夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月 9日という日」

2024年10月09日 07時55分16秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
自民党の総裁選が終わり石破さんが総理になり、形ばかりの臨時国会を開き国会なの討議もないままに解散。
今衆議院を解散する理由もなく、能登の地震と水害の復興も国会での議論はなく、石破さんがアリバイ工作の湯に行っただけ。
解散が必要だったのは政治的な理由ではなく自民党の生き残り策だけの解散です。
とはいえ、立憲も野田さんになったわけで、自民党政治を補完するでしょうし、一気に会見に向かうでしょう。それには選挙だけの石破さんですからその後は自民党を引っ張る人が出てくる。高市さんでしょうね。
政治も経済も国民のためというものはなくなり、国のために国民は我慢を強いられる政治となる。

≪過去の記事≫

【2003年】
暇なのでドライブに出かけました。
首都高から常磐道に乗り茨城県は那珂湊へ。少し釣りでもと思ったのですが、海岸は強い風が吹いていてだめでした。仕方なく堤防から離れて自然の海岸線が残るところまで行き海を眺めました。
茨城県も工場地帯は多いし、港も多いので自然の海岸線は残り少なくなっています。
潮風が体中を通り抜けて生きました。何も考えずにぼけっと。。。。。
昼食は那珂湊の市場の中にある食堂で食べました。刺身定食を食べたのですが、思ったよりうまくなかったです。20年ほど前に始めていって食べたときはその安さと量にびっくりしたのですが、やはり観光バスなどが多くなってくるとだめなのかな?定食を見て感動がなくなった。常磐道の両側に見える雑木林もほんの少し色づいていました。筑波山は早いのかな?
11月に入ったら低い近場の山に行きたいと思います。

潮風
潮風を吸い込みたくて茨城県の那珂湊付近に行ってきました。
お昼少し前に出かけたのですが、高速道路もすいており、2時頃には着きました。
那珂湊には魚市場があり、たくさんの魚が売られています。市場の2階は食堂になっており、市場の新鮮な魚を食べられます。刺身定食を食べました。この市場には昔から時々来ているのですが、なんだか最近は食堂の定食の質が落ちたような気がいます。また、寿司屋さんも今はやりの回転寿司になってしまい味気ないです。
だいぶ観光地化されてしまいましたからね。。。。。。
茨城県の海岸は、港も多く、転々と工場地帯となっています。また、核施設で有名な東海村も海岸近くにあります。そんなわけで海岸美を楽しみながら潮風を吸い込むには苦労をします。
那珂湊から北へ30分ほど車を走らせると海水浴場もありますので、その近くに行きました。
風が強く、波が激しく打ち上げていました。漣の音も好きですが、こんな荒い海も好きです。これから冬になるともっと激しい波が打ち寄せます。寒さをこらえて海を眺めるのもいいもんですよ。潮風が体の中を通り抜けてストレスを吹き飛ばしてくれます。

【2004年】
雨と風が強くなってきました。そろそろ台風が東海地方かな?
用事があり出かけたのですが、やはり午前中早く済ましておいてよかったです。
だいぶ気温も下がってきました。そろそろスズちゃんの小屋にも綿でも入れてあげようかと思います。

【2005年】
妻がテレビで千葉県御宿町の「伊勢海老祭り」の紹介を見て行きたいというのでネットで調べてから行って見ました。
御宿は、太東漁港や大原漁港に釣りに行ったときに時々いったことがありますが、こういうイベントで出かけるのは初めてでした。夏はサーファーや海水浴客が多くて渋滞に苦しんだ記憶しかありません。
今回は、サーファーの人たちは相変わらず多かったのですが、もう夏も終わり雨も降っていたのでしっとりと下町の姿がありました。
「月の砂漠」の童謡で有名なところで、砂浜にはラクダに乗った旅人の銅像があります。そうは広くない砂浜で「月の砂漠」の詞を思い描くなど、たいしたもんだと思います。伊勢海老祭りのイベントは、この月の砂漠像が立つ前の広場で行われるというのでさっそく行きました。しかしどうも広場はがらんとしていて。。。。?
変だなと思い車を止めてよく見たら「本日は雨天中止」。。。どんより
たしかに伊勢海老祭りは1ヶ月ほど続くので雨天中止もわかりますが、すでに雨もほとんどやみ、3連休で観光客も来るだろうし。。。何だか活気というものを感じられない。
仕方ないのでせっかくだから伊勢海老ぐらい食べていこうと駅前の通りに向いました。
駅は寂しかったです。
駅前通もなんとなくどんより。。。
その中に1軒だけ手ごろな値段の料理屋さんが開いていたので入りました。
各種定食があり安かったです。でも安くてもおいしかった。刺身定食も8点盛。妻が食べた鯛の兜煮も肉が多くて味付けもよかったです。娘はなぜかしょうが焼き。。。さすがの伊勢海老の刺身は高かったですが、相場でしょう。。。
三人で二切れづつぐらい食べました。おいしかったです。頭がもったいなく別料金でもいいから味噌汁にでもしてもらいたかったのですが、言い出せませんでした。
食べ終わってさてどこかによろうかと思ったのですが、これといった観光地もなく、ぶらり旅では必ずといっていいほど行く町の博物館に行きました。「御宿歴史資料館」だったかな?
入館無料。。。
古い館内の入ったら、少し昔の農具がちんまりと並び、出土品も少々。。。5分もしないうちに出てきました。
出かけた先でいろいろな町の博物館に行きますが、その博物館を見るとその町自体の雰囲気がわかるような気がして、僕のその町の印象も違ってきます。もちろんその町の古代からの歴史の違いはそれぞれですが、町自体が自分の町を知ってもらいたいという意気込みがちがっています。
御宿は、町自体が頑張るというよりも、お昼ごはんを食べたような1件1件の店などがそれぞれにがんばっているのかなというのが僕の印象でした。
小さな魚屋さんのような店がちんまりとイセエビなどを売っていたり。。。。そういう店を探したり、おいしい店を探したりするのが楽しい町かもしれません。

昨晩は、母方の叔父が亡くなり新潟県まで行って来ました。
久しぶりに新幹線に乗ったのですが、新潟までも近いですね。。。
叔父はもう70半ば。。。。
子供の頃から新潟の母の実家に帰ってはお世話になっていました。最近は疎遠になっていましたがこういうかたちでお会いするとは思わなかったです。
子供の頃の思い出は、いつも怒っている叔父でした。少しでも従兄弟たちと騒いでいると怒られたっけ。。。
でも、酒を飲むとにっこり。。。
一応泊り込みで行かなくてはと思い着替えなどを準備して言ったのですが、新潟の親戚筋ともずっと疎遠になっていたので、焼香だけさせていただき、叔母や従兄妹たちに挨拶して帰ってきました。
従兄弟たちとは子供の頃はよく遊んでもらったのですが、久しぶりということもありお互いにそうも話がなくて。。。。泊まって行くかの一言もなく寂しく帰ってきました。
故郷というわけではないですが、子供の頃の思い出がたくさんある土地なので。。。
やはり故郷は遠きにあって思うものですなぁ。。。
叔父との思い出はいくつかありますが、この前東北旅行の帰りになんとなく叔父の住む町によってきたのですが、わざわざ遠回りをしてもその町に寄ったのも何かの予感のようなものが僕にあったのかな?こういう霊感的なものが僕には時々訪れます。宗教的なものは僕の中にはないのですが、時々胸騒ぎというものを感じると何か不思議さを感じます。
叔父のご冥福を祈りたいです。。。。
というわけで昨夜のうちに帰宅して暇だったので千葉県の御宿町に行って来ました。インターネットで調べたら「伊勢海老祭り」とあったので行ってみました。
また「ぶらり旅」のほうへ近いうちに書きます。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
ニュースでバイクのあるライダーが亡くなったらしい。といっても僕はバイクを乗るわけでもないしバイクレースに興味を持ったこともない。何でこのニュースが目にとまったかというと、死の悲しみにまだ青少年かと思われるファンが涙を流して泣いていた。たぶんバイクレースの世界ではこの方はヒーローだったのでしょうね。そのヒーロー。。。まったく僕の知らない世界というものがあり、その世界にはたくさんの人の憧れを受けるヒーローがいるということにハッとしたからです。
たくさんの時間を当ててテレビ放映をされているスポーツ世界では、まったく興味はなくてもその世界のヒーローの名前ぐらいは聞き知ることがあるが、そんなにテレビのライトを浴びない世界にもヒーローがいる。スポーツだけではなく、あらゆる分野にいるということ。僕はすごく狭い世界に生きているということである。
でも、人間一人が把握できる世界なんてだれでもが狭いのかもしれない。
バイクの世界はともかくとしても、たぶん興味ある世界が僕の目に見えないところにあるんでしょうねぇ。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ノーベル平和賞に中国の人権活動家といわれる劉さんが受賞した。
この平和賞についてはこれまでにもいろいろと「どうなのか?」という疑問のようなものがあった。ノーベル賞はその科学・化学の世界に授与されていたものですが、文学賞や平和賞が追加されてきた。科学というのはある意味成果がはっきり目に見えるものであり、どの研究が妥当かという違憲の違いはあるだろうが、受賞されたものについてはその功績は見えるものである。しかし文学賞や平和賞はその意味においてはわかりにくい。
とは言っても世界の平和を発展させることに貢献した人に授与するという理念を貫き通すということ自体は良いことだろう。それはあらゆる国の権力に左右されない受賞であることは理想として持つ必要がある。
そこで今回の受賞であるが。
劉さんは天安門事件にも関係した方らしくその後08憲章というものを起草して逮捕されたという。
現在も服役中であり、その劉さんが受賞したという中にも複雑さがある。
ノーベル平和賞を上にも書いたように世界の平和に寄与したという視点で授与するものであれば、その平和を人権や差別などそして反体制という活動などに授与するということ自体がどうなのかを考えなくてはいけない。
「中国の基本的人権を求める非暴力の闘い」を評価された受賞だそうだが、中国は「平和賞を汚すものだ」と批判している。
中国国内の基本的人権を求める。。。。ここにすでに平和賞というものが矮小化されているのではないか。基本的人権というものをどこの国を基準にした中国の基本的人権なのか?中国は、経済は資本主義、政治体制は共産主義という形になっているが、この政治体制に及ぶような意味でのノーベル平和賞ならば中国の反発は大きいだろう。
ノーベル平和賞は、例えば核による戦争を否定した核兵器の全廃に向けた目に見えた活動や理論などというようなものに限らねばならないのではないか。
基本的人権を言い出せば、理想的な国は存在をしない。共産主義に対する自由主義もこの基本的人権が経済活動においてどのようになっているかが問われ始めようとしている。もしこの基本的人権に関して平和賞が贈られるなら、それは一国の問題に限らないものでなくてはならず、各国が抱える貧富の差の問題や、世界的な貧困層の拡大、さまざまな差別や階層化など、全体をとらえる中でのその解決の道を提起し活動するような人に与えられるべきでしょう。普遍性が必要です。

【2011年】ツイッターつぶやき
厚生年金を例にすると、受け取る年金額は「基礎年金」プラス「厚生年金」となる。
10数年ほど前だったか、年金改革が行われて「基礎年金」部分が段階的に60歳から65歳に引き上げられて来年度からはこの基礎年金部分を60歳から65歳まで全く受け取られなくなる。そして来年度過疎の後かその後の年度からは、厚生年金部分が段階的に65歳までに引き上げられる。
今は厚生年金は受け取れるし、段階的な猶予が10年ほどあるのでどうにか年金で生活できるが、厚生年金部分が65歳になるにつれて65歳までの無年金者が増大をしていき10年ほどの地にはすべての今の現役世代は65歳までは無年金となる。
この意味で今の若い方は年金改革で損をするわけです。高齢者も今後さらに損をすることになるわけですが、その分若い方の負担が軽減をされるかというとそうではありません。むしろ年金改革で損をするのです。けっして老人が多いから大変になるわけではないのです。
以前200兆円とも言われる高齢化社会に向けた年金の積み立てがありました。今は150兆円程度に目減りしているようですが、この積立金の運用(金融商品など)で損をする年度も出ています。しかしこの積立金を年に5兆円切り崩しても30年は使えます。この30年というのはちょうど今の団塊の世代が平均寿命を過ぎるころです。ですから積立金の使い方によっては若い方の負担は減るはずです。しかしこの積立金の意義がやはり年金改革で変更になってしまいました。この積立金は置いておいて現役世代が今の高齢者をさせるやり方になりました。積立金はどこに消えるのでしょうか?今後。。。。。
高齢者が65歳まで無年金化することでどのようなことが起きるでしょうか?
60歳で定年になりますがその後5年間はどうにか働くことになりますし、国も企業もそれを助成しなければいけないことになっています。その中で定年延長や再雇用制度が拡大せざるを得なくなります。これは若い方にどのような影響を及ぼすでしょうか?ますます雇用の場が少なくなるということです。企業は若い人を雇って教育したり一人前にしていくよりも高齢者を若い人と同じ賃金に引き下げて雇用をさせ同じ仕事をさせた方が得なのです。もちろんまったく若い人を雇用しなくなるというわけではありませんがその数は減るでしょう。
年金改革はこの部分においても若い方に損をさせるのです。
そこで年寄りはどうにか生きて若いやつのことを考えろという論理も出てきます。
しかしその年寄りというのは若いあなたの両親なのです。両親が65歳まで無年金になっていくのです。
どうでしょうか?老後の両親を家族として養うのか、それとも公的年金で独立してもらうのか、それとも早く死ねよというのか。。。。。まともな若い方なら公的年金でどうにか生活をしてほしいと思うでしょう。
年金制度あるいは雇用制度は若い人と年寄りの世代間闘争ではないのです。
ここをよく考えてほしいと思います。考えないと老人がいつまでも働いて高額の年金を受けているから若い俺たちが大変になるのだといういかさまの常識に騙されて結局は家族単位で考えれば損は拡大されるのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
昨日、岐阜の国体が閉会したそうです。ニュースで一度ぐらいは国体の開催とは聞いたが、なんとなくいつ始まったのかわからないうちにそして閉会。恒例にもれず開催地が総合優勝。
国体出場を目指して頑張り協議に一生懸命になる選手の皆さんのことはある程度わかりますが、国体自体が何となく形作られたお祭り行事になっているのか。開催することが目的化されているのか。参勤交代のような義務化なのか。公共事業の一つなのか。。。。昔ほど注目がされなくなったことは確かでしょう。
何も国体をやめてしまえという気持ちはないのですが、どうもあってもなくてもどっちでもいいような気がします。
国民的なスポーツの祭典の形式的な開催目的化のような恒例行事的な雰囲気に血が通ったものを感じなくなっているのでしょうか。
スポーツで言えば国技は相撲なわけですが、伝統性や形式ばった品格の継承はあるのですが、底ばかりが強調された国技で、中身は八百長だ、無気力相撲だと。
何か国が行うものは格式が高いといったイメージがありますが、底が目的化されて国民に見せるという形式主義的なものが鼻につくようになっているのではないでしょうか。それが違通っていないような気持ちに。
国立の公園というのがありますが、自然を残すという意味での国立公園はそれでいいのですが、金をかけただだっ広いだけの整備された公園となると、そこに立つとひゅーっとつめたい風が心を通り過ぎるような思いがします。なんとなく名は公園ですがただの広場です。これも血が通っているようには見えない。
血を通わすと言っても国が行うことですから末端の毛細血管まで血を通わすという事はできないのでしょう。血を通わせるのは利用する国民にあるのかもしれませんが、どうも国が大動脈に流しているのは血ではなくて金なのかもしれません。予算と税の支出。
ときどき大活躍をする芸能人やスポーツ選手などに対して経済効果〇〇億円とかいったニュースが流れていますが、この世の中なんでも金に換算するような殺伐なものがありますが、国体にしろ国立の公園にしろ、国なり自治体の金の流れに位置づけられているような気がします。

【2013年】ツイッターつぶやき
自民党高村副総裁が「人件費カット、今や正義ではない」と語ったという。
人件費をカットすることは常に「正義ではない」のだが、自民党政権はこの人件費カット(賃下げ)をずっと容認して生きたし、現在も「首切り特区」ともいえる労働の規制感をを続けようとしている。
「人件費カット、今や正義ではない」という言葉自体あるいは安倍総理自身が賃上げを呼びかけること自体がこれまでの自民党政治のツケが経済に重要な悪影響を及ぼしたということを認めたに等しい。
デフレからの脱却には人件費カットは「正義」ではないし、適切な経済政策ではないということが自民党にも見え始めているということでしょう。
しかし現実の経済政策はアベノミクスにより労働の規制緩和が進む。
自民党や経済界の中での一つの内部矛盾の広がりでしょう。いつまでも異次元の量的緩和は続けられないし困難さが伴うことはアメリカの出口論で露呈をしていますし、それは量的緩和では経済の立て直しはできないことを現している。そこにはどうしても国民所得への資金の還流が必要であることを示している。
アベノミクスは内部からの矛盾を深めていき崩壊するしかないかもしれません。昨日も書きましたが超保守主義の政治も外交から崩れて内部の矛盾に広がるかもしれません。

【2014年】ツイッターつぶやき
いつ頃だっただろうか、労働者側から企業に縛られない自由な働き方という問題提起がされてた。特に若い人からの声だったと思う。
長い労働時間に縛られて人間関係などにも縛られる。若いうちは賃金も低いなどわっかい人の不平や不満もあったのでしょう。
フリーターのような働き方も増えていったような記憶があります。
しかしこの企業に縛られずに自由な働き方をしたいといったものが逆手に取られて今の正社員と非正規雇用者の格差が広がる労働環境につながってきたような気がします。
今の格差の拡大で正社員の「身分」を得たいという人が増えてきているでしょう。しかし求人が増えたとはいえ正社員の道は険しい。
労働者は企業に縛られない自由を得たが賃金格差に苦しめられるようになったというのが現実でしょう。しかし縛られない自由も簡単に解雇される自由であり、今ではブラック企業などという言葉に表されるように結局は企業に縛られざるを得ずに自由な働き方ができているのかとなれば疑問でしょう。
これからはますます正社員という身分を得るのが難しくなっていくでしょうし、その中で正社員という中間層が減っていき低所得層が増えていく。あるいは低所得者が増えれば中間層という生活レベル最寄低下したところに落ち着いていくでしょう。
到底本気とは思えませんが政府も賃上げの必要性を言っています。
もちろんこの賃上げは春闘にみるような正社員層あるいは大企業が中心での賃上げです。賃上げが各階層に行き渡るかといえば最低賃金が上がったとはいえ10円玉の世界ですし、それも大都市圏の話です。
この中で自由な働き方そして賃金格差のない働き方の要求が高まるでしょう。
この要求の実現は10円玉の最低賃金引き上げぐらいでは達成できないでしょう。
もちろん最低賃金の引き上げを重要視し続けること自体は大切なのですが、非正規雇用の時間当たりの賃金を正社員並みに引き上げることが必要でしょう。ある年齢において正社員も非正規雇用も時間給あたりでは平等という賃金制度が求められます。
賃金の額は時間給あたりにすれば平等という中に自由な働き方も生まれるでしょう。
労働時間と賃金高には密接な関係があります。労働時間が同じで賃金は下がる、あるいは労働時間が伸びても賃金は同じであるではどう似ても労働者の損となるでしょう。仕事自体は正社員も非正規も同じ条件で付ける平等さの中に賃金は働く労働時間によって決まればある平等さが生まれます。もちろん健康保険も年金も同じ条件に。
この平等さをもとに企業は正社員を増やす方向に動くでしょう。特に今は人手不足なのですから。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
憲法問題が騒がしくなってきました。
憲法というものは不思議な存在ですね。
近代国家の民主主義憲法が100%実現した国があるでしょうか?少なくとも先進国は自由や民主主義を憲法に謳っているでしょう。しかしだからと言って現実社会がその憲法に沿ったものとなっているかというと憲法と現実とは乖離しているでしょう。
生存権、人間らしい生活を送る権利が国民にはあるとして、現実は格差の拡大から貧困が問題になっています。
ここで憲法を変えて貧困や格差拡大を憲法で仕方ないものと規定する国があるでしょうか?少なくとも民主国家において。
どこの国も実現されていない乖離した憲法に現実を近づけていこうというのが近代国家です。
日本は9条という平和主義があります。この9条は先進的な憲法の条項でしょう。ところが現実とこの9条が乖離しているとして改憲というものが出てきてしまう。しかし現実は様々な条件がありながらも紆余曲折しながら戦後70年平和を維持してきた。多くの先進国が軍隊を派遣する間違いをしてきたにもかかわらず日本は自衛多を公選させたことがない。世界の中で平和主義を実現したのが日本と言ってもよいと思います。だからと言って経済が落ち込んだわけではなくて逆にこの平和主義が経済を安定させてきた面があるのではないでしょうか。
今更9条を捨てる理由はないのです。
しかし憲法は一つの目標でありますから現実の方とは乖離して自衛隊が増強されてきました。それでも専守防衛として海外に軍として派遣されてこなかった。この中で集団的自衛権が言われはじめて法としては抗戦する危険性が高まりました。この集団的自衛権の行使をするには9条がさらに邪魔になってきたという現実主義が強くなってきました。
憲法9条の理念に近づく法ではなくて9条が邪魔になってきたという後退を意味しています。
改憲を行ってはダメですね。
北朝鮮の危機を煽る政党はたくさんあると思いますが、その日本の内政的変化(集団自衛権の解釈変更など)や近い将来あるいは遠い将来に向けて何をするかをはっきりと国民に示しているかと言えばそうではない。この中で対話や平和主義を攻撃する。このようなものは印象操作的なものでしかない。(ツイッターより)
軍事的緊張関係において、互いに「正義」を保つために先制攻撃は避ける言動はする。現在の日朝関係もそうでしょう。この段階においては制裁処置もあるが、基本は平和的解決に向けた話し合いを模索せざるを得ないことは確かでしょう。この話し合い抜きに制裁だけの強調は「正義」が歪む。(ツイッターより)
憲法が替われば戦争の道しか開けません。戦争をすることができる道を広げるのが憲法順守となってしまいあんす。

【2018年】ツイッターつぶやき
かねのなる木がどうも元気がない。
夏の間も元気だったのですが最近葉っぱがシワシワになっている。分厚い葉なのに薄くペラペラ。
茎や枝がどうも黒くなっている。
もう35年育てているのですが、ここで枯らしては大変と毎日様子を見ています。
今年の暑さは異常でしたから夏バテかなとは思うのですが、水やりはしっかりやっていたし。。。。
そしたら、さっき、夜のニュースで塩害について報道されていました。
先の台風で塩害が南関東で発生しているようです。地図を見ると23区が入っていました。
塩が葉っぱにつくと葉っぱの水分がなくなり枯れるそうですが、金の生る木は分厚い葉っぱなのでもしかしたら塩が原因でシワシワに?
他の花たちの様子を見ると、フェアリースターの葉っぱが黒くなっている。
とりあえず塩害かどうかはわかりませんが明日葉っぱにも水をかけてやりたいと思います。
そういえば、車も洗車したほうがいいかな。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
神戸市の小学校で教師による教師へのいじめ問題が出たそうですが、ニュースでの動画を見たとき、中学生ぐらいの子供の騒ぎかと思いました。
幼いです。。。。。。
これまで学級崩壊というものが問題になっていましたが、今は学校崩壊が起きているのでしょう。
子供たちが騒いで授業もままならない状態と先生のいじめの騒ぎも同じレベルです。
そして騒ぐ子供をどうにもできない教師と、騒ぐ先生をどうにもできない校長先生。
同じレベルですなぁ。
なぜいろいろな面で同じレベルになってしまったのか?
先生ですから教育での学力は子供以上のものがあると思いますが、知的レベルとか、心はどうなんでしょう?
学力と知力は違いますから。
こういう子供たちや先生を統率できない状態が今の公的学校の実態なのかもしれません。
今は、モンスターペアレントなども多くいますから生徒がお客様です。お客様が高い学力を持っていただけるならそれでよいわけです。同じようにマハ先生の数が足りなくて、長く務めてもらうためにはお客様です。学力の高い生徒を育ててもらえればいい。
あとは生徒もこのような先生も文科省の指導に沿った言動をしていれば安泰です。
あとは裏では何でもありなんですから。。。。。
子供社会は、その子供を育てる社会(学校)は大人社会の鏡です。大人社会の政治の鏡です。

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナの感染拡大が高止まり・下げ止まり(どちらが正しい分析かは別として)とはいえ一向に感染の拡大は終息しない。このような中でホリエモンさんこと堀江さんと餃子屋さんとのマスク着用でのトラブルが発生をし結果、餃子屋さんに嫌がらせともいえるような電話が殺到したそうです。両者の言い分はそれぞれありますが、結果としては嫌がらせが続いたという事実はあります。
タレントのラサール石井さんはこの状態を見て犬笛を吹くという表現をしてホリエモンさんを批判しています。
影響力のある方が直接的に口に出してある行動を支持者や同調者などに指示するわけではないですが、
「ホリエモンは餃子店の実名を公表したわけではないが、イニシャルなどから、すぐに店舗が特定されてしまった。ラサールはそれを特定の層だけに届くという意味で、「犬笛を吹く」という表現を使い」(引用)
とラサール石井さんは説明をしています。
この分析が適当かどうかは今後の両者の成り行きからわかることかもしれませんが、この「犬笛を吹く」といったものは実際人種差別でも用いられていたそうです。
この犬笛というものは案が身近にもあるのかもしれませんね。
去年から今年にかけて安倍政権と官僚との「忖度」の有無が問題になりました。
強い力を持つ政治家の直接的具体的な指示はなくても、ある言葉により官僚は忖度をしてその政治家の意図を理解して行動する。安倍総理がモリカケ問題に昭恵夫人も含めて関与していたなら総理大臣を辞任すると国会の場で発言すれば、すぐに官僚は文書の隠ぺいに走るなどということがありました。
かわいいワンちゃんとのコミュニケーションでの犬笛もありますが、下手をすれば犬に攻撃しろとも犬笛は使えますね。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
そろそろ花の植替え時期になってきました。
今年の夏は何という花だった葉っぱなどに刺激があるとされる花を買ってしまい嫌なのでかわいそうだか抜いてしまいました。プランタは淋しく夏を越しました。
まだ初冬に植える花はあまり売っていないのですが、早めに花を植えたいと思います。
フリージアの球根を新聞紙に包んで保存してありますが、この前見たら芽が出はじめていました。
これは丸い鉢に早めに植えたいと思います。
ゼラニウムが元気ありません。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
旅行の支度

【2023年】ツイッターつぶやき
イスラエルが対パレスチナ(ハマス)に宣戦布告をし報復としてガザを空爆した。
今後ガザを封鎖をするようです。
世界では、イスラエルへの建国以来のパレスチナ攻撃を非難する一方ハマスの攻撃へ批判が多い。
ロシアは平和的解決を呼び掛けるようですが、アメリカなどはイスラエル支援を明確にしている。
アメリカの上院民主トップが中国に対してイスラエル支援を呼び掛けたらしいが、中国は解決としてパレスチナ国家の樹立を言った。
昔パレスチナ解放機構のアラファトさんが、平和的解決を呼び掛けていましたが、結果は内部の過激派組織の問題とイスラエルの強硬姿勢により現在はパレスチナは狭い地域に押し込められている。アメリカの植民の歴史においての先住民への攻撃と同じ構図ですね。
平和的な解決はアメリカの中東政策の変化が必要ですがそれは今のアメリカには望めない。アメリカは戦火を拡大していくでしょう。

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