特待生と野球留学

「特待生」、「野球留学」、「アマチュアリズム」に焦点を絞って展開します。

リンク指針

2007年06月08日 | 運営指針

新聞社のリンクポリシーはさまざまですが、「個別記事へのリンク不可」を掲げる新聞社も少なくありません。なかには、住所・氏名を明記のうえ、文書でリンク許諾を求めるよう要求してるところもあります。→「主要メディアのリンクポリシー」

当ブログでは、掲げられているリンクポリシーを一切無視して、勝手にリンクしています。私としては単にソースを示しておきたいだけのことですが、そろそろ脇を固めておく必要があります。

この数日、試験的に「Web魚拓+」を利用してきましたが、どうにも具合が悪いようですので、今後は原則としてGoogleのキャッシュにリンクします。

直接リンクでは、ダイレクトに目的のページに行けるという長所がありますが、削除やURL変更に対応できないという短所があります。この点、Web魚拓+ならリンク先のページが削除されてもキャッシュが残ります。

ただ、Web魚拓+に取り込まれたキャッシュページのリンク先を開くと、Web魚拓+のフレーム内に表示されてしまいます。これはやはり具合が悪いでしょうから、Googleのキャッシュへのリンクとします。

Googleのキャッシュでは、元のページが削除されれば一定期間経過後にキャッシュも削除されます。この点では永続性が期待できるWeb魚拓+より使い心地が悪いのですが、やはり削除する(公開しない)権利は認められるべきです。

私自身は、直接リンクできればそれが一番いいのですが、それを望まない新聞社も現実にあります。そこで、今後はニュースサイトへのリンクは一律にGoogleのキャッシュをリンク先とします。

すでにWeb魚拓+にリンクしたものについては、段階的にGoogleのキャッシュまたは直接リンクに振り替えていきます。また、すでに直接リンクしているものについては当面放置し、リンク切れを確認し次第、リンクを解除するものとします。


元特待生記者

2007年06月08日 | ブルータス

昨日、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります」というヴァイツゼッカー演説を引用しました。(元)大統領はこう続けています。「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危機に陥りやすいのです」(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)。

滝口氏は元特待生です。「高校時代、学費を免除される特待生として野球をしていた」と自ら書いておられます。

記者の目:元特待生として思う (リンク先はGoogleのキャッシュ)
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/today/archive/news/2007/05/16/20070516k0000m070183000c.html

この記事は5月16日付の紙面に掲載されています。救済措置が発表されたあとです。高校の名前は書いてありませんが、高校野球ファンなら読めばすぐにわかります。同期生5人がプロ入りした厚い選手層にベンチ入りできなかった滝口少年は、受験勉強を始めて「自分が特殊な世界の住人だったと気づいた」のだそうです。

記事全体を通して言えば、共感できる部分もあります。そういえば、ある大学出の黄金ルーキーが「週刊文春」を「…ぶんはる」と読んだという有名な話もあります。今は某プロ球団の監督になっていますが…。

滝口氏の「記者の目」には、2つほど欠落している視点があります。1つは、適法な私的契約を年度途中に解約せよと申し渡した高野連様の“絶対専制君主”ぶりに対して、元特待生としてどのように感じているのかという点です。

田名部氏によれば、「学生野球憲章に時効はない」のですから、特待生だった滝口氏もアウトです。20年前に、いきなり今回のような横暴な態度に出られたら、学費免除を受けていた滝口氏はどのように感じたでしょうか? 

かりに「行き過ぎ是正」という目的が正しいにせよ、この手法が受け入れられるか、それとも受け入れ難いかという点です。これはぜひお聞きしたいところです。まあ、分別がつくはずの新聞記者さんが触れておられないのですから、きっと粛々と受け入れるということなのでしょう。

2つ目は、滝口氏がなぜ(野球では)名門と呼ばれる高校に特待生として入学したのかという点です。他律的なものだったのか、自ら望んだのか、せめてその程度は書いていただかないと、「元特待生」をカミングアウトした意味がありません。

ご自身のことなのですから、取材する必要などありません。いくらでも書けるはずです。田名部氏や脇村氏は「行き過ぎた勧誘行為」を問題視しているようですから、勧誘があったのかなかったのかについて触れてこそ立派な記事になるはずです。

あるいは滝口氏は母校に累が及ぶ可能性を考慮されたのかもしれません。だからこそ、この問題を追及するにあたっては、「北風より太陽」で免責を与えることのほうが重要なのです。不幸なことに、「過去は問わない」と言える器量が田名部氏にも脇村氏にもありません。