今度の日曜日の彩友会の課題は
抽象画
実は気分でとか 様式として
とか そんなふうに抽象画を描くのは嫌だったの
何を描くのか
大塚先生は考えてこなくていいとおっしゃるけれど
下手な考え休むに似たりだから
こじつけになる浅はかな考えはいらん!ということなのだろうが
居心地が悪い
たぶんそれもあって ピカソのキュビズムキュビズムって
考えてるんだな
でも 見れば見るほどキュビズムは
結局リアリズムを突き詰めていってるんじゃないかと思ってきた
1909年 オルタで描いた 丘の上の街並み 勿論ピカソです
この1909年のオルタで 何かが始まった
幾何学的キュビズムが始まった ということだな
それから 一見抽象画か?と思う方向に驀進していく
この絵は 私は 空の描きように感激
ピカソは形態の中にある法則性を
人体の中で研究し こういう人工物を交えた風景の中にも
その法則性を取り出して構築している
私にはそう感じられる
だから 具象じゃない?
と思ってきた
実際この絵は 思い浮かべられる風景が読めるからね
この先 原形をとどめないような人物画も
実際は具象だと思っていたんだが
男鹿人さんの
コッホ曲線で
開眼した
コッホ曲線なんて
こんな高等数学習ってないモン
分かんないモン
と思ったが
待てよ
レオナルド・ダ・ビンチも枝分かれの法則だか何だか
言ってた
川の分岐 枝の分岐 血管の分岐
こういうモノに共通する法則があるって
そうだな 法則って 具体的な自然物の中から
引き出せるものなのよね
コッホ曲線って 数学者の頭の創造物ではなく
ブロッコリーの芽のなかにも もちろん雪の結晶にもある
数学というのは
きっと
いろいろなものの仲立ちをする
便利なツールなんだろうな
音楽だってきっと その仲立ちで 音楽的言語で紡がれたものに違いない
抽象画もそういうことか
ピカソたちは どうしてかたくなに 透視図法的空間把握は 退けたのか
反抗児の業じゃなく 必要だからだ
透視図法的空間把握とか 見てくれのリアル感って
とても縛りが強いからな
そんなことしか考えられないが
必然性があったに違いない
今日明日で 頭をすっきりさせて 抽象画描けなくちゃな