チホーの生活の知恵

良い人生を過ごす為のコメント。
日常生活・健康・仕事・利殖・etc..

ローマ軍 スペインに侵攻 (同 ⑦)

2007-05-03 10:09:22 | Weblog
「攻撃は最大の防御である」とはよく言ったものである。

仮にイタリア地内にてハンニバル軍・カルタゴ軍に勝ったとしても、これはあくまでも本土防衛戦に成功したということにしかならない。
その防衛すらままならないローマ連合にとって、カルタゴの植民地であるスペインにおける戦線が差し詰まってきた。
というのは、前に書いたイタリアに侵攻したハンニバルの弟のハシュドゥバルが前207年に戦死したことを受けて、スペインのカルタゴ軍は総力をあげて反撃に出ることを決意した。
スペインにおけるカルタゴの戦力は総勢7万4千からなる大軍であった。(現地の傭兵含む)

これに対しローマ軍の司令官は29歳の天才的な武将「プブリウス・コルネリウス・スキピオ」であった。
総勢4万8千の兵力(歩兵4万5千・騎兵3千)で、南フランスの海岸沿いに西に向けてゆっくりと進攻した。

[イリパの会戦]

カルタゴ兵全線戦で正面に突き進む。
ローマ軍は主力の重装歩兵団は敵の両翼の歩兵を攻撃す。
カルタゴ軍の象はローマ軍の放つ矢を浴びて、怒り狂って敵に向かうどころか味方の騎兵に乱入。
ローマ軍騎兵がカルタゴ軍の騎兵に向けて攻撃。
徐々にカルタゴ兵疲労す。
カルタゴ軍の傭兵の逃走始まる。
カルタゴ軍総崩れとなり、敗走しはじめる。
逃げ切れたカルタゴ兵はたかだか6千であった。

紀元前206年の冬、スペインはカルタゴの植民地から解放されローマ連合国の支配下となった。
(後年、スペインもローマ連合の同盟国となる)



コメントを投稿