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原発事故関連死(63)はけ口 アルコール 依存からの脱却 車の中で「隠れ飲み」 物に当たり、死を望む

2014-03-10 16:21:30 | 原発
福島民報より転載
原発事故関連死(63)はけ口 アルコール 依存からの脱却 車の中で「隠れ飲み」 物に当たり、死を望む

避難先の車の中で飲んだ缶ビールはうまかった。男性のアルコール依存症は車内の「隠れ飲み」から始まった
 東京電力福島第一原発事故で古里を追われた避難者の一部は心労をため込み、そのはけ口を酒に求める。多くの医療関係者が問題を指摘する。専門の医療機関で治療を受けても、アルコール依存症からの脱却は簡単ではない。

 東日本大震災と原発事故発生間もない平成23年3月13日。放射性物質に追い立てられるように、大熊町から着の身着のまま避難所の田村市常葉体育館に転がり込んだ。体育館にいると人いきれに息が詰まった。車に逃げ込むと、少し落ち着いた。
 「俺はここで何をやってるんだろ」
 避難所の駐車場に止めた車の中で何とはなしに飲んだ缶ビールがうまかった。元原発作業員の男性(59)の「隠れ飲み」はこうして始まった。
 酒を飲めば、少しの間だけ現実を忘れることができた。しかし、いくら飲んでも気分が晴れない。不快な感情や不安をごまかすようにあおった。深酒の先には絶望が待っていた。
 震災当時、福島第一原発4号機の炉心近くで配管の洗浄をしていた。放射性物質の恐ろしさは身に染みていた。古里に戻るのが容易でないのはすぐに分かった。見知らぬ地での避難生活はこれからも続くのだろう。自ら命を絶ってしまえば、苦しみから解放される。「もう、どうでもいいや」。本気で死を望んでいた。
 体育館のテレビは、原発の緊急事態を繰り返し伝えていた。1号機に続いて、3号機でも原子炉建屋の水素爆発が起きた。
 「もう大熊には帰れないぞ」。一緒に避難してきた妻(63)に言った。誇りにしてきた原発での仕事も、27歳で建てた自宅も全て失ったと感じた。
 避難所には何人かの顔なじみがいた。話をすると気分はまぎれたが、すぐに悲しみが押し寄せてくる。底冷えする体育館、避難者から漏れるため息や愚痴...。寒空の下、屋外の階段や車止めに腰を下ろす。たばこを吸うわけでも、遠景を望むわけでもない。「ただ、ぼーっとするだけ」。先々のことを考えると嫌気が差し、妙にいらついた。「飲むしかなかったんだ」
 近くの店には酒が存分にあった。食料もガソリンも不足していた原発事故直後でも、困ることはなかった。
 これまでは500ミリリットルの缶ビールを2本飲めば眠くなった。だが、避難所に来てからというもの、朝から栓を引くようになった。
 田村市の体育館には1週間ほどいて、会津若松市のあいづ総合体育館に移った。そこでも、安らぐ居場所は駐車場の車だった。「避難の苦しみを忘れたかった。ただそれだけ」。午前中に4、5本、午後も同じ量を飲んだ。酔えば寝て、起きては飲んだ。目が据わり、表情はきつくなった。妻に注意され、物に当たり散らしたこともあった。酔っていて記憶は不鮮明だ。急変ぶりに妻はおびえていた。

 娘の夫は原発関係の会社に勤めていた。その社員寮が新潟県柏崎市にあった。避難所よりは落ち着いて暮らせる。妻も娘もそう考えた。
 23年4月初旬、妻と柏崎市の社員寮に引っ越した。しかし、事故収束の兆しが見えない原発への不安、古里を放射性物質に汚されたいら立ちがくすぶり続けた。
 引っ越せば飲酒ぐせも収まるのではないか-。家族が抱いた期待は、幻想にすぎなかった。

(2014/03/10 15:38カテゴリー:原発事故関連死)


クリミアのロシア編入 大軍展開下での「住民投票」 主権と領土侵す国際法違反

2014-03-10 13:32:24 | 日記
しんぶん赤旗                  2014年3月10日(月)
クリミアのロシア編入 大軍展開下での「住民投票」  主権と領土侵す国際法違反
 ウクライナのクリミア自治共和国の議会が6日、ロシアへの編入を求める決議を採択し、16日に住民投票を実施することをきめたことで、ウクライナへのロシアの介入は新たな事態に入っています。ロシアの国会も編入を可能とする法改正を準備しています。これまでクリミア半島へのロシアの軍事介入を批判していた国連安保理や欧米諸国などはクリミアの編入を違法とする批判を強めています。(片岡正明)
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ウクライナ憲法 「完全な違反」
 国家としてのウクライナの承認なしにクリミア自治共和国の編入が可能なのか。今回の編入問題についての各国からの批判の根底にある疑念です。
 クリミア自治共和国議会の決議後に開かれた安保理会合では、多くの国が編入問題での住民投票実施について「ウクライナ憲法に対する完全な違反」との声があがりました。
 一国の一地域が一方的に、分離・独立、他国への編入を決めることは、国際的に認められていません。今回の場合、クリミア内のロシア人以外のウクライナ人、タタール人など少数民族との話し合いや、ウクライナの中央政府との交渉といった、民主的手続きもありません。
 何より問題なのは、事態がロシアの軍事的圧力の下で進んでいる、ということです。
 ロシアがクリミアに展開している軍の規模は、2万とも3万ともいわれています。そうしたなかでの「住民の自由な意思表明」はありません。
 結局、クリミアの分離とロシア編入は、ロシア政府も認めてきたウクライナの主権と領土保全侵害となり、事態をさらに複雑にするだけです。どの国も今の事態を支持していないのは当然です。
ロシア軍事介入「止めなければ」
 「ウクライナへの軍事介入反対」―2日と4日、モスクワやサンクトペテルブルクでデモが催されました。認可されていないデモのため、2日のデモでは360人以上が警察に拘束されました。
 ロシア紙ノーバヤ・ガゼエタのビデオでは、赤の広場や国防省前で「戦争するな」と人々が一斉に叫ぶ姿と、デモ参加者を拘束する警察官の姿が報道されました。
 参加者の女性の一人は「子どものことが心配です。ロシア政府のクリミアへの軍事介入を止めなければ、戦争になる」と英BBC放送ロシア語版に語りました。
 欧米各国のロシア大使館前や欧州連合(EU)本部前でも、デモ参加者が「プーチンはウクライナから手を引け」などのプラカードを掲げました。
 3日の国連安保理では、ロシアのチュルキン大使が少数派のロシア系住民がウクライナ暫定政権に弾圧されようとしていると、ロシア軍の活動を正当化しようとしたのに対し、主権侵害とする批判が集中しました。
 イギリスのライアルグラント大使は「21世紀の世界でこのような国際法違反は許されない」と非難しました。
 ことの発端は、ウクライナの政変です。
 2013年11月、ウクライナのヤヌコビッチ政権が欧州連合との連合協定の署名を直前になって拒否。協定署名を求める反政府勢力が首都キエフ中心部の「独立広場」を中心に連日、デモを開催。政権側がデモ排除で治安部隊を投入したのに対し、反政府側に過激派や極右勢力も加わり、衝突。2月下旬には双方合わせて80人以上の死者が出ました。
 2月22日には、ヤヌコビッチ大統領が首都キエフから逃亡、ウクライナ最高会議(議会)が同大統領の解任を決議し、27日までに暫定政府を成立させました。
 これに対し、ロシアは、政権交代を「武装反乱だ」(メドベージェフ首相)と主張。
 プーチン大統領は「ウクライナの政治社会情勢正常化までロシア軍をウクライナ領内で使用する」と表明し、ロシア上院も承認したのです。
ソ連崩壊後に、主権尊重の協定
 ウクライナは旧ソ連崩壊の1991年に独立、人口4500万人と旧ソ連でロシアに次いで大きな国です。
 実はロシアとウクライナは、ソ連崩壊後、互いの主権と国境を尊重する協定を結んでいます。
 旧ソ連軍に属したウクライナにあった核兵器処理についてと、クリミア半島に駐留している黒海艦隊の所属についての協定です。
 ウクライナの核兵器を撤去する94年のブダペスト覚書ではロシアを含む核保有国が「ウクライナの独立、主権、現国境を尊重する」と明記。また97年の「ロシア黒海艦隊のウクライナ駐留での地位と条件協定」でも「主権尊重と内政不干渉」をうたいました。
 ロシアの軍事介入は、これらの協定に違反しています。また「いかなる国の領土保全または政治的独立に対する」武力行為を禁止する国連憲章に反することも明らかです。
 また、国連総会が74年に採択した「侵略の定義に関する決議」では、他国の港や沿岸の封鎖、駐留軍の合意に反する使用、武装集団・非正規軍の派遣への関与も「侵略行為」とされています。
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クリミア半島
 クリミア半島は、黒海に突き出た半島で面積は2万6000平方キロメートル。黒海を押さえる海軍の拠点です。18世紀後半から帝政ロシアの一部となりました。
 ソ連では、ロシア共和国の一部でしたが、1954年にソ連共産党のフルシチョフ第1書記(ウクライナ系)が1954年に帰属をロシアからウクライナ共和国に変更。人口約200万人の構成はロシア系住民が58%、ウクライナ系が24%、トルコ系の少数民族クリミア・タタールが12%(2001年)となっています。
 ソ連崩壊、ウクライナ独立後に、半島の帰属をめぐりロシアとウクライナが対立。その後、ウクライナに属するクリミア自治共和国となりました。
 セバストポリ市は自治共和国に属さない特別市で、ロシアの黒海艦隊の海軍基地があります。

原発関連死1000人超す 避難長期化、続く被害

2014-03-10 11:57:53 | 原発
東京新聞より転載
原発関連死1000人超す 避難長期化、続く被害                2014年3月10日 朝刊


 東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調が悪化し死亡した事例などを、本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、少なくとも千四十八人に上ることが分かった。昨年三月の調査では七百八十九人で、この一年間で二百五十九人増えた。事故から三年がたっても被害は拡大し続けている。 (飯田孝幸)
 市町村は、災害の直接の犠牲者だけでなく、その後の避難中の死亡などについても「震災関連死」と認定した場合、災害弔慰金(最高五百万円)を支給している。福島県内では二十四市町村が支給。本紙で震災関連死者のうち、原発事故で避難中だった人数などを聞き取り、集計した。
 南相馬市といわき市は震災関連死者のうち原発事故を理由とした避難者数を把握していない。ただ担当者は「大半が原発避難者」と話しておりこれを加えると原発関連死者は千五百人に迫る。福島県内の震災関連死者数は千六百七十一人(七日現在)で原発関連死者は少なくとも六割を占める。昨年四月一日から今年一月末までの震災関連死の認定数は岩手四十五人、宮城十七人に対して福島は二百七十七人と大幅に上回り、原発事故の特殊性を物語る。
 原発避難者の多い双葉郡八町村の担当者によると、震災直後に亡くなっていても、生活が落ち着いてから申請する人や、自治体の広報や報道で制度を知って申請に来る人がいるという。二百三十二人の原発関連死者を出した富岡町の担当者は「今でも月十件程度の申請がある」と話す。南相馬市では事故から二年半後に死亡しても震災関連死と認められたケースがあった。
 福島県の避難者数は約十三万五千人。このうち、二万八千人が仮設住宅で暮らしている。医療・福祉関係者の多くは、関連死防止に住環境の整備を指摘する。県は原発避難者向けに復興公営住宅四千八百九十戸の整備を進めているが、入居が始まるのは今秋から。一次計画分の三千七百戸への入居が完了するのは二〇一六年春になる見通しだ。

ワタミ創業 自民・渡辺議員 「最賃バイトは職業選択の自由」

2014-03-10 11:37:09 | 日記
しんぶん赤旗                               2014年3月10日(月)
ワタミ創業 自民・渡辺議員 「最賃バイトは職業選択の自由」
 ワタミグループ創業者で自民党参院議員の渡辺美樹氏がフェイスブックで、同社が居酒屋のアルバイトを最低賃金と同じ時給で募集していると日本共産党の小池晃副委員長が参院予算委員会(4日)で取り上げたことについて「最低賃金ではない職種の募集もしています。職業選択の自由は憲法で保障されている」と開き直っています。
 この日の質問で小池氏は、景気回復のカギとして、内部留保の活用とともに、最低賃金の引き上げが内需の活発化に最も効果があり、企業の経済活動にもプラスになると主張。ワタミグループが13都道府県の店で最低賃金と同額で募集している例を挙げ、「体力の十分ある企業グループで最低賃金ぎりぎりなんていうことは駄目だと言うべきだ」と首相に迫りました。
 渡辺氏はこれに対して、「職業選択の自由」を持ち出して、応募してきたアルバイトに責任を転嫁しているのです。長引く不況のもとで何とかアルバイトの職を得たいという人たちの足元を見て最低賃金で働かせていることに、経営者として政治家として痛みを感じないのでしょうか。
 渡辺氏は「中長期で企業を維持、発展させる責任が経営者にはある」として、内部留保の活用による賃上げの提案にも背を向け、小池氏に「レッテル貼り」と決めつけて「この国を『成長させる政策』で対決したい」と述べています。しかし、内部留保の活用、労働法制の改悪中止、最低賃気の引き上げこそが景気回復のカギであるという小池氏の提案への反論はありません。「レッテル貼り」の言葉は渡辺氏にお返ししたい。(慎)

再生へ一歩ずつ 防潮堤に願い描く 11日、東日本大震災から3年

2014-03-10 09:49:36 | 震災
福島民報より転載

再生へ一歩ずつ 防潮堤に願い描く 11日、東日本大震災から3年
 県内に甚大な被害をもたらした東日本大震災は11日、発生から3年を迎える。巨大地震と大津波、東京電力福島第一原発事故の影響は3年たった今も県民生活に影を落としており、県民は一歩ずつ復興への歩みを進めている。
 いわき市南部の沿岸地域では9日、「なこその希望アートフェス2014~つなごう 未来へのバトン」が開かれ、参加者は、津波が襲った防潮堤に絵を描き、復興への思いを新たにした。
 県内外から約800人が参加した。参加者は市内錦町須賀地区で防潮堤約300メートルにわたり、魚や虹、太陽などをペンキで描いた。「絆」「復興」などの文字も記した。

■各地で追悼行事
 11日は午後2時半から福島市の県文化センターで県主催の「3・11ふくしま追悼復興祈念行事」が行われ、佐藤雄平知事が県民の思いを盛り込んだメッセージを述べる。各地で市町村主催の追悼行事なども行われる。

( 2014/03/10 08:26 カテゴリー:今日の撮れたて )

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない