夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 2月19日(月)「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」

2018年02月19日 13時26分49秒 | * 俳句 *
2017年2月13日に俳句を世界文化遺産に?というものを書きましたが、すでに俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会というものができているようです。また、早くも俳句のユネスコ無形文化遺産への登録を目指す議員連盟も発足しているようです。
国際俳句交流協会会長 有馬 朗人さんはユネスコ無形文化遺産登録に向けてとして詳しく設立の趣意を書いています。
俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の設立趣意書でも同議員連盟設立趣意書でも「俳句は人類が保全すべき文化的価値を有するものである」と共通認識においてユネスコ無形文化遺産に登録を進めるという事です。ではこの「俳句は人類が保全すべき文化的価値を有するものである」となるとどのような中身かはわかりません。ただ有馬さんの「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」でその中身がある程度分かるような気がします。
以下、この有馬さんの「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」について感想を書きたいと思います。「 」内は引用です。またユネスコ世界文化遺産についてや日本から登録されている文化遺産にどのようなものがあるかはこちらのサイトを参考にさせていただきました。
なお、わかりやすく解説されているのがNHKの「俳句を世界文化遺産に」かと思います。
まず少し長いですが引用をします。
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです。 当協会の俳句コンテストへの海外からの応募は49か国に及びます。

俳句の普遍性……アメリカの代表的な詩人アレン・ギンスバーグは俳句のように短いしかも自然をテーマにした詩を沢山作りました。 又、ノーベル文学賞を受賞したスウェーデンのトマス・トランストロメルや同じく平和賞をその死後に贈られたスウエーデン人のダグ・ハマーショルド元国連事務総長が俳句詩を詠まれたことはよく知られています。 このように一流の詩人や文人政治家が俳句を詠んでいることは俳句の普遍性を表していると思います。 一方俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。

俳句の平和性……俳句の主題は自然観察と日々の生活の中にあります。 俳句は瞬間を永遠のものにすることが可能です。 身近な自然を観察することは自然保護の心にも繋がり、人々の相互理解を生み、ひいては世界の平和へと繋がることになるのです。

次世代への教育力……言葉に関する感性を磨くことは表現力を高め、自分の考えを簡潔にまとめる訓練になります。 アメリカでは俳句を授業に取り入れて子ども達の表現力を育んでいるそうです。 俳句がユネスコに登録されれば日本の子どもをはじめ世界の子ども達の国語力の向上にも役立つでしょう。」

和食が去年でしたっけ、世界文化遺産になり世界中で日本食ブームにもなりました。しかし和食って何でしょうか?三ツ星レストランにもなっている日本食店もあれば、地方の郷土料理もある。そして我が家で日常食している和食もある。ここにはプロの料理もあれば大衆料理もある。和食と言っても、刺身一つとってもたしかな食材としての魚も必要でプロでなければうまい刺身はできない。一方では100円の回転寿司でも刺身を楽しめる。ここで和食とは「和食の大衆性」という形で世界文化遺産に登録されたのでしょうか?
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです」では俳句全体を言い表していませんし、「伝統文学」としての俳句を語ってはいません。俳句の大衆性と言いますが、文学としての俳句と同じように文学には初心者が作る小説や詩などもありますから文学全体が大衆性を持ちます。しかし文学となれば一定程度完成されたものでなければなりません。
「俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。」という「俳句の普遍性」も同じで私人が急速に増えるという事はあり得ないでしょう。
「俳句の大衆性」を世界文化遺産登録のための道具としてはならにでしょう。
僕も俳句も含めて文学の大衆化は良いことと思います。より多くの人々が俳句を詠むこと自体は良いことで、そのうまさや下手さを大目に見ていただきながら底辺を広げることは大切です。しかし、ただこれだけで世界文化遺産に登録させようというのは乱暴だという事です。
「俳句の平和性」と言いますが、俳句を詠んでいても戦争を支持する人々もいるでしょう。同時に俳句だけではなくて文学全体が平和を作り上げる作用があります。俳句=平和という世界遺産登録のためのこじつけもよくない。
俳句を教育に「利用」するのは良くない。俳句は教育にも「役立つ」というだけです。
どうも世界遺産というものが観光開発につながりすぎるという面も気になります。
俳句の世界遺産にしてもいくつかの自治体が動いているようです。議員連盟もそれを後押しするという方もいるかもしれないという懸念があります。
海外旅行に行けば、世界遺産だから見ておくかとなると思いますが、外国の方も日本に来れば世界遺産だからと見に来るかもしれない。しかし、テレビなどを見ていると、ネットで広まって世界遺産ではない日本人が当たり前の世界だと思っている処に人気が集まっている。日本人が知らない歴史や文化を見つけにきている。ここに大衆性がありますね。和食がラーメンであったりおでんであったり。俳句に興味を見つける外国の方が日本人と一緒に能動的に動いて世界文化遺産化は進むでしょう。そのためのおぜん立てを作り上げることはないと思います。
それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。

遺産としての俳句に続く

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