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『みんなの塾』

素敵な言葉、善いものをみんなと一緒に学びましょう。
時は金なり。金は時買えぬ。「一寸光陰一寸金、寸金難買寸光陰。」

「冤冤相報」のお話 その4——上海船商の話 及び 人と人の因果関係

2018年10月23日 | 因果物語
 早年、台北(たいぺい)で説法していたときに、毎日聞きに来ていた鄔(お)居士から聞いた話です。鄔居士は寧波(ニンポー)市(中国浙江(せっこう)省)のご出身で、以前上海で商売をしたことがあって、商売繁盛で、晩年が仏法を学ぶようになりました。私にあるできことを教えてくれました。これは本当にあったことです。鄔居士のある友人は同じく商売をする人で、大儲けしていました。

 あれは、上海で発生したできことで、その友人が誕生日祝いをしていたときのことでした。おそらく友人の50歳の誕生日祝いで、たくさんの来客を招きました。

 どのようにしてそれほど大儲けした訳を話しますと、それはまだ第二次世界大戦の前のときでした。この友人はあるドイツ商人の雑用係でしたが、とても誠実で、おとなしく、信用をよく守り、働きぶりもとても勤勉でした。その、彼のご主人であるドイツ人商人がとても彼のことを気に入っていたので、戦争が爆発してから、ドイツ人は本国に帰国することにし、残された中国での会社を彼に一時的に預けて、経営を任せることにしました。彼もとても上手に経営できたので、かなり儲かりました。しかし、それから、抗戦になっても、そのドイツ人は二度と中国に帰ってくることはありませんでした。後に、亡くなったことも人から聞きました。これで、そのドイツ人の財産はすっかりその鄔居士の友人の物になりました。もちろん、これは悪意をもって他人の財産を横取りしたことではなく、委託された会社であって、そのご主人が亡くなり、連絡が取れなくなり、そのまま鄔居士の友人の会社となったものです。

その会社はもともと一隻の船しかない船会社だったですが、鄔居士の友人はうまく経営し、後に、さらに、いく隻かの船も購入し、ますます大きな会社になりました。その友人は結婚をし、息子一人が生まれました。

この息子は、可愛いのですが、親の言う事をあまり聞かない子で、浪費する癖がありました。物を大事に扱わないし、金遣いも荒いです。ある日、その息子が十元のお金を落としました。その時代の十元は大きい金額であって、普通の四人家族のやく半月分の生活費にはなります。父親のある友人は地面に落ちたそのお金を拾って、その息子に「そこのお友達、私のことを『おじさま』と一声を呼びなさい。そうしたら、このお金を返すよ」と冗談めかして言うと、なんと、この息子はその父親の友人を一瞥(いちべつ)して、「あなたがわたしのことを『おじさま』とひと言を呼べば、さらに、十元あげますよ」とあっさり返したのでありました。なかなか手に負えない子どもでした。

その息子が十二、三歳ぐらいになったとき、ある日、この鄔居士の友人が50歳の誕生日会を開きました。鄔居士もその宴会に出席しました。その誕生日会のなかで、たまたま息子の顔を見たとき、一瞬、以前の社長であるそのドイツ人の顔が見えてきたのです。突然のできことに、驚きました。これは、おそらく、そのドイツ人がドイツに帰国して間もなく、亡くなったことでしょう。つまり、ドイツの商人が亡くなってからすぐ鄔居士の友人の家に息子として生まれ変わったので、あの会社の財産は結局まだそのドイツ人のものに戻るということです。もちろん、おそらく、そのドイツ人が善良な人であって、悪い人ではなかったことが分かります。なぜならば、悪い人であれば、すぐ人間として生まれて来ないものだからです。再び人間として生まれることができる条件は、五戒と中品の十善を守ったことです。

鄔居士の友人も仏法を学ぶ人なので、輪廻や因果応報のことを信じる人でした。息子の顔が瞬間的にドイツ人社長の顔に変化したことを見たとたんに、すぐ、そこで、その誕生日会の中で、皆の前で、自分のすべての財産を全部その息子の名義にしますと公表しました。これは賢いやり方です。その友人は誠実・信用のある方でした。ドイツ人の社長が自分の息子として生まれて来たことを知ったとたん、すぐ、きちんと、全財産を返すことにしました。そうしたら、これからその息子も金遣い荒いのを少しひかえめにするでしょう。

それだから、仏経典で説かれた人と人の関係には「報恩、報怨(ほうえん、うらみをはらすこと。仕返し)、債権者、債務者」の四つがあることは本当なのです。



家族も同じく、この四種類の関係がなければ、同じ家庭に生まれてきません。報恩の子どもであれば、親孝行のよい子です。親を敬い、愛します。報怨に来た子どもであれば、あなたの家を滅ぼすまでやらないと気が済まないのです。債権者が子どもとして生まれて来た場合は、このような子どもが意外ととても可愛くて、親に可愛がられることが多いです。その債権が少なければ、生まれて、三、四歳で夭折しますが、債権の金額が多ければ、十代、二十代で早世します。親が多くの心労や体力、金銭を費やし、その子を育ちましたが、やっと、自立できたと思った頃に、突然、世を去ります。これは、債務を回収しにきた子どもです。

債務者が子どもとして生まれて来た場合は、その債務の金額にもよるのですが、多ければ、父母にお金などの物質的なものを多く与えますが、親に対するよく仕える心と敬う心はありません。あくまでも、親に物質的なことのみ提供します。もし、その債務が少なければ、親の生活に物質的なものもあまり提供しません。親を軽んじて、大事にしません。親をお手伝いさんのように扱う子どももよく見かけます。

このような四つの縁(関係)は、すべての人間関係に当てはまります。友人関係も同じです。父子、母子のような家族は一番その縁が深いです。少し浅ければ、親戚や友人になったりします。この四つの縁がなければ、面と面を向かっても、互いが知りません。全く知らない人となります。道で偶然出会った人などこの一生で遇うのが一度限りであっても、縁がある人です。道を歩いて、たまに、知らない人に微笑みをかけられたり、挨拶されたりしますね。時には、知らない人に睨まれたり、怖い顔で見られたりすることもあるでしょう。過去生の縁が違うからです。善縁があって、悪縁もあります。このような道理を分かるべきです。

しかし、どのようなご縁であっても、この一生で出会っただから、よい縁に転換させたいものです。この一生で絶対に人と悪縁を結ばないように注意しましょう。他人から不当な扱いをされても、気にしないことです。これができれば、借りを返したことになります。やり返してはいけません。なぜならば、もし、ここで私たちが復讐すれば、相手も、将来同じように、復讐し返します。お互い、苦しめ、苦しめられてやまないのです。だれも幸せになりません。それだから、他人から悪くされても「全部過去世で自分がその人に悪いことをしたことがあったから、それが因となり、今のこの果があるからです」や「なぜ他の人ではなく、この私ですか?必ず、過去に私は同じようなことをその人にしたからに間違いありません」と因果応報の道理を思い出しましょう。そう思えば、今日遭ったすべてのことを淡々と受け入れ、耐えられます。このような心持ちで、過去世の怨恨を解けていきます。怨恨をやはり解けるべきです。エスカレートさせるべきではありません。
現代社会の弱肉強食を正当化する理論は実にとても異常な現象です。弱肉強食は「冤冤相報」(えんえんそうほう。中国語で、お互いに恨み辛みを報い合い続けること)する罪深い悪縁であるのです。このような復讐しあいは惨烈を極めることであります。なぜならば、ちょうど良い程度で止められないからです。少しでも多めに仕返ししようと、少しでも得しようとする気持ちがそのなかにあるからです。人には皆そのような心理があります。ゆえに、報い合いがますます無残になります。このことは、ぜひ知っておいていただきたいことです。

仏家は「誰かの肉を500グラム食べれば、将来輪廻の中で、自分の肉800グラムを返さなければなりません」と戒めていて、さらに、経典の『楞厳経』に「以人食羊、羊死為人、人死為羊、如是乃至十生之類。死死生生互来相噉、悪業倶生、窮未来際」(人(ひと)の羊(ひつじ)を食(くら)うを以(もっ)て、羊死(ひつじし)して人(ひと)と為(な)り、人死(ひとし)して羊(ひつじ)と為(な)る。是(かく)の如(ごと)く乃至(ないし)十生(しょう)の類(るい)、死死(しし)生生(しょうしょう)、互(たがい)に来(きた)りて相噉(あいくら)い、悪業倶(あくごうとも)に生(しょう)じて、未来(みらい)際(さい)を窮(きわ)む)とも説かれています。人が羊を殺し食べました。この人が死んで羊として生まれ変わり、殺され羊が人間として転生しました。今度、羊だった人間は人間だった羊を殺して食べます。このようにして、因果応報の現象が次から次と起こり、因が果となり、果がまた因となり、六道輪廻の中で、永遠に循環していき、お互いやられたらやり返していき、やまずに、さらにますますエスカレートしていくだけで、非常に残酷なものです。このことをぜひ知っていただきです。ゆえに、釈尊は経典のなかで、世間に「刀兵劫(とうひょうこう)」があると説かれています。刀兵劫はすなわち戦争のことです。戦争の起源はどこにありますか。殺生と肉食です。ゆえに、この世で戦争を永遠になくしたければ、釈尊が教えてくださった「衆生が肉を食べなければ」の一つの御言葉のみです。すべての衆生が殺生をやめ、肉(訳者注:もちろん魚肉も含まれる)を食べるのをやめたら、この世から戦争がなくなります。

もし、そのまま、殺生をして、肉を食べれば、殺され、食べられた衆生は、怨恨の気持ちを抱くままで、将来チャンスがあれば、復讐します。人間道に生まれて来たときは、あなたの敵となります。「冤冤相報」です。その報復の中で最も残酷なものは戦争となります。


以上は浄空法師様の因果応報に関する説法によります。
念仏人様のご翻訳に心からお礼を申し上げます。

「冤冤相報」のお話 その3——唐・悟達国師

2018年10月23日 | 因果物語
現今仏教界でも行われている「慈(じ)悲(ひ)水(すい)懺(さん)法(ぼう)」という懺悔法(さんげほう)の起こりとなった唐代の悟(ご)達(だつ)国師(知(ち)玄(げん)法師とも。四川省眉州(びしゅう)出身。唐の高僧。俗姓は陳氏)のことです。

悟達国師は、修行の技量が高く、道徳、学問ともに非常に優れていました。当時の皇帝さえも悟達国師を師と仰ぎました。かつて、国師がまだ若いときに、長安で、ある病気の僧に遇いました。とても可哀想なことに、その僧の体に膿(うみ)血(ち)が流れていて、異臭を放っているので、皆に嫌われ敬遠されていましたが、悟達国師だけ、まったく忌み嫌わず、そばで献身的に看病してあげました。その僧は感動され、悟達国師に「法師が将来災難に遭えば、四川彭州(ほうしゅう)の茶(さ)龍山(りゅうざん)へ私を尋ねて来なさい。その山には目印として二本松が並んであります」と言い伝えました。

  そのようなことがあったなど、すっかり忘れて、悟達国師は、後に、懿宗(いそう)皇帝に国師に封(ほう)じられ、全国の出家者のトップに立ちました。ある日、皇帝からとても貴重な木材の沈香(じんこう)でつくられた最高級の宝座が賜られました。その宝座に登った時に、悟達国師が、思わず、心の底からほんの少しの得意気な気持ちが出てしまいました。突然、悟達国師の膝の部分に、人の顔そっくりの人面(じんめん)瘡(そう)が出来て、奇異な怪病にかかってしまいました。見るからにおぞましい、その人面瘡というできものは、眉毛があり、目玉も動かし、口と歯もあって、そのうえ飲食を与えれば、あんぐりと口を開いて、ムシャムシャと人間みたいに咀嚼して食べます。

それよりさらに我慢ならないのは、人面瘡によって与えられる尋常でない痛みでありました。あちらこちらで良医を捜し求めて治療してみましたが、いずれも効果はありませんでした。

 そのような折り、ふと悟達国師が以前都の長安に出会ったあの病僧(びょうそう)が言っていた話を思い出し、意を決して遠く四川へと旅立ちました。めざす茶龍山に分け入り、尋ね歩くうちに、日がだんだん暮れてきました。荒れ果てた山を彷徨(さまよ)っているそのとき、はたして、雲煙の間に大きな二本の松がそびえているのを見えました。あの僧の話が本当であるのだと確信し、さらに歩き進むと、目の前に、光輝(こうき)燦然(さんぜん)たるおごそかな寺院の立派な殿宇が現れました。そこに、何と、あの長安であった病気だった僧が山門に立って出迎えていました。悟達国師を寺院の中に迎え入れ、歓待し、互いに久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)しました。今晩寺院に泊まってくださいと言われたときに、ようやく、自分のその人面瘡の苦患(くげん)を持ち出して訴えました。「心配いりません。この山中に泉があります。明日早朝にそこへ行って、泉の清水で瘡を洗えば、すぐ治ります」と僧は言いました。

 黎明、一人の寺院の童子(どうじ)に案内され、泉のほとりへ行きました。そこで清水を手にすくい取ってできものを洗おうとしたそのとき、だしぬけに、人面瘡が言葉をしゃべりだしたのです。「ちょっと待って、まだ洗わないでください。私はまだあなたとの過去世の怨恨の因縁を言っていません。あなたは学識豊富で古今のことに精通しているなんだから、西漢書の『袁(えん)盎(おう)晁錯(ちょうさく)伝』を読んだことがあるでしょうか」?

「はい、読んだことがあります」とうなずくと、人面瘡が続けて言いました。「それなら、袁盎が晁錯を謀殺したことを知らないわけではないでしょう。あなたはその時の袁盎で、私は、すなわち晁錯です。長安の東市(ひがしのいち)で腰斬(ようざん)された晁錯の冤(あだ・うらみ)を、どのようにして晴らしたら怒りがおさまるだろうと思い、累世(るいせい)、ずっとあなたのそばについてまわって離れず、いつかあなたに復讐しようと機会をうかがっていました。ところがあなたが十世の長きにわたって高僧で戒律を厳しく身を律していて、(護(ご)戒(かい)神(じん)〈護法神〉があなたを守護していたので、)私はその機会を得られなかったです。しかし、今度、あなたは皇帝から過度の寵遇(ちょうぐう)を受け、傲慢な気持ちになって、名利の心を起こして、徳を損なったから、(護法神があなたから離れたので、)私はやっとこのようにしてあなたに復讐するチャンスを手に入れました。しかし、今日、迦諾迦(かなか)尊者(あの長安で病気の僧に装った阿羅漢の号です)の慈悲心の三昧法(さんまいほう)水(すい)で私の心を洗うお蔭で、晴れぬ怨恨でふさいだ心のわだかまりが解けるので、もうこれより以降、ふたたびあなたに恨みを晴らすようなことをしません。」

これを聞いた悟達国師は全身に恐怖の寒気が走ったのです。すぐさま、水を掬(すく)って人面瘡を洗いました。骨に徹する痛みで気絶し、ふたたび意識を取り戻したとき、人面瘡が跡形もなく消え失せていたのです。身近で普通にあった僧が何と聖者の阿羅漢であることを知って感慨し、再びその立派な殿宇をこの目で拝見しようと、振り返ってみると、寺院の姿はもうどこにもありませんでした。最初の荒れ果てた山のままでした。後、悟達国師はこのことを「慈悲水懺法」としてまとめ、後世に残しました。


以上は浄空法師様の因果応報に関する説法によります。
念仏人様のご翻訳に心からお礼を申し上げます。

「冤冤相報」のお話 その2——清・慈禧太后

2018年10月23日 | 因果物語
清の慈禧太后は葉赫那拉(エホナラ)族の後裔(こうえい)です。葉赫那拉族は中国東北地区にあった小さな民族です。清の初代皇帝が建国する際にとても残酷の手段で滅ばされたので、一族の長が天に向かって誓ったのです。「私どもの族に、たとえ一人の女性でも残されていたら、必ずこの恨みを晴らします」。
 その言葉を受けて、清の王宮が「宮殿に葉赫那拉族の人を断じていれるべからず」の掟を設けていました。それから、咸豊帝(かんぽうてい)になるまで2百年以上経ち、なにも問題は起こりませんでしたが、咸豊帝は、慈禧太后が葉赫那拉氏であることを知っていたのですが、ただ一人の女性でいったい何ができるのかと油断し、祖先の教えに背き、側妃として慈禧太后を宮殿に入れてしまいました。思いもよらなかったことでしょうか、咸豊帝が死んでから、慈禧太后は垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行い、完全に実権を握り、儒・釈・道の教誨を軽んじ、無視し、無知・迷信・専横な政治を行い、最後に清朝を滅亡の道に導き、葉赫那拉族の恨みを晴らしました。


以上は浄空法師様の因果応報に関する説法によります。
念仏人様のご翻訳に心からお礼を申し上げます。

「冤冤相報」のお話 その1——明・方孝孺

2018年10月23日 | 因果物語
明朝の方孝孺(ほうこうじゅ)の復讐は中国の歴史に記載され、皆に周知されたことです。方孝孺の過去世は蛇でした。蛇にもその家族があります。蛇だった時の方孝孺は大家族でした。それは八百、九百位の赤色の蛇たちでした。

それは、方孝孺の父親が自分の父親つまり方孝孺の祖父を亡くして、埋蔵するためのよい風水の墓地を探していたときのできことです。あるとても風水がよさそうな場所を見つかって、吉日を決め、そこに埋蔵する予定でしたが、或る晩、夢の中で、赤い服を着ている一人の老人が来て「そちらが決めた墓地の場所はちょうど私たちの住処です。私と子孫たちが引っ越してすべてそこから完全に離れるまでに、なんとか、三日間だけのお時間をいただきたいです。ご承諾してくだされば、後日必ずご恩にお報いいたします」と懇願し、何度も拝み、方孝孺の父親に頼み入れました。

しかし、夢から起きた方孝孺の父親はその夢のことをまったく信じようとしませんでした。予定通りに、墓穴を掘る工事をスタートさせました。地面を掘り窪めていくと、なんと何百匹もの赤い蛇が中から現れました。それをすべて火で焼け殺せと方孝孺の父親が指示しました。

その日の夜、再び夢の中に、あの赤い服の老人がやって来て、泣きながら「私はすでに、そのようにしてまごころで懇願したのにもかかわらず、わが八百いくつもの子孫が一瞬で全部焼き殺されました。これほどに、あなたが慈悲な心がないのであれば、私も必ずこの仇を討ちます」と方孝孺の父に復讐することを誓いました。

後に、方孝孺が生まれました。大きくなって官僚となった方孝孺は燕(えん)王(おう)・朱棣(しゅてい)をひどく怒らせたので、方孝孺の師匠たちまでも含めた方一族八百、九百人あまりが全部処刑されました。殺された蛇の数と同じくらいでした。これは、蛇が怨恨を晴らすために、方家に転生して方孝孺となり復讐したことです。


以上は浄空法師様の因果応報に関する説法によります。
念仏人様のご翻訳に心からお礼を申し上げます。

一飲一啄、莫非前定

2018年08月08日 | 因果物語
人の一生のすべては、「一飲一啄、莫非前定(いちいんいったく、さだめにあらざるなし。つまり、一口水を飲み、一口食事を食べるだけのような小さなことでさえ、すでに元から定められていることであって、すべては因果応報であります)」という言葉の通りです。この言葉は、因果の道理と事実真相です。
「前定」とは、だれが定めたのでしょうか。皆さま、決して、ほかの誰かが決めたのではなく、上帝、神様が決めたのでもなく、閻魔(えんま)大王が決めたものでもありません。さらに、仏菩薩が決めたことでもありません。

いったいだれが運命を定めましたか。

自分自身です。
それがゆえに、だれかのせいにしたり、不平不満を言ったり、だれかを恨んだりをしてはいけません。
すべては「自業自得」のお言葉の通りです。
過去(または過去世)は善いことをしたから、つまり、福の因を作っていたから、この一生では、その果である福運を享受できます。
逆に、過去(または過去世)になにも福の因を作っていなければ、この一生は、貧賤(ひんせん)の暮らしとなります。
他のだれかのせいでもありません。
もし、このような道理を分っていれば、このような事実真相を知っていれば、気持ちが落ち着くことができます。いくら、貧賤な生活を送っていても、天を怨みず、人を咎めずにできます。自分が前世で徳を修めていなかったからです。

このことを釈尊が経典の中にも教えてくださいました。その教えはすべて事実真相です。
財産や富はどこから得たのでしょうか。財布施をすることからです。つまり、私が財物をもって他人を助けなければ、私には富という果報を得られません。
現在の社会の大企業家たち、大富豪たちも、実は、過去世で、よく財物を使って、貧困、病気などの苦難の人を助けた人です。それで富の因を植えたから、この一生で、そのような大きな富を手に入れたのであります。その富は彼たちの果報であって、彼たちが得るべきものです。
私がそのような富の因を植えていなかったので、私には、富が得られない果報なのです。もし、得られるべきではない富という果報を得た時には、禍害(かがい)、災難がついてきます。なぜならば、そのように得た富のことを、中国語では、「不義の財」と呼ばれています。すなわち、日本語の「悪銭」です。不義だから、あなたが得るべきものではないです。あなたにその「因」がないからです。

同じように、聡明さと知恵のある頭脳も、一種類の果報です。「法布施」という因があったからです。つまり、人に教えることが好きで、これらの正しい道理を人に説明し、教えてあげることは、法布施となります。
法布施の果報は、聡明さと知恵のある頭脳です。

そして、健康長寿との果報の因は「無畏(むい)布施」です。無畏布施をすれば、健康と長寿を手に入れることができ、災禍・患難(かんなん)から免れます。
無畏布施とはどういうことでしょうか。衆生が恐怖から逃げられるように助け、心身の安穏を得られるようにさせることです。このようなことは、無畏布施と言います。

したがって、前世によい因を修めていたら、今世はよい果報を得られます。もし前世でそのようなよい因を修めていなければ、この一生で、どうしてよい果報を得られるでしょうか。
このようなことを分かれば、貧賤であっても、貧賤に安んずることができ、富貴であっても、富貴に安んずることができます。

もし富貴な人は、上に述べた道理を分かれば、来世も同じく富貴でいたければ、この一生も続けて、さき述べた3種類の布施をしなければなりません。そうすれば、富は続きます。ずっと修め続ければ、富貴も永遠に続きます。
同じく、貧賤の人も、そのような道理を信じれば、今からでも、先述べた3種類の布施行を修められます。もし、その気持ちがとても真剣であって、真面目に精進(しょうじん)して修め続ければ、来世までに待たなくても、この一生の後半でも貧賤という運命を変えることができます。明朝の了凡先生はその実例です。

了凡先生と同じような、運命を変えた人の事例はほかにもたくさんあって、枚挙に暇がないのです。了凡先生のように書籍として書かれて残されていなかっただけです。了凡先生の場合も、自分の息子さんを教え導くために、ご自身のことを書き残したから、後世に『了凡四訓』として伝わっただけのことで、わざわざ本にしたわけではなかったのです。

因縁果報の道理や事実真相を大(おお)いに知るべきです。それを明瞭に分かれば、善意をもって人々を助け、人々のために奉仕できます。このような行為は本当の善行です。かならず、善い果報を得られます。
たとえば、どの時代も、どの地域も、あり得(う)ることですが、あるとても良い方がいます、その方は国・社会・人々のために懸命に働いていて、職務にもとても忠実です。しかし、ほかの誰かに嫉妬されてしまい、いろいろと妨害され、デマを飛ばされ、誹謗(ひぼう)されて騒動まで起こされました。
それで、その良い方は、地位を失い、刑罰まで受けってしまい、流罪にされ、辺境(へんきょう)などの僻遠(へきえん)の地に流されました。
このようなことに遭った方は、もともと本当に学問と道徳がある方なので、決して、誤って他人の讒言(ざんげん)を聞き入れた皇帝のことに対してとがめず、デマを流し、騒ぎを巻き起こして自分を陥れた人たちに対しても責めずにいます。

それはなぜでしょうか?
自分にはそのような運命があるからです。
これで、お返しして、償ったのだと思っているからです。

「その人はなぜ他の人を陥れず、このわたしばかりを迫害するのでしょうか?きっと、過去生(かこしょう)で、私とその人の間になんらかの恨みがあったからです。過去生で、私がその人を陥れたことをしたから、今世、彼は機会をうかがって、私に復讐したのです。今回で、帳消しになりました」と考え、今世のこの罰・貶(おとし)め・抑圧(よくあつ)を甘んじて受け入れます。
ゆえに、心はとても穏やかです。喜んで受け入れます。
これは本当の学問と道徳です。

さらに、最もひどいことで、重大な刑罰を受けた場合さえあります。たとえば、周知のとおり、歴史上の人物で、中国南宋の武将の岳飛(がく ひ)はそうでした。岳飛はたいへん尽忠報国の方ですが、不運にも、当時の宰相の秦檜(しんかい)に謀殺(ぼうさつ)されました。
古代には、斬首刑(ざんしゅけい)、体を引き裂く死刑、一家・一族全員が殺される刑さえありました。しかし、たとえそのような重い刑罰を受けたとしても、本当に道徳・学問がある方には、微塵の恨む気持ちもありません。
それだから、「素夷狄行乎夷狄、素患難行乎患難」の悟りのレベルはより高く、より深く、より広いです。

讒言を聞き入れた帝王をとがめず、自分を陥れた人にも責めずにいます。逆に、どう思いますか。「自分はその報いを得るべきだ」と思っています。なぜその報いを受けるべきでしょうか。前世で行なったことが因となったからです。因果は過去・現在・未来の三世を通じます。その因果応報の道理を分かれば、気持ちが落ち着きます。淡々と与えられた処罰を受け入れます。

ところで、岳飛が受けた処刑は冤罪で無実です。後に濡れ衣が晴れて、皆に尊敬され、愛されてきました。人間だけではなく、さらに、天地の鬼神たちさえも、岳飛を尊敬しています。岳飛は大きな福徳を積んだので、必ず尽きないほどの福報を受けられるでしょう。

岳飛は濡れ衣を着せられ、迫害されましたが、岳飛の高名、岳飛の精神が永遠に中華民族の人々の心の中で生き続けています。現代でも中国の歴史上の英雄と尊敬されています。そのような大きな福報は子孫の代までをご加護できます。現代でも、もしだれかが自分は岳飛の後裔であることを告げれば、きっと、皆に尊敬され、厚遇(こうぐう)されることでしょう。

このことから、禍と福の区別は実に難しいことであるのが分かりますね。当時では、禍として見ていても、後になれば、その禍は福になったのです。
その秦檜は、当時では、「福」です。宰相にもなって、大金持ちの貴族の贅沢生活をゆうゆうと楽しんでいました。しかし、長い目で見れば、その福は実は「禍」であることがお分かりでしょう。
これはまさに「禍兮福之所倚,福兮禍之所伏(禍(わざわい)は福(ふく)の倚(よ)る所(ところ)、福は禍の伏(ふ)す所なり〈「老子」第58章より。わざわいとしか見えぬ出来事がさいわいの寄りそうものであったり、さいわいとしか見えぬ出来事がわざわいのひそむものであったりしていて〉)ですね。福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜んでいるので、なかなか断定できません。しかし、すべてはその時の本人の思い一つです。その時の本人の思いは穏やかで、落ち着いていて、少しもの恨む気持ちがなければ、その禍は福となります。類推すれば、その時のご本人の思いは、もし、不平不満があって、少しでも憤慨をすれば、それが福であっても禍になります。このようなことは知らなければならないことです。

印光大師(中国浄土宗祖師のお一人です。大勢至菩薩の再来であると後世の人々に信じられています)は私たちに幾つかの実例を挙げてくださいました。大師は「古代の中国の中で、道徳が最も高く、最も世の人々に尊敬されている方と言えば、まさしくそれは孔子です」と述べられていました。
しかし、歴史を読めば分かるように、その孔子さまでさえも、曾(かつ)て「在陳絶糧(陳(ちん)に在(あ)りて糧(りょう)を絶(た)つ。陳の国で食糧が尽きました)」、「子畏於匡(子、匡(きょう)に畏(い)す。匡という土地で軍勢に取り囲まれてしまって、生命の危険にさらされました)」とのような事態に遭っていました。
弟子とともに諸国を遍歴(へんれき)しても、「仲尼干七十余君無所遇(仲尼(ちゆうじ)七十余君にもとめて遇ふ所無し。仲尼(孔子の字)は多くの国の君主に訪ねても、自分を採用してくれる聖君に会えませんでした)」であったのです。
さらに、孔子には息子一人しかおらず、その一人息子も50歳で孔子に先だって亡くなりました。幸いのことに、孔子に孫ひとりだけが残されていて、その血筋は引き継がれてきました。
これは世間の聖者ですよ。

それでは、出世間つまり輪廻から脱出し仏を証するための仏法の釈迦牟尼仏の当時も見てみましょう。お釈迦様にも三ヶ月間「馬麦(めきゃく。馬糧。馬の食べる麦)」を食べ続ける果報がありました。托鉢(たくはつ)に行っても、その地方は飢饉に襲われ人々が食べるものにも困っているので、食べ物のお布施をしてもらえず、結局何をもらって食べていたのでしょうか。人が馬にやるエサをもらって三ヶ月間食べていたのです。

このことから、世間の聖者も出世間の聖者も、災難や困窮(こんきゅう)を避けられず、例外ではないことが分かるでしょう。なぜ聖者も災難に遭うのでしょうか。過去世の因があったからです。因果応報です。聖賢も聖賢になる前に、もちろん凡夫であったので、凡夫であれば、業(ごう)をつくらないわけがないのです。

ほかも、同じように、賢人の顔回(がんかい)は短命でした。顔回は孔子の最も気に入った弟子で、伝法弟子でもあります。しかし、寿命が短いです;冉伯牛(ぜん はくぎゅう。孔門の十哲の一人。顔回とともに徳行に優れていた弟子です)も同じく短命です;子夏(しか、孔子の高弟)も失明する不運に見舞われました;左丘明(さきゅうめい)も同じように、晩年に目が不自由になっていたのです;子路(しろ、孔子の愛弟子です。質実剛健な人柄で、孔子に献身的に師事しました)も見るに忍びないほどの悲惨な最期を迎えました。この方たちは皆孔子の優秀な弟子たちです。他にも、歴史上に、忠君愛国の屈原(くつげん)も川に身を投げたなどのたくさんの事例がありました。
ゆえに、そのような聖賢たちでさえ、山あり谷ありで、一生の中で順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に過ごせないのに、わたしたちが逆境の中にいても、たいしたことではないのです。

私たちは、衆生に利益をもたらすために、聖賢の教育を押し広めたりするとき、また、社会で忠実に働き、国に尽くし、人々のために自分の力を貢献したりするときに、人から迫害され、誹謗中傷され、悪く言われたとしても、古の聖賢たちのことを思い出せば、それに比べたら、わたしたちの今の境遇はまだラッキーなほうだと思いませんか?
常にこのように思えば、このように考えれば、「楽天知命、故不憂(天を楽しみ命(めい)を知る、故に憂(うれ)えず。〈『易経』〉つまり、与えられた環境、境遇はすべて自分自身の徳行を高める天命だと悟り、甘んじて受けいれ、憂わず、楽しく生きること)」ができます。心も落ち着けて、穏やか、和やかな気持ちで生きていられます。

人生はこの一生で、単に自分自身の角度から言えば、本当のところは、この肉体を養い、食べていけばいいだけのことです。いわゆる、よく言う「日食三餐、夜眠六尺(にっしょくさんさん、やみんろくしゃく、一日三食で、夜は約1.8メートルの所で寝ること)」です。
粗末の服装であっても体を覆えて、寒さを凌げます。野菜だけであっても、ご飯のおかずにでき、十分な栄養も摂れます。多くの方は「魚と肉類がないと栄養がなくて、菜食だけでは栄養的に足りません」と思っているみたいですが、このような見解は正しくありません。
台湾には多くの出家者がいます。彼たちは皆菜食をしています。ご覧のとおり、ふくよかな体つきをしていますね。彼たちの体と栄養は決して毎日魚や肉を食べる人に劣りません。さらに、もっと細心に観察すれば分かることですが、実は、肉食する人に比べて、菜食する人の健康状況のほうがはるかによいです!
それだけではありません。さらに、菜食主義者になるということは、つまり、これで永遠に、衆生に恨まれることがなく、衆生と怨恨(えんこん)を結ぶこともなくなるということです。このようなことは、大乗仏法の中に、とりわけたくさん説かれています。菜食をもって、自分たちの慈悲心を養い、育てます。

孟子も「聞其声、不忍食其肉(其の声を聞きては、其の肉を食らふに忍びず。君子つまり仁徳あふれ慈愛の心を持っている人は、生き物が殺されるときの悲惨な音や鳴き声を聞けば、その肉を食べるのに忍びないです)」と説かれています。
ゆえに、菜食は実に身心の健康にとてもよいです。

私も若い時仏法を学び始めたときに、最初に見た本は『了凡四訓』です。それは当時の朱鏡宙(しゅ きょうちゅう)居士がくださった本です。私はそれを読みましたら、心がとても感動し、喜びました。『了凡四訓』の内容の影響で、私は、仏法を習い始めてから6か月経った時に、毎日菜食することをスタートさせました。
それは私が26歳時のことです。仏法の勉強が進むにつれて、ますます菜食の道理、メリットと不思議な効果を知ることができました。それから、今まで、何十年も菜食し続けてきました。身体の健康に少しも悪い影響がなく、極めて健康です。もし、どなたが菜食には栄養がない、健康ではないと仰っているならば、それは違うということを、ここにいる私たちが身をもって証明できます。
まして、菜食は仏法の無畏布施にも当てはまります。すべての命を害しません。私たち人間は、自分たちが楽しく、幸せな一生を過ごせることを願うことと同様に、その小動物たちのこの一生も楽しく、幸せであるように心より願っております。つねに他人やすべての衆生のことを思いやれば、私たちの心も正々堂々、さっぱりと落ち着き、悠悠自適(ゆうゆうじてき)になれます。

世間の人と競わなくてもいいのです。他人と比べることは実に苦しいことです。「人が持っているものが、私も欲しい。それを持っていなければ、みすぼらしくて、とても格好がつきません」という考えは間違っています。
以前も、講経の時に、私が言っていた話ですが、若い人はとても流行の服装が好きです。まるで、トレンドについていけなければ、人の笑いものにでもされてしまうかのようです。聞いた話では、一部分の在家の若い女性居士たちは、毎月新しいファッションにチェンジしています。そのなかの一人に会ったとき、私が「私たちの着る服は、普通、二、三十年間でも着られます。なぜ毎月新しい服を買いますか」と聞きましたら、「買わないとだめです。流行が終わった同じ洋服ばかりを着ていると、周りの人にすごく笑われるから」と答えていました。それを聞いて、私は「その人たちがうっかり笑い過ぎでお腹でも痛くなったとしても、あなたのお腹は痛くないから、全く気にする必要はないですよ」と彼女に話しました。
本当に気にする必要がありません。洋服の古いものも着ましょう。去年、一昨年の流行遅れの服も着ましょう。世間の流行には、ついて行く必要のあるものと、ついて行く必要のないものがあります。

それと同じようなことで、私たちの道場の食事も倹約しましょう。おかずには、野菜と豆腐だけで十分です。栄養たっぷりです。貧乏くさいと思われても構いません。決して、お金を浪費したり、見栄えを張ったりしません。私たちは、実質である内面の心・道徳を求めていて、外見の見栄えを求めていません。ゆえに、私たちの生活はとても自在(じざい)であって、とても幸せです。


以上の内容は浄空法師の説法、楊淑芬(ようしゅくふん)居士先生の「弟子規」、成徳法師(蔡礼旭<さいれいきょく>先生)の「幸福人生講座」などの講義内容に参照してまとめたものです。
念仏人さんのブログによります、心から感謝いたします。
ブログをご覧になっている皆さんとご一緒に学ぶことができて、本当にうれしいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。