ぼちぼちいこか。一緒に歩こう!

LDとアスペルガーのボーダーの息子と共に歩いている母の日記

おとうと

2010年01月30日 | 日記
家族がそれぞれの用事で出かけてしまったので、ちゃかっり映画観に行って来た。
「おとうと」は絶対映画館(家では何かやりながらになって感動できない)で、それも一人で(すぐ泣けるのではずかしい)と決めていたのでグットタイミング(^^)
家族、親族からつまはじきにされているおとうと、そのハチャメチャ加減と何度振り回されても面倒をみる姉とその娘。「どんな一族にも一人くらいいる変な人、困った人」こんな設定のおとうと。
人事ではない・・・と思うのは私だけ?おとうとを観ながら、ずっと息子の事を重ねていた。息子みたいに発達に遅れのある、偏りがある人がこんな扱いを受けていたのでは・・・。これからも理解されないまま「困った人」として括られ見て見ぬふり、かかわらぬように遠巻きにされ、疎遠にされ・・・。親族だけではなく社会からも受け入れられない・・・。
弟役の鶴瓶が「みんなまじめに働いて清く正しい人達や、こんなふうにしか生きられへん俺らの気持ちなんかわからへん」みたいな台詞を吐くシーンがあって「ほんまや!」と思ってしまった。
ほんまにこれが、ハンター(狩人)を無理やり農耕民族の社会で農作業やらせるようなもんだ。(ADHDの方が書いたそういう本があったので)って、余計なところでいろいろ考えてしまった。ハンターにも市民権を!なんてね。
今の社会はこうした人たちを受け入れる余裕がないんだろうな~。世の中の仕組みががっちり固められていて、自分の事で精一杯。
何とかしないと!「自分は厄介者」と思いながら生きて行くのは辛すぎる。
でも、何ができる?
こんな事ばかり考えていて、終盤の民間ホスピスや看取りがかすんでしまったけど、最後に、亡くなったおとうとを嫌っていた義理のお母さんが言った一言でどっと泣けてしまった。
そして、「悼む人」を思いだした。亡くなった人を悼む為に、「どんな人に愛されたか、どんな事をして感謝されたか」この2点だけを聞いて悼みを行っていた。亡くなった人を忘れないために。
許す、とか受け入れるってことは分かりにくいけどこんな事かも知れない。視点をどこに置くかで、人の見え方が変わってくるような・・・。
いろいろ、深い。深すぎてまとまらないや。