ロフトに上がる階段
狭くて折れ曲がってる
パネルを上げようと思ったが
見切りの術3センチ誤って 上がらなかった
と言ったら 7段剣士 俺なら上げられるかもと
えらそうに私を見くびって 挑戦
ほら見ろ 7段だって 無段だって 3センチ足りないんだよ
ロフトに上がる階段
狭くて折れ曲がってる
パネルを上げようと思ったが
見切りの術3センチ誤って 上がらなかった
と言ったら 7段剣士 俺なら上げられるかもと
えらそうに私を見くびって 挑戦
ほら見ろ 7段だって 無段だって 3センチ足りないんだよ
このお友達のお父様を
私も
おとうさん!と呼んでお慕いしていました
色気のない私が 虫に食われてぶつぶつになると
「おお 則子を食う虫も出たか めでたい」と喜んでくれたものでした
脂っこすぎる料理なのにできると
「食べて!」と持っていくので
喜んだふりで食べてくれましたが
陰で
「のりこがさあ よろこんで料理持ってくるが 脂っこい!」と
困惑してたって
きょうは
このお父さんを恋しがって うるうる
年賀状ではなく この葉書が来たので
お母様に異変があったのかと ドキドキしてますが
怖くて聞けません
もうずいぶん賀状だけのお付き合いになってしまってるのです
わたしは
薄情だ
今朝 139/69/65
これ朝としては新記録
寒くなってからは170 180 だったもの
体重も今朝 今年最低記録達成
酒粕効果としか思えない
わたしが ナッツ類食べ過ぎるので
これ カロリー高いんだぞ 太るぞと武蔵に脅されたから
今朝体重計は怖かったが
OK!
よし うれしい総括だ
80号Sのパネルをロフトに上げようと
超 奮闘したが 3センチばかり見切り間違え
どうにも上がらない
あとで ふき抜け側からあげるかな ともかく
描く場所を何とかしないと
ああ 息が上がってる 重いんだもの
わが家の野郎どもは
まだ白河夜船
あと一時間でおばさんを温泉に連れて行かねばならん
今年は
ブログを非公開にしてしまった
おかげで
志村さんちの望年会も参加できなかった
ブログは日記と割り切ることにした
ブログという手段があるので
日々 思いついたことをポロポロかけるのでいい
考えたことを書いておくと
固まったり 検証したりできるのでいい
日記は書いても散らかしてしまうからね
こちらの日記も独りよがりだけれど
絵の話はもっと独りよがりなので
時々記事という別建ての日記にしたが
今年は ポスト印象派以来 私的には
すごく面白かった
まだまだ面白いことは続く
ブログを読んでくれる人は激減してしてしまったし
検索で遊工房とやってもなかなか出てこなくなっちゃったが
ま しょうがない
それでも 日々読んでくださる方が20人くらいいる
お付き合いくださって
ありがとうございます
もう少し成長したら
もう少し読みやすい記事が書けると思うのですが
今のところ
頭の中を整理するのに
あたふた
年と共に混乱の度合いはひどくなるかも
でも またどうぞよろしくお願いたします
では
皆様 好いお年を
いよいよ明日は 片付けようと思うので
これが最後の記事かも
でも
また書くかも
なにも暮らしいことはできないしなにも片付いてない
なるようになれ
昨日なんか
水曜日だから
おばさんと温泉に行くのではなく
ゆっくり泳げる川島に行きたいと思っていたが
おばさんは温泉に連れて行ってほしいだろうなあと思い
グダグダしてたら
武蔵は両方行けば?という
主婦が一日泳ぎ呆けててもいいのね
そうか!
と両方行ったよ
武蔵本人も温泉に行きたいが
私たちと一緒はいやだって
マイペースでのんびりしたい
待ち合わせたりするのはうっとうしいとさ
クソ!
誰もがそうだよ
おばさんも
私は頭も洗い お風呂が時間かかるので
ほっといて則子さんは泳いで来いという
お風呂で滑る床を一人で歩かせるのは心配だから
ほっとけないんだよう
私が待ってると思うと
おちおちしてられないというわけだ
お互いに好き勝手にしたいのだが うまくいかない
そんなこんなで
息子の出勤時家にいなかったら
作った弁当を息子は忘れていった
くそ息子メ
へへへ
いま
頭上で息子のおならの音がした
アハハハ
人と暮らすと
こまごまと
こういうことが続く
息子などは
そういうかかわりを親ともちたくなくて
この家を 早く出ていきたいが
住み食べ絵を描き というのが自力でできないので
仕方なく寄生している
仕方なく暮らす日々
そういうもんだな
温泉で高齢の方たちの話を聞いていると
弱った体で
正月の準備 あれこれ 若い世代はやらないので
仕方なくやってくたびれ果てると言ってる
餅つきとか お供えを何十も作ったり
あちこちにくばったり
いつまでできるか と
これが暮れ これが正月 という暮らしがだんだんなくなるのを嘆いているようだ
私たちが田舎に通うようになったのも
姑が高齢になり伯父さんが高齢になり
餅つきができなくなったからで
餅つきに通ったんだった
ついた餅を丸めてお供えやらお月様と三日月様の作り方を習ったりしたが
もう
臼は何かの台になって 登場することはない
温泉で会うおばあちゃんたちも
!!!餅つきするの?
と
びっくりだが 今は機械だって
うちのおばさんも 餅つき機がほしいというが
私はもちは食べないので(太るし ぶつぶつができる)
いらない
(実は 前もってたのだが 人の集まる友人の別荘の備品に提供しちゃった)
というわけで
暮らしくもない今日が始まる
おばさんは暮のお買いものがしたいというので
お供をいたします
私は 暮の買い物はしない
生協から酢だことかは届く
チンポ~~ン♪
茨城弁があまりに上手で何言ってるかわからないおじさんが来た
武蔵の剣道仲間らしい
納豆を貢いでくれた ♪ うっまそう~~!!
Yさんの住む石下の方で この納豆はそこよりもう少し近くの
千代川村でとれたお豆で作られたものだって
茨城県は納豆が名産です
わが家は全員 納豆大好き!
ふっくら甘く おいしいお豆!
尿酸い悪い? そんなこと知るか!ウシシシ
茨城弁上手なおじさん! ありがとうね!
書の評で気韻という言葉に出会い
マチスの画家のノートに月並みという言葉があり
風格とか気品とかって
なんか 面白くない
下町の庶民の娘育ちには 何もないじゃないかといじける
皇帝の周りに居並ぶ人々は
皇帝を慮って あたふた働く それらの人々を
上から目線で睥睨する皇帝は 材料として見渡して手玉にとってるよ
ああ
私は
生まれながらにして
親の意向を慮り
学校に行っては先生の意図を慮り
旧友の間ではへーこら皆様のご機嫌を慮って生きてきて
いまや
日々身近かな人々を慮って生きてるぜい
気韻とか風格とは無縁の人生
ああ
生まれ変わったら
周りの人が私を慮って
お世話してくださる
そういう境遇の妖艶な美女に・・・・
と妄想
しかし
人懐こすぎる
件のプールのゴリラおじさん
かれは
一生懸命
老いも若きも美醜に関係なく おなごどものご機嫌を慮って
話しかけてるんだよなあ
そういうけなげな人を
上手にあしらえなければ
王者の風格も
人をひれ伏せさせるような気韻も備わらないや
おお 邪魔くさい
ひとを慮って暮らす 民の暮らしが やはり
いいわ
おばさんが
暦を買ってくれという
これまで氏子を回ってくる神社から手に入れられたのに
今年は持ってこないというので
プールの帰り
最寄りのスーパーに寄った
昔ながらのスーパーだから 前は置いていたしというのに
ない。
下館まで 本屋に行こうか
といいつつ
町場の本屋にあるかなあ?と心配
それで
野殿(町よりちょっと農村寄り)
のコンビニに寄った
おばさんを車において
店員さんに 聞いた
「暦ある?」
「カレンダーは置いてませんが」
「違う違う ほれ 年寄が今日は大安たらなんやら見る本になってる暦」
で案内されたのが 文具売り場 「ないですけど~~」
「違う 本よ」
と
本売り場を見たら あった!
「これよう!」
「あら!これですか? 勉強になりました」とかわいい店員さん
「じゃ、年寄連れてきて確かめるからね」
めでたくご購入 1050円也
「厚こいなこれ 」
「詳しくいろいろ書いてあるのよ おばさん 1000円分楽しまなくちゃね!」
このあいだ
大塚先生と話していたら
黒田清輝が
印象派を
日本に持ち込んだことについて
当時ヨーロッパでは
過去のものになりつつあった
印象派なんぞを
これが
西洋画だと
日本人に思い込ませた
功罪について
誰それが書いてると言ってた
いろいろなところで
その話
読む
と言ったら
先生が言うには
その誰それ(名前忘れた)が
書いたことが
もう皆の定説みたいになったんだよ
と教えてくださった
上の絵は 『婦人像(厨房)』 明治25年作 東京藝術大学大学美術館所蔵
私も 子供らの世代に
母ちゃんたちって
いつまでたっても印象派から抜けられないのね
と馬鹿にされるもんだから
ちょっと それを 黒田清輝のせいにする
浅はかな 付和雷同精神があるんだなと 内心赤面した
マチスが言うには 月並みな魂では いくら奇抜な方法を使ったって
月並みな絵しかできないって
そういうことだな
嗚呼 恥
ところで
西洋の美術は いわば異文化なんだもの
その 衝撃というのは触れ合うことで 新しいものが生まれるんじゃないかね
ポスト印象派の時代
ヨーロッパの人にとっては
日本の絵画の平面性が衝撃を与えたんだし
それが引き起こした発想の転換は
たどりたどれば キュビズムにも行きつく
日本の側は 印象派が入って どうなんだろう
それを考えられないというのが 情けない
黒田清輝の功績について 貶めるようなことを
人の尻馬に乗って 言ってはいけませんね
全然話は飛ぶけれど
李世民の中で
大きな文字が 一文字 壁に掛けられる場面があった
その画像は かなり魅力だった
私も
この一文字
花てぼさんから頂いて かけてある
文字が作る絵って
漢字の国に生まれて
形があって意味があって
考えると面白い
書家は
東洋の画壇の先端を行ってるんだな
みんなは「坂の上の雲」のようだが
編み物をする間の目のやり場は
「李世民」→だった
この人唐の二代目の皇帝
髄を滅ぼして群雄割拠の時代
長安に拠って唐を堅固くしたのは李世民の父の李淵だけど
実際に唐の中国全土支配の立役者は李世民だったのだと思う
面白いのは
いろいろ
歴史で習った人々がイメージできること
李世民も素晴らしい書を書いたということになってる
王羲之の真筆を集めるのに一層懸命のあまり
色々すごいことになるが
王羲之→の唐代のうわさが
ふうん そんなだったのかと初めて具体的にイメージで来た
欧陽詢 虞世南 褚遂良 など教科書で見た名前が
でてくる
三代目の皇帝も 素晴らしい書を書いたという設定で
調べたら中国の能書家の中にちゃんと入ってた
書の素晴らしさを 皇帝の気韻にあふれてる
なんて
東洋では書や絵の評価に
気韻って わかる人にしかわからない基準で
何やら言うなあと思った
玄奘も李世民と同時代
帰国後の経典の翻訳 大唐西遊記が李世民の命で書かれた
なんてことも
はじめて知った
それにしても英雄は建国の時ばかり
後を継ぐのは ろくなことにならない
世襲制だからね 変なのよね
世襲で地位を襲うというのは
やめればいいのに
王様とか 天皇とか北朝鮮も
それにしても
則天武后→がもとは李世民の後宮にいて
のち
李世民の子
高宗の二番目の皇后に立皇されたとは知らなかった
それにしても
皇帝って 一種独特だ
手の上で 人材を操作する
そうやって 国を治めるのだけれど
東洋の国家経営には 民を天とする思想があるにだなあ
それにしては
日本の為政者は 人材を操作できないし
民を天にする発想がないし
権力争い 他社の蹴落としにうつつを抜かして
本当に小物ばかりだなあ
李世民には 魏徴という直言諫言する臣がいて
大変なぶつかり合いをするし 李世民はしょっちゅう頭にきていたけれど
重用した
それがなかなかよく描かれてた
「人生 意気に感ず」というのは
魏徴の言葉だそうだ
李世民の時代 さまざまな文化が花開き
国際交流も盛んになり
そういう世界を創出したというのは
やはり
英雄だな