『みんなの塾』

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時は金なり。金は時買えぬ。「一寸光陰一寸金、寸金難買寸光陰。」

《群書治要三六〇》序文および前書き

2018年05月30日 | 《群書治要》
管理人自分自身が持っている《群書治要》の本を皆さんに紹介させていただきます。
序文および前書きの文字数が多いので、写真でアップさせていただきます。
右側の日本語バージョン《群書治要三六〇》(マレーシア中華文化教育センター 編訳  台湾NGO法人西有学会 翻訳)は大阪市の図書館に所蔵されています。借りて、ご自分の目で楽しむことができます。
よろしくお願いいたします。














宮内庁所蔵「群書治要」(ぐんしょちよう)

2018年05月25日 | 《群書治要》



唐の太宗(たいそう)が魏徴(ぎちょう)に編纂させた政治の指針を記した書,巻子本全50巻。唐の貞観5年(631)の成立。中国では早くに散逸。この本は鎌倉時代中期に幕府の金沢氏が書写させたもので欠巻があるものの47巻伝わる。
鎌倉時代写
巻子本47軸

http://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/syuzou-z06.html

古活字版「群書治要」

2018年05月23日 | 《群書治要》


宝物の紹介(国立国会図書館のページより):
「群書治要(ぐんしょちよう)」 50巻(巻4,13,20原欠) (唐)魏徴等撰 〔元和2(1616)〕刊 47冊 26.2×19.5㎝
 古活字版。駿河版。徳川家康が慶長12年(1607)駿府に退隠して後、林道春(羅山)と金地院崇伝に命じて刊行させたものを駿河版という。本書のほかに『大蔵一覧集』10巻11冊が刊行された。駿河版はわが国で最初に鋳造した銅活字約10万個を用いて印刷されたといわれるが、家康の死去により中断された。この時の銅活字と付属品の一部は現在凸版印刷株式会社が所蔵、重要文化財に指定されている。『群書治要』は群書の中から治世に関するものを抜粋、編集したもので唐代に成立した。政治の要道が記され帝王学の書として尊重されたが、中国では宋代に散逸、わが国において伝来してきた。

http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/catalog/c042.html

国宝——群書治要(東京国立博物館)

2018年05月15日 | 《群書治要》
e国宝の紹介



指定名称:群書治要(色紙)
1巻
(群書治要のうち)
彩箋墨書
27.1×721.2~1472.7
平安時代・11世紀
東京国立博物館
B-2531
http://www.emuseum.jp/detail/100168?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class_id=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=49&num=5&mode=detail

 『群書治要』(全50巻)は、中国・唐時代の631年(貞観5)、秘書監の魏徴(ぎちょう)らが太宗の命によって編纂した政治参考書で、唐代の政治思想を知る上で貴重な書である。日本でも平安時代初期の仁(にん)明(みょう)天皇のとき、宮中(きゅうちゅう)で読書が行われ、歴代天皇が尊重(そんちょう)した。
 これは九条家に伝来した13巻であるが、平安時代中期に唐時代の写本に基づいて書写された現存最古の写本である。紫色、縹(はなだ)色、茶色などの濃淡に染めた紙や、飛雲(とびくも)をすき込んだ紙を継ぎ合わせ、金の罫線を引き、和様の端正な書風で書かれる。数人の筆者により寄合書(よりあいがき)され、仮名、漢文を読むための乎古止点(をことてん)、校合(きょうごう)の書き入れがある。
 中国の典籍が色紙に書写されたものはめずらしく、また、紙と筆跡が美しいため後世切断されて古筆切(こひつぎれ)としても珍重された。

群書治要(ぐんしょちよう)概要

2018年05月15日 | 《群書治要》
群書治要(ぐんしょちよう)概要wikipedia
群書治要(ぐんしょちよう)は、中国・唐代初期に、治世のための参考書として編まれた書籍である。太宗の奉勅撰。50巻。春秋戦国時代より晋代に及ぶ67種の典籍から、治世の上で参考にすべき文言を抜き書きして、各典籍ごとに配列する体裁をとっている。引用書の中には散逸して完本で現存していないものも含まれるため、その資料的価値は高い。また、現存典籍であっても、現行本との異同を見る意味で重要である。
中国では、早くに散逸してしまったが、日本で金沢文庫に伝存していた(巻4、13、20を欠く)。現在、その本は、宮内庁書陵部に所蔵されている。元和2年(1616年)に、古活字本(駿河版)を用いて徳川家康が板行した。また、天明中(1781年 - 1789年)の尾張藩、弘化中(1844年 - 1848年)の紀州藩が、それぞれ駿河版に活字を補して板行している。1989年には金沢文庫本が影印出版された。
『群書治要』 汲古書院〈古典研究会叢書 漢籍之部 9-15〉、1989-1991。(全7冊)
中国では、清代に日本で印刷された本が伝わり、阮元が入手して嘉慶帝に進上している。現存しない書籍を多数収録していることを阮元は高く評価し、明らかに唐初の書物であると判断している[1]。また、1990年代に日本の皇室関係者経由で写本を手に入れた習仲勲が研究を命じて『群書治要考訳』が刊行されている