遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

セザンヌから始まったこと

2013-10-23 07:19:56 | 現代美術
http://www.ritsumei.ac.jp/~tut07770/special/special3/CezanneB.htm
この論文見つけた

セザンヌのことって
考えてみれば
全然わかっちゃないんだけど
若者のころ仲間はわかっているようだった
多分みんなセザンヌの手紙も読んでいたのだろうが

総合大学の文学部一回生向け概説講義を想定して同等レベルの入門書を引用してみた、ということにでもしておこう

こういう文があって
ええ!?
絵を描いてきたわけじゃない18歳くらいの子達相手の授業で
この話が通じるのか?
と思った
長年絵を描いてても私にはわかりにくい話なのに

もしかして私ってすごくバカか?
と思ったがうそ
本心は
この上田という先生は絵を描くのに苦悩したことがあるのかよ!
という反感を抱いたが

KINU洋画会のYさんなども時々セザンヌを引用するけれど
本心は もうちょっと縷々喋ってもらいたいんだけど
自分があまりわかってないから
会話にもならないのだ

しかしパッサージュ という言葉の理解も
私はすごく頓珍漢を思っているようだ
輪郭線とずれた線が視線を誘うって
そういう風に見るようだけど
輪郭線とずれた線と意識してみたことはない
私はあくまで線的に見て
その方向性が画面の中に パッサージュ (通路という風に思ってた)を作り出すと思っていた

別の人は 色の諧調が パッサージュ 方向性を作るみたいに言ってる


開設する人は自分の芽が見えるものだけをもとにいろいろ言ってる
そういうことだろうけれど

その形や世界を貫くパッサージュ それをくみ取って
画面の中に(平面の中に 力の行きかう様を描いたのが
キュビズムの絵だと思ってた


セザンヌの 立体の基本形に還元して見ろと ベルナールにあてた手紙は有名だけど


自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい

これって世界史でも習ったのだろうか?
でもこの言葉も勝手に独り歩きしてて
死に戸は別のところに行ってるのではないか?


でも1904年のセザンヌの回顧展が
キュビズム発祥の 一撃だったのは確かだったのだろうなあ


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