徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「クィーン・オブ・ベルサイユ 大富豪の華麗なる転落」―アメリカ人夫妻の苦闘まざまざと―

2014-10-31 05:45:00 | 映画


 アメリカで一番大きい、個人の家を建てようとした夫婦のドキュメンタリーだ。
 いかにもアメリカ的な、波瀾万丈の物語だ。
 しかも、アメリカの大富豪デヴィッド・シーゲルとその妻ジャッキーの素顔に迫った、全編が実話ドキュメンタリーだ。

 ローレン・グリーンフィールド監督は、無一文から巨万の富を築いた二人の成功物語を、二人のアメリカンドリームの実現を描くための完璧な舞台に選んだのだったが・・・。
 好事魔多し、2008年の恐慌以後、彼らのビジネスは財政の困窮により縮小を余儀なくされるに至る。
 夢の世界から、現実世界に舞い戻った二人は、意外な謙虚さと率直さで新しい状況を甘受しようとする。
 彼らの物語は、‘普通の人’の資質で語られることになり、このヒューマンドラマには、誰しもが学ぶべき教訓が提示されているように思える。
 ドキュメンタリー映画としては、異色の作品だ。


リゾート物件のビジネスで、世界最大のヴァケイションカンパニーを設立した、デヴィッド・シーゲル夫妻は、自家用ジェットや特大リムジンに乗って、贅沢三昧の日々を過ごしていた。

2007年代、妻のジャッキーは、デヴィッドより30歳以上も年下の金髪豊胸の美女で、子供8人、使用人19人がいたが、デヴィッド夫妻は総工費100億円を投じて自宅の建設を思い立った。

彼らは、アメリカで最大のホワイトハウスの二倍近い広さの、まさにフランスのベルサイユ宮殿を模した大豪邸を建てようとするが、世界的な金融危機の引き金となったリーマン・ショックの影響で、銀行の融資がストップし、状況は一変する。
デヴィッドの会社は倒産し、資金が続かず工事は中止に追いやられる。
ここに、成功と転落の記録が誕生したのだ。
夫妻の苦闘の様を、包み隠すことなく、ありのままに見詰めたドキュメンタリーである。

夫は必至で再起を図り、家族と自分の生活を守ろうと苦闘する姿が、ありのままに映し出される。
夫妻は飾りのない率直さで、自分たちの日常をさらけ出し、言いたいことを言っている。
使用人は使用人なりに、途方にくれながらも、妻は妻で腰が据わっている。
もともと、無一文からのし上がった夫デヴィッドと妻ジャッキーはめげることもならず、政府の金融政策が自分たち一般人(?)を助けてくれようとしないことなどを愚痴るばかりだ。

一般庶民からは全くズレた感覚を振りまきながらも、ジャッキーの金銭への執着とその反対の無頓着が同居し、とにかくスケールが大きすぎて、ゴージャスな噴飯物とはこのことか。
飽くことのない金儲けであれこれ批判される強欲資産家・・・、ジャッキーはその美貌によって大富豪の地位を手に入れても、40歳を過ぎて衰えが目立つようになり、美容外科の力を借りて豊胸手術も・・・。
貧しい白人女性は異常な肥満体だし、スクリーンから見えてくるのは、病めるアメリカ社会ということか。

アメリカ・オランダ・イギリス・デンマーク合作、ローレン・グリーンフィールド監督のこのドキュメンタリー「クィーン・オブ・ベルサイユ 大富豪の華麗なる転落」は、まともに観ていたら眩暈がしそうなドラマである。
そして、こんなこともふと思うのだ。
事業で成功している時は、どんどん金を使ってくれとばかり、有り余るほどの融資を惜しまないが、一度落ち目になったら最後、なりふり構わず強引に返済を迫り、‘ハゲタカ’に変身するのが銀行ではないか。
人間は、分相応に生きればよいではないか。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「ウィークエンドはパリで」―傷つけあってもどこかで笑いあえる幸せがある―

2014-10-30 18:00:00 | 映画


 夫婦の絆というのは、どうすれば深まり、人生を豊かにすることができるのだろうか。
 異なる世界に住む男女を描いた、「ノッティングヒルの恋人」(99年)ロジャー・ミッシェル監督が、長年温めてきたテーマだ。
 長年連れ添った夫婦の「その後」とは、いかがなものか。

 この映画は、結婚30年の夫婦への讃歌だ。
 自分たちの30年を祝おうと、英国人夫婦が新婚旅行の地パリを再訪する。
 英国流のユーモア精神を奏でるドラマで、甘い観光気分には人生の苦味もありで、人間誰もが抱く老いの先への不安が痛々しく表現されている。
中 高年を主人公にした、ロマンティックコメディだ。






大学の哲学教師ニック・バロウズ
(ジム・ブロードベント)と、中学校で生物を教える妻メグ(リンゼイ・ダンカンは、還暦を過ぎた夫婦だ。
二人は新婚旅行の思い出の地パリを訪れ、高級ホテルや洒落たレストランで楽しい時間を過ごすが、実はニックは直前に勤め先の大学をクビになり、今後の生活が心配でならない。 
その上ニックは、日ごろからくすぶる妻への性的不満も高まって、妻は妻で夫の融通の利かない性格が鬱陶しい。

二人は旅をしながら、お互いの秘密や本音を打ち明け合ううちに、次第に怪しい雲行きに・・・。
そんなときに、人気作家となった学生時代の友人モーガン(ジェフ・ゴールドブラム)と、偶然再会した。
ニックはコンプレックスを感じ、老いゆく自分への懸念が一層高まる・・・。

二人とも人生の岐路に立って、いろいろな問題を抱えている。
パリのレストランを一軒一軒のぞいては、文句を言いながら、やっと満足できる店を見つけて愉しむ。
夫のニックも、妻のメグも、ともに分別と茶目っ気もあって、大人のお手本のようなところもある。
ドラマは軽い喜劇調のタッチから、後半、自分の昔の学生運動に関わった頃の話に及ぶと、厳しい展開になるが、こんなエピソードがこの映画には必要だったのだろうか。
パリのロケーションは大人のロマンティシズムを演出し、ベテラン俳優同士のユーモア満載のかけ合いが
最後まで物語を引っ張っていく。

倦怠の先に待ち受ける離婚の危機さえほのめかしているのに、長年苦楽を共にしてきたカップルならではの、お互いに通じ合う絆も描かれる。
泣き言あり、愚痴ありでも、どこか冷静な目で自分を見ている夫と、ときには辛辣なユーモアで刺激したりする妻もキュートで、イギリス人のインテリ夫婦とはこんなものかと感じ入る。
ロジャー・ミッシェル監督イギリス映画「ウィークエンドはパリで」は、本国では22週にわたってロングランヒットを記録した作品だ。
夫ニックを演じるジム・ブロードベント「マーガレット・サッチャー」11でも高く評価されているし、妻メグに扮するリンゼイ・ダンカン「トスカーナの休日」でおなじみだ。
いずれにしても、キャリアを誇る名優二人のコミカルかつリアルな演技が笑いを誘う作品だ。
ただ、演技は演技でもほどほどが宜しいが・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「リスボンに誘われて」―新しい人生は埋もれた青春の旅から―

2014-10-26 23:00:00 | 映画


 人生は、ふとしたきっかけから大きく変わることがある。
 一冊の書物との出会いから、たまたま影響を受けた一人の中年男の旅を通して、人生を見つめなおすことも・・・。
「 ペレ」(83年)、「愛の風景」(92年)で、カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたビレ・アウグスト監督、退屈な日常生活を送ってきた男のささやかな冒険と、ポルトガルの暗い時代を闘った人々の生き様を重ねて、繊細かつ透徹した映像でこの作品を描いた。
 偶然手にした、リスボン行きの片道切符と一冊の本が、未知の旅へと誘う。

ノ スタルジックな路面電車、急勾配の坂道、石畳の路地裏・・・、ポルトガルのリスボンは郷愁を誘う街である。
 そんな街を、衝動的に列車に乗った男がさまよいつつ、別の人生を見つける物語だ。
 スイスのパスカル・メルシエの書いた、原作「リスボンへの夜行列車」(04年出版)は31カ国に翻訳され、全世界で400万部を突破したベストセラーになった。
 40年前の反独裁政権運動と絡ませて、アウグスト監督がミステリアスに映画化した。

スイスのベルン・・・。
高校教師のライムント(ジェレミー・アイアンズ)は、妻と離婚後、読書だけが生きがいの孤独な日々を送っていた。
ある朝、橋の上から投身自殺しようとしていた若い女性を助けたことから、運命が変わる。
ところが学校の教室で、ライムントが目を離したすきにその女性は姿を消してしまった。
彼女の残した赤いコートのポケットには、一冊のポルトガル語の本とリスボン行きの切符が入っていた。

その本に魅了されたライムントは、衝動的に列車に飛び乗ってリスボンに向かう。
本の著者はアマデウ(ジャック・ヒューストン)といい、独裁政権末期の1970年代のはじめに反体制運動に参加した、貴族出身の医師だった。
ライムントは、哲学的な思想に満ちたアマデウの本を読みながら、彼のことを調べ始める。
やがて、彼の姉や当時の仲間を訪ねて、彼が革命達成の日に亡くなったこと、その間医師として秘密警察幹部を助けたこと、仲間のエステファニア(メラニー・ロラン)との恋をめぐって、親友のジョルジェ(アウグスト・ディールと仲違いしたことなどを知る・・・。

アマデウの昔の仲間をライムントが訪ねて歩く現在と、彼らの証言から描かれる過去を交叉させて、物語は展開する。
そこから、暗い時代に偶々生きた個人の姿を浮き彫りにすると同時に、生き残った仲間が心に抱えた軋轢を解きほぐして、人生を癒やしていく様子を希望とともに見せる。
その一方で、ライムント自身、偶然訪れた眼科の女医マリアナ(マルティナ・ゲデック)と知り合い、アマデウの仲間ジョアン(トム・コートネイ)の姪である彼女と親しくなることで、孤独な心を開きながら自分の人生を見つめなおすのだ。

ドラマのテンポも早く、登場人物たちの関係が、少しわかり難い部分もあるが、しかしよく出来ている。
ビレ・アウグスト監督の、ポルトガル・ドイツ・スイス合作映画(英語版)「リスボンに誘われて」は、現在と過去を巧みに重ね合わせて、見ごたえのある映像世界を作り上げている。
謎解きのように、過去を遡っていくくだりはやや単調だが、ミステリー仕立てのドラマは人生の機微をいっぱい散りばめていて、一気に終盤へと向かう。
若い世代に、政治活動や情熱的な恋に身を捧げた彼らの生き様は、主人公にも新たな人生の旅を促し、人生の踊り場で大人が感じ入るファンタジーのような作品だ。
この映画のラスト、プラットホームに立つ主人公に、新たに何かが起こりそうな予感も・・・。
いい映画だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

 
    **** 追  記 ****

『没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭』のこと

 
 1950年代後半、ジャン・リュック・ゴダールらとともに、ヌーベルヴァーグの一員として映画の世界に革命をもたらした、巨匠フランソワ・トリュフォーの珠玉の作品群(全16作品)が、横浜シネマジャック&ベティで一挙上映されます。
11月1日(土)~11月21日(金)まで3週間、連日1日2回の上映で、初期作品「大人は判ってくれない」(1959年)、「憧れ」(1957年)をはじめ、「終電車」(1980年)、「隣の女」(1981年)など、どれも見落とせない垂涎の傑作ぞろいです。
トリュフォーが不幸な少年時代を送りながら、やがて映画と出会い、彼がすべてをかけて作られた奇跡の作品群は、フランス映画を語るうえで欠かせないものばかりです。
多分、こんな機会はまたとないことでしょう。









映画「蜩(ひぐらし)ノ記」―人と人とが育む絆から生まれる清廉な愛のかたち―

2014-10-23 21:00:00 | 映画


静かな時代劇である。
原作は、葉室麟直木賞受賞作だ。
巨匠・黒澤明監督「赤ひげ」の感銘を受けて弟子入りした小泉堯史監督が、映像化した。
「雨あがる」(00年)、「明日への遺言」(08年)小泉堯史監督が、不条理な運命をけなげに生きる人々の姿を、清冽な美しさで描いた。

日本の原風景である四季折々を美しく、その自然の中で丁寧に撮影された映像には、現場の豊かな時間がにじみ出ている。
人と人との愛には、様々な形がある。
夫婦愛、家族愛、初めての愛、師弟の愛・・・、それらを描いて、この時代劇には本物の香りが匂い立つ。
人情の機微を浮き彫りにして、計算され尽くした場面を重ね合わせて、愚直なまでに筋を通して生きた人間の美しさを、日本映画の粋を集めて描き出したと言える。
時代劇としてはもちろん、もしかすると今年屈指の日本映画かもしれない。



                            
郡奉行だった戸田秋谷(役所広司)は、藩主の側室と不義密通及び小姓も斬り捨てたことにより、10年後の切腹と、それまでの間に、藩の歴史である、藩主三浦家の家譜を編纂して完成させるよう命じられる。

それから7年後、刃傷沙汰を起こしてしまった檀野庄三郎(岡田准一)は、家老・中根兵右衛門(串田和美)の温情により切腹は免れたものの、幽閉中の秋谷の監視役を命じられる。
監視の内容は、藩の秘め事を知る秋谷が、7年前の事件を家譜にどう書くか報告し、もし秋谷が逃亡の素振りでも見せたときは、妻子ともども始末せよというものであった。

編纂途中の三浦家家譜と『蜩ノ記』と名付けられた秋谷の日記には、前藩主の言葉を守って事実のままを書留め、切腹の時が迫りつつも、誠実に編纂の作業と向き合い、一日一日を大切に生きる彼の姿があった。
庄三郎は、そのことに感銘を受ける。
そして、7年前に一体何が起きたのか、事実の真相を追ううちに、次第に秋谷の人間性に魅せられていく。
秋谷に深い愛情と信頼を寄せる妻・織江(原田美枝子)や、心の清らかな娘・薫(堀北真希)らとともに暮らすうちに、いつしか庄三郎と薫との間に恋が芽生えていた。
・・・やがて庄三郎は、不義密通事件が、実はとんでもない冤罪事件であったという真相にたどり着き、その事件の謎を解く文書を手に入れたが、それには藩を揺るがすようなことが書き記されていたのだった・・・。

村の中で居合をしている庄三郎のもとへ秋谷が訪れるシーン、また激しい殺陣のシーンでは3台のカメラをセッティングして撮影するなど、黒澤明監督並みの正統を受け継いだかのような演出が目につく。
実に丁重なつくりだ。さすがというほかない。
秋谷の高潔な人柄に惹かれる庄三郎だが、お家騒動が絡んだ事件の真相をめぐる謎解きを柱にしながら、一日一日を懸命に生きる秋谷の心情を、映画は丹念に紡いでいく。
画面の隅々まで、一点の曇りもない。
撮影の場所に使われた家の、磨き上げられた柱や床板、小道具や飾り物、ロケ地となった岩手県遠野の自然までが居住まいを正している。

人物描写にも、スキがない。無駄もない。
小説の原稿で言えば、推敲に推敲を重ねた究極の演出を思わせる出来だ。
この抑制のきいた物語も折り目正しすぎて、ときに息苦しいほどである。
登場人物たちのセリフとセリフの間合いも見事で、彼らの所作から静かに伝わってくる日本人の慎ましさや美徳、師となる人との出会い、移り変わる四季の風景の中に、重厚な緊張感も漂う。
確かに、小泉堯史監督作品「蜩(ひぐらし)ノ記」には、黒沢監督のような華やかな活劇の高揚感はないが、その構図や人物の配置、、俳優のわずかな表情や息づかい、動きにまで、繊細な気配りが行き届いている。

さらに、鳥や虫の鳴き声など音声までも、計算されているのには恐れ入る。
夫・秋谷が、切腹のため白装束を炉端で整える姿に織江の見せる切ない表情、秋谷が家老の中根と対峙する場面といい、人物配置への気の使いようとて半端ではない。
無実の秋谷が誠を貫いて、従容として、まるで散策にでも行くかのように死に向かう朝のラストシーンが、印象に残った。
この作品に観る人間の矜持は、現代に通じるものがある。
観て損のない、重厚な時代劇だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


映画「ふしぎな岬の物語」―人間味あふれる人と人の絆の大切さ―

2014-10-21 06:00:00 | 映画


 俳優一筋で半世紀を超える映画人生の中で、吉永小百合が初めてプロデュースした作品だ。
 森沢明夫原作「虹の岬の喫茶店」を、「孤高の人」10八日目の蝉」(11)成島出監督が映画化した。
 小さな岬の喫茶店の、店主と客たちの36年の交流を描く、人情物語である。

 人と海と太陽の、穏やかで優しく、温かさに包まれた大人のメルヘンだ。
 モントリオール世界映画祭では、審査員賞特別グランプリに輝いた話題作だが・・・。
 成島監督によると、人と人とが想いを持って「つながる」ことだけが人を救っていくという、普遍的テーマが海外で受け入れられたとその歓びを語っている。
 悲しいニュースや、忙しい現実を忘れて、ゆっくりと人の温かさに触れることのできる映画ではある。




岬の先端にある「岬カフェ」を、夫を亡くした店主の柏木悦子(吉永小百合)が、一人で切り盛りしている。

いつも変わらず美味しいコーヒーと、落ち着いた雰囲気が人気で、岬の村の人たちを癒やしている。
悦子は甥の手を借りて、船で島まで清水を汲みに行き、注文を受けてから豆を挽く。
常連たちは、極上のコーヒーと悦子との会話を目当てにやって来る。

甥の浩司(阿部寛)はカフェの裏手で「何でも屋」を営んでいて、あれこれ悦子の世話をやいている。
自由気ままで破天荒な彼は、時おり自分の感情を抑えきれず、悦子を困らせる。
不動産会社に勤めるタニさん(笑福亭鶴瓶)は、悦子への恋心を抱え、もう30年も「岬カフェ」に通い続けている。
漁師の徳三郎(笹野高史)の常連の一人で、娘のみどり(竹内結子)が都会から帰って来て・・・。

悦子の周りで起こる出来事は、出会いや別れ、災難、ちょっとした諍いもあるが、大きくドラマティックな展開はなく、緩やかに淡々とときにコミカルに、ストーリーが紡がれていく。
登場する人たちは、みんな悦子のことを心から好きになる。
全員が善人だ。
好意の表現の仕方が、人それぞれに面白い。

誰もが誠実で、優しく、お互いに相手のことを気遣っている。
いくつものエピソードを重ねながら、心が温まってくる。
悦子は、母親を亡くした少女を優しく抱きしめ、侵入してきた泥棒にまで天使のような笑顔で接し、明け方まで話し込んだりする。
地元の秋祭りや、花畑の結婚式、その結婚式のバカ騒ぎなど、ドラマの中の浩司の演技にはわざとらしも・・・。

ドラマが優しく楽しめるのはいいとして、現実離れしているのはどうも・・・。
そこがまたファンタジックでもあるのだが、吉永小百合はあまりにも「いい人」過ぎて、人間的な面白さに欠け、物足りない。
ただ、心をいやすだけが物語ではないだろう。
ドラマの中、タニさんは大阪の子会社に出向となり、岬を去る日が訪れる。
徳三郎が病に倒れる。
悦子の失意の中で、彼女の足元が揺らぎ、事件が起きる。
・・・でも、人はきっとやり直すことができる。
その一方で、浩司の新しい恋が始まろうとしている。

人は考え方ひとつで、世の中の見え方は変わってくるものだ。
幸せとは、「なる」ものではなく「気づく」ものだと、原作者の言うように・・・。
総じて、こそばゆい人間模様を、紋切り型のエピソードでつなぎ、多彩な演技陣がドラマを盛り立てている。
これまで120本もの映画に主演してきた吉永小百合は、線が細くどうも一本調子で、一方、笑福亭鶴瓶笹野高史らがいつもながらいい味を出している。
成島出監督映画「ふしぎな岬の物語」は、いい人しか出て来ない物語だ。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点


映画「イーダ」―灰色の社会を背景に人生の真実を探し求める少女の旅―

2014-10-18 20:00:00 | 映画


 私は誰でしょうか。
 私は・・・?
 共産主義だったポーランドを逃れて、英国で活動してきたヴェウ・パヴリコフスキ監督が、初めての母国で、ポーランド社会の抱える闇と罪を捉えた作品だ。
 基本的には、ポーランドを舞台とする旅のお話(ロードムービー)である。

 横幅の狭いスタンダードサイズのモノクロ映画は、クラシックなものだが、中身は濃い。
 映像を彩る、光と影、極端に切り詰められたセリフと構図の余白が、主人公の心の内面を象徴するかのようだ。
それは、痛ましくも、私とは誰なのかという究極の問いを見据え て、観客の想像力を刺激する。







1960年代初頭のポーランド・・・。

カトリック修道院で孤児として育てられた、見習い尼僧のアンナ(アガタ・チュシェブホフスカ)は、それまで存在さえも知らなかった叔母のヴァンダ(アガタ・クレシャ)のことを知り、彼女に会いに行く。
アンナはそこでヴァンダに、「なたはユダヤ人で、本名はイーダ」と告げられる。
それは、衝撃の事実であった。
二人は、イーダの両親の死の真相を探るべく、旅に出る・・・。

このポーランド映画「イーダ」で、主人公たちの旅を通して浮かび上がるのは、ポーランドにおけるユダヤ人迫害などの、複雑な歴史的背景だ。
ひとりの少女の成長ならぬ変容ぶりが、厳粛にかつ劇的に表現されている。
過酷な運命と歴史を見据え、深遠な想いを内に秘めたイーダを描き切ることで、彼女の危うく揺れる心情を炙り出している。

このドラマには、正義とは何か、国家とは何かといった、重い問いかけが潜んでいる。
正直言って、地味で淡々とした暗い物語だ。
物語自体は実ににシンプルで、込み入った複雑なプロットもないし、むしろ簡潔すぎてわかりやすい。
セリフが少なく、静かに場面が綴られていく。
観ていて、じんわりと来る感じの映画だ。

主演の少女、1992年生まれのアガタ・チュシェブホフスカは、ワルシャワ大学で文学と哲学の歴史を専攻したが、ワルシャワのカフェで座っているところを、女性監督のマウゴジャタ・シュモフスカが目にとめ、友人のパヴリコフスキ監督に連絡したのがきっかけとなって、「イーダ」の主演に抜擢されたのだそうだ。
映画界にはまったくの素人で、本人は、今後女優としての活動を続けるつもりはないと語っている。
大きな目が印象的な、寡黙な少女を演じるその純真さが、純真なるがゆえに、痛々しい哀しみにあふれている。
しかし、パヴリコフスキ監督の眼差しは優しく穏やかである。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点


芸術の秋―モントリオール交響楽団演奏会―

2014-10-15 05:30:00 | 日々彷徨


 深まりゆく秋・・・。
 芸術の秋である。
 音楽も素晴らしい芸術だ。

 ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団のコンサートを楽しんだ。
 よこすか芸術劇場は、ずいぶんと久しぶりの気がする。
 ファン・ダリエンソタンゴに酔いしれた、あの時以来ではなかろうか。
 だとすれば、もう10年以上は前のことになる。

 この日の演目はオール・ラヴェルで、ダフニスとクロエ」交響的断章、「マ・メール・ロワ」組曲(美女と野獣の対話など)ラ・ヴァルス」それから、もう馴染み深い「ボレロ」と、アンコールを入れて2時間20分の公演だった。
 初めての曲もあって、思わず聴きほれた。

 さすがにオーケストラを聴く醍醐味は、生演奏に限る!
 この楽団は今年創設80周年で、「フランス以上にフランス的」と称賛されるオーケストラだ。
 その色彩とリズムにあふれたダイナミック・サウンドは、華麗で優美、研ぎ澄まされたシャープな演奏は、心に響いていつまでも余韻が残った。
舞台狭しと100人近い団員で構成されるオーケストラは壮観で、そのサウンドとなれば素晴しいのひとことに尽きる。

 本当にたまたま、S席13000円のチケットを幸運にも無償で手にすることが出来て、この上ない至福の時を過ごした秋の日でした。
 いやあ、ときにはクラシック音楽にどっぷりなんていうのも、悪くない。
 まことに結構なお味で・・・。


映画「舞妓はレディ」―苦難にめげない田舎娘の花街修行奮戦記―

2014-10-08 16:00:00 | 映画


 舞妓を目指して、京都の花街に飛び込んだ少女の成長記だ。
 ミュージカルシーンを織り交ぜて描いているが、ドラマなのか、ミュージカルなのか。
 どうも中途半端だ。
 本格的エンターテインメントとも言われているが、そうだろうか。
 周防正行監督には、1996年公開の「Shall we ダンス?」以来の娯楽作品になる。

 周防監督の狙いは、そもそもが花街のリアリズムだったようだが、出来上がった作品は・・・?
 タイトルの方も「マイ・フェア・レディ」の本歌取りだ。
 筋立てまでそっくりではないか。
 知られざる、舞妓の世界をミュージカル風に綴る135分は、でも長すぎないか。
 大体、ミュージカルにする必要があるのだろうか。
 花街で育っていく、少女のドラマではいけないのか。



京都の花街・下八軒は、舞妓が一人しかいない悩みを抱えていた。

ある節分の夜、八軒小路のお茶屋・万寿楽に、ひとりの少女・西郷春子(上白石萌音)がやって来る。
春子は、女将の小島千春(富司純子)に、自分を舞妓にしてくれと懇願するのだが、素性の知れぬ少女を老舗のお茶屋が引き取るはずがない。
しかし、そこに居合わせた言語学者と称する京野法嗣(長谷川博己)は、鹿児島弁と津軽弁がミックスされた春子に興味を抱いた。
彼は、老舗呉服屋の社長で北野織吉(岸部一徳)に、春子を一人前の舞妓にするから自分に褒美をくれとけしかける。

京野のはからいで、何とか晴れて万寿楽の見習い(仕込み)となった春子は、花街の厳しいしきたりや唄、舞踊の稽古、慣れない京言葉に戸惑うばかりで、何もかもうまくいかなかった。
芸妓の豆春(渡辺えり)や、里春(草刈民代)舞妓の百春(田端智子)たちが心配して見守る中、舞妓になりたい一心で稽古に励む春子だったが、京野の弟子の大学生・西野秋平(濱田岳)から、「舞妓は君には似合わない」とまで言われ、彼女はついに声が出なくなってしまっていた・・・。

舞台装置は、豪華で贅沢でカラフルだ。
春子の修行の日々は、花街の日常とともに描かれる。
ときに愉快に、ときに艶麗に、そしてまた哀感をこめて、唄と踊りとドラマを見せていく。
苦難にめげずに、ひたむきに頑張るヒロインの姿に元気が出る。

この作品、竹中直人津川雅彦妻夫木聡中村久美岩本多代といった、充実した脇役まで揃えた豪華な役者陣が、もったいないほど賑やかだ。
それにしても、京ことば談義がやたらと多く、わざとらしい講釈、中途半端な歌と踊りと相まって、春子の成長物語にしては単調すぎる。
「Shall we ダンス?」は面白く見せていたが、こちらの作品はドラマとしての盛り上がりに欠け、浮薄で高揚感がまるでない。
したがって、見ている方の満足感などさらさらない。
この世界には、もともと様々な葛藤があっていい。
それだけで十分ドラマになるはずだからだ。

下八軒のセットも大がかりだが、和服に畳で京風ミュージカルとくると、これがはたして斬新か、奇抜か、いや滑稽というべきか。
周防正行監督作品「舞妓はレディ」は、あまりにも‘つくりもの’過ぎて、見ていて嫌になることがあった。
上白石萌音は、800人のオーディションを勝ち抜いたシンデレラだが、16歳の新人ながらの熱演でよく頑張っている。いい度胸だ。
富司純子はあいかわらず存在感たっぷりだし、姉御肌の京ことばにも納得だし、ベテランの風格十分を感じさせる。
映画の中での京ことば談義も結構だが、肝心の俳優陣の京言葉がなってない。
たとえば、草刈民代にしても、おかしな京都弁が気になった。
総じて、この作品を見てのお得感はほとんどなかった。
      [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点


映画「純愛 JUN-AI」―日本と中国に生まれたある美しき絆の物語―

2014-10-05 15:00:00 | 映画


世界が平和でありますように・・・。
そんな想いとともに、人が生きていくための多くのテーマが、この作品には織り込まれている。
たとえば、どこの国に住んでいても、どんな心情や信仰を持っていても、純粋で混じりけのない愛がある。
それは人間であれば、誰もが備えているものだ。

ジャン・チンミン監督のこの作品は、戦争映画ではない。
国境を越えて、実話に基づいて創られた、真実の愛と友情の物語である。
総製作期間8年、このドラマから大きく見えてくるものは、平和のメッセージである。









                           
小学校教諭の俊介(川口恭誉)と保健婦の愛(小林桂子)は、理想の教育を目指して満州に渡った。

1945年、太平洋戦争終結を迎え、日本人の二人は多くの開拓団民と一緒に、中国に置き去りにされる。
結婚式の途中で爆撃に遭い、命からがら逃げてきた二人を、山龍(ポン・ボー)と彼の年老いた母親(チャン・シャオホワが受け入れた。
日本人と中国人の、山龍家での生活が始まった。
はじめは日本人に憎悪を抱いていた山龍も、徐々に心を許していく。
彼らの間に、国境を超えての愛情、そして命を懸けた愛が生まれようとしていた。

村人からも好意の目で受け入れられるようになったとき、俊介は、山龍が愛に好意を寄せていることを感じ取り、冬を前に日本に帰ることを愛に提案する。
二人は山を下り、汽車に飛び乗るが、そこには抗日軍兵士が銃を構えて乗っていた。
身の危険を感じた俊介は、愛に危害が及ばぬように、彼女の手を離してしまった。
汽車から振り落とされた愛の耳に、銃声が響いた・・・。

気を失った愛は山龍によって助けられ、彼女は悲しみを胸の奥にしまいこみ、山龍と老母と3人の新しい生活が始まったが、そのとき愛のおなかには俊介の血を受けた新しい命が宿っていた。
山龍の母が亡くなり、中国の大地で愛は俊介の子を出産し、桂花と名付けた。
山龍は父親役を買って出て、親子としての幸せな生活が始まる。
そして3年の月日が流れたある日、愛と山龍と桂花の前で、思いもかけない運命の出来事が・・・。

この映画は、戦争の悲惨さを伝えるものではない。
無条件の愛がテーマだ。
中国の農民たちの多くは、日本軍に大切な家族の命を奪われていた。
そんな中で、日本人の愛と俊介を受け入れ、家族同然に暮らすというのは夢のような話だ。
その家には、山龍とその老母がいた
日本軍に命を奪われながら、そんな彼らが哀しみや憎しみを乗り越えて、日本人をかくまい養う人がいた。
胸が熱くなる話だ。

・・・しかし、運命とは皮肉なものだ。
こうした物語はとくに新しいものではないが、観ているうちにドラマには引き込まれていく。
現実にあった話だし、ヒロインの小林桂子演技力も確かだ。
思いがけないラストシーンこそ、この映画のクライマックスだろう。
実に、感動的だ。

ドラマのラスト近くで、何と日本人俳優の川津祐介父娘が出演しているとは、妙な懐かしさでもあった。
小林桂子は主に中国を舞台に活躍する女優だが、この作品では製作総指揮とともに脚本も担当し、社会的価値を生み出す映画の上映と交流を、日本各地はもとより世界各地をまたにかけて、精力的に行なっている。
老母役のチャン・シャオホワはもとは京劇の役者で、芸歴50年のベテランで、渋い存在感があっていい。
ジャン・チンミン監督日中共同製作映画「純愛 JUN―AI」は、俳優、アーティスト、映画スタッフにとどまらず、大勢の市民ボランティアの輪が世に送り出した作品だ。
いい映画だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点