徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

文学散歩「江藤淳企画展」―初夏の神奈川近代文学館にてー

2019-05-27 08:30:01 | 日々彷徨


 関東の梅雨入りは、関西より一足早かったようだ。
 横浜の港の見える丘公園は、いま薔薇の花の真っ盛りである。
 その賑わいを抜けて、県立神奈川近代文学館 足を延ばしてみる。

 没後20年になる、評論家・江藤淳展が7月15日(月・祝)まで開かれている。
 江藤淳は慶応義塾大学在学時、「三田文学」に発表した「夏目漱石論」で文壇に登場した。
 その後も 「小林秀雄」「成熟と喪失」など文学評論や評伝・史伝など数多くの研究で、戦後の文壇、論壇に大きな影響をもたらしたことで知られている。














今回の企画展では、 「夏目漱石論」の草稿をはじめ、諸家書簡など多数の資料が展示されており、江藤淳の生涯と業績を振り返る企画展となっている。
展示は、江藤淳の前半生と後半生の二部構成でなっており、第一部での「日本の小説はどう変わるか」の座談会で、文学界」1957年8月号に掲載された写真は壮観だ。
山本健吉、福田恒存、伊藤整、高見順、遠藤周作、荒正人、石原慎太郎、野間宏、石川達三、堀田善衛、大岡昇平、中村光夫ら錚々たる面々に入って、新人の江藤淳の姿も見える。
そういえば、この席で、江藤の私小説批判につて高見順が激昂する一幕があったのだ。
江藤は新人ながら動じずに応酬し、このことは文壇の語り草になっている。

小林秀雄江藤について、一目置いていたことは間違いないと思われるし、後年、妻が病死し、そのあとを追うように本人が自死するという最期は悲しいが、新進評論家としての素養は十分あったといえる。
享年67歳(1999年)は、惜しまれる死であった。
鎌倉幕府が開かれたといわれる、鎌倉市西御門に50歳頃から終の棲家で暮らしていて、鎌倉を訪れたときはその前をよく通ったもので、江藤淳が後々まで強い喪失感を抱き続けていた妻・慶子とともに、彼の生涯が偲ばれるのだ。

6月1日()には社会学者・上野千鶴子氏、また6月8日()には作家で評論家の高橋源一郎氏の講演も予定されている。
そのほか、1階エントランスホールでは、6月16日、30日、7月14日のいずれも日曜日にはギャラリートークも開かれる。(無料)
天気がよければ、イギリス館周辺の満開の薔薇を存分に楽しむことができる。

 次回はアメリカ映画「アラジン」を取り上げます。

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (霜葉)
2019-06-16 16:08:02
江藤淳展 観てきました。昭和50年ごろ「海は甦える」の次巻発行が待ち遠しく、5年くらいかかって全5巻を読んだ懐かしい記憶があります。また昨日「千九四六年憲法ーその拘束」を読み返してみましたが、やはり名著だと思います。
会場に「日本の小説はどうなるのか」座談会の集合写真がありましたが、明治、大正生まれの錚々たる中、江藤順と石原慎太郎の二人だけが昭和7年生まれであり、歴史を感じます。
イギリス館のバラは終わり、大仏次郎館前のアジサイが見事でした。
それにしても慎太郎は中央で腕組みして斜に構えており、不遜な態度で今も変わっていませんね。
顔だちは裕次郎そっくりでした。
霜葉様・・・ (Julien)
2019-06-22 04:57:57
コメントをありがとうございます。
江藤さんの展示は、規模は大きくない企画展でしたけど、なつかしかったですね。
そうでしょうね、薔薇はとうに終わって、今はアジサイですか。
霜葉様、いつまでもお元気で。

コメントを投稿