「〇$☆Ω▲#*@&※●Юだっぺ!?〇$☆Ω▲#*@&※●Юけ?」
「すみません、もう少しゆっくりお話頂けますか?」
「〇$☆Ω▲#*@&※●Юでよう!?〇$☆Ω▲#*@&※●Юんべよ?」
あ~~ん!わかんない!
電話は大変よ
顔が見えないんだもの。
いかに顔が伝えることが大きいか
わかった。
私は、 軽薄な性分で 人の口真似をするのが癖だけれど 茨城弁の うんと茨城弁は 難しい
この電話をかけてきた人は武蔵より年下だけれど
茨城弁が上手だ。
方言てなかなかしゃべるのは土地の人も難しくなってるからね。
この人はうますぎる。
方言を強く残す人は誠実
そういうイメージがある。
武蔵なんか知り合った頃
茨城弁の人に聞こえて
誠実そうに見えた。
しかしこちらに来て見ると
あれでずいぶん東京弁に染まってたのだとわかる。
徐々に茨城人になってきているけれど。
・・・・・じゃん
って
これ、元は横浜のほうの方言よね。
私の中学は世田谷のはずれのほうで
横浜、川崎から通ってくる子がいて
その子達の使う
・・・じゃん
という言い方が流行ったことがあるが
今では
共通語になっているみたいよね。
私が
軽薄で
若者言葉に染まってしまうと
娘がひどく嫌がる
「超なんてつけないでよ!」
叱られる
「はいはいさようでござんすか。それで、よござんす」
なんてふざけて言うと
武蔵に叱られる。
山の手言葉ってあるけれど
東京の山の手は、本当は農村地帯だったのが
人口が急増して
成り都会人がいっぱい移り住んだ。
私の生家みたいに。
ござんす言葉なんて実はないのよね。
成り都会人を揶揄するために
ことさらめいて使われたんじゃないだろうか。
のんびりした田舎だった東京に
どんどん人が入り込んで
ジモティー(地元民)と移住民のあいだで
トラブルもあったし
なるほどねえとわかりあうこともあったね。
今ディズニーランドができて
都会になっちゃった浦安
あそこは山本周五郎の「青べか物語」の世界だったんだからね、本来は。
そこで育ったわが子らは
「半分ずっこ」(半分ずつ)という方言を身に着けた。
これは浦安の清流神社
画面手前に座ってる坊やが昔のわが息子よ
上で飛び跳ねてるのも息子よ