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雑にゃん日記<俺ってズレてる?>

いろいろな趣味や語りを書きたいと思いまーす。
私の頭の中、一般的と言うものとはズレているみたいです。

「妬まずに生きる」岸見一郎さん著、読みました

2025-04-06 12:56:01 | 読書
この頃、物語の読書が多くなっていましたが、ビジネス書も読んでいます。
読んだのは、この本。
岸見一郎さんの著書です。

岸見さんと言えば、アドラー研究で有名の方です。
いまだ根強い書籍である「嫌われる勇気」でも、構成などの著書にかかわっています。

さて、本書です。
著者が、「妬み」「嫉妬」に強い思いがあるのだろうと感じられる本書。
それゆえに、アドラー含め、哲学者などの言葉を引用して、何度も何度も繰り返し語っていたのが印象的です。

印象的な内容として「マタイによる福音書」の薔薇園の労働者の話、旧約聖書の「カインとアベル」の話。
この「妬み」という感情は、遠い昔からも哲学的、道徳的に重要でかつ、人として捨てられない・・・人なら当然なのかもしれない感情なのだと思い知らされます。
それゆえ「妬み」「嫉妬」とは、戦わなければいけないと私は思っています。

「妬み」「嫉妬」は、すべからず、誰かと何かと比べた時に発生します。
太古の昔から、やっぱり「比べて」しまうんだろうと。
比べるのが、すごいレベルの高いものであれば良いのだろうと思います。
現実は、手に届く人、もしくは格下と思う人と比べてしまう。
なぜかそうなってしまう不思議。

昨今思うのは、これ日本人だけかな?
「神」
という言葉が、とてつもなく多い。
神が、そんなに沢山いてもね。。。とは思いますが、「神」という言葉を安直に使う今日この頃。
これは「手が届かなそうな人」という意味で使っているのだろうと。
では「手が届きそうな人」は?
この「手が届きそうな人」は、全てが「妬み」「嫉妬」の対象になるのではないでしょうか。
問題を起こした芸能人は、神から落ちた人間として断崖するという事は、「妬み」などの一種なのだろうと。

そして、大きな問題は「ダニング・クルーガー効果」。
いまいちな人ほど、自分を過大評価し、届かない人を妬み、足を引っ張る。
「手が届きそう(と安直思ってしまう)な人」を勝手に作ってしまい、そして手が届かなことに後々気が付く。
結果として、追いつけ追い越せの努力より「妬み」を優先してしまう悲しい人種。
今の日本での大きな問題は、ここにあるのだろうと思っています。
妬む人間を多く評価し、頑張っている人の足を引っ張り、頑張っている人から搾取する世界。
これが、30年以上失わせ、いまだ人を正しく評価できない人を育てた大きな問題だと思っています。

この「妬み」を強く持つ人の特徴。
「嘘を平気でつく」「不具合を隠そうとする」「感謝しない」「無償で利益を得ようとする」「揚げ足を取ろうとする」「人から教えてもらったことを、平気で自分の手柄にしようとする」
これです。
あなたの身の回り、職場にいませんか?

「妬」まない。
とは言わないです。
アドラーが語っているとのことですが、妬みは一種の奮起するうえでの材料になるのも事実。
とはいえ、これは「人として高度な技術」なんだと思います。
ほとんどは「人の足を引っ張ろう」という考えになっちゃう。。。それは悲しい事実です。

私は思います。
「自分の敵は自分」
そして「妬む」のであれば「自分」。
今の「自分」を超える自分を作り出す。
今の自分に満足せず、向上する。
人と比べない。
私は、こうありたい。

まあ、淡々と自分の目標に向かって進めば、いずれは誰とも比べなくて済む状況になるのは、私の経験から。
・・・人の成果に興味が無いとも言いますが(笑
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読書は紙に限る。。。そう、思い出は一枚一枚のページに宿る。。。

2025-03-09 00:15:13 | 読書
先日、ビジネス書ですが、読み終えました。
かなり興味深い心理的な話。
感想・・・というか、私の思いは後日書くとして、本を読んでいて思う事があります。

この頃は、スマホで読む電子図書と言うのが多いですよね。
で、移動中では、紙の本を読んでいると、たまに変な目で見られます。
なんでなんでしょうかね。
デジタルで読めばいいのにと思われている?
はたまた、本なんて旧時代なものを。。。と思われている?
昨今出版された本「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」とありますが・・・読めなくなるのではなく、読まなくなる?のではないかと。

とはいえ、私は色々な本を読みますし、紙の本にこだわります。
なぜ紙なのか?
理系的に言えば、読み戻る場所に「ぱっ」と戻れるという便利さがあります。
これを叙情的に言えば
「あのページに置いてきた思いを見に行く」
という事です。
そう、1ページ1ページに、何かしらの思いや記憶、思い出、感情が染みついている感じがするんです。
「あ~そうそう、このページは”こんな”気持だったな~」
とか、
「このページ周辺・・・キャラクタの気持ちが盛り上がった部分だな~」
とか。
全体のページ分量から「この辺り」と言う感じで、記憶がよみがえる。
そんな感じがするんですね。
これは、デジタルではできない「味」というか、本自体に「思いがこもる」と言うか、そういった感覚になるんです。

将来はわかりませんが、今は「紙」という物に「思い」を感じていたい、そう思う今日この頃です。

そうそう、この「紙」という物。
色々な出版社の本を読んでいると、出版社毎なのか、本の種類別なのか、作品なのかはわかりませんが、紙質がそれぞれ違うように思います。
どの作品の紙質が良いかというのは関係ありませんが、違いがあるという事は、なんとも興味深い。
柔らかい紙質の本で、ページめくりがサラサラと行く紙。
シッカリした紙で、片手で持つと反力が強いのですが、いつまでも新品の風格を保つ紙。
少々濡れてもびくともしない紙。
と。
これだけの違いがあるという事は、面白い。
これも「紙」である事の醍醐味ではないでしょうか。
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「神のロジック 次は誰の番ですか?」西澤保彦さん作 読みました

2025-01-26 00:35:01 | 読書
次の小説を物色している時です。
KaBosコレクション」という棚にありました。
2023年のおすすめ書籍です。
以前読んだ「文身」は2024年の受賞著書ですね。

タイトルは「神のロジック 次は誰の番ですか?」です。
「神のロジック 人間のマジック」の改題とのことです。

感想文ですが。。。
1ページ開いた時から、違和感がかなりありました。
なんとなく「矛盾」と「ダラダラ感」で進むんだろうな?という経験則があります。

主人公は、小学生ぐらいの年齢。
にもかかわらず、セリフ全体が丁寧すぎる言葉使い。
子供はそんな話し方はしないだろう?という違和感。
そして、文章自体も難しい言葉を使う違和感。
作者自体「言葉遊び」が好きで、難しい言葉、漢字を使う事が楽しい人なのかもしれないと。
文系さんには、良くあることなのかな?
ただ、この「丁寧な言葉」自体も伏線で、ラストで「なぜ丁寧な、難しい言葉を使うのか?」がわかります。
読み取りにくいですが、なかなかこういう「サラリとした」仕掛けは面白い。

当初は「そして誰もいなくなった」(アガサクリスティ作)をオマージュした作品か、急なSF風味になるのだろう?
なんて思って読み進めましたが、全然話が進まず。
途中途中で、何の事件も起こらず。
いや、小さな出来事は起こります。
そして、ただただ日常系が進む。
とはいえ最後の部分でビックリするような説明が怒涛に語られます。
この最後の説明には、これまでの日常で起きた違和感が全て1つに収束していき納得のエンドにつながります。。。
が、とにかくエンドに到達するまでが長い。

後から思えば、「伏線」は色々あります。
「あ~あの点は、あそこにつながるのか?」
という印象はあります。
ただ、ミステリーとしての印象はかなり薄い。
面白い作品だと思うので、少々残念。

とはいえ、この小説のキモは別にあると感じました。
それは「共同錯誤」というか「集団心理」について。
そう、現代の「集団で人をおとしめる」そんな危険な心理状態を「共同錯誤」現象として物語にした点です。
集団で「こうだ」と決めてしまえば、黒いものも白くなる。
多数決原理で「やってはいけないこと」も正しく思えてくる、今日におけるネット社会の危険性。
この危険性を、物語と言うフィールドの中で「実験」している。
そして、最後には、この「共同錯誤」の結果で崩壊する。
この話の流れ自体が、フィクションではありながらも現実と重ね合わせた時の恐怖が感じられます。
そう、私が常日頃言っている「民意は間違っている」と言っているのはこの点です。
社会性をもって考えるならまだしも、この「集団心理」・・・「共同錯誤」の中で考えると、よろしくない方向に突き進んでします。
なんだか私の「良くない想像」が突きつけらてしまっているかのような恐怖が、私の心をつかんでしまいました。
最初の違和感なんて、この時点で吹き飛んでしまい、「満足感」ではなく「恐怖」を感じずにはいられない。
そんな奇妙な感想を持った、言葉通りの「奇妙」な作品でした。

ちなみに、タイトルの副題「次は誰の番ですか?」も「人間のマジック」も不要な感じがします。
「神のロジック」
だけで、人間が持った・・・そして、今日、我々が侵されている社会認識の不思議、その結果残酷な現実。
そう、この「共同錯誤」自体が、神が準備した奇妙な「崩壊のロジック」。
それこそが
「神のロジック」
そんな意味合いで良かったと、読み終えた時、感じずにはいられませんでした。
それを意識させるには十分だったのに。。。
そう思います。
では、改題の「次は誰の番ですか?」には、どんな思いが込められているのだろう?
実際はわかりませんが。。。
「次はあなたです。あなたが共同錯誤の中で真実から目を背けていませんか?」
という意味合いがあるのではないでしょうか。
あくまでも想像です。
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「プラスティック」井上 夢人さん作。この小説に心をつかまれました

2024-11-10 12:51:54 | 読書
もう20年前の小説です。
今回は「プラスティック」井上 夢人さん作の小説を読みました。

本書は2024年の本屋大賞 発掘本となっています。

本との出会いというは、一期一会。
こういうチャンスが無いと、知らないままと言うのは・・・非常に残念ですが、この賞のおかげで手に取ることが出来ました。

さて、感想なのですが・・・。
なぜでしょう?
1ページ目から作品の世界に引きずり込まれました。
もう読みたくて読みたくてたまらない魅力です。
なぜでしょう?
本当にわかりません。
最初は、キャラクターの「日記」から始まります。
そして、全編色々なキャラクターの日記形式で進んでいきます。
この構成は、ちょくちょくある構成です。
ただ、1ページの「日記」は、何の変哲もない、一人の女性のウキウキ話です。
でも、なぜか引き込まれる。不思議です。
そこに、事件?というか、なんだか気持ちの悪い「ズレ」が差し込まれます。

全編、複数のキャラクターの日記で話が進みます。
それぞれのキャラクターが、それぞれ別の道を進みます。
とはいえ、中心に「ある」キャラクターがいる。。。けど、そのキャラクターは出てこない。
という不思議な感覚。
読み進めるごとに
「これは、殺人事件が起こった時に、もう一人になり替わって生活をしている話か?」
とか
「まだ出てこない、裏のキャラクターがいて・・・」
とか、色々想像してしまう。
それくらい、本質の部分は記載されているにもかかわらず「明確な答え」を見にくくする工夫がいたるところにちりばめらています。
それゆえに、本書の2/3ぐらいは、読者の思考をフル回転させて読ませる。
これが、本書にのめりこんで良くプロセスなんだろうと思います。

そして、残りの1/3は、種明かし編。
とはいえ、事件の種明かしではなく、2/3でふんわり書かれていた・・・若干の矛盾をはらみながら・・・部分を1本の線にしていくプロセス。
ネタばれにはなりますが、この話は解離性同一障害・・・つまり「多重人格」の話です。
そう、「多重人格」にすることで、話の筋が見えてきます。
が、前述しましたが、それぞれがそれぞれの物語を作っている中での、多重人格なのです。
それぞれの物語と言うのは、ある出来事に対して「右」のキャラクターと「左」のキャラクターがいて、ストーリーテーラーがいて・・・まだ見ぬ中心人物がいる。
そして、それぞれがそれぞれを知らない。
そんな構成で、1本のストーリーにしている。
すごい話だと思いますし、すごい構成力、プロットの複雑さをまとめる作力。
読み応え満載です。

そして、最後に「この話は、あなたに向けた日記形式の話です」と、まだ見ぬキャラクターに対して、多重人格のキャラクターたちが語ります。
まだ見ぬキャラクター・・・それは、その体の持ち主・・・オリジナルの人格に向けてです。
最後の日記には、オリジナルキャラクターが書くべき「空」の章が付け加えられます。
・・・粋な構成です。
この「オリジナルキャラクター」に問いかける構成。実際は・・・読者なのだろうと思うのです。
読者の中に色々な人物がいる。
そして、それらは独自に協調もなく行動しています。
「あなたなら、どうする?どう感じる?そして、どのような夢を見る?」
と問いかけられます。
最後のページを見て、私は呆然としました。
この先の物語を渡された感じです。
この先を読者自身が感じ取り、構成していくことを託された感じがしました。
そう、物語はまだ終わっていないと。
次は「あなたの番だ」と。

確かに、SFチックな終わり方です。
ただ、これだけの「重荷」を乗せられた終わり方も珍しい。
それゆえに、感慨深い・・・というか、作者の思いが強烈に感じさせられる作品だと感じました。

さて、2周目を読むと「矛盾」と感じていたことが矛盾ではなく、うまくぼやかす書き方をしていることがわかります。
そう、1周目では先を知らない読者を「うまく混乱させる」それでいて「後からは矛盾がない」という状態にしている。
なんとプロット、構成の妙技かと。
人格の一人に「藤本」というキャラクターがいます。
そして「藤本」と協調しているキャラクターの女性がいます。
現実世界には、その女性と結婚していた凶暴な男「藤本」がいます。
そして、女性に好意を持っている男が言うセリフ
「藤本の弟に会ったよ」
と。
これだけを読むと「なんか関係があるのでは?もっと複雑な状況なのか?」と思ってします。
うまく読者を導いて・・・導かれています。
この回答は、本書の中で書かれていますので、ご一読してみると良いのではないでしょうか。

最後に、本書のタイトル「プラスティック」。
最初
「なぜ、プラスチックではないのだろうか?」
と思いました。
そして、本書の中に「プラスチック」なる要素が何もありません。
作者さんは、なぜこの「プラスティック」というタイトルにしたのか?
不思議でなりません。
あくまでも私の想像です。
私のように、ちょっと投資にかかわっていると良く見る
「ティックチャート」
この時点での価格をつないだグラフ。。。
という事は、値の1点です。
つまり
「1つ1つの点が、プラスしていった存在達」
という意味ではないでしょうか。
それであるがゆえの「チック」ではなく「ティック」ではないでしょうか。
そう考えると、このタイトルに込められた作者の思いが熱く感じられます。

この小説は、20年前に書かれた本です。
随所にフロッピーやワープロなどの20年前の文化が出てきます。
しかしながら「ミステリー」としては、現代にも・・・いや、過去から未来ずっと読まれても良い、濃厚なミステリーだと思います。
「昔のもの」
とか
「古い」
とか
「世代」
とか。
そんなことにこだわることが、いかにバカバカしいか。
良いものは良いと声高らかに言える。
そんな良書に出会えたこと、感謝いたします。


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「ダブルバインド」城山真一さん作。読みました。

2024-10-16 00:06:00 | 読書
読み終えた本もあるのですが、なかなか感想書けず。
という事で、今回はこの作品。
ダブルバインド」城山真一さん。

刑事ものの小説で、主人公が色々なトラブルに次々に合いながらも過ごしていく。。。事件が解決していく?という話。

率直に書くと、可もなく不可もなく。
面白いんですけど、これと言った盛り上がりもない。
そもそも「もっとも不幸な刑事」と銘打っていますが、この程度のトラブルの並走なんて・・・私なんて日常茶飯事。
この程度でギャーギャー言っていたら・・・と思いました。
がっ!
よくよく考えてみたら、読者が馴染みやすい事柄を厳選して「トラブル」にした感じがしてきました。
容疑者を取り逃し、警察内部での権力争い、そして警察内部の不正。
そして、家庭の問題と。
そう、読み手に対して馴染みよく、ワクワク、そわそわする題材を選んだのでは?
そう考えると、このシナリオの流れは王道の話で、面白いと感じました。
まあ
「キャラクターが何もしていないのに、偶然の出来事で話が進む」
と言う点は、ちょっと苦手ですが。
それも「トラブル」は、伏線でもサブシナリオでもなく、たんなる寄り道。
ややっこしくもなく、考えさせられる話でもなく、さっさと終わる寄り道。
それゆえにテンポ良く話が進みます。
これが良いかどうかは、読み手が決めることかなと。

読み終えた後で「ふと」思ったことがあります。
以前、某映画で「文章だったら面白いだろう」と書いた作品がありますが。。。
この「ダブルインパクト」。
「映像にしたら面白のでは?」
と。
今は無くなりましたが「サスペンス劇場」というヤツにピッタリな話のように感じました。
難しくもなく、視聴者が好きそうな題材。
そして、トラブルが解決されていく爽快感。
最後に残る、モヤモヤした問題と「サスペンス劇場」にピッタリな感じです。

他の難解な伏線を持ったミステリー、サスペンス小説ではなくサクサク進むシナリオ。
そう考えると、ミステリー初心者にはぴったりの小説ではないでしょうか。

ちなみに「サスペンス劇場」を見ていて、開始30分で犯人がわかります。
それは
「端役なのに、大御所の役者さんが演じている」
です。
確実に犯人です。
これが、映像作品の悲しい性ですかね。。。

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