徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「きみの鳥はうたえる」―過ぎ去りし青春の日の戸惑いは、きらめき、たゆたい、哀愁とともに―

2018-09-17 12:15:00 | 映画


 あれほど暑かった夏がゆき、待ちかねた秋がいま深まりを見せつつある。
 あいつぐ災害で国土が荒れているのは何とも痛ましいが、確実に、美しい季節の訪れである。
 
 佐藤泰志原作の同名小説を、男女三人の恋物語として、三宅唱監督が映画化した。
 今を生きる青春映画である。
 一瞬一瞬が、北海道函館の夏を舞台に愛おしむように綴られる。

 「海炭市叙景」(2010年)、「そこのみにて光輝く」(2014年)、「オーバー・フェンス」(2016年)に続く、佐藤泰志の小説の映画化は4作目だ。
  この作品もそうだが、季節が移ろう際のきらめきとともに、若者たちのかけがえのない青春に、いつもどこか不思議な哀愁が漂っている。
 これは佐藤泰志の作品の特長ではないか。
 地方都市で生活する若者の、一見無為で怠惰に見える日常が、三宅唱監督によってひと味違ったみずみずしさを持って描かれている。
 物語は暗くなく、むしろ爽やかな心地よさに好感が持てる。

函館郊外の書店で働く「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と小さなアパートで共同生活を送っていた。
ある日、「僕」は同じ書店で働く佐知子(石橋静河)と、ふとしたきっかけで関係をもった。
彼女は店長の島田(萩原聖人)とも抜き差しならない関係にあるようだが、その日から毎晩のようにアパートへ遊びに来るようになった。
こうして、「僕」、佐知子、静雄の気ままな生活が始まった。
佐知子と恋人同士のように振る舞いながら、お互いを束縛せず、静雄と二人で出かけることを「僕」は勧めるのだった。

そんなひと夏が終わろうとしている頃、静雄はみんなでキャンプに行くことを提案する。
しかし、「僕」はその誘いを断り、キャンプには静雄と佐知子の二人で行くことになる。
次第に気持ちが近づく静雄と佐知子であった。
「僕」は函館の暑さにじっと耐えていたが、3人の幸福な日々もそろそろ終わりの気配を見せていた・・・。

終わりなき時間には、やがて破綻が訪れるものだ。
若い3人の夜遊びがドラマの基調をなし、自由気ままな彼らの生活も楽しそうだし、生々しい。
三人三様の繊細な感情や複雑な思いが、リアリティのある演技で描かれ、なかなかうまい演出だ。
三人の若者が酒を飲み、踊り、遊ぶ。
その繋ぎ合わせに過ぎないのだが、彼らの中には、こうした映画にありがちな、鬱屈した青春や確執が横たわっているわけではない。

日常生活を送る彼らの心情は生き生きと描かれ、三人の男女の描かれ方も魅力的だ。
男女の心情を、日常のありようを切り取ったように描き出しているなど、新鋭とはいえ三宅監督は三人の若手俳優の好演に支えられて、多彩な一面をのぞかせている。
重々しい格好をつけた台詞はなく、どれも自然体で、アドリブのようにも見え、若者の心情を反映した軽妙でいて深みのある映像世界を作り出している。
1984年生まれの三宅唱監督による「きみの鳥はうたえる」は、夏の匂いを風が運んで来る青春ドラマなのだ。
まあどうということもないのだが、爽やかな珠玉のような作品だ。
ただし、原作をかなり翻案しているので、映画は文学作品とは少し異なったものになっていることを付け加えておく。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「散り椿」を取り上げます。


文学散歩「ノンちゃん雲に乗る~本を読むよろこび~」―没後10年石井桃子展 / 神奈川近代文学館にて―

2018-09-03 10:00:00 | 日々彷徨


 あれほど降りしきる蝉しぐれは止んだ。
 代わって、秋の虫すだく音(ね)が合奏を聴かせる9月となった。
 こうなると残暑の戻りはあるとしても、本格的な秋の訪れはそう遠いことではないかも知れない。
 そうだ。
 そして、芸術の秋、読書の秋だ。

 昭和初期から101歳で亡くなるまで、石井桃子は翻訳家、作家として、児童文学の世界に幅広く活躍した。
 没後10年を機に、今回は本展では、その石井桃子の軌跡をたどりつつ、全てに前向きに、女性として自立の道を開いていった彼女の生涯を展観する。

 創作「ノンちゃん雲に乗る」など、現在も多くの作品が読者に読まれている。
 子供の頃にこの作者に出会った人たちは、きっと幸せな子供たちだっただろうなどと思いながら、筆まめだった石井桃子が知人や友人にあてた多くの書簡類を観ていると、とくに敗戦直後宮城県の鶯沢村(現・栗原市)で土地の開墾作業を始めた様子など、慣れない土地で文化の全く違う人々の中にあって、心身の本当の充実を求めながら、どんなにか苦しい日々であっただろうかと察する。

 






その頃、菊池寛らの知遇を得て、石井桃子独自の透徹した人物の見方を醸成していったことがうかがわれる。
農作業は大変だった。
これには真剣に取り組み、その合間では村の女性に裁縫を教え、自ら内職し、夜は執筆するという、朝から晩まで働き通しだったそうだ。
それだけで現代女性の鏡みたいな人だ。
下草を担ぎ、牛の乳を搾り、戦争直後の農場の仕事は、この作家にとって大きな領域を占め、命がけの挑戦でもあったようだ。
そんな中から、よくぞ実り多い、子供たちのための豊かな文学が生まれてきたものである。

没後10年 石井桃子展」は、神奈川近代文学館(TEL 045-622-6666)で9月24日(月、振休)まで開かれている。
本を読む歓びを伝え続け、そのために101年という生涯を全うした女性の展示会だ。
よく働き、よく学び、よく教え、 「東京子ども図書館」こそが、彼女が若い頃から抱いていた夢を実現したものだった。
「東京子ども図書館」は、石井桃子の事業の一環として今も受け継がれている。

「生涯勉強」というべき石井桃子の老年期が、いかに豊かで実り多き時であったとは次の一文も示している。
「・・・いろいろなことがあった。
 戦争前があり、戦争があり、飢えを知り、土地を耕すこともおぼえ、それから、戦争があった。
 それをみな、私のからだが通り抜けてきた。
 細く長い道があった・・・。」 (「かって来た道」より)
本展関連イベントはすでに終了しているものもあるが、9月15日(土)には「評伝 石井桃子」著者・尾崎真理子氏の講演や、毎週金曜日にはギャラリートークなども行われる。

次回は日本映画「きみの鳥はうたえる」を取り上げます。