料理のことを書いてると
料理に詳しかった母を思い出し
まったく料理なんかしたこともなかった自分を思い出し
そういえば高校生の時
テーブルマナーの授業があって
それは 茗渓会館というところで
フルコースをいただきながら習うものだったけど
その時も母が予習にと
古い本をくれたが
なんであんなことに詳しいのだ?
それでまた連想
茨城県は私立校ってそんなないんでしょ?と聞いたら
(日大の付属があるのは知ってる)
茗渓学園があるとお友達に教わった
ああ 筑波大がこっちにきたからだ
と思い
茗渓会が 筑波大の同窓会の名前だというのを知ってたのは
これまた 母に聞いたのだ
母は 筑波大とは言わない
教育大ともいわない(私はこの世代だ)
東京文理科大というのよ
しかし
私の小学校からは桐朋学園に進学する人が多かった
これまた母はミーハーなのかね
桐朋は東京文理科大ゆかりの学校なのよ
と言ってたのを思い出し?桐朋会っていう同窓会もあるのか?
と思って調べて驚いた
ゆかりのわけ
軍国主義の学校とみなされ解体の危機にあったのを
東京文理科大が救ったとある
ふうん 母さんはその事件を目の当たりにしてたのか
さて 茗渓会館は 茗荷谷の駅から行けるけど
茗荷の茗から来てるのね
茗荷谷の駅を降りて拓大の方へ下る坂が茗荷坂
でも駅のあるところは
谷って イメージじゃないけど
地下鉄が地上に出てるんだからあそこは 低いのか?
窪町なんて もっと低い
なんで茗荷なのだ?と調べたら
あそこから早稲田あたりまでの谷が茗荷畑だったそうだ
なるほど ビル群を取っ払ってあのあたりの地形を俯瞰してるつもりになって納得
茗荷谷茗渓会館から連想して面白かった
私の高校の美術の先生は
お前 絵が描けるようになりたかったら
ちゃんと画塾に通ってデッサンから習え
とおっしゃったので
当時すいどうばた洋画会といったデッサン教室に通った
↓ どばたのホームページから ちょっと泥 ごめんなさい
当時の写真
私が写ってるなじゃない?というくらいデジャヴな感じよ
茗荷谷からもうちょっと飯田橋の方に入った辺りだ
(私は歩くの趣味だったからそこらじゅうの道は歩いた)
すいどーばた美術学院は今は大手の美校志望者のお通いどころだけど
すいどーばたにあったのよ
地名は図書館に残ってたわ