徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「家族の庭」―喜びも悲しみも四季の移ろいとともに―

2012-03-29 22:15:00 | 映画


 この家に集うと、喜びは倍に悲しみは半分になる。
 名匠マイク・リー監督の、長編第11作目だ。
 ひとつの幸福な家庭と、そこの集まる人々の明暗を描く。
 時にユーモラスに、時にシニカルに描いた、味わい深い一作である。

 マイク・リー監督の同世代の登場人物が中心だ。
 60歳を過ぎているからこそ見えてくる、人生の機微がある。
 それを、めぐりくる四季の彩りの中に綴っている。
 夫婦であれ、友人であれ、親戚であれ、みんな何らかの苦しみを抱えて生きている。
 そんな日常を、お互いが語り合うことで、人生を生きる意味も見えてくる。



     

『家族の庭』予告編


トム(ジム・ブロードベント)とジェリー(ルース・シーン)は、人生の秋を迎えた、初老の夫婦である。

それぞれが打ち込める仕事も持っているし、休日は野菜作りを楽しみ、美味しい手料理とワインを味わう、恵まれた日々だ。
おまけに、弁護士の息子ジョー(オリヴァー・モルトマン)も、親思いの好青年だし、誰もが羨む幸福な人生を送っていた。

一方、彼らの家を訪れる友人たちは、それぞれが孤独を抱えていた。
とくに、ジェリーの同僚であるメアリー(レスリー・マンヴィル)は、男運に恵まれない自分と、幸福なジェリーを比べては、落ち込みもひどく煙草とワインが欠かせない。
家族とともに、平凡でも穏やかな日々を過ごすジェリーと、前向きに生きようとすることで様々なストレスを抱えてしまうメアリーだが、どちらの人生も決して意味のないものではないことを、静かに諭してくれているようであった・・・。

登場する俳優たちと、即興(アドリブ)を積み重ねながら、キャラクターとストーリーを造り上げていくのが、マイク・リー監督の特徴だ。
人生の深遠を静かに見つめながら、人々のひだを探り、家族と友情、愛と温もりを模索し確かめるような、穏やかな人間ドラマだ。
短くシンプルだし、格別大きな出来事が起きることもなく、日々は過ぎていく。
感慨めいたものは、観終わってからやんわりと心に迫ってくる。
登場人物たちの個性はもちろん、庭を渡る、風の色までも感じられる、豊かな映像が心地よい。

風香る庭、菜園に人々は集い語り合う、言ってみればそれだけのドラマなのだが、中身は濃い。
とても悪い(?)女がいる。
それは、このドラマではメアリーだ。
「私、車を買うの」「私ね、聞き上手なのよ」「私って、若く見えるでしょ」等々・・・、いつもいつも「私」が世界の中心にいるように考えている。
そんな女性って、いまの社会に多いのではないか。
このメアリーを演じるレスリー・マンヴィル、さすがに、細やかな陰影に富んだ演技に引きつけられる。
これはもう、彼女のための映画だ。

イギリス映画マイク・リー監督作品「家族の庭は、強烈なドラマ性を期待するとがっかりするかもしれないが、じわじわと心にしみるような温もりを求めたい人には向いている。
幸か不幸か、寝不足の目で観たので、束の間睡魔に襲われたところもあったが・・・。
作品のラストショットは、いささか複雑だ。
流れている音楽が止まると、その静寂の中にメアリーが取り残される。
このとき、彼女はひとり何を思うだろうか。
彼女は、自分の人生を見つめなおし、立ち直ることができるだろうか。
いや、映画にとって大事なことのひとつは、観客に考える余地を残しておくことだそうで・・・。
考え続けて、キャラクターの人生に思いをはせる・・・、というのがまた映画の良いところでもあるのですが、大勢の観客がまったく違った解釈をしても、それがまた許されることでもあるので・・・。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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映画「青い塩」―純粋で辛くて切ない無償の愛の行方―

2012-03-25 17:30:01 | 映画


韓国のイ・ヒョンスン監督が、珠玉のラブストーリー「イルマーレ」(00)以来、実に11年ぶりに新作を完成させた。
ソウルの夜景はスタイリッシュだし、プサンの塩田風景も美しい。
その塩田が青いことから、このタイトルが生まれたようだ。
年齢も境遇も異なる男女が、料理を通して惹かれあうという、新しいかたちのの愛を描いた物語だ。

 

 

 

 

 

 


映画「青い塩」予告編


かつて、ソウルの伝説的な闇組織のボスだったドゥホン(ソン・ガンホ)は、ヤクザの世界から足を洗い、母の故郷プサンに戻って、レストランを開いて穏やかに暮らそうとしていた。
ドゥホンは、通い始めた料理教室で、セビン(シン・セギョン)と出会う。
一見、普通の少女に見えるセビンは、かつて優秀なライフル競技の射撃選手だった。
ところが、ある事件をきっかけに、闇組織の便利屋となり、ドゥホンの動向を探るため、彼に近づいた。

ドゥホンは無愛想な男だが、それとは裏腹に、優しい手料理をふるまうセビンに惹かれる。
セビンは、ドゥホンの温かい人柄に触れ、戸惑いを隠せない。
少しずつではあるが、距離が近づいていく二人であった。

しかしついに、セビンはドゥホンを殺すように命じられる。
「こんな料理を作る子に、俺が殺せるのか?」
その正体を知りながらも、いままさに殺し屋に身を落とそうとしているセビンの未来を守るため、ドゥホンは再び組織と対峙することになった・・・。

自分の命を狙っていることを知りながら、そんな少女を守ろうとするおじさんが面白く描かれている。
主演のソン・ガンホは、この作品ではただのおじさんだが、人を傷つけた過去と決別して、新しい人生を歩み始める元ヤクザを演じて、渋い存在感を見せている。
セビン役のシン・セギョンは、孤独な女の翳と少女のあどけなさを、絶妙なバランスで表現していてなかなかいい。

イ・ヒョンスン監督韓国映画「青い塩」は、親子ほど年の離れた男女が、次第に心を許しあい信頼し合っていく、独特の愛のかたちを愛おしむように綴った小品である。
細心だが、思い切った大胆な演出が楽しませてくれる。
これまた、最終シーンは、あっと驚く意表を突いた結末で、目が離せない。(いやあ、びっくりしました。もう〜!)
まあ、それにしても、交わるはずのなかった、二人を結びつけたのは、ひとさじの塩だったなんて・・・。
こんな映画も、またいいものです。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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映画「預言者」―無垢な青年が己の頭脳と才覚で刑務所で生き抜く―

2012-03-23 21:42:08 | 映画


 映画作品には、ある時は野心と明確なビジョンが必要だ。そしてある時は、普遍的なテーマとともに、創造力は豊かであるほどいい。これは、刑務所を舞台にして、ひとりの無垢な19歳のアラブの青年が、自分の頭脳と才覚だけを武器に、マフィアのファミリーを築き上げるまでを描いた、フィルム・ノワールの作品である。

 「真夜中のピアニスト」(2004)ジャック・オディアール監督による、フランス映画だ。この作品、フランス全土を震撼させた、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作で、臨場感一杯に、圧倒的なリアリズムで迫ってくる。










     

映画『預言者』予告編


19歳のアラブ系青年マリク(タハール・ラヒム)は、全く無学で、身寄りもなかった。

マリクは、傷害罪で禁固6年の判決を受け、刑務所に送られた。
受刑服に着替えたマリクの耳に、最初に飛び込んできたのは、断末魔の悲鳴を上げる受刑者の声であった。
この日を境にして、マリクの6年にわたる過酷な戦いが始まった。

刑務所の中は、様々な民族や宗教が入り混じる、モザイク模様を呈していた。
その中での最大勢力は、コルシカ系マフィアだった。
彼らこそが、この刑務所の支配者といってよかった。
ある日、マリクは、コルシカ・マフィアのボス、セザール(ニエル・アレストリュプ)に、殺しの任務を与えられた。
突然の、殺しの教唆にマリクは慄き、彼はこれを拒むが、セザールという男は自分の指示に従わないものは、徹底的に痛めつけ、亡きものにしてしまうことも平気で、冷酷な男だった。

苦悩の末、‘任務’を果たすことに成功したマリクは、セザールのグループの手下として使われながら、読むこと、書くことを学び、様々な経験を積んでいく。
看守も買収され、正義に頼ることさえ許されない世界では、自分が生き延びるためには、「学ぶ」しかなかった。
そして、次第に、闇世界の‘ビジネス’を学びながら、刑務所の中で、徐々に独自の人脈を築いた青年マリクは、彼自身の計画を密かに進めていく。
そんなさなか、ボスのセザールは、マリクにある重大な命令を下すのだった・・・。

刑務所の中は、異人種、異文化の混合体みたいなものだ。
そこには、現実世界にある様々な問題が、生々しくむきだしになって存在している。
それらは、‘塀の外’にいる人間にとっては、普遍性をもって迫ってくる。
ぎらぎらと乾燥しきった男たちの住む世界、これもまた人間社会の異空間なのだ。
それを、カオスとはよく言ったものだ。

ジャック・オディアール監督の、このフランス映画「預言者」のプロットは、決して目新しいものではない。
マフィアの抗争とか、アラブとイタリアの確執とか、ネタはいっぱいある。
殺し、殺されるシーンにも、恐怖がにじむリアルさだ。
刑務所内が、何と意外に自由(!)なのには驚かされる。
所内の‘優等生’は、刑期の半分を過ぎると、時間限定で外出までできるし、航空機に乗って‘出張’なんてこともある。
な〜るほど、要するに、‘塀の中’も一社会なのだ。(人権を尊重しているのかな?)

禁固刑を受けた未成年が、刑務所の中で犯罪者として成長し、刑期の半分を過ぎると外出を申請できるのだ。
へえ〜っと、思ってしまう。
また、映画のラストシーンは、この作品にしては上出来である。
ヒューマンドラマの感がある。なかなかいいではないか。
人間、過ちを犯して罪を償うことになっても、希望を失わないことだ。
あれまあ、という展開に、観客にも幸せそうな笑みが・・・。
そうだ、いつか必ず光は差すのである。
春本番も近く、桜が咲きそうだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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映画「果てなき路(みち)」―映画の世界と現実の世界の境界を超えて―

2012-03-21 22:30:00 | 映画


      映画の、あくなき可能性に向かって突き進む。
      それが、激しくもまた若い(?!)79歳のモンテ・ヘルマン監督だ。
      彼は、難解な論理まで展開する。
      「映画の中の映画の中の映画」を描くのだと・・・。
      現実と思っていたものが幻想へ、そして幻想が現実になっていくのだ。

      アメリカのニューシネマ華やかなりし70年代、彼の傑作といわれた「断絶」(71)は、興業的に大失敗だった。
      この時の作品に主演したローリー・バードは、26歳で自殺した。
      そして、モンテ・ヘルマンは監督の座から遠ざかること21年、今回の「果てなき路」で、奇跡的な復活を遂げたこと
      になる。

      異端の、呪われた映画作家とも呼ばれている。
      その彼の稀有なる才能(?)への、著名な映画作家からのリスぺクトは多く、本作は映画の夢と想像力をかきたてる
      特異なドラマで、並み居る技術陣スタッフの力量までうかがわれる。

     
ミッチェル・ヘイヴン(タイ・ルニャン)は、将来を嘱望された、若きアメリカ人映画監督だ。

彼は、アメリカのノースカロライナで起こった謎の殺人事件をもとに、映画作りに取り組んでいた。
そして、映画の核ともなるヴェルマ役の女優探しから始まった。
大物女優、やがてオーディション映像の中から、ヴェルマ役にぴったりの女優を見つける。
早速、ミッチェルは彼女に会いにローマへと向かう。

ローマで会ったローレル・グラハム(シャニン・ソサモン)は、ヴェルマ(シャニン・ソサモンの二役)そのものだと確信し、監督ミッチェル・ヘイヴンーレルは一日にして恋に落ちる。
やがて、撮影に入ると、撮影を続けていく中で、監督と主演女優の恋は本物の恋へと変わっていく。
しかも、ミッチェルを魅了したローレルの経歴も、謎の女ヴェルマと同様に、暗く不可解なものだった。
そうして、彼の映画作りも、事件の謎に囚われて、次第に現実との境界線を失っていくのだ。

一方で、事件の真相を追う保険調査官のブルーノ(ウェイロン・ペイン)が、何かに気づき始めていた。
ある晩、撮影スタッフが滞在するホテルで、銃声が鳴り響く。
…陰謀、詐欺、野心、欲望、夢そして愛が絡まり、交錯し、映画は現実へ、現実は映画へと雪崩落ちていく・・・。

ローレルとヴェルマという、二人の女性の存在も不可解だ。
反政府運動でキューバで死亡したとされるヴェルマと、ヴェルマの化身(?)として現れたローレル・・・。
ローレルは、撮影が進むうちに、まるでヴェルマそのものになりきっていくかのようだ。
映画(フィクション)と現実の境界線が消えていく、この作品の中で、観客は、ローレルとヴェルマは同一人物なのではないかと言う疑問にとらわれる。

ヴェルマ・デュランの墓を、ひとり訪れるローレルの心に去来するものは、何だろうか。
もしかすると、ローレル・グラハムこそが、本物のヴェルマだったのかも知れない。
観ている者は、彼女の存在に翻弄される。
女性の正体は一向にわからないし、このあたりは、一度この作品を観ただけでは、難解な謎は容易に解けそうにない。
「果てなき路は、そういう濃厚な大人のためのサスペンスでもある。

現実なのか、映画の中の出来事なのか。
ドラマの最初のシーン、セスナ機が水中へ墜落する場面も、さらにあとで、もう一度今度はダムに激突して炎上するシーンも、映画の中のワンカットなのだろうが、それもどちらがどちらなのか。

或いは、これが現実かと思われるようなカットをはじめ、随所で手回しのいい場面転換が目まぐるしいほどだ。
映画撮影というシュチエーションを用意し、若き監督もモンテ・ヘルマン自身が重なって見えてくる。
無駄のない簡潔なセリフ、静謐な映像、嫉妬の影や官能の香りも漂う中で、ヘルマンの演出は際立って冴えている。

この作品をフィルム・ノワールだという人もいるが、ヘルマン監督に言わせると、この作品には意図的に多くのフィルム・ノワールの要素を取り入れたが、この言葉はハリウッドでは禁句なのだそうだ。
2010年のヴェネチア国際映画祭で、タランティーノ審査委員長は、これまでの功労とキャリアに対して、モンテ・ヘルマン監督特別獅子賞を贈っている。
本作品「果てなき路」の公開は、40年前に公開された伝説の映画「断絶」(ニュープリント版)のリバイバル上映と同時であった。
今年80歳を迎えるモンテ・ヘルマン監督は、これからも、行き止まりのない「ROAD TO NOWHERE」(果てなき路)を行くのだろうか。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

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映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」―女性政治家の過去の栄光と現在の孤独―

2012-03-16 22:30:00 | 映画


      政治家としての栄光と挫折は、誰にもある。
      そのために、犠牲になることも・・・。
      これは、ひとりの女性政治家の回想録だ。
      世界を変えたのは、妻であり、母であり、ひとりの女性だった。

      封建的といわれた男社会で、強力なリーダーシップを発揮した。
      フィリダ・ロイド監督イギリス映画だ。
      しかし、現在もなお生きている、著名な人物を映画化することの難しさも、垣間見える。
      主演のメリル・ストリープが、全身全霊の巧演で、アカデミー賞主演女優賞受賞したことは救いである。







      
雑貨商の家に生まれたマーガレット・サッチャー(メリル・ストリープ)は、市長を務めた父の影響を受けて政治家を志したが、初めての下院議員選挙では落選する。

失望する彼女に、心優しい政治家デニス・サッチャー(ジム・ブロードベント)がプロポーズする。
「食器を洗いながら、一生を終えるつもりはない」というマーガレットを、デニスは寛容に受け入れる。

双子にも恵まれ、幸せな家庭を築く一方で、マーガレットは政治家としての階段を昇り始める。
彼女は、失墜したイギリスを再建しようと試みる。
だが、それは気の遠くなるような戦いであった。
それでも彼女は、愛する夫や子供たちとの時間を犠牲にしてまで、その困難に立ち向かっていく。
しかしそこには、ひとりの女性として、深い孤独が付きまとった。

現在のロンドン・・・。
マーガレットの夫デニスは、どんなに苦しい時も、彼女を支え続けてくれた。
その夫もすでに他界したのに、マーガレットはいまだに夫の死を認識していないのか、時おり不可解な行動が目立つようになった。
デニスの遺品には、思い出がいっぱい詰まっている。
その遺品を手に取り、幻想の中の夫に問いかけるのだ。
「あなたは幸せだったの?」と。

イギリス映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」の中で、主役のリル・ストリープが、アメリカ人でありながらイギリス英語を使いこなし、若い頃から晩年までの幅広い時期にわたって、ひとりの人物を演じ切ったが、さすがにメイキャップ賞まで受賞するほど、サッチャー役になりきっていた。
人はみな、生まれてきて、いつかは死んでゆく。
どんな偉業を達成した人物であっても・・・。
<鉄の女>といわれたサッチャーも、孤独だ。
誇り高き女も、所詮は孤独なのだ。

それにしても、サッチャーは保守党を復活させたのに、その保守党の議員たちから嫌われていて、彼女が大臣として出世させた側近たちによって、彼女は辞めさせられたのだった。
それは、身内の反乱ではないのか。
政治は、身内こそが最大の敵だというではないか。
この作品の老婦人マーガレットは、いま夢うつつの世界で、夫のデニスの亡霊とともに生活している。
過去と現在の交錯する中で、幻想だけが、彼女の脳裏を駆け巡っているのだ。

サッチャーは、首相として福祉を切り詰め、国有企業を売り払い、景気刺激策を取りやめた。
そのことが、格差社会を作ったのだが、彼女もまた普通のおばちゃんだったのだ・・・。
政治という業(ごう)は、人をしばしば呪縛の底へ突き落すものであろうか。

この作品、アビ・モーガンの脚本に救われているとしても、<鉄の女>と呼ばれるほどの強い女性の描かれ方が、いかにも軽いのはどうしたことだろうか。
平面的で、頼りなさが残る。どうも物足りない。
この保守的権力者の人物像から、ドキュメンタリーでもないのに、あまり深刻なドラマが伝わって来ないのは何故か。
12年間も政治の座にあった、政治家マーガレット・サッチャーの<功罪>に、もっと深く迫れなかったのだろうか。

映画としては、サッチャーの人間性がいくらかでも描かれているのは、脚本の力もあるだろうが、ドラマ性があまり感じられず期待外れの一作だ。
もっとも、公開前から、この手の作品にあまり期待はしていなかったが・・・。
ちょっとしたラブストーリーの側面も見せてくれているけれど、映画は、あまり言いたくはないが、マーガレット・サッチャーの栄光と挫折の履歴を、上からなぞっただけの、単なる回想録のように思えてならない。
フィリダ・ロイド監督、これを壮大な人生の物語だというのであれば、もっと主人公に深く入り込んだ、人間の、それこそ女の苦悩を炙り出した感動のドラマになったはずだからだ。
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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午前十時の映画祭―Series2/楽しめる名作映画・青の50本―

2012-03-13 11:00:00 | 映画

午前十時の映画祭が、根強い人気を保っている。
キラ星のごとく俳優たちが輝く、名作50本だ。
映画の好きな人は、みんな知っている。
キャッチフレーズは、「何度見てもすごい50本」とある。
「Series1/赤の50本」「Series2/青の50本」で、合わせると100本だ。

全国の映画ファンの要望も多いらしく、第3回の開催となった。
よくやってくれます。
いずれも、珠玉の名画たちである。
全国25の劇場で、 「第三回午前十時の映画祭」 (復活)として、すべて美しいオリジナルニュープリントでの上映だ。
今回は、平成24年3月3日(土)〜平成25年2月15日(金)まで、一年間のロング開催も嬉しい。
この映画祭、結構手堅い人気があって、毎朝これを楽しみにしている人も多いと聞く。
映画館も、そこそこ賑わっている。
初公開時に観た人も、もう一度、二度という人もいるようだ。
1950年〜1970年代を中心に、とにかく傑作娯楽作映画が揃っている。

今回観たのは、イタリア・フランス合作映画「山猫(1964)と、フランス映画「昼顔」(1967)の二本だった。
ともに、この作品を観るのは初めてではない。
何に惹かれたか、半世紀ぶりのご対面といったらいいか。

「山猫」(ルキノ・ヴィスコンティ監督、アラン・ドロン、バート・ランカスター出演)はイタリア語・完全復元版で、1860年代のシチリアを舞台に、滅びゆく貴族社会の残り火のような輝きを、絢爛たる映像で描いたもので、カンヌ国際映画祭パルム・ドール(グランプリ)受賞した作品だ。
当時の作品としては、ずいぶん贅沢に作られた映画で、貴族社会など全く縁のない自分には、長い上映時間もかなり退屈だった。

もうひとつの「昼顔」(ルイス・ブニュエル監督)の方は、貞淑な妻が妄想の果てに、性的な開放を試みる二面性を描いた作品で、ヒロインのカトリーヌ・ドヌーヴはまさに絶頂期の美しさで、目を見張るものがあった。
この作品は、一見、観客を翻弄するかのような終盤だが、女性の複雑な心理の「解放」を描いたものだ。
のちに、この映画の続編ともいえる「夜顔」(2006)が公開され、こちらも注目の作品だったが・・・。

ともあれ、「午前十時の映画祭」は、北海道から沖縄まで全国25劇場で、毎朝10時に上映され、1週ごとに作品が変わるから、1年間で合計50本が上映される。
いま、第二週に入ったばかりだ。
このあと、「シャレード」「サウンド・オブ・ミュージック」「華麗なる賭け」「ハスラー」「レベッカ」「荒野の用心棒」「大いなる西部」「風と共に去りぬ「シベールの日曜日」「禁じられた遊び」「ドクトルジバゴ」等々、おなじみの名画が目白押しだ。

初めて観るもよし、二度目、三度目で観るもよし、いいものはいつ観てもいい。
これらの作品群を、DVDに頼らずして、劇場で観られるのがいい。
やはり、映画は、本来、家で観るものではなくて、映画館で、スクリーンと客席の空気感も味わうものだからだ。
本当の名作、名画は、繰り返し観たくなることがあるものです。
まあ、こんな機会は、これが最後になるかも知れない。

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横浜にチンチン電車が走った時代―横浜都市発展記念館―

2012-03-11 09:00:00 | 日々彷徨


明治時代初期から、昭和40年代頃まで、横浜をはじめ日本の主要な都市の街路には、路面電車の線路が張りめぐらされていた。
横浜の街から市電が消えて、40年になる。
路面電車が、都市横浜で果たした役割は、どのようなものだったのでしょうか。

横浜都市発展記念館と、横浜ユーラシア文化館も、開館9年になる。
記念館の方では、横浜市電前身の横浜電気鉄道の時代から、横浜市電廃止まで、横浜の路面電車の歴史を振り返っている。
市電というと、何だかとても懐かしいが、この特別展ではその懐かしい姿を紹介している。

明治37年(1904年)7月に、神奈川停車場前から横浜停車場前まで開通したのが最初で、当時運賃はたったの3銭だった。
JRが省線(国鉄)といわれた、長い時代があった。
JR根岸線は桜木町が終点で、その後磯子まで延伸されたのは昭和39年のことだった。
いまの大船まで全線が開通したのは、さらにそのずっとあとのことだった。
そして昭和47年(1972年)に、市電とトロリーバスが廃止となり、人々の輸送手段は市バスと一部地下鉄によることになる。

あの時代、学生時代最後の冬休みだったが、伊勢佐木町の今はなくなった松屋デパートでアルバイトをしていて、そこで専門学校生でアルバイトをしていた女性と知り合った。
同じ職場だったが、知り合って間もない翌年の正月に、彼女の家に呼ばれてのこのこ出かけていったのだった。
その時に乗った市電は、現在の滝頭を通って八幡橋経由杉田行きで、たしか葦名橋というところで降りた川沿いの家だった。
何とそこには、別に彼女の友人らしき女性二人の先客がいて、たちまち賑やかな席となって、百人一首に興じたことを覚えている。
あのとき御馳走になった、雑煮の味を忘れもしない。
あの人、いまどうしているだろうか。
懐かしい、今はもう昔の話である。

今日、ふらりと立ち寄った記念館で展示品に見た、戦後の、側面方向版の文字が懐かしい。
それには、<坂東橋経由桜木町〜葦名橋>の文字が書かれてあった。
チンチン電車は、東京都内や横浜市内でよく利用していたので、過ぎし日の遠い昔が、妙にほろ苦く思い出されてくるのだった・・・。

同じ建物内にユーラシア文化館があり、両館ともに常設展も併催されていて、そちらもイベントが開かれていた。
時折しも、中庭では、モンゴルの伝統的住居「ゲル」の中で、馬頭琴のコンサートが行われていて、哀愁の旋律が流れていた。
両館ともに、写真パネルやギャラリーなども催されていて、まだ寒中だというのにそこそこの賑わいであった。
チンチン電車については、横浜電気鉄道の時代から、市電の時代、そして市電からバスの時代へと、その変遷の過程が簡略に手に取るようにわかる。

一部に復活を望む声もあるといわれる路面電車だが、いやあ、懐かしいものです。
横浜都市発展記念館の特別展は、4月1日まで開催されている。
・・・外に出ると、黄昏近い街に、三月だというのにまだ氷雨が風に舞っていた。

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映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」―父親を失くした少年の喪失と再生の物語―

2012-03-08 22:30:01 | 映画


      2011年という年は、日本人にとって忘れることのできない年である。
      この作品は、その年を生きた日本人の心にも深く突き刺さる、アメリカ映画だ。
      希望を見出そうと、前へ進もうとする私たちを、スティーブン・ダルドリー監督が、力強く励ましてくれているのかも知
      れない。

      これは、9.11テロ事件で、愛する父親を失くした、無垢な少年の物語だ。
      人を失うことの悲しみ・・・、それは、誰にでもいつかは訪れるものだ。
      しかし、覚悟した別れでも、受け入れ難いそのことが、突然で不条理な別れだとしたら・・・?






      
何故、空っぽの棺桶だけを埋葬するのだろうか?
オスカー・シェル(トーマス・ホーン)は、父トーマス(トム・ハンクス)の葬儀の意味が理解できないでいた。
オスカーにとって、意味があるのは、大好きだった父を、何度も思い返すことだけだった。

オスカーと父は、親子であると同時に、親友でもあった。
父は、少しばかり繊細で、生きることに不器用なオスカーを、その個性を壊さずに導いてくれる、頼もしい師でもあった。
そんな二人を、母リンダ(サンドラ・ブロック)は、いつも優しく見守っていた。
ところが、9.11が最愛の父を奪ってしまったことから、リンダも、息子とうまく接することができなくなってしまった。

オスカーは、父が遺した一本の鍵に、最後のメッセージが込められていたと信じ、鍵穴を探す旅に出る。
やがて、謎の老人がオスカーの同行者となり、いつしか彼の辿った軌跡は、人と人とをつなぐ大きく温かい輪になっていく。
そしてついに、オスカーは鍵の真実にめぐり会うことになるのだが・・・。

それにしても、とにかく、このアメリカ映画タイトル「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は、いやはや何とも長いタイトルだ。
原題をそのまま日本語に訳すと、こうなるらしいのだ。
どうも、意味不明である。
意味不明のタイトルで、関心を引こうとしたのだろうか。
映画を鑑賞し終わっても、この邦題の意味はよくわからなかった。

オスカー少年は、交通機関に乗れないなど、9.11に対して大きなトラウマを抱えている。
でも、祖父の力を借りるなどして、徐々に平常心を取り戻していく。
そのあたりが、この作品の軸となるだろうか。
要するに、愛する人を失くした巨大な喪失感が、無垢な子供の心に、何をもたらすかということだ。
主人公は、まだ11歳だ。
ヒステリックなまでに混乱していた、少年の心の内面が、徐々にではあるけれど、外界の現実に開かれていくという過程を、観客は主観で体感することになるのだろう。
このドラマ、いいテーマを扱っているのに、最後は意外にあっけないのは、正直、期待はずれで残念だ。

スティーブン・ダルドリー監督のカット割りは、まことに目まぐるしい。
音響効果もけたたましいほどで、彼の感情の中に放り込まれてしまうのだ。
名優トム・ハンクスと、本作が映画デビューとなるトーマス・ホーン演じる父と息子の絆が、ドラマの主軸を構成する。
子供という存在は、どこまでも無力な個人だ。
そんな中で、時代や社会の圧倒的な荒波にもまれていく。

日本人が、3.11以降を生きる中で、共有する想いにつながるものがあるかも知れない。
少年が、父親との死別の喪失感から、再生へと向かっていく過程で、どこで平常心に戻ることができるだろうか。
何となく、狙いすましたようなヒューマンドラマだが、いつの時代においても、心の問題は難しい。
ことに、幼い少年にあっては・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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映画「ヒューゴの不思議な発明」―機械人形が動き始める時、失われた夢が輝き始める―

2012-03-07 22:00:00 | 映画


      巨匠マーティン・スコセッシ監督の仕掛ける、3Dビジュアル・マジックとは・・・?
      この作品、映画が人々を幸せにする魔術だった時代に捧げる、スコセッシ監督のオマージュだ。

      アカデミー賞では3冠を逃したが、撮影、美術、視覚効果賞など5部門受賞した。
      さすがである。
      これは、若い少年の物語だから、純粋な冒険譚としても興味深いと同時に、映画草創期に活躍したジョルジュ・メリエ
      ス
の物語としても楽しめる。
      広い世代への、人間愛にあふれた作品だ。







     
1930年のフランス・パリ・・・。
火事で父を亡くした少年ヒューゴ(バターフィールド)は、駅の時計台に隠れ住み、駅の時計のネジを巻いて毎日を過ごしていた。
父は時計の職人だった。

ひとりぽっちのヒューゴの唯一の友達は、亡き父が遺した壊れたままの機械人形だ。
その機械人形の修理をしながら、秘密を探るうちに、ヒューゴは、機械人形の修理に必要なハート型の鍵を持った少女イザベル(クロエ・グレース・モレッツ)や、両親を失くした彼女の名付け親のジョルジュ(ベン・キングズレー)と出逢う。
ジョルジュは、過去の夢を捨ててしまった老人だった。

ヒューゴは、ある日、機械人形について書かれたノートを見つけ、そこにそれぞれの人生と世界の運命を変えてしまう、秘密のメッセージが隠されていることを知る。
そして、いよいよ、ヒューゴの「世界を修理する」ための、冒険は始まる。
夢と現実と、さらにマジックまで伴って・・・。

当時の花の都パリを舞台に、いくつもの不思議な出逢いを通じて、世界の運命を変えてしまう秘密を探し当てる・・・。
マーティン・スコセッシ監督アメリカ映画「ヒューゴの不思議な発明」は、3D/2D同時公開作品だが、ファンタジー映画のようだけれど、少し違うのだ。
ファンタジックなのはあくまでも映像で、これも確かにマーティン・スコセッシ監督の作品に対する熱意が伝わってくるような世界観を描いていて、圧倒される。
そこが、また楽しめるところだ。
ただ、コミック仕立ての笑いは、わざとらしさが気になる。
敢えて、そういう演出をしたのだろう。

ヒューゴが、時計台の大きな文字盤の針にぶら下がるシーンや、いろいろな店が並ぶ実物大の鉄道の駅と、メリエスのアパート、ガラス製のスタジオ、爆撃された建物、豊富な在庫が揃った隅のワイン、大きな記念碑や石造の霊廟が立つ墓地などの、巨大なセットも見ものだ。
面白く見たのは、ビジュアル・エフェクト・スーパーバイザーのロブ・レガトが、スコセッシ監督のために、スクリーン上にマジックを生み出そうと、実証済みの技術を使ったところだ。
それは、脱線した機関車が、キーキー音をたてながら暴走し、駅の巨大な窓を突き破って、階下のパリの街へ落ちるという大がかりなシーンだ。
1895年に、似たような大事故が、モンパルナス駅で起こったのだそうだ。
今も残っている、この時の衝撃的な写真が参考になった場面である。

そこかしこに、「映画」がきらめいている。
ベン・キングズレーの言葉を借りれば、「傷ついた魂を癒やすという物語が、とても美しいアイデアだと思った」とも、語っている。
ドラマは、小気味のいい痛快さもあり、ほどよいテンポだし、遊び心もいっぱいで、いかにもアメリカ映画らしい。
この映画、大人も子供も一緒になって、ここはひとつ、夢の世界に遊んでみるのも、きっと楽しい。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

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映画「ヤング≒アダルト」―いつまでも大人になれない女が大騒動の果てに見出した真実って?―

2012-03-06 22:30:39 | 映画


      バツイチで恋人ナシ、高飛車で大酒飲みの女・・・。
      そのくせ、お洒落な30女のみじめな悪あがきが、ちょっぴり妙にカッコいいのだ。
      ジェイソン・ライトマン監督の、アメリカ映画だ。

      そんな女を演じるのは、「モンスター」アカデミー賞主演女優賞受賞シャーリーズ・セロンだ。
      彼女が、この作品でも、ハリウッドを背負って見事な演技力を発揮する。
      いささか棘のあるのは仕方ないとして、心温まる(?)ヒューマンタッチのドラマでもある。










     
美しくて、才能もあるが、やることなすことが型破りである。

とても、30代の大人の女性とは思えない。
メイビス・ゲイリー(シャーリーズ・セロン)は、自称作家で、実はゴーストライーターなのだ。
現在執筆中の、ヤングアダルト(少女向け)シリーズは人気がガタ落ちで、終了間近だ。
このあとの新作の予定もない。

メイビスは見栄っ張りだから、自分が思う現実と他人が見た事実の間には、大きな落差があった。
唯一の恋人は愛犬ポメラニアンで、心の慰めはもっぱらアルコールだった。
要するに仕事はじり貧で、三十路のバツイチ女の、かつては“ミス学園”だった過去の栄光のかけらもない。

何でも俺様キャラというか、勘以外も人一倍だし、誰から見ても迷惑女なのだが、その彼女が自分に嫌気がさした。
そして、高校時代の元恋人バーディ(パットン・オズワルト)とヨリを戻し、かつての輝きを取り戻そうと考える。
バーディには、愛する妻子がいるというのに・・・。
メイビスの決意は固く、何年振りかで、突然故郷の小さな町に現れ、すったもんだの大騒動を展開する羽目になった・・・!

ジェイソン・ライトマン監督
メリカ映画「ヤング≒アダルト」では、バーボンをストレートでぐいぐいと煽り、ヌーブラ姿で酔いつぶれて寝てしまったりといった、自堕落なシーンも、演技派シャーリーズ・セロンにかかっては、さすがに芸も細かい。
自分でも自分を美女だと思っているのか、性的にも奔放なところを見せて、でも、何故か自分を貶める役回りばかり・・・。

世の中の常識からは、かなりずれているのに、どこか憎めないヒロインの予測不可能な人生を描く、ジェイソン・ライトマン監督の感性は確かだ。
望まれないのに妊娠して、自ら里親を見つける16歳の少女を追いかけた「JUNO/ジュノ」ジェイソンは、ここにさらにパワーアップした規格外の主人公を登場させる。
人間の、真の幸せは何かというテーマにも踏み込んでいる。
今回、この映画の脚本も、あの「JUNO/ジュノ」ディアブロ・コディが担当していて、アカデミー賞脚本賞受賞した人なんですね。
そうでしたか、やっぱりねえ・・・!
・・・ということは、オスカー受賞キャスト&スタッフによる完璧なコラボレーションですか。
いやいや・・・。

おっと、話をドラマのほうに戻しまして・・・。
いつでも、どこにいても、自分こそ主人公なのだという、あまりに身勝手な女の行動には、信じられないほど唖然とする。
そんな女が、様々な曲折の末に、結局たどり着いた境地は・・・?
三十路になっても、美貌は衰えず、才能も決して枯れることはないが、いつになっても、十代のモテ期のままだというダメ女が、急にイイ女に見えたりするものだ。
ビッグで、イタイ女とはよく言ったものだ。
「腐った魚の匂いのする、こんな田舎町は大嫌い!」と豪語する。
そんな捨て台詞を吐く女の、どこが面白いか。
それは、観てみないとわからない。

娯楽性十分、笑えそうで笑えない。
まことにふざけたドラマなのである。
ヒロインの執拗な(?)までのしたたかさが面白く、観ていて憎めなくなるところが、憎い。
・・・たまには、これでもいいか。(苦笑)
     [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点

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