イギリスで大変な暴風雨という記事を読んで
仰天!!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1121.html
この130という数字に反応しちゃったが
これは時速だから 秒速に直すと36メートルちょっとだ
イギリスは風速を時速で表すのか?
調べてもわからないが
時速のほうが実感が出るだろうという意見は多いのだな
確かに。。。
この間の猛烈台風 最高の瞬間風速
75メートルだった
それ時速に直すと
75*3600= げ!!270キロだ
イギリスで大変な暴風雨という記事を読んで
仰天!!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1121.html
この130という数字に反応しちゃったが
これは時速だから 秒速に直すと36メートルちょっとだ
イギリスは風速を時速で表すのか?
調べてもわからないが
時速のほうが実感が出るだろうという意見は多いのだな
確かに。。。
この間の猛烈台風 最高の瞬間風速
75メートルだった
それ時速に直すと
75*3600= げ!!270キロだ
この映画も見た
かなりの話題作だったらしいが
テレビも見ないし新聞も読まないので
話題には疎いので知りませんでした
「ゴドーを待ちながら」との関連を言われると
なるほど思うけれど
実は ゴドーを待ちながらは 公演も見たこともあり
戯曲も持ってるけれど
いまいちわかんないのよね
だから分かったように
なるほどね ゴドーを待ちながらね って言いたくなるんだけど
・・・
象徴的な表現って でもそういうことでもあるのかも
さて この映画は とある高校の話なのだけれど
高校生の中の同調圧力とかヒエラルヒーとか
部活を巡って いろいろ描かれている
わたし いた中学も高校も同調圧力って なかった・・・・
あ!
私がそういうことに関知しないタイプってだけか!
そうなのだな でもそれでいじめが起きるような学校ではなかったのだ
ものすごく感じてしまう子供にとっては
学校は地獄のようになってしまうということもある
私自身 またまた振り返ってみると
身の回りに同調圧力がかかったことはいっぱいあったのだ
小学校6年生の時に 私が紅衛兵の批判の的にさらされるような
そういう先生から見ると 教育実践
わたしにはとても教育的にそのことは働いたけれど
周りの子供たちは 同調圧力からは抜けられなかったと思う
で
わたしは 結果的に 逃げたのだ
で
逃げた先には 私が入り込むには よそ者という立場で入り込むことになる
(それは自覚がなかったけれど)
空気読めないわたしは 循環小数の計算法を発明して来いという宿題を
嬉々として取り組んで
嬉々として発表して
岩佐又兵衛の描く群像のような
迫力ある白眼視に会ってしまった
あれはやっぱり同調圧力だろうな
そこでもわたしは現実逃避をしてしのいだがな
もう 高校生になると
同調圧力は関知しない技で生きてたような気がするけどな
でも世の中に出てからは
いっぱい ムラ社会の そういうものには出会ってきたわけで
子供時代に それぞれいろいろな形で洗礼を受けてきているんだろうなあ
と思った
同調圧力を組織するボスタイプって 結構陶冶性がなくて頑固で
いわばアホ
というものが多い
それを 改心させることも教育することも
結構消耗だ
と思い浮かべているのが 今の為政者たちだよ
ホントそういう思春期の子供時代のいじめっ子とか
同調圧力生産者だった
子供のまんまみたいかもしれないけれど
あほすぎて 陶冶できないのが困るよなあ
この映画のキャッチコピーには色彩のことも載ってるけど
色
すごいのだな
ジョージチャキリスのシャツのパンプキンオレンジと
相棒のセルリアンブルーと
あとは白い灰色と
画面はきっちり構成されてる
そのために
ロシュフォールの町の壁 塗ったって話もあるんだって!!
すごい!
と思ってみると
その三色のグラデーション どう使っているか見ると
発見が山盛りだ
この映画テレビで最近見たばかりだけれどね
(最初に見たのは昔 映画館でね)
また ジックリみたいわ
このDVD息子の持ち物らしいが
置いてってもらって借りて よく見ることにしよう
映画って画面を作るのに写真は撮れないところとか画面上に必要で
とか
背景画というのが使われることはよくあるのだそうだ
ただの観客の私は全く考えもせず
実写映画はみんな実写なんだと思ったが
映画の美術って そういうのもやるんだ
そうだな
画面はすべてが作品だものな
それで そういう背景画を描く人は 日本人が世界一なのだそうだよ
へえ!!
絵を描く人は↑見ると
ちょっと 興奮ものでしょう?
展覧会などの情報が載ってる
冊子をめくったら
↑の公演のページがたまたま開いた
!!!!
見たいなあ!
マチネーならみられるかなあ
12月だよ
このラ・ボエームの世界をアフリカに移して
表現するらしい
貧困と病気 この問題を ラ・ボエームの時代を
現代のアフリカの問題と150年の時を隔てて 同じものを見出して
作り出す演奏なのだなと思って
19世紀中ごろ 資本主義の黎明期と現代は
中を貫く一本の暗いトンネルがあるんだよと思う
よく話題にする バルバラ
(ボードレールの友人でこのラ・ボエームの元の話を書いた
アンリ・ミュルジェールなどとも仲間のボヘミアン・アーティスト?の一人
この人は不運にも歴史の中に埋もれちゃって
ジード
(アハハ ドーデです。
何血迷ったかね。ジイドのことなんか考えてもいなかったのにねぼけたわ)
の風車小屋だよりのなかの黄金の脳みそを持った男という話に描かれてる人
これを
友だちの仏文学者が発掘して世に出したのだ
どうだ!すごいだろ? ・・・人のことで自慢自慢)
の赤い橋の殺人事件も 貧困を巡る 犯罪(それを犯罪とするのは
社会的歴史的な位置づけがあって
犯罪になるわけだし
時の道徳律とか規範とかこれらに懐疑的な考察を揺さぶる小説なのだよ
現代は資本主義の諸問題が噴出して
日本なんか もしかするとこれから未曾有の貧困が襲うんじゃないかと
わたしは
・・・
う~ん 世の中もしかすると無くなっちゃうかも
(核をもてあそんだ罪を 罰せられてだよ!)
とあれこれ思っちゃうんだが
このアフリカの集団がどういう風に表現するのか
すごく興味があるのだ
近くに 小栗というところがあって
お祭りがあるようなのだ
これはいつのことだ?
ともかく多分近隣お方はよく知っているのだろうがわたしは知らない
それで
上の岩佐又兵衛の絵巻物の本を図書館で借りてきた
ウハハ
面白い
主人公は毘沙門天の申し子だという男なのだが
えらいイケメンでモテすぎで問題行動が多く
大蛇の惚れられて
↑その時の小栗判官
そのあとああだこうだあって
知行地に流された
という話
照手姫を見染めて結婚の約束をするのだけれど
姫の親?養い親の怒りを買って毒殺されて地獄に落ちるのだけれど
奇想天外な縁を巡って結局蘇生し 姫とも再会して
めでたしめでたしの物語
話も面白いけれど
岩佐又兵衛の絵も面白い
これは鬼鹿毛という悪鬼のごとき馬を乗りこなす判官に仰天
喝采する群衆
又兵衛の群衆ってすごく面白い
この絵巻き見たいなあと思ったが
持ってるのは宮内庁
三の丸尚蔵館で平成7年に展覧会があったみたいだ
見たいなあ
いつかまたどこかでやるかなあ
私くらいの年ごろだと
今の若者のように豊かな音楽の原体験ってない
敢えていうなら
酔っぱらって歌うお父さんの歌だろうな
歌う歌は日本歌曲とイタリア歌曲だったよというと
洒落た父さんだねえと言われるが
そういうわけではなく明治末期から大正時代のうまれの人に共通するんじゃないかと思う
戦死したほうの父もイタリア民謡が好きでよく歌ってたというもの
それは
浅草オペラ 藤原義江の影響よ
子供の私にこの歌は難しかったよ
でも歌え!
の命令の元
お抱え歌手の私は酔っぱらった父の前で歌わされるのだったよ
だからと言って 歌は嫌いにはならなかったが
酒席は嫌いになったけど
私が子供のころは童謡唱歌が盛んで
童謡歌手がスターだったというのもある
AKB48みたいに子供に大人気だったのよ
子供のころ直に聞いたことがあるのは
この小鳩くるみさんだけだが
近所に歌いに来たとき聞きに行ったのだと思う
今でも童謡大好きだものな
そのころ描いた絵
そのころ聞いた音楽
これが心に刻まれ原風景になっていくのかもしれない
↓の人の演奏を学校の体育館で聞いたという話は聞いたが
どんな曲だったのかは知らない
こうやって聞いたジャズが
子供の体の中で熟成していく
そういうものなのだな
と思った
http://www.f-w.co.jp/ex-art/jfk.html
↑の公演活動で巡っていたポール・ジャクソンと出会ったのだと思う
子供に触れてもらう文化財に 難しすぎるだとか
暗すぎるだとか
そういうことそのほかのことで 制限をつけるべきではないな
と
改めて思った
子供の中で熟していくものというのを信頼していいのだし
子供はおとぎ話の中でだけ生きていくものでもないし
息子が来て
それを直してくれたので
このブラウザをまたつかうことにしたが
記事を書き始めたらまた不安定になって
画面が出なくなったり 書いた記事が消えたりした
??
然し今は直っている
こっちのブラウザじゃないと記事が書きにくいので
上手く安定してもらいたいものだ
息子がいる間に 困ったときは 見てもらおう
と
自分よりわかっている人がいると他力本願になる
昨日は
彩友会自主講座
最初は誰もいなくて一人で道具を広げて描き始めた
りこちゃん この子 フェスティバルで会った子
下唇がポってり膨らんで緩んでいて
(何か夢中でやってると大人も唇って緩むよな)
左右の目の焦点がちょっとずれてて
あどけなくって
幼顔から少女へ移りゆく感じのかわいい子だったのだが
それが描けない
で 昨日は横顔二つ組み合わせで描いてみようと思ったのだ
↓まだ途中 でも今まででは一番うまくいきそうだ
然し
小貫さん何やってるの
今度はマンガ路線かと言われちゃった
Yさんは水彩連盟展に出す大きな絵を持ち込んで描いていた
いろいろ話してみて驚いた
彼女があのような静物画を描くのは
相当意図的に多視点的構成を作ろうとしてるのだと思ったら
そんなこと何も考えないというのだ
感性で描くんだって
そっか
こういう絵を描く人ね
なるほど
絵に向いてる人はそういう風に描くのだな
と思った
わたしは絵には向いてないけれどやめられなくて
この年まで来たけど
絵は趣味としては最高に面白いよね
という話をして そう思ったのだ
理屈っぽいわたしは
考えるのだよ
で横顔二つ路線がなぜいいかわかった
横顔を考えると稜線を考えるわけで
それで上手くいくのだ
でもパズル的に考えると
横顔を二つ見つけるように描きたくなるけど難しい
何でもやってみるもんだなと思った