斬剣次郎の鉄道・バス斬り2

管理人が撮影した鉄道・バスの写真をUPします。

夕張支線の思い出

2019-03-31 20:52:55 | 鉄道
 本日限りでJR北海道の
 夕張支線
 が廃止されます。先ほど最終列車が夕張を出発されたそうで・・・。
 私が夕張支線に乗ったのは2012年、2013年、2018年に3回乗っただけでした。2018年のはもちろん廃止発表されて乗り納めということで乗ってきたものです。そんな私にとって夕張支線を振り返ってみます。



 夕張支線は3回乗りましたが、全てキハ40系単行で2012年はキハ40-1780、2013年はキハ40-1785、2018年はキハ40-1706で夕張支線に乗車しています。2012年は盆、2018年は廃止前ということでにぎわってたのですが、2013年は閑散としていたように記憶しています。そいえば、2018年の時は朝から名残り乗車と思われる客がちらほらと・・・。それだけでなく、途中駅から乗り込んできた地元の方もいました。




 夕張支線の終点の
 夕張
 です。片面使用の1面1線のホームにこじんまりとした駅舎でした。というか、ひっそりとしていた・・・という印象が強かったです。2013年に訪れた時は夕鉄バスの夕張市内線から私1人だけ降りて寂しそうに出発していったという印象が深く残っています。2回移転し、その2度目の移転で夕張の中心部から追いやられたそうで、何とも言えない感じでした。




 夕張といえば炭鉱。その炭鉱も全て閉山し、そのしわ寄せが夕張市の財政に響いたことは御存知の通りですが、夕張支線の各駅には炭鉱でにぎわっていた名残りが見られるのも特徴です。そこで特に一番印象に残っていたのが
 清水沢駅
 です。広い構内が炭鉱でにぎわっていたことを示しています。しかし、ひっそりとしている駅舎と広い構内の中でぽんと立つ小さなホーム、これが炭鉱でにぎわっていたのが閉山で衰退してしまったことを物語っています。見るだけでも切ない感じでした。
 因みに清水沢駅を訪問したのは2013年ですが、当時はバスで清水沢駅前で降り、観察したのち夕鉄バスの夕張ローカルを撮影し、バスで清水沢駅を出て行っていました。結局、列車で清水沢を利用することはありませんでした・・・。




 そして、
 鹿ノ谷駅
 も同じでした。かっては広い構内を持っていたのですが、炭鉱の閉山で急速に寂れ、片面使用の1面1線というこじんまりとした駅になってしまいました。かっての面影が強く残っている清水沢とは対照的に広い構内に草むらが生えてしまっていました。しかも、駅前を出ると、何もなかった・・・でした。
 この駅には2018年に初訪問しました。




 最後に夕張支線の起点駅である
 新夕張駅
 です。石勝線があるので残りますが、夕張という文字もお見納めになってしまいます。特急も停車する拠点駅ですが、周辺がひっそりしているのは変わらずでした。にしても、かっては駅から階段を下ったところにあったバス停が駅舎前に移動していたのに驚きました・・・。

 そんな夕張支線ですが、夕張支線の廃止は夕張から鉄路が消えることを意味し、かって炭鉱でにぎわっていたところからの衰退がより鮮明になったように感じます。
 以上です。

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