新内閣の顔ぶれといい、自民総裁選の顔ぶれといい、新味も覇気も感じられない。
毎度繰り返される、茶番劇である。
苦労知らずの二世三世や、理屈ばかりこねている松下政経塾出身者らの、散々見飽きた顔の政治屋たちだ。
彼らは、いつも独自の(?)主義主張をお題目のように、機械的に唱え続けてている。
いかなる事情であれ、自ら退場した舞台へ再登壇した元首相の良識も疑う。
あれやこれや、あいも変わらず、それをマスコミがちやほや煽り立てている。
この国は、どこかおかしい。
どこか狂っている。

そもそも、「国民の生活が第一」を掲げて登場した民主政権は、一体何をやったのか。
やろうとして出来なかったのは、やらなかったことと同じだ。
国民の期待を見事に裏切った、民主党の変節、変質、無能に、国民は怒っている。
確かに、長い自民政権の負の遺産をいやがうえにも引き継がされ、与党経験のない民主党政権にはこの荷はいかにも重過ぎた。
一国の政権を完全に担うには、それなり時間も必要だが、時計の針はまた逆戻りするのか。
これからも、まだ当分(?)は何もできない無能政権が続いて、来たるべき総選挙後の政界は、大混乱となるだろう。
そして、国民の生活にも、間違いなく、先行きの見えない未曾有の混乱が始まることを、いまから覚悟しなくてはならない。
この国の政治には、ほとほと愛想が尽きるが、選挙で誰を国会へ送るかは、有権者の一人一人がよくよく考えないと・・・。
いよいよ、民主野田政権末期の予兆か。


暮らしの重さずっしりと―ついに消費税増税法案成立―

2012-08-11 20:15:00 | 雑感

あれほど喧しかった、「ゾウゼイ、ゾウゼイ」の声は、すっかり鳴りを潜めてしまったようである。
様々な課題を残したまま、増税法案は成立した。
そう、国民の目から隠れた密室で、与野党三党談合の末に・・・。
増税論争で国民世論は二分され、国民生活より国家優先というわけだ。
そうなのだ。
国民生活など、二の次、三の次といった、可笑しな政治の世界には呆れるばかりだ。
こんな田舎芝居に、誰も腹を立てないのだろうか。

内閣不信任案など、野党の自民党は、最初から提出する気などなかったのだ。
三党談合体制には、どうにも納得がいかない。
衆議院解散を迫りながら、その時期を「近い将来に」と言った民主の提案を蹴っておきながら、自公民の三党首会談では「近いうちに」で合意した。
どちらも、同じような意味ではないか。
受け止めた言葉を「重い言葉だ」と言いながら、意味不明な釈明に思わず首をかしげたくなる。
政治家(政治屋)は、日本語を知らないのか

デフレ下での増税は、とにかくまともではない。
こういうときの消費増税は、間違いなく、景気には大いにマイナスだ。
国民の大多数の反対まで押し切って、野田内閣はそれを強行した。
2014年4月から、段階的に最終的には10%まで引き上げられる。
当然、政府は税収増を見込んでいるから、一部が公共事業へ転用される恐れありだ。
つまり、政権交代で止まっていた大型公共事業が、また相次いで復活するのだ。
民主、自民、公明の三党は、公共事業を増やせと、手ぐすね引いて待っている。
何ということだ。冗談ではない。

政府は、二言目には社会保障の充実のためというが、その道筋は見えてこない。
結局13.5兆円という大増税が、ひたすら私たちの暮らしに重くのしかかってくるだけだ。
そして、家庭や企業、地域に、怒涛のように押し寄せてくることになる。
主婦を中心としたアンケート調査によると、消費税増税について96%の人が生活に大きな影響があると答え、社会保障が充実し安心して生活できると答えた人は、4%に過ぎなかった。
それほど多くの国民が、この法案の成立を歓迎していないのだ。
あくまでも、NO!だったのだ。
家庭はいつだって節約に努めているのに、さらに負担が増え、家計のやりくりは一段と厳しさを増すことになる。

暮らしの負担は、どれほどのものになるのか。
かりに年収500万円の家庭では、年間約33万円の負担増になるはずだ。
高所得者はまだいいが、所得の低い家ほど家計への負担は大きい。
大企業はほとんど影響を受けないからいい気なものだが、中小企業では軒並み倒産が増える。
それこそ壊滅的な打撃を受けることになるし、すでにもう一部では増税前から壊滅状態になっている。
死活問題なのだ。
三党合意など、自分たちの私利私欲、党利党略のご都合主義で、いつも国民は不在だ。
そんな中で、平然と行われる永田町の茶番劇が、日本という国を間違いなく蝕んでいく・・・。
だから、有識者たちまでが、消費税増税法案は天下の悪法だとまで言っている。
時がたち、歴史が、おそらくそのことを証明してくれるのではないか。

不景気な時の増税は、必ずや消費の低迷を招く。
仕事や職場、会社まで、消滅の危機をはらんでいる。
そんなことは、全くの杞憂だなんて言っていられなくなるのだ。
いま、大増税ありきということだが、どういうことかよく考えてみないといけない。
おそらく、この日本の政治は、戦後最大の危機に直面している。
消費税率の引き上げについては、まだ先のことだけれども、その時の政権が判断することになっている。
増税反対の政党が、与党として、増税を阻止することがあるかも知れない。
まあいずれにしたって、一日も早く、こんな先行き不透明な政治状況からは、脱却してほしいものだ。
衆議院解散の日は、そう遠くはない・・・。
次なる政権は、民主、自民、公明の連立政権だとの声もあるが、とんでもない話だ。
政治を、国民の手に取り戻さなくてはいけない。


原発ゼロで暮らしていける日本―何故に届かぬ民の声―

2012-08-07 10:15:00 | 雑感

暑い。暑い。
朝に夕に、間断なく降りしきる蝉しぐれ・・・。
暦の上ではもう立秋だというのに、これが、本当の夏なんだと想わせる猛暑が続いている。
原発事故から早いもので1年5カ月近く、避難者はいまなお16万人いるといわれる。
仮設住宅にいる人たちは、エアコンのあまり効かない、蒸し風呂のような生活を余儀なくされているという。
いまだに、大震災の復興復旧とは程遠い日々だ。
肝心の、国を挙げての除染作業は進んでいるのだろうか。
福島からの、脱原発の声が、政府にちゃんと届いているのかどうかも疑わしい。
福島市のエネルギー政策の意見聴取会でも、誰もが事故で踏みにじられた生活を語り、すべての原発を即時廃止するよう求めている!

政府の「討論型世論調査」によると、7割の人たちが原発ゼロを支持している。
毎週金曜日夕方の、官邸を取り囲む市民団体の脱原発デモは、主催者発表では20万人とも・・・。
それもますます広がりを見せており、これらの民の声に、野田首相は何を感じているのか。
市民団体メンバーとも面会する予定だったが、いまぐらぐらしている国会対応に追われていて、それどころではなくなってしまった。

多くの世論の反対を押し切ってまで、あれよあれよという間もなく、大飯原発だって再稼働させてしまった。
しかも、完全な安全確認のないままである。
そこが問題だ。
・・・にもかかわらず、次に再稼働すべきターゲットに、すでに狙いを定めている。(?!)

原発がなくても、電力は間に合っている。
計画停電もない。企業の操業停止もない。電車も動いている。
電力が足りない足りないとやみくもに騒ぎ立て、国民の不安を煽り立てるなど、もってのほかだ。
政府や電力会社の勝手な事情で、電力不足を過大に喧伝するものではない。
国民ひとりひとりの節電努力で、暮らしへの影響も少なく、この夏を乗り越えようとしている。
原発再稼働についても、政府は「国民的議論」をというが、福島の声や官邸前に集まる人々の声に、もっと謙虚に耳を傾けたほうがいい。
はなから聴く耳がないのか、国民を愚弄するにもほどがある。

何度でも言いたい。
人類は、核と共棲はできない。
人がいなくては、産業は成り立たない。
命と核と、どちらを取るのか。
答えは明らかだ。

枝野経済産業相も、個人の心情で言えば明日にでも原発を全部止めたいと語っている。
原発ゼロでも、生きてゆける暮らし方がきっとあるはずだ。
福島の教訓に学び、これを日本再生の好機ととらえ、節電と新たなエネルギーの創造を真剣に模索する時だ。
広島、長崎の核の悲劇を見るまでもなく、国は二度と福島の過ちを繰り返してはならない。(福島原発事故は人災だった!)

当然のように、野田内閣の支持率は、22%まで落ち込んだ。
民主政権の末期症状もいいところだ。
国民との約束をすべて(?)反古にし、裏切り、大多数の反対を押し切って、消費税増税を強行し、脱原発にまで背を向ける。
野田首相は、国民の多数が反対しようとも、やらねばならぬことはやらねばならないと突っぱねた!
再生の道は遠く、夢は、希望は、悲願は、諦めと、失意と、絶望へと、変わりゆくのか。
人間の良識を超えて、いよいよ狂気と独裁が堂々とまかり通るのか。

この暑い夏、700人を超える国会議員は何をしていますか。
国民から選ばれた政治家(?)全員が、それこそ命がけで、本当に命を懸けて、政治をやってくれていますか。
自分の身を捨てて国のことを考える、そういう人、一人としていますか。
国会は、いま何が起きてもおかしくないような、異常なな事態だ。
与野党入り乱れて、大きく波乱含みである。
時の流れは早く、立秋を迎えても、なおこれからも厳しい残暑である。
熱中症には、十分気をつけたい。

しかし・・・、人間とは不思議なものだ。
誰とは言わないが、人の見せる穏やかな作り笑顔が、よく注意して見ていると、ときに不気味な悪魔の微笑のように見えたりする。
悪魔のような・・・。


日本勢は本命振るわず伏兵大健闘!―ロンドン・オリンピック―

2012-08-04 11:00:00 | 雑感

毎日、熱戦の繰り広げられているロンドン五輪は、日本勢もよく戦っているが、成績はというと・・・?
マスコミが、金メダル確実などとさんざん煽っていて、それで負けようものなら、国民はがっかりである。
金メダル、金メダルと騒がれているわりに、日本人選手が振るわない。
マスコミの、どこかゆがんだ報道もおかしい。
オリンピックともなると、選手たちのプレッシャーだって、大変だ。

「自分流」を豪語する、競泳の北島康介は敗退して三連覇ならず、初出場の立石諒や入江陵介らが代わって台頭してきた。
世代交代を感じさせる。
しかし驚いたのは、柔道女子の、松本薫がよく頑張ったことだ。
凄い!
さすがに、あの気迫も・・・。
新聞は、「野獣」が世界を制したと報じている。
本当に、この人のあの鋭い眼光は、獲物を狙う野獣のようだ。
それでこそ、世界を制することができた。納得である。
一気に、暗いムードを吹き飛ばし、今大会で日本に初の金メダルをもたらしたのだった。

体操男子団体が振るわなかったのは、内村航平ら、チームを引っ張るべき中心選手の失敗が大きかった。
あっと思うような、まさかの出来事だった。
しかし、内村航平はその鬱憤を払うように、体操男子個人総合の決勝では、ロサンゼルス五輪以来28年ぶりの金メダルに輝いた。
しかも、世界選手権三連覇と五輪の個人総合優勝は、日本人初の快挙だそうだ。
彼の団体戦での不調が、嘘のようであった。

オリンピックには魔物が棲むといわれている。
十分な実力があるとみられる選手でさえ、ころっと失敗する。
オリンピックは、確かに他の国際大会とは全く違うところがある。
大会の雰囲気も特別なものがあるし、五輪期間中に急激に力をつけてくる選手も出てくる。
その上、選手にかかるプレッシャーを思えば、番狂わせがあったって当然だ。
オリンピックもドラマなのだ。
何が起こるがわからない。

日本勢で、今回不振の目立った男子柔道はどうだ。
言い古されてしまった言葉だが、もう日本のお家芸なんて言ってられない。
この競技は、金メダルから遠く見放されてしまったみたいだ。
日本柔道は、古来伝統や礼儀を重んじるものだった。
それが、いまグローバル化の進む世界の柔道から、取り残されはじめてはいないか。
外国の審判員が、どうも機械的な判定を下すケースが多いというのも、日本柔道の技の優劣までは見極めていないからではないのか。
だから、男子66キロ級準々決勝で、みっともない大誤審があったりしたのだ。
当然再判定となり、前代未聞の「旗判定覆し」が起きた。
これまでの、日本独自の「日本柔道」と、五輪で行われている「国際柔道」とは、微妙に違うスポーツになりつつあるということだろうか。

ロンドン・オリンピックの熱戦は、まだまだ続く。
日本勢の活躍にもっともっと期待したいが、精彩のある競技を見せてほしいものだ。
当初、金メダル15個を目標として、100億円以上を戦力強化に投じている(?!)日本としては、下方修正をしなくてもよいのか。
・・・などと、そんなつまらない憶測も、杞憂であってほしい。

それから、これは余談だが・・・。
オリンピック村の日本食に寿司が出ても、わさびと醤油がつかないのだそうだ。
ええ~!、何だいそれは、といいたくなる話だ。
これは、頼りの五輪スポンサーがつかなかったからだそうだが、ちょっとひどい話だ。
それに、食事に関しては、都合が悪いのか、本当のところはあまり報じられていないが、その味についても実際はかなり評判が悪いようで・・・。

ともあれ、オリンピックは、世界のお祭りだ。
盛り上がるのは大いに結構なことだ。
マスコミの悪い体質だが、金メダル、金メダルと、あまり騒ぎたてないほうがいい。
テレビの五輪報道も、NHKはともかくとして、民放は、大衆に迎合したバラエティ路線に人気タレントを動員したりの商業主義で、独自性もない。
こんな時代だから、オリンピックには、誰もが、ひたすら少しでも明るい、いい結果を期待している。
どっこい、まだまだこれから先何が起こるか、目が離せない。


詭弁とまやかしと裏切りの民主政権―その終わりの始まり―

2012-07-15 12:00:00 | 雑感

どうやら、梅雨明けが遅れているようだ。
それでも、昼となく夜となく、降るような蝉時雨である。
そして、その向こうから、重々しい響きとともに聞こえてくるものが・・・。
それは、犬の遠吠えか。
いや、狼の咆哮か。
そうでもない。
では、悪魔の呻きか。
それは、ときに「ゾウゼイ、ゾウゼイ」、またときに「サイカドウ、サイカドウ」と叫んでいるように聞こえる。

民主政権の落城の日が、刻々と迫っている。
政権は、不支持が5割を超えたらもたないといわれる。
野田内閣についての、最近のある世論調査では、支持21%に対し、不支持は60%近くで、これは過去最高だ。
ジリ貧政権の、崩壊の予兆である。

毎週金曜日の夕方、官邸を取り囲む、脱原発を叫ぶデモの参加者は、主催者発表で15万人ともいわれている。
まるで、日本の「アラブの春」である。
それも、毎週確実に続々増え続けている。
一般市民や、子供を連れた母親の姿も・・・。
日本中で、いまのままだと国も生活も滅茶苦茶になるという危機感の、これは率直な現われだ。
国民は怒っているのだ。
怒りの叫びが、首相の耳には入らないのか。

大飯原発を再稼働させた日本の政府は、福島をもう忘れたのか。
大江健三郎氏は、そこに起こったことをなかったことにする、政権の傲慢があるのではないかと論じている。
福島原発を、「人災」とした責任はどこにあるのか。
国は反省したのか。何故、謝罪しないのか。
国民の命をどう考えているのか。
命がなければ、生活もない。

2011年3月を境に、世界は以前の日常と変わってしまった。
それを取り戻すことは、もうできなくなってしまった。
脱原発は、やろうとさえすれば、今すぐにもできる。
それをしようとはせず、再稼働へと舵を切った。
世論に抗い、堂々と(!)背を向ける。
再稼働反対は、全国民の6割近くもあったのに、それさえも無視して・・・。
民の声が届かないのか。

消費税増税法案も、しかりである。
世論が望んでいないのだから、やめてくれと懇願しているのに、敢えて強行する。
いずれにせよ、法案は成立だ。
冗談ではない。
民意無視、世論無視の民主政権は、どっちを向いて突き進んでいるのか。
デフレ長期化の中で、狂気の大増税とは!
消費税だけではない。
10月には地球温暖化対策税、来年1月には所得税増税、個人住民税増税、所得税復興増税と、大増税目白押しのオンパレードだ。
冗談ではない。

小さな商店や中小零細企業は、どんどん倒産に追い込まれていく。
今でさえも消費税を滞納していて、払えないであえいでいるのに・・・。
「消費税増税なんて、とてもやっていけません」と嘆く商店主に、税務署は「じゃあ、そんな商売やめちぇばいい」と、答えたという。
何とまあ!いやはや・・・。
大増税については、大多数の国民が反対しているのに、野田首相は、何が何でも命がけで強行するのだと・・・。
これは、いったい何なのだ。

脱原発しかり、増税しかりなのである。
国民の生活が第一を唱えながら、マニフェストに違反し、ことごとく国民との約束を反古にした野田政権の主張が、正論かどうか、そんなことは子供だってわかる。
2009年9月、やっと政権交代を成し遂げた民主党に、国民は大いなる期待を抱いたが、この、民意に従わなかった現民主党執行部がしたことは、国民への造反でなくて何だというのか。、
よく考えてみると、処分される造反議員を間違えていないか。
いまのような民主党に、国民が政権を託した覚えはない。
公約を守ろうとした人材は、多くが党外に去り、党に残っても発言の機会を失った。

繰り返し言わせてもらうが、消費税増税は国民に対する背信行為だ。
この政権公約を順守しなかったことが、民主党分裂の引き金になった。
今の民主党は、自民党とのコピーでしかない。
何が三党合意だ。
何のことはない。
疑似大連立、そのものではないか。

新聞は、政府広報誌に成り下がり、国民の知りたい真実の情報を流そうとはせず、どこまでも政権政党寄りの記事ばかりではないか。
もう、うんざりする。
新聞て、何なのだ。
テレビもまた、然りである。
いい加減にしてもらいたい。

この国難の時、政治は何をしなければならないか。
無為のままに、いたずらに時だけが虚しく過ぎていく。
詭弁ばかりを弄し、まやかしで国民をだまし続けた、裏切りの民主政権の落城が近い。
民主党は、一党をまとめることもできず、分裂し、政党としての存在意識を失くしてしまって、自ら瓦解しはじめたのだ。
この政党は、もはや消えゆく運命だ。
国民の生活は、これからどうなっていくのだろう。
とても、心配だ。
寄木細工で作ったような、自民政権のコピーもどきの、あまりにも幼稚な政権の、確実な終わりの始まりである。
これだけ国民を裏切って、そんな政党に未来はあるはずがない。


<魔女狩り>暗黒の小沢裁判―税金のムダ遣いいつまで―

2012-05-13 19:30:00 | 雑感

長く不毛な小沢裁判に、東京地裁の無罪判決でようやく区切りがついたかと思っていたら、これに対して検察官役の指定弁護士が控訴した。
何とまあ、あきれた話で、もううんざりする。
いま未曾有の国難のさなかで、また政治の混乱が繰り返される。
こんな不毛な裁判を続けていて、誰が得をするというのか。
国民に、どんなメリットがあるというのだろうか。

今回の小沢裁判の控訴には、理解できないことが多い。
二度の無罪判決で、もともと裁判そのものに無理があった。
新しい証拠もなく、検察の捏造による捜査報告書に基づく裁判だった、
検察の不当捜査が、組織ぐるみで行われていたことは間違いない。
民主党の小沢元代表に対する無罪判決は、そのまま、いまや威信が地に落ちた検察に対する有罪宣告だ。
なりふり構わずに控訴を決めた指定弁護士は、事実認定に誤りがあるなどといっているが、その本当の狙いはどこにあるのか。

政治資金規正法違反というが、収支報告書には日付とか金額の間違い程度はざらにある。
報告書の修正だって、去年だけで581件もあったそうだ。
それも、単なる政治資金報告書の記載漏れに過ぎない。
小沢事務所だけが、どうやら大々的な事件にされてしまった感がある。
たかが期日のずれなどちっぽけな問題で、馬鹿馬鹿しいゴミのような話だ。
そんなことで、損をしたとか被害にあったなどという話は聞いたことがないし、国民の生活には何の関係もない。

西松建設事件や陸山会事件にしても、小沢氏関連のゼネコンまで軒並み強制捜査の対象になったが、検察の期待した犯罪は何も出てこなかった。
こんな小沢裁判を延々と継続して、いったい誰が得するのか。
無罪といっても、控訴となれば足かせ状態で、これからまた刑事被告人として生殺しの日々が続くことになる。
小沢氏がもし完全無罪となって暴れられたら、野田内閣や官僚やマスコミが困るというのか。
そんな弱腰でどうするのだ。
マスコミも、自分たちにとって都合の悪い人間はとことん貶めて、抹殺するしかないというのか。
怖ろしい話である。

小沢捜査の端緒となった西松事件にしても、ゼネコンの西松建設から、政治資金献金を受け取っていた政治家は18人もいるそうだし、そのほとんどは自民党議員だ。
それでいて、自民幹事長らまでが、やいのやいのと騒いでいる始末だ。
小沢嫌いで、松下政経塾とか出身の、俗称言い出し番長こと、あの民主政調会長は、裁判は三審制だから最高裁もあると息巻いている。
この人、自分の政治資金規正法違反を棚に上げて、よくそんな偉そうなことが言えたものだ。
ことほどさように、ザル法とまで言われる、政治資金規正法に抵触しない完璧な国会議員なんて、いまどき皆無に等しい。

小沢氏を強制起訴した検察審査会の判断は、妥当といえるのだろうか。
うがった見方をすれば、正義すらもなく(?)指定弁護士が控訴したのであれば、小沢氏が有罪となるまで徹底的に裁判で争うということか。
こんな騒ぎになってしまって、それでもまだ延々と続けるのか。
検察審査会は、そもそもが憲法違反の存在だともいわれる。この制度は、見直さなければいけないのだ。
有罪の判決が出るまで、裁判は終わらないって・・・?。
しかも、このいい加減でデタラメ、不法な裁判に、国民の税金がじゃんじゃん浪費される!
とんでもない話だ。
そして、それを追いかけるマスコミが政治を巻き込んで、また極悪犯罪のように拡大喧伝し、煽り、ただでさえ迷走している政局までが、さらにぐちゃぐちゃになってゆく。

・・・誰にだって、人権がある。
小沢氏がもし完全無罪となったら、著しく政治生命を断たれたその責任は、一体誰が負うのだろうか。
検察によってでっち上げられた、あの村木事件の冤罪と同じように、国家が賠償するのだろうか。
何もかもが、最初から有罪ありきの謀略捜査ではなかったのか。
村木事件と、同じ構図だ。
そんなことは、絶対にあってはならない。
恐怖の謀略である。

それで小沢問題は、なんだかんだと、かれこれもう3年以上も続いている。
しかも、今も、政治的謀略と人権侵害が、白昼堂々と行われている。
これは、まさしく平成の「真昼の暗黒」にほかならない。
捏造検事にお咎めはないのか。
マスコミは罰せられないのか。
司法当局に反省はないのか。
こんな狂気じみた暗黒裁判は、一日も早く終止符を打つべきだ。