この頃、物語の読書が多くなっていましたが、ビジネス書も読んでいます。
読んだのは、この本。
「妬まずに生きる」
岸見一郎さんの著書です。
岸見さんと言えば、アドラー研究で有名の方です。
いまだ根強い書籍である「嫌われる勇気」でも、構成などの著書にかかわっています。
さて、本書です。
著者が、「妬み」「嫉妬」に強い思いがあるのだろうと感じられる本書。
それゆえに、アドラー含め、哲学者などの言葉を引用して、何度も何度も繰り返し語っていたのが印象的です。
印象的な内容として「マタイによる福音書」の薔薇園の労働者の話、旧約聖書の「カインとアベル」の話。
この「妬み」という感情は、遠い昔からも哲学的、道徳的に重要でかつ、人として捨てられない・・・人なら当然なのかもしれない感情なのだと思い知らされます。
それゆえ「妬み」「嫉妬」とは、戦わなければいけないと私は思っています。
「妬み」「嫉妬」は、すべからず、誰かと何かと比べた時に発生します。
太古の昔から、やっぱり「比べて」しまうんだろうと。
比べるのが、すごいレベルの高いものであれば良いのだろうと思います。
現実は、手に届く人、もしくは格下と思う人と比べてしまう。
なぜかそうなってしまう不思議。
昨今思うのは、これ日本人だけかな?
「神」
という言葉が、とてつもなく多い。
神が、そんなに沢山いてもね。。。とは思いますが、「神」という言葉を安直に使う今日この頃。
これは「手が届かなそうな人」という意味で使っているのだろうと。
では「手が届きそうな人」は?
この「手が届きそうな人」は、全てが「妬み」「嫉妬」の対象になるのではないでしょうか。
問題を起こした芸能人は、神から落ちた人間として断崖するという事は、「妬み」などの一種なのだろうと。
そして、大きな問題は「ダニング・クルーガー効果」。
いまいちな人ほど、自分を過大評価し、届かない人を妬み、足を引っ張る。
「手が届きそう(と安直思ってしまう)な人」を勝手に作ってしまい、そして手が届かなことに後々気が付く。
結果として、追いつけ追い越せの努力より「妬み」を優先してしまう悲しい人種。
今の日本での大きな問題は、ここにあるのだろうと思っています。
妬む人間を多く評価し、頑張っている人の足を引っ張り、頑張っている人から搾取する世界。
これが、30年以上失わせ、いまだ人を正しく評価できない人を育てた大きな問題だと思っています。
この「妬み」を強く持つ人の特徴。
「嘘を平気でつく」「不具合を隠そうとする」「感謝しない」「無償で利益を得ようとする」「揚げ足を取ろうとする」「人から教えてもらったことを、平気で自分の手柄にしようとする」
これです。
あなたの身の回り、職場にいませんか?
「妬」まない。
とは言わないです。
アドラーが語っているとのことですが、妬みは一種の奮起するうえでの材料になるのも事実。
とはいえ、これは「人として高度な技術」なんだと思います。
ほとんどは「人の足を引っ張ろう」という考えになっちゃう。。。それは悲しい事実です。
私は思います。
「自分の敵は自分」
そして「妬む」のであれば「自分」。
今の「自分」を超える自分を作り出す。
今の自分に満足せず、向上する。
人と比べない。
私は、こうありたい。
まあ、淡々と自分の目標に向かって進めば、いずれは誰とも比べなくて済む状況になるのは、私の経験から。
・・・人の成果に興味が無いとも言いますが(笑