『みんなの塾』

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時は金なり。金は時買えぬ。「一寸光陰一寸金、寸金難買寸光陰。」

『弟子規』日本語解説(18)

2018年06月29日 | 『弟子規』日本語解説
二、出則弟
chū zé tì
【解説】“出”,是指出了家門,進入社會、國家的意思。“弟”(現代語:悌),是指尊長愛幼,就是在社會上與人相處,要能夠像在家庭一樣順從長上,友愛兄弟姐妹,建立良好的人際關係。
【和訳】「出」とは家を出て、社会、国家に出るという意味で、「弟(てい)」(現代語:悌(てい)とは年長者を尊敬し、年少者を友愛することを指します。つまり社会における人との交際は、家と同じように年長者に従い、兄弟姉妹を友愛し、人間関係を大切にするようにします。

●簡単解説:
★第一章の「入則孝」は、「うちの中では、親孝行をするべき」ということです。この第二章の「出則弟」では、「うちの外では、目上の人に恭敬・従順な態度と行動をとるべき」ことが説かれています。
 家で父母に対する孝行・従順な心を養えば、自然に、外でも、兄弟友愛ができ、師匠や年長者などの目上の人に敬いしたがうことができるようになるでしょう。
兄弟姉妹仲良くすることも親孝行であるのです。自分の子供たちが仲睦まじく団結しあい、思いやり合いながら互いを愛し、助け、守ることを願うのが親心というものです。
それと同じように、わが子が学校などの所へ学びに行けば、今度、師匠・先生を尊(とうと)び、教えを重んじることができることを望むのも、親として当然であります。師を尊敬することは、「道(倫理・道徳などの自然の摂理・秩序や宇宙人生の真相)」を重んじることへ繋がります。師を敬えば、自然と、学業、道業(道徳を高め、煩悩を断じること。または悟りへの修行)を大切にします。それによって、本物の学問を身につけることができます。
そして、社会に出れば、上司、年配者に対しても、自然と、その恭敬・従順の態度を貫くことができます。それで、仕事でも、良好な人間関係を保つことができます。もちろん、仕事の効率とクオリティのアップにも繋がります。
さらに広げて言えば、社会にあるすべての目上の方、つまり、階級・地位や年齢、人望、学問、道徳が自分より上である人のことに対して、恭しく仕えるべきです。
以上のことすべては「弟道(悌道)」であります。
前文で述べたように、孝は「一体」です。この「すべてが一体である」概念は、自分の心の持ち方であって、生まれつきの愛心です。その中にある愛の心が外に具体的な形として現れた時は、必ず、父母や師長、兄・姉、目上に対する恭敬・従順な態度になります。これはすなわち「弟道」であります。
「入則孝」は内面にある愛の心です。「出則弟」は外面に現す恭敬な態度です。ゆえに、孝と弟は別々のものではなく一体であるのです。「孝」は本体であり、「弟」はその作用であります。

★人はどんなに成功しても、決して、親と師のご恩を忘れてはいけません。古人たちはこの教育の役割をよく分担して行っていました。たとえば、両親は家で、子供たちに「先生を敬いなさい」と教え、先生は学校で、「親を孝行しなさい」と教えていました。両方合わせれば、「孝親尊師(こうしんそんし。父母によく仕え、師匠を敬うことです)」を教えることができています。
孝道(こうどう。孝行の道)と師道(しどう。師を敬い、師からの道徳や道義を重んじるなどの教えを守ること)は伝統的な美徳です。儒家という教育体系は師道です。道家、仏家も同じく師道であります。儒・釈・道(儒教・仏教・道教)この三つは共に中華伝統文化の重要な主流であります。

★人の福運・成功は、皆、「徳行」を基としているものであります。ゆえに、孔子は四つの教学科目の中で、道徳の教育を一番目にあげています。道徳は人間の根本的なもので、基本的な条件です。この『弟子規』の全編はまさに道徳教育であるので、ぜひここから着手して学びましょう。
  
★道徳は幸福・成功の土台です。一人の人間の成功の原因は何でしょうか。頭脳の聡明さや知識の豊富さ、素質のよさなどは皆二の次です。最も重要なのがその人の道徳の高さです。
しかし、道徳の中に一番重要なのは「孝弟」であるのです。すなわち、「孝」、親孝行できるかどうか、「弟」、師を尊び、目上や年配者を尊敬できるかどうかです。
孟子は、「孝弟は、聖賢になるための手助けだ」と教え述べられています。さらに、「堯舜之道、孝弟而已矣(堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)は孝(こう)弟(てい)のみ)」とおっしゃいました。



孔子は『論語』のなかでも、「孝弟也者,其為仁之本與(孝弟とは、其れ仁(じん)の本(もと)為(た)るか)」と教え諭しています。つまり、「孝弟は仁の根本である」ということです。もちろん、あなたの人生成功の根本、事業の根本でもあるのです。



簡単解説の内容は楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
一部の内容は念仏人さんのブログによります、心から感謝いたします。
ブログをご覧になっている皆さんとご一緒に学ぶことができて、本当にうれしいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

『弟子規』日本語解説(17)

2018年06月27日 | 『弟子規』日本語解説
喪盡禮 祭盡誠 事死者 如事生
sāng jìn lǐ  jì jìn chéng shì sǐ zhě rú shì shēng

【解説】喪事要完全按照禮法去辦理,祭祀要完全出自於真誠心。對待去世的父母親,要如同他們在世時候一樣。
葬儀(そうぎ)は礼儀(れいぎ)作法(さほう)に則(のっと)って行い、祭礼(さいれい)は誠心(せいしん)誠意(せいい)に行わなければなりません。亡くなった親に対しては、礼を尽くして、生前と同じように親孝行を怠(おこた)らず、親の恩を忘れず、親からの教えを大事にしていかなければなりません。

●簡単解説:
★葬儀は、見栄っ張りのためにではなく、浪費のためでもありません。父母への尊敬と祈りを捧げるためであるのです。
生前父母に信仰があった場合には、その信仰の形式や父母が希望する形式で葬儀を執り行うべきです。
 例えば、父母が念仏する仏教徒の場合は、できれば、臨終間近の蘇生処置をしません(現代では、そのような意思表示を前もって記入できる「DNRシート」もあります)。そして、一緒に念仏してあげます。なぜならば、臨終の際に、余計な苦痛が与えられずに、本人が声を出してまたは心のなかで念仏し続けながら(本人が衰弱などでどうしても自力で念仏できなければ、だれかが〈だれも念仏してもらえる人がいなければ、浄空法師が念じている仏号をネット[http://edu.hwadzan.com/play/61/126]でダウンロードしてCDプレーヤーなどでリピート再生して仏号を流してあげましょう〉必ずそばで仏号を念じ続けてあげて、その念じた「阿弥陀仏」という仏号を聞かせながら)、仏号の中で、自然で、穏やかに、この世を静かに去り、極楽浄土へ往生したいのは念仏者の皆にある願いだからです。

★現代では、父母の喪に服することにあたり、毎年親の命日で、故人の供養を行うことによって、よい模範として、父母のご恩を忘れてはいけないことを自分の子供や社会の大衆に示せればいいのです。
 ご先祖を供養する際には、真心で行わなければなりません。その時の気持ちはどのよう感じでしょうか。父母や先祖が帰ってきて、目の前にいるようで、優しく、父母や先祖を迎え入れるような感じです。とても優しく、温かい気持ちです。父母の霊もきっとその気持ちに慰められ、安らかになられます。
 同時に、そのような、真心を込めて父母の供養を恭しくする姿を自分たちの子女に見せることによって、父母・祖先への敬意とはいかなるものであるのかを子供たちに知ってもらうことができます。



★「慎終追遠、民徳帰厚矣(終わりを慎(つつし)み、遠(とお)きを追えば、民の徳、厚きに帰せん。)亡くなった父母を丁重に弔い、遠い先祖を祭り大切にしていれば、人民もおのずからその徳に同化されて、人情風俗が敦厚(とんこう)になり、良風美俗の社会風潮が醸成されてゆくものです)」と古人が仰っていたように、人が祖先に感謝する気持ちがあれば、亡くなった父母に感謝の気持ちがあれば、むやみに、道に外れた振る舞いや行動をできなくなります。なぜならば、そのような悪事を働けば、父母や祖先に恥をかかせることになるからです。先祖の名に恥じないような行動をしなければなりません。
『孝経』には「春明祭祀、以時思之、生事愛敬、死事哀戚(春秋に祭祀(さいし)して、時を以て之(これ)を思ふ。生けば事(つか)へて愛敬し、死せば事(つか)へて哀戚(あいせき)す)」との句がありました。これは、父母が亡くなってから、毎年の春と秋に父母・祖先を祭らなければならないということです。春では、清明節(西暦4月5日ごろ)の時です。秋では、冬至の時です。この二つの日は、亡くなった父母・先祖を祭る日です。その時、たとえば、家でご先祖の位牌の前に、お香を焚き、念仏などのお勤めをすることや仏経典または聖賢の経典を唱えるなどをして、ご先祖の前で、先祖に恥をかかせないように、自分の行いを慎み、徳行を高めていく誓いを立てれば、祖先もきっと喜ぶでしょう。
ご先祖に対してそのような孝行する心があれば、現在目の前に生きておられる父母に対して親不孝などするはずがありません。

★以上は「入則孝」です。この章はすべての道徳の根本です。まず、本当の孝子になりましょう。親孝行から出発して、一緒に聖賢の美徳を学んでいきましょう。


簡単解説の内容は楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
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教育を本と為し、和睦を貴しと為す

2018年06月27日 | 中国の伝統文化
(新加坡富丽华酒店会客谈话—教育为本 和睦为贵  (第三集)  2018/2/23  新加坡富丽华酒店  檔名:32-279-0003)

教育為本 和睦為貴
教育を本(もと)と為し、和睦(わぼく:親しみ仲良くすること)を貴しと為す


社会动乱,根源在哪里?就是把个人的利益摆在第一,社会就乱了。怎么样能够回归到和平?第一个念头,人民的利益,就兴旺起来了,问题就解决了。

社会の動乱の根源はどこにあるのでしょうか?
それは個人の利益を第一に置いているからです。それで社会は乱れます。
どうすれば平和を取り戻すことができるのでしょうか?
第一の思いを人民の利益に置くことです。そうすれば盛んになります。問題は解決します。




教育是根,根本就是教育,治国、平天下也是从教育开头。中国的《礼记》,中国的四书,你像《大学》里头就讲到的,修身、齐家、治国、平天下。从哪里开始?从教学开始。教学从哪里开始?从孝顺父母开始。你不孝父母,不敬师长,你的身怎么修法?

教育は根であり、根本は教育なのです。
国を治め、天下を平らかにするのも教育から始まります。
中国の『礼記(らいき)』、中国の四書、『大学』の中に説かれています。
修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国(ちこく)平天下(へいてんか)(まず自分の身を修め、家庭をととのえ、国家を治め、そして天下を平和にするのである)。
どこから始めれば良いのでしょうか?
教学から始めます。
教学はどこから始めるのでしょうか?
父母に対する孝順(こうじゅん:父母に孝行し、よく従うこと)から始めます。
あなたが親不孝で、師長(しちょう:先生や年長者)を敬わないなら、どのように身を修めるのでしょうか?


身修而后家齐,你的家才幸福、才美满,一家和睦。所以我们看一个事业、一个家庭是兴是旺,你看他家人和不和,家和万事兴。他一家要和睦,决定兴旺;这一家吵吵闹闹的,一天到晚都听到这些杂音,怎么起也起不来。再富贵,时间有限,不很长。和重要!

身を修めてから家庭をととのえてこそ、あなたの家は幸福になり、八方円満になり、家族は仲睦まじくなります。
ですから私たちは事業を見るのに、その家族が盛んになるのか衰退するのかは、その家族の仲が良いかどうかを見ます。「家族が仲睦まじければ、何事も繁栄する」(家和万事興)。その家族が仲睦まじいなら必ず家は盛んになり、朝から晩まで口論しているなら盛んになりようがありません。どれほど豊かであっても時間に限りがあり、長くは続きません。「和」は重要です。


所以宗教是和平、博爱的教育,它的对象是对一切人。神的心是公平的,不是说你皈依他了,他就爱护你、保佑你;你是好人,但是你没有皈依他,他就不保佑你,那不是神,那是人。神是看什么?你的心是好的,你为人民服务,为一切众生服务,他就保佑你,你不求他,他也保佑你。

宗教は和平、博愛の教育です。
その対象はすべての人です。
神の心は公平です。あなたが帰依したから神の加護があるのではありません。
あなたが良い人でも、神に帰依していなければ加護は得られない。
それは神ではありません。それは人です。
神はこう見ます。あなたはの心が良く、人々のために奉仕し、一切衆生のために奉仕するなら、神はあなたを加護します。神に求めなくても神はあなたを加護します。


(翻訳は「浄空法師の説法」の管理人さまによります。お疲れ様でした。ありがとうございます。)

『弟子規』日本語解説(16)

2018年06月26日 | 『弟子規』日本語解説
喪三年 常悲咽 居處變 酒肉絕
sāng sān nián cháng bēi yè jū chù biàn jiǔ ròu jué

【解説】父母親去世之後,要守喪三年,有孝心的,提起父母親還會難過哭泣,哀思父母親養育之恩。居處要力求簡樸,禁絕酒肉、情欲等事。
親が亡くなったら三年喪(さんねんのも)に服し、常に育ててくれた親の恩をよく偲び、生活は簡素(かんそ)にし、酒肉や情欲は慎まなければなりません。

●簡単解説:
★古人は3年喪に服する美徳がありました。なぜ3年でしょうか。昔の育児では、普通、生まれて来た赤ちゃんに3年間母乳を飲ませて育てていました。したがって、子女たるものも父母がなくなってから、3年間の喪に服することは理にかなったことです。
 昔、喪中では、孝子は親のお墓の傍にあばら家を立て、そこで寝起きをして、三年間その死を弔(とむら)いながら、親の教えを改めて見返して、親に報恩できるように心の整理をつけます。
そして、古人では、多くの方は、親がなくなってから、3年間だけ肉食を絶つのではなく、そのまま一生肉食せずにいた人物もよくいらっしゃいました。
たとえば、唐の崔沔(サイベン/cui miǎn)は母親にとても親孝行をしていました。母親が生きていた時に、目が見えないので、崔沔はよく母親をピクニックや親戚・友人が一緒に集まる団らんの場に連れていきました。その都度、当時の素晴らしい場面や美しい風景を詳しく言葉で表現して、母親に味わってもらい、喜んでもらっていました。
母親が亡くなってから、崔沔は菜食者となり、それをもって、自分の母親を偲びました。さらに、亡き母親にほかの子どもの心配をさせないように、兄弟姉妹にもよく世話し、とってもよく接していました。
後に、崔沔も唐の高官、侍郎に昇進していました。




それに比べて、現在よく、親が亡くなってからまだ間もないのに、家族、兄弟の間では、すでに財産争いのために、裁判沙汰にまで発展してしまうのです。

★父母と師匠に同じように孝行を尽くします。それだから、昔の喪中の礼法では、父母が亡くなったら、息子が三年の喪に服します。師匠が亡くなった場合にも、同じように、弟子が三年の喪に服します。その悲しみは同じものです。
違いは、師匠の場合は、喪服を着用しないことだけです。「心で喪に服す」といいます。
  この喪に服す三年間のなかに、死を悼み、行いを慎み、心を落ち着かせて、父母・師匠からの教えを改めて思い出して、日常生活でその教えをもっと実践・実行し、自分自身の徳行を高めるために奮い立ちます。

 昔は、孝道と師道は人間として生きていく根本なものでした。もし、それができていなかったら、忘恩負義(ぼうおんふぎ。恩義を忘れて義理に背くこと)の裏切る者として、人々に蔑(さげす)まれ、まったく相手にされずに、八(はっ)方(ぽう)塞(ふさ)がりになります。
しかし、現代社会では違います。孝道と師道を重んじる人はますます少なくなっています。ゆえに、今のように、自己中心主義が蔓延し、道徳が廃れ、金と権力を争う恐ろしい世相になってしまっています。このような社会は我々にたくさんの災難をもたらしています。
乱れた世を正常の状態に戻したければ、やはり、古の聖賢に学ぶべきです。祖先たちに学ぶべきです。


簡単解説の内容は楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
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『弟子規』日本語解説(15)

2018年06月25日 | 『弟子規』日本語解説
親有疾 藥先嘗 晝夜侍 不離床
qīn yǒu jí yào xiān cháng zhòu yè shì bù lí chuáng

【解説】若父母親生病了,服用的湯藥自己要先嘗一嘗,看看是不是太苦、或太燙。並且應日夜侍奉在他們的身邊,不能離開一步。
親が病気になったら、子は煎(せん)じた薬液の温度加減を確かめるなど、服薬管理をよくして、そばを離れずに細心(さいしん)の注意を払って看病・看護しなければなりません。

●簡単解説:
★この句から最後までの段落に対して、現在の社会では、親の世話や介護をしたくないからと言って、病気になった親をまったく看病せずに見捨てたり、年配の親を老人ホームなどの施設に放り込んだまま放置していたりする現象は多く見受けられます。本当に、今一度、よく考えるべきことですね。

★昔の中国では、薬はほとんど、生薬(しょうやく)を水で煮出して作る煎じ薬です。煎じたばかりの薬液はきっととても熱いので、少しだけすくって味見して、温度を試してから、父母に服用していただきます。その時代ならではの、古人たちのきめ細やかな看病です。
 現代では、西洋薬が主流となっています。父母の服薬管理をきちんとしましょう。たとえば、薬の置き場所の把握、薬の飲み間違い、飲み忘れなどをよく注意してあげましょう。



★前漢の文帝(紀元前203年—前157年)は、3年間にわたって、毎日煎じ薬を味見し、温度などを試してから、病気の母親に飲ませて、四六時中付きっきりで看病していました。その立派な親孝行は全国の人々に感動を与えていました。
息子の景帝も父親と同じく、とても孝行な方でした。
当時は、その孝の精神で、後世に「文景の治」と讃えられる徳政が実現されていました。
他の王朝でも、周の文王は父親の王季に対して、「昏定晨省(こんていしんせい)」を実行していました。毎日朝晩父親の体調やようすをたずねていました。常に、父親の食事や服装などに気を配っていました。
周の武王は周文王の息子です。ある時に、文王は病気になりました。武王は12日間着物をぬいで寝ることがなく、父親の看病を献身的にし続けました。それで、周文王の病気が見事に治りました。
周公(周文王の四男)も、兄の周武王が病気になったのを見て、太廟(たいびょう。皇室の祖先祭祀を行う場所)に行って、祖先の霊前で、自分の寿命を減らすことで兄の病気を治してほしいと祈祷文(きとうぶん)を書き、ご先祖に願いました。本当に、武王の病が治り、回復しました。
後に、周成王(武王の子、周公のおい)はその太廟の霊前に献じられていた周公の祈祷文を見かけた時、とても感動していました。
そのように、周朝の孝悌の実践・実行はとても素晴らしいものでした。その孝悌を重んじる風習で、約800年間もの周の繁栄が成し遂げられました。
『孝経』のなかで「子曰、教民親愛、莫善於孝(子曰く、民に親愛を教うるは孝より善きはなし)」と説かれているように、人民に親愛の道を教えるにつれて、孝道を教えることより善いものはありません。
孝はすべての根本です。もし孝悌の精神を広く社会全般に押し広げれば、民衆は自然と、互いに睦まじく暮らしていけるでしょう。
  これは、まさに『孝経』にある「孝悌之至、通於神明、光於四海、無所不通(孝悌の至りは、神明に通じ、四海に光(かがや)き、通ぜざる所なし)」という句の如きです。
★中国という国の5000年来の安定と成長の源は何でしょうか。孝道と師道です!ゆえに、昔の中国では、父母と師匠の身分・地位は全く同じです。
 この肉体は父母から頂きました。これを「身命(しんみょう、肉体という命)」と呼びます。それに対して、私たちには「慧命(えみょう。智慧という命)」もあります。慧命は師匠から頂いたものです。一人の人間にはこのように、身命と慧命との二つの「命」があります。なので、父母と師匠に同じように孝行を尽くすべきです。


簡単解説の内容は楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
一部の内容は念仏人さんのブログによります、心から感謝いたします。
ブログをご覧になっている皆さんとご一緒に学ぶことができて、本当にうれしいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
昨日、実践倫理のある先輩は『弟子規』を勉強しています、感想文も書くつもりですと言ってくれました。とてもうれしいです。感想文も楽しみにしています ((´∀`*))