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『みんなの塾』

素敵な言葉、善いものをみんなと一緒に学びましょう。
時は金なり。金は時買えぬ。「一寸光陰一寸金、寸金難買寸光陰。」

『弟子規』日本語解説(42)

2018年08月31日 | 『弟子規』日本語解説
事勿忙 忙多錯 勿畏難 勿輕略
shì wù máng máng duō cuò wù wèi nán wù qīng lüè
【解説】做事情不能太匆促,匆促之時最容易出現差錯。不要害怕困難,應該知難而進,也不要馬虎草率,即使是小事,也要認真對待。
【和訳】物事は慌(あわ)ただしくしてはなりません。慌(あわ)ただしくすると間違いが起こりやすいです。困難な事を恐れてはならず、簡単なことでも軽んじてはなりません。



●簡単解説:
「物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣」

(<『大学』>物に本末有り、事に終始有り。先後(せんごう)する所を知れば、則ち道に近し。つまり、物には本末があり、事には終始(始まりと終わり)があります。物事の先と後にすべき所を知れば、大学の「道」は近いのであります。)
〔説明:
 本末:根本と枝葉です。植物でたとえると、「本」は木の根の部分に当たり、「末」は木の枝葉・花果の部分に当たります。『大学』の「自天子以至於庶人、壱是皆以修身為本。其本乱而末治者否矣」(天子より庶民に至るまで、第一に身を修めることを基本とする。身(本)が修まらないで、家・国・天下が治まるようなことは決してあり得ないことである)により、この「本末」の本は「修身(しゅうしん)(格物(かくぶつ)、致(ち)知(ち)、誠意(せいい)、正心(せいしん)を以て自分自身の道徳を高め、行いを正しくする)」です;末は斉家(せいか)(家庭の中から倫理道徳の教育を行い、家族が和睦するようにととのえる)・治国(ちこく)(社外に貢献し、地域や国をよく治める)・平(へい)天下(てんか)(天下を平等・公平・平和にする)です)
大学の「道」:『大学』の冒頭の文の主旨を明らかにする文の「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善」(大学のみちは明徳を明らかにするにあり、民に親しむにあり、至善(しぜん)に止まるにあり)により、大学の道は「明明徳、親民、止於至善」であるのです。
『大学』の「大」は「大人(うし)(師や学者または先人を尊敬していう語)」です。儒家の「大人」はすなわち聖人です。仏法の「大人」は仏菩薩です。
『大学』の「学」は学問です。仏法の「学」は覚悟、悟りです。

「親民」は大衆に仁慈・慈悲・慈愛・博愛で接することです。仏法の「親民」は「四摂(ししょう)・六度」を以て大慈大悲に衆生を教化することです。

「明明徳」の一つ目の「明(めい)」は動詞で、「明らかにする」、「回復させる」ことです。
次の「明徳(めいとく)」は名詞で、「本善」という意味です。つまり、「人之初、性本善(全ての人の生まれたときの性は、元々善である)」で述べられている人々の本性に元々具わる善のことです。この本善は「光明、清浄なる智慧・徳行」です。
つまり、儒教の「明明徳」は本善を回復させ、明らかにすることです。
仏法では、「明徳」の明は智慧、徳は徳行で、つまり智慧徳相を本具する自性(仏性・真如)です。「明明徳」は自性に回帰して、元々具わっていう智慧徳相を回復させ、「明心見性する」とのことです。

「至善」は「もっとも円満な善」です。儒家の至善は聖人になることです。ちなみに、仏教の至善は「成仏(仏果を証得すること)」することです。〕


「物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣」で述べられているように、物事には最重要な部分と枝葉末節(しようまっせつ)があり、始めと終わりの順番もあります。物事をする前に、何が重要で何が先で何が後かの優先順位を考えてから、手順よく取りかかれば、より早く成果に近づけるので、慌ただしく行ってはいけません。

人生も同じく、「人貴立志(人は志を立つるを貴(たっと)ぶ)」との言葉あるように、何よりもまず志を立てることが大切であります。立志すれば、進むべき人生の方向が明確になります。この人生の志とあまり関係のないことであれば、放下しましょう。やる必要がありません。これで無駄を省けて、よりはやく目標に近づけます。
逆に、もし人生に志や目標がなければ、毎日行き当たりばったりで、いろいろな物事・人・チャンスに出あえ、あれこれと悩み迷い、やみくもに動き回っていることになるだけです。結局何一つも成功したと言えることがないかもしれません。
それで、多くの人は、自分のこの一生はいったい何しに来たのかと疑問を感じることもしばしばです。何十年も生きてきて、その意義・意味が分らずにいます。
小さい頃には、大人を羨ましがって、人にいじめられずに早く大きくなりたいと思うばかりで、だんだん大きくなって、中学校、高校に入り、今度人が大学に入るのを見て、自分もはやく大学に入りたいと思い、いざ大学に入学したら、人が就職したいい仕事に羨ましく思い、自分も今度早く卒業して、いい仕事につきたいと考えています。 
忙しく就職活動して、やっと就職できたら、人が結婚しているのをみて、自分も結婚したくなり、本当に結婚したら、次は子供を育てます。
仕事・家事・育児のしんどさから、子供が早く大きくなってほしいと願います。だんだんと子が大きくなってきて、育児が少し楽になったと思ったばかりのところで、今度、子どもはなかなか言うことを聞かないことに気付きます。
反抗期と口答え、子どもの教育や学校の進路などで、いろいろと悩みが増え、人生の辛さを覚えます。早く定年退職して、自分の第二の人生を悠々自在(ゆうゆうじざい)に楽しみたいと想像します。
結局リタイア後も、悠々自在できずに、子どもを結婚させてしばらくしたら、生まれてくる孫の世話を頻繁に任されるようになります。
自分も年取ったなと自覚するようになって、本当に老けました。老けると病気が多くなります。病気になって、今度はいよいよ死に直面します。死ぬ前に、ようやくこの慌ただしい人生の儚さ・虚しさに嘆き、初めて自分の人生の真義を真剣に考えますが、時すでに遅いです。

 古の聖賢は私たちに、この一生で、聖賢になることを志すべきと勧め導いています。どの仕事でも、どの業種でも聖賢になれます。
その方法としては、まず聖賢の書籍を読み、聖賢の教えを学ぶことからです。心で聖賢の教えを銘記し、自分の人生言動の指針にします。そうすれば、自分の人生道路をどのようにして歩めばいいのかをはっきりと分かることができます。
それが分かれば、心が急がず焦らず、悠々自在になれます。困難なことを怯(おび)えず、恐れず、簡単なことも軽んじず、疎かにせず、ただ目の前にあるやるべきことを一つ一つ丁寧にこなすのみです。


簡単解説の内容は浄空法師の説法、楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
一部の内容は念仏人さんのブログによります、心から感謝いたします。
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『弟子規』日本語解説(41)

2018年08月30日 | 『弟子規』日本語解説
執虛器 如執盈 入虛室 如有人
zhí xū qì rú zhí yíng rù xū shì rú yǒu rén
【解説】手裡拿著空的器具,要像拿著裝滿東西的器具一樣小心。走進沒有人的房間,要像進到有人的房間一樣謹慎,不能亂走動。
【和訳】手に空の容器や用具を持ち運ぶ時は、まるで器に物が満タンに入っているかのように慎重に取り扱うべきです。誰もいない部屋に入る時は、人がいる時と同じように慎み深く入り、部屋の物をむやみに触ったりせず、言動(げんどう)を慎まなければなりません。

●簡単解説:
★古典『中庸』『大学』から「君子必慎其独也(君子は必ず其の独りを慎むなり)」という言葉があります。つまり、自分一人でいるときでも行いをつつしみ、道をはずれなく、雑念も起こらないようにすることです。


(四書 孟子集註)


(朱熹《大學集註》)

中国の古典にみえる儒家の実践命題です。人のいないところでも身を慎み,人倫の道を守っていくことをいいます。宋学の「居敬」にもつながるものであるが,特に明末の陽明学者劉宗周は,当時の士大夫層に必要な個人修養の徳目として強調しました。



「入虚室 如有人」の文を意味から、山に入る時もそうです。山のなかでむやみに大きな声を出して叫んではいけません。山の植物と動物にも敬意をはらって、大騒ぎしないということです。



簡単解説の内容は浄空法師の説法、楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
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『弟子規』日本語解説(40)

2018年08月29日 | 『弟子規』日本語解説
緩揭簾 勿有聲 寬轉彎 勿觸棱
huǎn jiē lián wù yǒu shēng kuān zhuǎn wān wù chù léng
【解説】打開門或門窗簾時,要輕輕打開,儘量不要發出響聲。轉彎時角度要大一些,確認好對向是否安全,然後再通過。不要碰到東西的棱角上,以免造成不必要的傷害。
【和訳】すだれ、カーテン、ドアなど物の開け閉めには、音を立てないように静かに丁寧に行わなければなりません。曲がり角をすこし大きく回りながら、回り角の向こうを確認しながらゆっくりと通るようにしなければなりません。尖(とが)った角(かど)や縁(えん)の所に当たらないように注意し、できる限り事故や怪我(けが)のリスクを避けます。



●簡単解説:
 ★「急いては事を仕損じる」(せいてはことをしそんじる)の諺があるように、なにごとも急がず焦らず、冷静沈着で、ゆっくり着実に行うべきです。重要なことであればあるほど、一旦心を落ち着かせて、慎重かつ綿密によく考えてから、初めて行動に移しましょう。
 それがゆえに、儒家の修身方法の一つのコツは「緩」字であるのです。物事を進めるときに、スピードを緩めることです。これは「のろのろ」という意味ではなく、心を静かに落ち着かせて、より用意周到よういしゅうとうに思考を巡らせることです。


(下記は念仏人さんご自分自身の経験を記事にしました)
「曲がり角をすこし大きく回りながら、曲がり角の向こうを確認しながらゆっくりと通るようにしなければなりません」の部分をもっとはやく子供に教えてあげればと後悔しています。
子どもが小学生5年生の時に、学校の廊下を普通に歩き、廊下の突き当たりの角の所を曲がった瞬間に、曲がり角の向こうからすごいスピードで走ってきた3年生の男の子さんの堅い頭とうちの子の顔の顎あたりがガンっといきなりぶつかりました。
男の子の堅い頭は大丈夫そうでしたが、うちの子は一瞬クラッとして起き上がれませんでした。歯も割れて、顔の顎の部分が張れて、耳も痛くて、頭痛もして、しばらく辛い思いをしていました。
学校の廊下を走ってはいけないですが、たまにはやはり元気な男子が走ってしまいます。
今、このことを思い出すたびに、もし、以前から、私がうちの子に『弟子規』で教えているこの「寛転彎」の部分を教えてあげたら、子供はそんな痛い思いをしなくて済んだのかもしれません。
しかし、どちらにしても、その時の私自身まだこの『弟子規』を知らなかったのです。
ママ失格ですね。反省して、改めます。やはり、常日頃から、子どもたちに自分が知っている聖賢の教誨きょうかいを少しずつ話して教えてあげるべきです。きっと、その子の人生に役立ちます。


簡単解説の内容は浄空法師の説法、楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
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『弟子規』日本語解説(39)

2018年08月28日 | 『弟子規』日本語解説
勿踐閾 勿跛倚 勿箕踞 勿搖髀
wù jiàn yù wù bǒ yǐ wù jī jù wù yáo bì
【解説】進出門時,腳不要踩到門檻上;不要用一條腿支撐身體斜靠在東西上;就坐時不要叉開兩腿;更不要搖晃大腿或身體的某個部位。否則,就會顯得你沒有教養。
【和訳】門(もん)の敷居(しきい)を踏んではなりません。片足(かたあし)で体を支えて物に凭(もた)れて斜めに立ってはなりません。座るときは両足を開(ひら)いたり、体を揺(ゆ)り動(うご)かしてはなりません。
●簡単解説:
★敷居を踏むことは乱暴な姿勢に当たります。
また、昔の家の敷居は風を遮断するために一段と高くなっています。材質はいろいろで、木材、石、金属などはよく使われています。敷居を踏めば、自分だけ人より一段高い位置にいることになるので、これも失礼に当たります。 
そして、敷居をよく踏むと、壊れやすくなります。物を大事に扱いましょう。


(お寺の金属敷居)


(古い住宅の石敷居)

敷居をまたいで通りましょう。
それに加えて、人様の通行の妨げになるので、門の真ん中のところで立ってはいけません。
そして、お寺の場合は、昔では正門は皇帝が通る門なので、特別の事情がなければ、両サイドにある通用門から入るようにしましょう。右の通用門から入る場合は右足を先に、左の通用門から入る時には左足を先に、門の敷居をまたいで入りましょう。
ほかの敷居がない所であっても、たとえば、机の前の2本の脚の間にある横棒に、また前の人の椅子の両脚の間にある横棒などに足を載(の)せるのも行儀よくありません。

★中国で古くから「松のごとく立ち、風のごとく歩き、鐘のごとく坐り、弓のごとく臥(ふ)すべし(立如松、行如風、坐如鐘、臥如弓)」と教えられています。



★「步從容 立端正 揖深圓 拜恭敬」の句と合わせて、これらは日常の立ち居振る舞いの礼儀作法です。仏教ではこのような行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の礼儀作法を四威儀(しいぎ)と呼んでいます。人のよい見本となりますように、日常生活のなかでどのような小さなことであっても、勝手気ままにふるまわず、ルールをきちんと守り、礼儀正しく行動し、決して規則に反しません。このようにして敬う心を養います。


簡単解説の内容は浄空法師の説法、楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
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『弟子規』日本語解説(38)

2018年08月27日 | 『弟子規』日本語解説
步從容 立端正 揖深圓 拜恭敬
bù cōng róng lì duān zhèng yī shēn yuán bài gōng jìng
【解説】走路時要不急不慢,從容大方,站立時身體要端莊直立。作揖是要把身子躬下去,禮拜時要恭恭敬敬。
【和訳】歩くときは姿勢よくゆったりと歩き、立つときは真っ直ぐに端正な姿勢で立ちます。お辞儀をするときは体を深く曲(ま)げ、慎み深く恭(うやうや)しく拝礼(はいれい)します。




●簡単解説:
★普段、自分が歩いているときの姿を想像してください。
・背中を丸めた歩き方
・踏ん反り返った歩き方
・お腹がポッコリ出た歩き方
・フワフワした歩き方などなど。。。
手足の長さや履いてる靴の種類、サイズによって、個人差はありますが、堂々とした歩き方で歩けていますか?
意識して歩き方を変えることで、他人や周囲からの印象、イメージを大きく変えることができます。
地に足ついた歩き方を普段から意識できるようになることは、
堂々とした雰囲気のある人になるための第一歩です。
地に足ついた歩き方は、からだにとってみても負担の少ない、優しい快適な歩き方です。
まずは踵から着地します。それから、重心を踵から足の裏全体に移し、地面を踏み込みます。最後は小指から順に親指まで使い切って、前に押し出します。
踵から足先までしっかり使って歩くことを意識する、と歩き方は確実に変わります。
実践してみると、今までより周囲に気を配りながら歩けるようになったり、楽に一歩一歩の足が出るようになります。
しっかり地に足ついた足取りでこちらに向かってこられると、際立って視線が注目したり、活動的なエネルギーを感じたり、時にはこちらも襟を正されたような気持ちになり、自然と背筋が伸びます。
歩き方が変わると、他人や周囲からの印象、イメージを大きく変えることができます。
美しさを身につけることで心の内側の輝きも、更に輝き増すことでしょう。美しさは、「人」から「人」へ、伝播します。



(以上はkubaruの記事によります、ご参考ください)
下記のページも歩き方と立ち方に関して詳しく紹介しています。ご参考ください。
https://townwork.net/magazine/skill/24156/