以前、何かのテレビを見ていた時、女性タレントが
「あわよくば、うまくいくじゃないですかぁ~」
と言っていました。
まあ、目標が程々の人には「あわよくば」は良くあることなのかもしれないし、何を最終ゴールにしているか不明瞭な人には、それで良いのかもしれないです。
でも、目標を「今は手が届く届くところにない」人によっては、努力や練習が唯一の方法であり「あわよくば」は方法では無いと思うんです。
スポーツ選手で「あわよくば」を考える人は二流だと思いますし、一流の人は「あわよくば」は考えないでしょう。
たとえ「あわよくば」的な結果が出ても、単なる結果であり努力の結果ではないと、すごく悔しい表情をします。。
ここで「ふと」思ったことがあります。
もうずいぶん昔の話になりますが、某女性議員が与党になった時に発言した
「二番じゃダメなんですか?」
という奴です。
もう、あの方の肩書のようになってしまっています。
思いとしては「我々は2番低下が身の丈なんだから、背伸びせずに」とか「1番になる必要って肩書だけでしょ」という思いがあったのかもしれません。
ただ、「ふと」思ったのは
「2番ぐらいを目指しておけば、あわよくば一番になれるかもしれないじゃないですか」
という思いだったのでは?と思うのです。
そう思うと、国政を受け持つ議員、大臣?としては、資質にかかわるところでしょう。
「あわよくば」は、あくまでも私の想像で、当人が語っているわけでは無いです。
ただ、日本人の中に強く「あわよくば、うまくいくかもしれないじゃん」という思い蔓延している結果、今の景気や社会情勢ができているのではないかと思うのですよ。
「新コロナウィルスも、何にしなくても、あわよくば収束するかもしれないじゃん」
とか
「物価高も、あわよくば頭のいい人が何とかしてくれるかもしれないじゃん」
とか。
今の日本人全体が、他人頼みになっていそうな気がするんです。
そりゃ、Cocoaがうまくいかなかったとか、Mizuhoのシステム障害が頻発したりしますよ。
「完璧を目指した結果、少しほころびが出た。そこは、より努力のする場所として次に生かす」
という考えではなく。
「適当にやった結果、あわよくば、うまくできるかもしれない」
という考えが、あるのかもしれない。
わかりませんが・・・って私の周りのプログラマーを見るとキーパンチャーなので、当たらずとも遠からずと。
そろそろ、漁夫の利を「ただ」で得ようとするの、やめた方が良いんじゃないですかね。
ちなみに「二番で・・・」と語った直後、日本のGDPはズルズル下がり、学力もズルズル下がっています。
技術で語る日本から、観光に頼る日本になっています。
どこまで落ちるのか?
「あわよくば」期待した結果、ズルズル落ち込んでいく。
これが「あわよくばを期待した結果」なのかもしれません。