特待生と野球留学

「特待生」、「野球留学」、「アマチュアリズム」に焦点を絞って展開します。

過去

2007年06月07日 | 高体連など

着目したところは同じなんですが…。毎度おなじみの滝口隆司氏のコラムです。

スポーツネットワーク>高体連も動き出した
 高体連の加盟32競技は、高校野球のように、特待制度を禁止しているわけではない。高体連側は「特待制度を全面否定するのではなく、行き過ぎがないよう、どの程度まで認めるかの線引きを検討していく」などと説明している。日本高校野球連盟と同様、「行き過ぎ」を警戒しているようだ。

ここまで言えれば、それはそれで立派なことかもしれません。もし高野連様が単に「行き過ぎ」を警戒したのなら、「行き過ぎ」た部分を罰すればよかっただけのことであって、社会通念上容認される範囲の特待生まで一網打尽にする必要があったとは思えませんけど…。

強引なショック療法が求められることもあるでしょうが、年度初めに切るようなカードではありません。まあ、毎日新聞は夏の大会には関係しませんから、センバツが終わった直後こそ絶好のタイミングです。

1927年の第4回センバツは和歌山中が優勝しました。和歌山中には毎日新聞社から優勝の“ご褒美”が与えられました。夏休みのアメリカ遠征です。主力選手は渡米していますから、和歌山中は夏の予選を控え選手で戦いました。この“ご褒美”は1932年に廃止されました。あれっ? 1932年って?

はい。野球統制令は1932年3月28日付で発令され、同年4月1日に施行されています。野球統制令の背景に「行き過ぎ」があるのだとすれば、過熱させたのは誰なのかという点も問われるべきでしょう。もちろん、当時生まれてもいない滝口氏にその責任を問うわけではありません。それは筋違いと言うものです。

1985年5月8日、当時のヴァイツゼッカー西ドイツ大統領はドイツ敗戦40周年にあたり、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります」(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)という有名な演説をおこないました。

滝口氏は上のコラムで、「高体連スポーツもやはり教育の一環であり、アマチュアスポーツという位置づけだ」と述べています。再三指摘しているように学生野球憲章には「アマチュア」の文言はありません。高体連の「規程」にはありますが、学生野球憲章にはないのです。

滝口氏がどうしてもアマチュアリズムを語りたいのなら、70~80年前の自社の歴史にも目を閉ざしてはなりません(まあ、そんなに遡らなくてもいいのですが…)。

さて、滝口氏のコラムは次のように結ばれます。「福原の特例」の件は、このブログではすでに述べています(→「高体連が小委員会設置」)。


今回、高体連は高校スポーツをどうとらえるのか。福原の特例と同じく、物質的な利益を得る特待生も認めるとなれば、競技者規程を見直すべきだろう。しかし、あくまで「教育の一環」「アマチュア」を堅持するのであれば、特待制度にもしっかりとしたルールを作らなければならない

滝口氏のコラムは5月18日付ですが、その数日後、高体連は問題を先送りしました。滝口氏や堂馬氏の“牽制球”が効果を発揮したのかもしれません。まあ、高野連様の対応と世論の風向きを見極めようということでしょうけど…。

競技者規定の見直しは継続審議…高体連評議員会
(サンケイスポーツ 2007年05月23日)
全国高等学校体育連盟(高体連)は22日の評議員会で、昨年のインターハイに特例で出場した卓球の福原愛(ANA)の例を契機にプロ活動を禁止する競技者規定の見直しを進めていたが、規定緩和とプロ禁止で意見が分かれたため、継続審議で一致した。