この言葉を聞いたのは
セザンヌの絵の話をしていた時だけれど
よく意味は分からず
今だってわからない
どこかの解説には
人間は一か所から見て暮らしてないからさ
と書いてあって
あちゃあ
この人も理解に苦しんでこんなこと書いてら と思った
多視点という言葉はもう述語の一つだから
絵を描く人にとっては
普通のはなしなんだろうし
展覧会に行くとそういう絵は多い
静物画が特にそうだ
普通に見えてるように描いてる静物画なんてないくらいだ
だから人々には普通のことなんだろうけれど
なんでだろう
と
ピカソのドラ・マール
とかさ
横顔と正面を組み合わせた絵を
物の本には
キュビズムはこういうもんだって書いてるがな
私は違うと思うんだよな
彩友会のKさんと話した時
彼女は 概念的なとらえ方の話をしたら
意を得たり という顔をした
その真意はつかんでないけど・・・
物の見方の革命期
ルネサンス以来の視覚的リアリズムを
脱していこうということだったと思うんだよな
その時
概念的な形態に気持ちが動くというのは私には良く分かる感じ
エジプトの昔もそうだし
この画像を借りてきた人の記事にもあった
子供心に
エジプトの絵は
子供が描いたみたいって思ったって
昔だからそうなのかって
実は私もこの側面性と正面性の組み合わせは
幼稚に見えた
すごい洗脳だね
しかしエジプト文明の中での哲学があるのだ
物の本質を典型として表す
何をどう見るか表現するかというのは
時代を超えてみてみると面白い
で
いかに自分が固い価値観に毒されているか
焦っちまう
さてよ
これはオルガを描いたものだと思うけれど
オルガって
どうしょうもない女だったねとも思うけれど
そうじゃないか
決定的な女観獲得か
とも思った
こういうところから来た破壊的な形態は私は女だからな
わけわかんない(言葉的にはわかるけど)世界だ
あと 横顔と正面の組み合わせも
花ぺちゃの日本人である私には
横顔が概念的な天恵ではないからな
だから縁無き世界だな
とも思った
セザンヌの絵の話をしていた時だけれど
よく意味は分からず
今だってわからない
どこかの解説には
人間は一か所から見て暮らしてないからさ
と書いてあって
あちゃあ
この人も理解に苦しんでこんなこと書いてら と思った
多視点という言葉はもう述語の一つだから
絵を描く人にとっては
普通のはなしなんだろうし
展覧会に行くとそういう絵は多い
静物画が特にそうだ
普通に見えてるように描いてる静物画なんてないくらいだ
だから人々には普通のことなんだろうけれど
なんでだろう
と
ピカソのドラ・マール
とかさ
横顔と正面を組み合わせた絵を
物の本には
キュビズムはこういうもんだって書いてるがな
私は違うと思うんだよな
彩友会のKさんと話した時
彼女は 概念的なとらえ方の話をしたら
意を得たり という顔をした
その真意はつかんでないけど・・・
物の見方の革命期
ルネサンス以来の視覚的リアリズムを
脱していこうということだったと思うんだよな
その時
概念的な形態に気持ちが動くというのは私には良く分かる感じ
エジプトの昔もそうだし
この画像を借りてきた人の記事にもあった
子供心に
エジプトの絵は
子供が描いたみたいって思ったって
昔だからそうなのかって
実は私もこの側面性と正面性の組み合わせは
幼稚に見えた
すごい洗脳だね
しかしエジプト文明の中での哲学があるのだ
物の本質を典型として表す
何をどう見るか表現するかというのは
時代を超えてみてみると面白い
で
いかに自分が固い価値観に毒されているか
焦っちまう
さてよ
これはオルガを描いたものだと思うけれど
オルガって
どうしょうもない女だったねとも思うけれど
そうじゃないか
決定的な女観獲得か
とも思った
こういうところから来た破壊的な形態は私は女だからな
わけわかんない(言葉的にはわかるけど)世界だ
あと 横顔と正面の組み合わせも
花ぺちゃの日本人である私には
横顔が概念的な天恵ではないからな
だから縁無き世界だな
とも思った