徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ある天文学者の恋文」―昔ながらの恋の美酒にも似た大人のおとぎ話―

2016-11-30 18:00:00 | 映画


 甘くほろ苦い、ロマンティックな物語である。
 「鑑定士と顔のない依頼人」(2013年)でも、巧みな語り口で鮮やかなミステリーの手腕を披露した、イタリア名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督の最新作だ。

 天文学者が恋人の行く先々に遺した手紙には、壮大な物語へと導く謎が秘められていた。
 命尽きてもなお、人間の愛は大切な人たちの行く先を照らし続けることができるのだろうか。
 壮大なロマンをここに凝縮して、美しくも切ないミステリー・ドラマの誕生となった。











                                                                                                    
  著名な天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)は、エイミー(オルガ・キュリレンコ)と、教師と教え子の秘密の恋を謳歌していた。
そんなある日、エイミーのもとにエドの突然の訃報が届いた。
エイミーはその現実を受け入れることができない。
だが、彼女のもとにはその後も、エドからの優しさとユーモアに満ちた手紙やメール、贈り物が次から次と届けられた。

エドの遺した謎を解き明かそうと、エイミーは、彼が暮らしていたエディンバラやかつて二人で時間を過ごしたイタリアの湖水地方のサン・ジュリオ島などを訪れる。
そこで、彼女が誰にも言えずに封印していた過去を、エドが密かに調べていたことを知るのだった・・・。

今回の作品も、いくつもの謎をちりばめたミステリーの幕開けである。
主人公エイミーの気持ちや行動を予測しているかのように、不思議なメッセージが彼女を導く。
その謎を追いかけるうちに、エイミーが封印してきた過去は、次第に明らかにされていく。

現代の情報伝達機器を駆使した、結構手の込んだ手法が、このドラマでミステリアスな恋文を描き上げた。
スコットランドの歴史の流れを刻む、エディンバラの街並みや、イタリア湖水地方のおとぎ話に出てくるような、美しいサン・ジュリ島が舞台になっている。
そして、アカデミー賞作曲家エンニオ・モリコーネの優美な旋律に乗せて、自らの余命を悟ったエドが仕掛けた“謎”が次第に解き明かされていく。

宇宙と恋愛を重ねた深遠なテーマだが、たびたび登場してくる主人公のエイミーのスタントシーンとエドの行動は、どういう整合性があるのかわからない。
作品がちぐはぐな印象を受ける。
彼女は、何故研究の傍ら危険なスタントの仕事にのめりこんでいったのか。
死にゆくエドは、自分の病気よりエイミーの心を縛り付けている何かを、過去から解き放とうとしたのか。
そこに、自分より後に残る、エイミーへの深い愛とともに、手紙に残されたエドのかすかな嫉妬を思わせるような描写もあって、その“未練”をあの世から語りかけたのか。
このあたりあくまでも想像だが・・・。

やや出来過ぎの筋書きは、美しい風景と音楽で包むように展開するのだが、理屈っぽいのが難だ。
イタリア映画「ある天文学者の恋文」は、愛の形をミステリーに変えた寓話であり、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が仕掛けた謎解きのドラマである。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はカナダ・ドイツ合作映画「手紙は憶えている」を取り上げます。


映画「ガール・オン・ザ・トレイン」―目撃者の記憶から消えた空白の時間に何があったのか―

2016-11-30 12:00:00 | 映画


 イギリス作家ポーラ・ホーキンズの同名小説を、テイト・テイラー監督が映画化した。
 2015年1月にこのミステリー小説が出版されると、史上まれに見る速さで読者数を伸ばし、世界中で1500万部を超え、発売1週間にして、ニューヨーク・タイムズ紙でベストランキングのトップの座に躍り出たという。

 事件の目撃者が、次から次へと容疑者に変わっていく。
 ロンドンの通勤電車での、作者自身の体験に触発されて生まれたミステリー作品だ。
 ポーラ・ホーキンズの初めてのスリラー小説である。
 映画の方は、酒で朦朧としたヒロインの意識を再現するかのように、現在と過去の映像をどこまでも紡いでいく。







                                                         

愛する夫トム(ジャスティン・セロー)と離婚し、レイチェル(エミリー・ブラント)は傷心の日々を送っていた。
彼女は、毎朝通勤電車の車窓から見える、見ず知らずの夫婦に別れた夫との幸福な日々を重ねていた。
幸せに見える夫婦の住む通りの二軒先には、レイチェルが夫と暮らしていた家があったのだ。
その家では、いま、トムとレイチェルからトムを奪ったアナ(レベッカ・ファーガソン)、それに二人の間に生まれた赤ん坊が暮らしていた。

ある朝、レイチェルは車窓から衝撃的な場面を目撃する。
それは、レイチェルの中で“理想の夫婦”の妻であったはずの女性の不倫現場だった。
彼女の不倫が、かつてのトムの裏切りと重なり、レイチェルは激しい怒りを覚える。
夜、彼女を懲らしめたいという激情を抑えかねて、かつて暮らした街の駅に降り立った。
しかし、その家に向かったところから記憶がなくなり、気がつけば、間借りしている友人のキャシー(ローラ・プリポン)の家で、頭から血を流して倒れていた。
レイチェルは、身に覚えのないけがに恐れおののく。
実は、彼女は離婚と同時に、前後してアルコール依存症になっていて、以前トムの上司の妻マーサ(リサ・クドロー)にひどいことをしたとトムに言われたことがあったが、レイチェルはそのことをぼんやりとしか覚えていなかった。

記憶を失い、けがをした晩から間もなくして、警察がレイチェルのもとを訪ねてきた。
理想の夫婦の妻に見えていたメガン(ヘイリー・ベネット)が失踪したと、夫のスコット(ルーク・エヴァンス)から届けがあったという。
メガンが以前トムの娘のベビーシッターをしていたことから、ライリー刑事(アリソン・ジャネイ)は、レイチェルが何か関係しているのではないかと疑っていたのだった・・・。

失踪した女は死体となって発見されるが、男女の愛憎が引き起こした殺人事件は、謎が謎を呼び、混迷は深まるばかりだ。
過去、現在、現在、過去と時間が交錯する。
この時間の往復に観客は振り回される。
ドラマは二転三転し、終盤まで真犯人を読めない。

ポール・ホーキンズは無名の新人作家だ。
通勤電車の車窓からという設定に意外性を感じる。
日常が非日常に変わっていく転機が、そこにあるからだ。
疑惑を向けられたレイチェルには「空白の時間」がある。
だが、アルコールのせいで自分が何をしたか記憶がない。
彼女はかつて不妊に悩み、アルコールに溺れている。
それで夫のトムは彼女に愛想をつかし、不倫相手のアナと結婚したのだ。
殴られ、蹴られ、アルコール漬けのエミリー・ブラント、けだるい官能をまき散らすヘイリー・ベネット、不倫女レベッカ・ファーガソンと、キャリアにまつわる揺れる心情をリアルに演じた、3人の女優たちのアンサンブルは見事である。

テイト・テイラー監督は、事件に関わる人々の思わぬつながりと秘密を炙り出しながら、まるで場面のひとつひとつがだまし絵のように、見る角度によって全く違う姿を見せる人間の光と闇を描き切った。
アメリカ映画「ガール・オン・ザ・トレイン」は、愛憎の入り乱れるミステリー・サスペンスとしてA級の味わいがある。
一度観ただけでは理解しにくい場面もあり、もう一度見たくなるような映画だ。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はイタリア映画「ある天文学者の恋文」を取り上げます。


映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」―一冊の本を世に送り出すまでの編集者と作家の熱き闘い―

2016-11-26 14:00:00 | 映画


 1920年代と30年代といえば、フォークナーヘミングウェイフィッツジェラルドらを次々と輩出した、アメリカ文学隆盛期だった。
 とりわけトマス・ウルフは、最もアメリカ的といわれる文学を創造した奇才で、37歳でこの世を去ったが、彼を見出したスクリブナーズ社の編集者マックス・パーキンズとの関わりが描かれる。
 奇才ウルフに対して、恐れられる編集者に徹したパーキンズとの知られざる友情秘話である。

 イギリスとブロードウェイの両方において、演劇の世界でも最も尊敬を集めるマイケル・グランデージ監督のデビュー作だ。
 名作誕生の裏側に隠された男たちの、熱き友情と闘いを映し出している。
 実在の名編集者と天才作家を演じるのは、「英国王のスピーチ」(2010年)アカデミー賞に輝いたコリン・ファース「グランド・ブダペストホテル」(2014年)ジュード・ロウで、知られざる偉大な二人の男の葛藤の物語だ。



編集者パーキンズ(コリン・ファース)のもとに、無名の作家トマス・ウルフ(ジュード・ロウ)の原稿が持ち込まれる。
彼の才能を見ぬいたパーキンズは、膨大な枚数の原稿を削除させ、処女作「天使よ故郷を見よ」をベストセラーへと導く。
さらなる超大作に取りかかるウルフを、パーキンズは家庭を犠牲にして支え抜き、ウルフの愛人アリーン・バーンスタイン(ニコール・キッドマン)は、そんな二人に嫉妬する。

こうして完成した、パーキンズに捧げる献辞が添えられた、第二作「時と川の」は一大ブームを巻き起こす。
しかし、パーキンズなしではウルフは1冊も仕上げられないという噂に、ウルフは怒り傷つく。
父と息子のような深い関係を結びながら、波乱に満ちた運命に揺れる二人の友情とはどんなものだったのだろうか・・・。

この作品では、ニューヨーク中の編集者に出版を断られたウルフの原稿を、パーキンズがいかにして輝ける傑作へと変貌させていったかを描きながら、そんな二人が決別することになった真の理由に迫っている。
今でこそ、ヘミングウェイウルフは文壇史に名を残す大家として知られるが、当時はまだ小説の書き方もろくに知らない不届きな若者でしかなかったのだ。

トマス・ウルフは、徹底したパーキンズとの共同作業ののち、彼から離れて、別の編集者、出版社と組むことになるのだが、その経緯はやや複雑だ。
基本的にはウルフが父なるパーキンズから離れ、子として独立しようとしたことか。
父を超える。ひとたび父を超えた子は、時にはやがて父に回帰する。
ウルフが死の床にあって、パーキンズに長い感謝の手紙を書いている。
そして遺言でも、パーキンズを著作権管理者に指名した。
・・・ウルフの手紙を読みながら、パーキンズが初めて帽子を脱ぐ。
マイケル・グランデージ監督イギリス映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」の、感度のラストシーンである。
作品としては、いささか地味な内容かもしれないが・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「ガール・イン・ザ・トレイン」を取り上げます。


映画「アスファルト」―平凡で孤独な日常を過ごす不器用な3組の男女にふと訪れたちょっぴり幸せな出会いとは―

2016-11-23 15:00:02 | 映画


 フランスのサミュエル・ベンシェトリ監督が、都市郊外の団地の住人たちの人間模様を描いた。
 三組の男女に訪れる、思いがけない出会いの物語だ。
 作品は、おかしみと温もりに満ちた群像劇となった。

 ごく当たり前の日常を描きながら、いい雰囲気が漂っている。
 この感覚は、日本人でも理解できそうだ。
 どこか不思議な物語であっても・・・。











                                                         

寂れた団地で、住人たちによる話し合いが持たれていた。

故障がちのエレベーターの交換を住民が賛成する中、二階に住むスタンコヴィッチ(ギュスタヴ・ケルヴァン)は、エレベーターは使わないからと費用の負担を拒否する。
その直後、わけあって彼は車椅子の生活になってしまう。
密かに深夜のエレベーターで外出し、病院の自動販売機で食料を調達するところを、看護師(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)に見つかってしまう・・・。

いつも母親不在の部屋に住む、男子高校生シャルリ(ジュール・ベンシェトリ)は、同じ階に引っ越してきた女が、落ちぶれた女優ジャンヌ・メイヤー(イザベル・ユベールと知り、昔の主演映画を見ているうちに、彼女の抱えている複雑な過去に気づき始めるのだった。

そして、アルジェリア系移民のマダム・ハミダ(タサディット・マンディ)の部屋に、団地の屋上に不時着したNASAの宇宙飛行士ジョン・マッケンジー(マイケル・ピットが飛び込んでくる。
アメリカから迎えが来るまで、言葉の通じない二人は一緒に暮らすことになる・・・。

「愛、アムール」(2012年)、「3人のアンヌ」(2012年)、「間奏曲はパリで」(2013年)イザベル・ユベール自信の出演作だ。
何の縁もゆかりもない人間が偶然出会い、言葉少なに心を通わせていく。
単純な物語が積み重ねられるうちに、人間が人間を思い、他人なしでは生きてゆけない存在だということが、温かい切実な感覚として伝わってくる。

古ぼけた団地を舞台に、年齢や言語、立場を超えた思いがけない出会いとコミュニケーションを見つめた群像劇だ。
日常の風景を淡々と描きつつ、するりと、摩訶不思議な出来事がファンタジックに紛れ込んでくる。
このバランスととぼけたユーモア、何とも言えない温かさ、それでいて登場する人物たちは、それぞれが違う形の孤独を抱えている。
そのじわじわとにじむ、おかしな人情が心にしみる。

サミュエル・ベンシェトリ監督フランス映画「アスファルト」は、特別な見どころがあるとも思えないので少し退屈する。
それでも少し洒落ていて、詩的で軽妙でシンプルなつくりは悪くない。
孤独を生きる6人が、それぞれ自身の物語を語るのだ。
どうして団地の屋上に宇宙飛行士が降って来たのか。
おかしな話は一つや二つではないし、同時に並行する三つの物語が交錯することはない。

鑑賞後はほっこりとした幸福感が残るが、様々な人間が交じり合うことによって開ける未来の可能性ということもあろうか。
そんなことをさらりと感じさせる一作である。
ベンシェトリ監督自身、パリ郊外の団地育ちで、彼の自伝的小説がこの映画の土台となっている。
この映画のラスト、名女優イザベル・ユベールが窓辺にたたずむシーンが美しい。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はイギリス映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」を取り上げます。


映画「ラサへの歩き方~祈りの2400km~」―恐るべし現代の巡礼の虚飾なき旅路の記録―

2016-11-20 18:00:00 | 映画


 ここに虚飾のないドラマがある。
 時間はゆっくりと流れる。

 チベットの村人たちが、「五体投地」という伝統的な巡礼方法で、聖地ラサへ向かう旅を描いている。
 仏教では、両手、両膝、額を地面に投げ伏して礼拝することを「五体投地」と呼ぶのだそうだ。
 ほぼ1年をかけた過酷な長い旅である。
 そんな巡礼の旅を、チベットの人々の現実生活に即して、リアルに丁寧に、胡同のひまわり」(2005年)チャン・ヤン監督が執念で描き切った、中国映画だ。










                                                                                      
チベット東部の四川省に近い、マルカム県プラ村・・・。

父親が亡くなったニマは、叔父ヤンペルの願いを叶えようと、聖地ラサに巡礼に行く決心をする。
二人の巡礼の話を聞いて、隣家のケルサン家の長女ツェリン、その夫セパ、親戚筋の若者2人の5人が参加、さらにはジグメ家の3人と友人が加わり、総勢11名の旅立ちとなった。

村を出てラサまでは1200キロ、マニ車を手に祈りを捧げる老いたヤンペルと妊娠中のツェリンを除いて、一行は五体投地を繰り返しながら、聖地を目指すのだった。
途中、大雨で道が川のようになり、食料や寝具を運ぶトラクターが破損したりと、様々な困難に遭う一方で、出会った人たちの人生の哀歓に触れながら・・・。
ラサに到着した彼らは、さらに1200キロ離れた聖山のカイラス山を目指すのだ。

この物語は、フィクションとして構成されていて、事実フィクションと思いきや、登場人物はすべて実在の村人たちだ。
彼らは、このドラマで自分自身を演じているのだ。
村人たちの実生活まで取り入れて、ドキュメンタリーのような現実味をかもし出し、チベットの人々の信仰と生活感を巧みに滲み出している。
雄大で豊かな大自然に映像とともに、独特の世界が築かれている。
五体投地を繰り返しながら、尺取虫のように、山間の道路を進むロード・ムービーだ。
道路のない最終地点では、山肌を這って進むのだ。

旅の途中で、妊婦のツェリンは陣痛を訴え、病院に運ばれ、男子を出産する。
その子を抱いて、巡礼の旅を続ける。
ケガをした者がいればそこに留まり、回復を待って、また歩き始める。
ひたすら歩く。祈る。眠る。笑う。
このシンプルな行動の繰り返しである。
通過する村々では、日本のお遍路さんのように、住民の親切に感謝する。
激しい気候の高地を行く旅は過酷だが、その献身に報いられる価値があるのだ。
村人はそのことをよく知っている。
現代人が、忙しさの中に忘れているものに違いない。

しかし、中国映画「ラサへの歩き方~祈りの2400㎞~」は驚きの映画である。
フィクションのようでドキュメンタリーのようで、リアルなドラマなのである。
チベットの雄大な風景を背景に、1年以上もの期間を要してその貴重な行程をカメラに収めた、チャン・ヤン監督の執念には頭の下がる思いだ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「アスファルト」を取り上げます。


映画「溺れるナイフ」―目が回って息が止まり全身が震えるほどのしかし壊れやすく直情的で一途な十代の恋愛―

2016-11-16 06:00:00 | 映画


 揺れ動く十代の心情を巧みにとらえた、新たな青春ラブストーリーの誕生だ。
 累計発行部数170万部といわれる、ジョージ朝倉同名コミックを、気鋭山戸結希監督が映画化した。

 若き十代の、切なく、熱く、破裂しそうな心の内面を描いた。
 かつての青春映画が漂わせていた輝きが、いまの時代に甦った。
 定番のラブストーリーとは一線を画した、鮮烈な青春映画の誕生だ。
 中上健次の故郷、紀伊半島熊野の大自然を舞台に、若者たちそれぞれの思いが炸裂し、交錯する。









                    

15歳の夏、東京でティーン誌の人気モデルとして活躍していた夏芽(小松菜奈)が、親の事情で故郷に引っ越してきた。
退屈でうんざりするようなこの町の、神様が住むという入り江で、コウ(菅田将暉)と呼ばれる少年と遭遇する。
誰よりも自由で激しく、全身からオーラを放つ彼は、地元を仕切る神主の跡取り息子だった。
夏芽は、コウの傲慢さに反発しながらも、強く惹かれていく。
コウもまた、夏芽の美しさに自分と同類の“無敵の力”を感じ、二人は付き合い始める。
幸福な日々が続くが、火祭りの日に起きたある悲劇によって叩き潰される。

半年後、高校生となった夏芽はふさぎ込み、芸能界から遠ざかり、コウは荒れた生活を送っていた。
ある日、抑えていた恋しさに突き動かされて、夏芽はコウを追いかけ、自分の思いをぶつけるが、彼は残酷なまでの冷たさで彼女を拒絶する。
コウの親友の大友(亀岡大毅)やカナ(上白石萌音)らに支えられ、笑顔を取り戻した頃、夏芽に映画出演の話が舞い込むのだが、決断しきれない。
夏芽は、もう一度コウに会いたいと願った。
ともに、あの日の悲劇を乗り超え、前へ進むために・・・。

十代の自意識の挫折と、闇から光への再生を描いた、傑作コミックの実写映画化がつに実現したわけだ。
山戸監督は、熊野の土着的な風景を効果的に映しながら、コウとの恋愛や大人たちの薄汚れた欲望に振り回されながら成長する、夏芽の心の内面を丹念に映し出していく。
火祭りの夜に起こった事件で、深く傷ついた夏芽が大友の思いやりで癒やされていく場面など、観ていて切ないものだ。
もう一度東京で輝きたいという彼女の秘めた思いを、揺れる十代の少女の心情を、小松菜奈が若々しい息吹で好演する。

夏芽とコウの出会い、核心を突くような生々しいセリフ、全体を貫く疾走感など、斬新なカットが多く、昨今の手ぬるい青春映画など吹き飛んでしまいそうなエネルギーがあっていい。
主人公たちが海で出会うシーンなど、きらめくような映像も捨てがたいが、一方映画として不自然で稚拙な編集も感じられる。
山戸結希監督映画「溺れるナイフ」は、粗削りな欠点もあるが、二人が愛し苦しむ、その生き生きとした瞬間をとらえた斬新なタッチと鮮烈な感動は、若手俳優陣の溌剌とした演技のたまものだろう。
この映画は、青春映画の潮流を変えてしまうかも知れない
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は中国映画「ラサへの歩き方 祈りの2400㎞」を取り上げます。


映画「イレブン・ミニッツ」―予告も予兆もなく突然飛び込んでくる衝撃の映像が映画表現の新たな地平を切り拓く―

2016-11-12 13:00:01 | 映画


 確かなことは何もない。
 何もないのだ。

 ある一日の午後5時から5時11分までの、スリリングな日常を描いた、リアルタイム・サスペンスだ。
 カンヌヴェネチアベルリン三大国際映画祭主要賞制覇した、ポーランド巨匠イエジー・スコリモフスキ監督の最新作である。
 90年代以降監督業から遠ざかっていたが、2008年「アンナと過ごした4日間」で17年ぶりに監督に復帰し、再び映画の最前線に躍り出た。

 この作品は、ある大都市に暮らす人々の、午後5時から「11分間」をモザイク状に構成した群像劇だ。
 全く無関係に進んでいるかのような各自の日常は、突然連鎖し、思いがけないクライマックスに収斂される。
 それにしても、映画的興奮は凄い!
 冒頭から、あいた口が塞がらないまま結末へ突入するのだから・・・。

ある都市の夕刻・・・。
11分間の出来事が描かれる。
主要登場人物は10人ほどだ。
各々の違った視点で11分間を描いており、気の遠くなるような精緻なパズルの断片を重ねていく。
色っぽい女優(パウリナ・ハプコ)が、ホテルの一室で、映画監督(リチャード・ドーマー)から、怪しげなオーディションを受けている。

この女優を追って、嫉妬深い夫(ヴィチェフ・メツファルドフスキ)がホテルに忍び込む。
ホテルの周囲には、いわくありげな奇人変人が集まっている。
刑務所を出たばかりのホットドッグ屋、麻薬中毒でバイクを飛ばす宅配便の男、質屋強盗を企てしくじる少年、ガスバーナーで超高層ビルの壁を修理する登山家、そして、異常者が暴れる火事現場から、出産間近の妊婦を救い出して救急車で運ぶ救命隊員等々・・・。

金銭欲、名誉欲など、あらゆる欲望に突き動かされた、都会の人間たちの営みが、コマ割りで次々と映し出される。
それに伴って、怒りや嫉妬、恐れや使命感など人間の様々な感情が渦巻いていく。
・・・激しい場面転換の中、見ず知らずの人物たちが次から次へとシンクロしていく。
時間の制約も緊張感を高め、観る者を「これから何が起きるか」と終始惹きつけながら、衝撃のラストへ誘っていくのである。

登場人物たちの物語は、それぞれの人生から切り取られただけで、起承転結などない。
それでも、様々なアングルから撮られた映像と、都会のノイズを強調した音も、力強くダイナミックだ。
不穏な空気の中で、突然衝撃的なクライマックスが訪れる。
一切の理由を配した唐突さだ。
だが、何ともこの暴力的な唐突さが、今まさにリアルなのだ。

登場人物の何人かは、空に奇妙なものを見る。
それが何なのか。
映像はマルチな画面となって、モザイクが核分裂でも起こしたかのように、どんどん細かく分裂していく。
この映像表現の手腕は見事なものだ。
そして、それこそがラストにふさわしい映像であった。
日常が一瞬間で崩壊する、不条理がテーマだ。

カメラ付き携帯、監視カメラ、ウェブカメラは全てをイメージ化してしまう現代を象徴しているかのようだ。
それらの映像は自在に作中に引用され、手持ちカメラのスピーディーな映像やスローモーションと組み合わせた技法が使われており、編集のリズムも変幻自在で、驚きの撮影手法だ。
サウンドも音楽も緻密に計算され尽くされたように、映像の興奮をあおる。

ポーランド巨匠イエジー・スコリモフスキ監督は、人間のあらゆる欲望や感情がシンクロし、絶え間なく変貌していく現代社会を表現しているのだ。
これから何が起きるのか解らぬまま、衝撃のラストへ向かうのだ。
詳細な心理描写も、背景説明など一切を排して・・・。
スコリモフスキ監督ポーランド・アイルランド合作映画「イレブン・ミニッツ」は、悪夢の断片を積み重ねた、超独創的で大胆不敵な隠喩だと見る。
まことに、風変わりな映画である。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「溺れるナイフ」を取り上げます。


映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」―武骨な男の目を通して現代社会の抱える病巣を炙り出した意欲作―

2016-11-10 17:00:00 | 映画



 世界のどこにでもありそうな話である。
 何もフランスにとどまらず、どこの国でも見られる人々の日常ではないか。
 うらぶれても、なお自身の矜持にこだわろうとする中年男を演じる、名優ヴァンサン・ランドンがいい。

 「愛されるために、ここにいる」(2005年)、「母の身終い」(2012年)ステファヌ・ブリゼ監督による社会派のドラマだ。
 フランスでは100万人の観客を動員した大ヒットだそうで、ごく普通のフランス人の生き様が、重い手応えで伝わってくる。













ティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)は、エンジニア筋で働いていた会社でリストラに遭い、職を失った。
何の落ち度もないのに失業したトグルドーの職安通いが始まった。
そんな彼の唯一の救いは、妻と障害のある息子の存在だった。
家族と一緒にいるときは、世間の厳しさを忘れることができる。

そんな彼の最就職先が見つかった。
大手スーパーの警備員だ。
彼はそこで、買い物客だけでなく、自分の同僚たちまで不正をしていないかを監視し、発見した場合は告発しなければならないことを知る。
スーパーの舞台裏で万引きに走る客と、恐ろしいほど精緻に張り巡らされた、監視システムとの必死の戦いが演じられる。
そこには、様々な人間の苦悩が渦巻いていた。
ある日、告発によってひとりの従業員が自殺し、トグルドーは会社側の厳しい対応に疑問を覚えるのだったが・・・。

人間は仕事を与えられて食べさせてもらっている、いわば会社の一部分にすぎない。
それは、いまの世の中の隷従という残酷な(?!)現実で、痛いほどリアルに浮かび上がる。
説明的なセリフは一切排除され、日常の情景がサスペンス映画のように、強烈な緊迫感をたたえている。
主人公ティエリー・トグルドーは、もう全くの無表情といってもよく、しかし自分が社会の犠牲にまでなって、人間らしい生き方を優先させる、そういう誇り高い男、矜持にこだわる男のように見える。

トグルドーは模擬面接で人格を否定されたり、自分の所有するトレラーハウスを安く買いたたかれそうになったり、屈辱的な日々を送る。
貧しさゆえに一線を越えてしまう人々は、自分たちの極限状況を訴え、(許されない行為をしながらも)開き直ろうとする。
それは本当に愚かなことなのだが、そんな中で、主人公がせめぎ合いを感じる観察者の視点を、観客にも共有させる。
憂鬱は深まるばかりだ。
ドラマティックな設定はほとんどない。
それでも、怖いといえば怖い、厳しい映画である。

ステファヌ・ブリゼ監督は、ありふれた光景の積み重ねで、弱者を追い詰めていく社会の仕組みを炙り出すのだ。
出演者は名優ランドンをのぞいて、ほとんど素人だそうだ。
ドキュメンタリー的な長回し撮影の効果に期待が高まり、下流に滑り落ちていく主人公の自尊心が切り裂かれるような前半から、物語の後半は、やっとスーパーの警備員に雇われたことで、そこでは社会の貧困とあえぎが淡々と描かれる。
スーパーの店内に張りめぐらされた、監視カメラの寒々とした映像が、象徴的だ。

ステファヌ・ブリゼ監督フランス映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」は、不条理な社会と人間の尊厳の狭間で苦悩する姿を、ドキュメンタリータッチで描きながら、人間の幸福とは何かを鋭く問うた一作だ。
現代フランス社会の縮図であり、演出も脚本も優れている。
ヴァンサン・ランドンは、この映画の公開のため来日した時、「この作品には現実に起こった真実が描かれている」と語っている。
それをそのまま受け止めたい。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はポーランド・アイルランド合作映画「イレブン・ミニッツ」を取り上げます。


映画「ゆずの葉ゆれて」―激動の昭和を生きた夫婦の絆と別れの時―

2016-11-05 04:15:00 | 映画


 日本では少子高齢化社会が進んでいる。
 深刻な老老介護の問題など、必ず訪れる「老い」と「死」を前に、人はどう向き合えばよいのだろうか。
 いつの時代にも変わることのない、人と人の絆について、ある夫婦と隣家の少年との触れ合いを通じて、児童文学作家佐々木ひとみ椋鳩十児童文学賞受賞作「ぼくとあいつのラストラン」をもとに、神園浩司監督が映画化した。

 本来は故郷に思いをはせて描かれる物語だが、ここでは一人の少年を中心とした成長譚として描かれている。
 映画は小品ながら、人が死ぬこと、残されたものへの思いや、生きることの意味などといった重いテーマを敢えて取り上げ、子供たちから老後の世代まで幅広く共感しうる、ヒューマンドラマになっている。











鹿児島県喜入地区の、自然に包まれたある小さな町・・・。

走ることの大好きな小学四年生の風間武(山崎聡真)は、家族同様に接してくれる隣家のバアちゃん(松原千恵子)から、寝たきりになっているジイちゃん(津川雅彦)を元気づけてほしいと頼まれる。
武が「ジイちゃん」「バアちゃん」と呼んでいる二人は、早くに親を亡くした父の俊之(西村和彦)を支えてくれ、武たちは本当の家族のように思って暮らしていたのだった。

しかしジイちゃんは、その夜に息を引き取った。
葬儀の準備が進む中で、急遽帰郷した娘たちは、苦労ばかりしてきたバアちゃんに同情するが、彼女は「私は苦労なんかちっともしていない」と、ジイちゃんが秘めていた家族への想いを語り始めた。
一方ジイちゃんの死を哀しむ武は、不思議な少年ヒサオと出会い、ある宝物を探すことになる・・・。

ドラマは、激動の昭和を生きた夫婦と少年の思いが交錯し、思わぬに奇跡が起こる。
ファンタジックな要素も取り入れた作品で、今年芸歴55周年の松原千恵子が好演だ。
脚本も手がけた神園監督が、夫婦の単なる愛の物語に終わらせず、より重層的な人間愛への昇華を試みた作品だ。
鹿児島県奄美出身の元ちとせが歌うオリジナル主題歌「君の名を呼ぶも話題になっている。
武役の山崎聡真のほかに、小林綾子、真由子(津川雅彦、朝丘雪路の娘)らもキャストに名を連ねている

ドラマは、近所のおじさんが亡くなって、葬儀が終わるまでの3日間の話だ。
悪い人なんか一人も出てこない。みんな善人ばかりだ。
大きな事件が起きるわけでもなく、葬儀は淡々と進められる。
人が死ぬということから目をそらすことなく、正面からとらえていることに好感がもてる。。
人の死というのは悲しいとも、淋しいという気持ちとも別に、何か大きなものを残してくれるような気がする。
通夜や葬儀のシーンで、重苦しい雰囲気が続くが、そこに漂うほっこりとした感じは捨てがたい。
鹿児島市が全面バックアップした地方発信の映画、神園浩司監督「ゆずの葉ゆれて」には、現代人が希薄となりつつある心の豊かさと、優しさや温もりがある。
幸せを呼ぶ、ささやかな作品である。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はフランス映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」を取り上げます。


神奈川近代文学館にて「安岡章太郎展~<私>から<歴史>へ~」

2016-11-03 18:00:01 | 日々彷徨


 深まりゆく秋の文学散歩である。
 安岡章太郎(1920年~2013年)の生涯と軌跡をたどる初めての展覧会が、神奈川県立近代文学館で開かれている。
 3年前に亡くなった安岡章太郎の回顧展である。
 「悪い仲間」「陰気な愉しみ」(1953年)芥川賞受賞し、「海辺の光景」(1959年)でも高い評価を得て、吉行淳之介、小島信夫、三浦朱門、遠藤周作、近藤啓太郎らを含めた「第三の新人」グループとして活躍を始める。

 安岡章太郎は短編小説を精力的に書いてきたが、それだけでは満足せず、やがて長編小説に向けて筆を進めるようになる。
 その最初の達成が、母親の詞を書いた「海辺の後継」ではないかといわれている。
 後年、作家としての眼を過去に向け、時代と人間の関わりを中心に、たとえば父方の祖先の数奇な運命を辿った「流離譚」(1976年~1981年)などの大作を生む。
 当初「過去」とタイトルをつける予定だったといわれる、安岡家の先祖伝来の物語で1500枚の歴史大作だが、数十センチにもなる原稿が本展で展示されている。
 別の見方をすれば、国事に奔走した安岡家の先祖たちをたどって、幕末から明治に至る土佐、ひいては日本という国家の動向を描いた歴史物語だ。

安岡章太郎は25歳の時、脊椎カリエスにかかり、コルセットをつけたまま、医療費不足のため自宅で寝たきりの生活を送り、おりから敗戦を迎えて、逼迫した生活を余儀なくされた。
枕元に原稿用紙を置き、腹這いになって執筆した。
彼の原稿はすべて鉛筆書きである。
彼は生涯、学校と軍隊と病院に象徴される近代社会の抑圧や束縛を嫌い、自らを「劣等生」「怠け者」と自称した。

そんな章太郎の、幅広いスタイルをと巧みな描写に支えられた、彼の文学の魅力を展観する良い機会だ。
関連イベントしては、11月5日(土)作家黒井千次氏ロシア文学者安岡章太郎長女安岡治子の対談、11月23日(水・祝)には作家中島京子氏の文芸講演のほか、会期中の毎週金曜日にはギャラリートークも催されている。安岡氏の死後、遺族から文学館に4千点もの原稿、書簡、写真などの資料が寄贈され、〈安岡正太郎文庫〉として保存さている。
作家仲間との未発表書簡も興味深く、また安岡文学ファンだという村上春樹氏の文学館への寄贈文では、安岡氏を素晴らしい作家として高く評価している。
「安岡章太郎展~<私>から<歴史>へ」は、11月27日(日)まで開催中。

次回は日本映画「ゆずの葉ゆれて」を取りあげます。